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第4話 鋼鉄の管理者と枯れた神木

「……解析開始」


天空都市の中枢から現れた黄金の自動人形、No.9。

彼女(便宜上そう呼ぶ)は、無機質な動作でスプーンを口に運んだ。

そのレンズ状の瞳は、感情を映すことなく赤く明滅している。

周囲の市民や騎士たちが、固唾を呑んでその様子を見守っていた。


私も少し緊張しながら、お玉を握りしめた。

機械相手に私の料理が通じるのか。

成分分析だけで「栄養価は基準値内」なんて言われたら、料理人として少し寂しい。


No.9の口が閉じられる。

数秒の沈黙。

機械的な駆動音だけが、静まり返った通りに響く。


「……報告」


No.9が口を開いた。

その声は、先ほどまでと同じ平坦な合成音声だった。


「有機物の摂取を確認。熱エネルギーおよび塩分濃度、適正。……しかし」


彼女の言葉が途切れる。

赤いレンズの光が、チカチカと不規則に点滅し始めた。


「内部プロセッサに異常発生。胸部ユニット周辺にて、原因不明の温度上昇を検知。放熱ファンが追いつかない。……これは、熱い」


「猫舌でしたか? フーフーしてから飲めばよかったですね」


私が呑気なアドバイスをすると、No.9は首を横に振った。

カシャカシャという音がする。


「否定する。物理的な熱ではない。……スープが食道を通過した後、コアシステムが『温かい』と誤認している。この感覚は、データベースに存在しない」


彼女は自分の胸に手を当てた。

そこには心臓の代わりに、青く光る動力炉があるはずだ。


「この感覚を定義する言語が見当たらない。……もっと、摂取を推奨するサブルーチンが自動生成されている。……おかわりを要求する」


「あはは! それを『美味しい』って言うんですよ!」


私は笑って、彼女の空になったお椀を受け取った。

機械だろうと関係ない。

美味しいものを食べて「もっと欲しい」と思うなら、それは立派な食欲だ。


「はい、大盛りにしておきますね」


「……感謝する」


No.9は二杯目のスープを受け取ると、今度は少しだけ急ぐような動作で口に運んだ。

その様子を見て、後ろに控えていたゼファーさんが呆然と呟く。


「馬鹿な……。感情を持たない管理ユニットが、食事を楽しんでいるだと……?」


「ゼファーさん。どんな生き物だって、美味しいご飯の前では正直になるんです」


私は鍋の底をさらって、最後の一滴までスープを配り終えた。

市民たちの顔には、さっきまでの無気力さは微塵もない。

みんな、頬を赤らめて満足そうに息をついている。


「さて、お腹もいっぱいになりましたし」


私はエプロンで手を拭き、No.9に向き直った。


「約束通り、一番偉い人のところへ案内してくれますか? この都市の緑について、お話ししたいんです」


No.9はスープを飲み干すと、ゆっくりと頷いた。


「承知した。当機こそが、この都市『アイギス』の最高管理者。……そして、貴女たちが会うべき存在は、この奥にいる」


彼女は背後の巨大な扉を指差した。


「ついて来い、地上の庭師よ。……当機の計算を超えた貴女なら、あるいは『あの方』を救えるかもしれない」


        ◇


案内されたのは、都市の最深部にある巨大なドーム状の空間だった。


「うわぁ……」


中に入った瞬間、私は思わず声を上げた。

そこは、外の無機質な街並みとは別世界だった。

天井は高く、全面ガラス張りになっており、太陽の光が直接降り注いでいる。

広さはエデンの広場と同じくらいだろうか。


しかし。

そこに広がっていたのは、緑豊かな楽園ではなかった。


「……ひどい」


私の口から、乾いた声が漏れた。


ドームの中央に、一本の巨大な樹木がそびえ立っていた。

かつては天を突くほど雄大だったのだろう。

しかし今は、見る影もなく衰弱しきっていた。


幹は灰色に変色し、ひび割れた樹皮からは乾いた音がする。

葉は一枚も残っておらず、枯れ枝が骸骨の手のように空を掴んでいる。

そして何より痛々しいのは、その姿だ。


無数のチューブが幹に突き刺さり、緑色の液体を無理やり注入されている。

太い枝は金属のワイヤーで吊り上げられ、崩れ落ちないように固定されている。

根元はコンクリートで固められ、巨大な機械装置が唸りを上げて接続されていた。


それは、植物というより、生命維持装置に繋がれた重病人のようだった。


「これが……この都市の心臓部、『天空樹マザー・ツリー』だ」


No.9が淡々と説明する。


「数千年前、地上から脱出した際に移植された聖なる樹木。この樹が生成する魔力が、都市の浮遊機関を支えている」


「……パパ、いたい」


レンさんの背中で、ユユが泣き出した。

彼女は小さな手で胸を押さえ、苦しそうに顔を歪めている。


「きがきこえるの。……くるしいよ、たすけて、ってないてる」


「ああ。俺にも聞こえるぞ、この悲鳴が」


レンさんの目が、怒りで揺らいだ。

彼は植物の声は聞こえないはずだが、竜としての感覚が、この場の異常さを察知しているのだ。


「No.9。これはどういうことだ」


私は震える声で尋ねた。


「どうしてこんな……虐待みたいなことをしているんですか?」


「虐待ではない。延命措置だ」


No.9は機械的に答えた。


「三百年ほど前から、マザー・ツリーの魔力生成量が低下した。原因は不明。当機たちは科学的アプローチにより、高濃度の栄養剤を直接注入し、強制的に魔力を抽出するシステムを構築した」


「強制的に……?」


「肯定する。根からの吸収効率が落ちたため、幹に直接パイプを通した。枝が折れそうになれば、ボルトで補強した。全ては都市を維持するための合理的判断だ」


「ふざけないでください!」


私は叫んだ。

理性が吹き飛びそうだった。


「植物は機械じゃないんです! パイプを刺せば元気になるとか、ボルトで留めれば治るとか……そんなの、ただの拷問です!」


私はドームの中へ駆け出した。

コンクリートで固められた根元に駆け寄る。

硬い。冷たい。

これでは根っこが呼吸できない。


「土は!? 土がないじゃないですか!」


「土は不衛生だ」


後ろからついてきたゼファーさんが、ハンカチで口を押さえながら言った。


「菌や虫が湧く。精密機器の塊であるこの都市に、土など持ち込めるわけがない。全ては水耕栽培と化学肥料で管理されている」


「だから枯れるんです!」


私はコンクリートを拳で叩いた。

私の手は痛くない。怒りで麻痺しているからだ。


「植物にとって、土は布団であり、食卓であり、お風呂なんです! こんな冷たい石の中に閉じ込められて、変な薬ばかり注射されて……元気になるわけないじゃないですか!」


私は枯れた幹に頬を寄せた。

カサカサとした感触。

微かに残る温もりが、消えそうな蝋燭の火のように頼りない。


『……つち……つちにかえりたい……』


か細い声が聞こえた。

この樹は、もう限界だ。

都市を支えるために、最後の命を削って耐えている。


「No.9。このままだと、あとどれくらい持ちますか?」


「……計算上、あと七十二時間で完全停止する。その後、都市は浮力を失い、地上へ墜落する」


「七十二時間……」


あと三日。

三日後には、この都市に住む何万人もの人々と共に、この樹は死ぬ。

そんなこと、絶対にさせない。


「レンさん」


私は振り返った。

レンさんは静かに頷いた。

言葉はいらない。私のやりたいことは伝わっている。


「壊します」


「何をだ?」


「このコンクリートの床、全部です。あと、あの拘束具みたいなパイプも全部!」


私はNo.9を睨みつけた。


「管理者の権限で許可してください。私がこの樹を治療します。……いいえ、許可しなくてもやりますけど」


「……治療?」


No.9のレンズが点滅した。


「当機のデータベースにあるあらゆる修復プログラムは失敗した。貴女のような有機生命体に、何ができるというのか」


「私には農業があります。そして、世界一の家族がいます」


私はユユを手招きした。


「ユユ、お手伝いできる?」


「うん! きさん、げんきにする!」


ユユはレンさんの背中から降り、翼を広げて私の元へ飛んできた。

彼女の足が床に触れると、そこから小さな花がパッと咲いた。

コンクリートの隙間から、命が溢れ出す。


「No.9。貴女の計算には、『愛』というパラメータが入っていません」


私はスコップ(マリアベルさんから借りたミスリル製)を構えた。


「見せてあげますよ。エデン流・ガーデンリフォームの奇跡を!」


「……興味深い」


No.9は少しの間沈黙し、そして告げた。


「許可する。ただし、都市の機能停止を招いた場合、即座に排除行動に移る」


「上等です!」


私はレンさんに合図を送った。


「レンさん、まずはあの邪魔なコンクリートを剥がしてください! 根っこを解放します!」


「任せろ。……おい、土木工事だ」


レンさんは剣を抜くと、床に向かって振り下ろした。

衝撃波が走り、頑丈なコンクリートが豆腐のように砕け散る。


「ヒィッ! 床が! 精密機器が!」


ゼファーさんが悲鳴を上げているが無視だ。

砕けたコンクリートの下から、痩せ細った根っこが姿を現した。

白く変色し、萎縮している。


「かわいそうに……。今、ふかふかのベッドを作ってあげるからね」


私はリュックから、ある種を取り出した。

第4部で開発した新アイテム、【雲土クラウド・ソイル】の素だ。

天空の雲を凝縮し、魔力で固形化した特殊な土壌。

これなら、重い土を持ち込めないこの都市でも、植物を育てることができる。


「シルヴィオ様、雲を集めてください! ユユは雨を!」


「はい! 外の雲を引き込みます!」


シルヴィオ様が窓を開け、風魔法で雲をドーム内へ誘導する。

真っ白な霧が充満する中、ユユが歌い出した。


「あめあめ、ふれふれー♪」


彼女の頭上の双葉が光り、ドーム内に優しい雨が降り始めた。

その雨は雲と混ざり合い、私の魔力を受けて、白くて柔らかい「土」へと変化していく。

コンクリートがなくなった床に、ふわふわの雲土が積もっていく。


「これが……土?」


ゼファーさんが恐る恐る触れた。


「汚くない……。まるで綿のようだ」


「ええ。清潔で、軽くて、栄養満点です」


私は雲土を根っこの周りに敷き詰めた。

そして、優しく土を被せていく。


「さあ、深呼吸して。もう苦しくないよ」


私の手から、創世樹の魔力が流れ込む。

ドクン。

天空樹が、微かに反応した。


しかし、まだ足りない。

何百年も虐げられてきたダメージは深刻だ。

ただの栄養補給だけでは、枯れかけた命の灯火を戻すことはできない。


「もっと強い力がいる……」


私が焦りを感じた時だった。

ユユが、トコトコと木の幹に歩み寄った。

そして、小さな両手で、太い幹に抱きついた。


「きさん。……だいすき」


ユユが頬擦りをする。

その瞬間。


カッ!!


ユユの背中の翼が、目も眩むような光を放った。

それはエデンで見せた光よりも遥かに強く、神々しい輝きだった。

光は波紋となって天空樹全体を包み込み、傷ついた樹皮を、枯れた枝を、優しく撫でていく。


「あ……」


No.9が、初めて感情的な声を漏らした。


「エネルギー反応、測定不能。……これは、魔力ではない。もっと根源的な……『生命創造』の光?」


ゴゴゴゴゴ……ッ!


天空樹が震えた。

私の耳に、ハッキリと聞こえた。

『ありがとう……』という、老婆のような、でも温かい声が。


パキッ、パキッ。


枯れ枝の先端から、若草色の芽が一斉に吹き出した。

見る見るうちに葉が茂り、白い花が咲き乱れる。

灰色だった幹に色が戻り、ドーム全体が緑の輝きに満たされていく。


「咲いた……! 枯れ木に花が!」


ゼファーさんが膝をついて涙を流す。

外の街でも、異変が起きていた。

錆びついていた歯車が軽快に回り出し、明滅していた街灯が力強く輝き始めたのだ。

マザー・ツリーの復活により、都市全体のエネルギーが回復したのだ。


「すごい……ユユ、貴女は一体……」


私は娘を見つめた。

彼女は「えへへ」と笑い、私の胸に飛び込んできた。


「ママ、きさん、わらったよ!」


「ええ、そうね。すごいよユユ」


私は娘を抱きしめた。

この子は、ただの植物竜じゃない。

エルランドさんが言っていた通り、もしかしたら本当に……。


「……解析完了」


No.9が近づいてきた。

その赤いレンズは、今は穏やかな緑色に変わっていた。


「脅威レベル、ゼロ。……対象『ユユ』を、マザー・ツリーの『正当なる後継者』として認定する」


「後継者?」


「肯定する。彼女の波長は、始祖の女神と完全に一致している。……この都市は、貴女たちを歓迎する」


No.9は、ぎこちない動作で、しかし恭しく膝をついた。

それに続いて、ゼファーさんと騎士たちも一斉に跪く。


「ようこそ、救世主様」


どうやら、私たちは不法侵入者から、一躍この都市のVIPになってしまったらしい。


「やれやれ。ピクニックのつもりが、また大ごとになったな」


レンさんが肩をすくめる。

でも、その顔は誇らしげだった。


「まあいい。これで日照権も確保できたし、美味しい弁当も食べられる」


「そうですね!」


復活した天空樹の下。

私たちはレジャーシートを広げた。

雲の上の世界で、緑に囲まれて食べるお弁当は、きっと格別だ。


しかし、これで全てが終わったわけではなかった。

復活した天空樹と、ユユの共鳴。

それが発した波動は、天だけでなく、遥か地の底――『冥界』にまで届いてしまったのだから。


「……ん? なんか地面から音がしませんか?」


お弁当を食べようとした私の耳に、ドンドンという不気味なノック音が聞こえてきた。

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