第2話 太陽が消えた日
「……暗いですね」
翌朝。
私はいつものように早起きしてカーテンを開けたが、そこに広がっていたのは爽やかな朝日ではなかった。
どんよりとした薄暗い灰色。
まるで夕暮れ時のような、重苦しい薄闇がエデン全体を覆っていた。
「おはよう、フローリア。……今朝は一段と冷えるな」
レンさんが起きてきて、私の肩にブランケットをかけてくれた。
彼の言う通り、気温も明らかに低い。
本来ならポカポカとした陽気が降り注ぐはずの時間帯なのに、肌寒ささえ感じる。
原因は明白だ。
窓から見上げれば、空の大部分を塞ぐように鎮座している、あの巨大な鉄の塊。
天空都市『アイギス』。
あの日以来、あの都市は微動だにせず、エデンの真上に居座り続けているのだ。
「許せません……」
私はエプロンの紐をギリギリと締め上げた。
「私の可愛いトマトたちが、お日様を浴びられなくてしょんぼりしています。ヒマワリなんて、どっちを向いていいか分からなくて首を傾げたままで……!」
植物にとって、太陽は命そのものだ。
それが遮られるというのは、人間で言えば空気を薄くされるようなもの。
今はまだ私の魔力で補っているけれど、この状態が長く続けば、エデンの生態系に深刻な影響が出るだろう。
「やはり、撃ち落とすか?」
レンさんが物騒な提案をする。
彼の琥珀色の瞳は、上空の都市を完全に「敵性存在」としてロックオンしていた。
「あそこには飛行禁止結界が張られているようだが、俺のブレスなら下から貫通できる。街ごと焼き払えば、日当たりも良くなるだろう」
「ダメです。ユユがあそこに行きたいって言ってますし、中に人がいるなら話し合いが先です」
私は首を振った。
それに、もし撃墜してあんな巨大な鉄塊が落ちてきたら、エデンがペチャンコになってしまう。
「パパ、ママ! みてみて!」
庭からユユの元気な声が聞こえた。
私たちはバルコニーに出た。
そこには、昨日植えた【巨人の豆】が、信じられない姿でそびえ立っていた。
「……でかっ」
思わず声が出た。
昨日の夕方には「大きな木」くらいだった豆の木は、一晩でさらに進化していた。
太さは灯台ほどもあり、緑色の表皮は鋼鉄のように硬く輝いている。
そして、その先端は雲を突き抜け、天空都市の底面に向かって一直線に伸びていた。
「すごいね、ユユ。たくさん魔力をあげたんだね」
「うん! パパといっしょに『おおきくなーれ』ってしたの!」
ユユは豆の木の根元で、タケシと一緒に葉っぱを揺らして喜んでいる。
どうやら、レンさんも夜中にこっそり魔力を注いでいたらしい。
過保護なパパだ。
「よし。道は繋がりました。これなら歩いて登れます」
私は決意を固めた。
「お弁当の準備はできています。今すぐカチコミ……いいえ、ピクニックに行きましょう!」
「ああ。日照権を取り戻す戦いだな」
レンさんが剣を腰に差した。
こうして、私たちは空への遠征を開始した。
◇
豆の木登りは、予想以上に快適だった。
巨大な葉っぱが螺旋階段のように配置されており、足場は安定している。
さらに、ユユが「エレベーター!」と言って葉っぱを操作してくれるので、私たちは葉の上に乗っているだけで自動的に上昇していくことができた。
「楽ちんですねぇ。これならマリアベルさんたちも連れてくればよかったかも」
「いや、留守番は必要だ。地上にもいつ敵が現れるか分からん」
レンさんは周囲を警戒しながら、私の隣に立っている。
背中にはユユをおんぶし、手にはバスケット(お弁当入り)。
最強の竜公爵も、今ではすっかりイクメンだ。
高度が上がるにつれて、空気が薄くなってくる。
気温も下がり、雲が足元に広がり始めた。
「シルヴィオ様、大丈夫ですか?」
私が後ろを振り返ると、シルヴィオ様がゼェゼェと息を切らしながらメモを取っていた。
彼は今回、学術調査員として同行している。
「はぁ、はぁ……平気です! 見てください、この高度にしか生息しない『雲海苔』を! 大発見です!」
彼は蔦の表面に張り付いた白い苔を採取して興奮している。
植物オタクの執念は、酸素不足すら凌駕するらしい。
「そろそろ到着だ」
レンさんが上を見上げた。
頭上には、天空都市の底面が迫っていた。
無数のパイプや歯車が剥き出しになった、無機質な金属の天井。
そこにある巨大なハッチに向かって、豆の木は伸びている。
「……ん? 何か来るぞ」
レンさんが目を細めた。
ハッチの一部が開き、そこから何かが降下してきたのだ。
ブゥゥゥン……。
低い駆動音と共に現れたのは、銀色の翼を持った人型の機械たちだった。
顔の部分には目がなく、赤いレンズが光っている。
手には槍のような武器を持っていた。
「機械人形……?」
エルランドさんが言っていた「古代の遺物」だろうか。
五体の機械人形は、私たちの前で空中に静止し、無機質な合成音声を響かせた。
『警告。警告。汚染区域からの侵入者を検知』
『対象は直ちに退去せよ。繰り返す。直ちに退去せよ』
『従わない場合、汚染物質として焼却処分する』
「汚染物質……?」
私のこめかみがピクリと跳ねた。
今、私たちのことを汚物扱いした?
「失礼ですね。私たちはピクニックに来ただけですよ」
私が抗議すると、機械人形のレンズが赤く点滅した。
『言語による意思疎通を確認。……解析結果:下等生物の戯言と判断』
『汚染レベル5。排除を開始する』
機械人形たちが槍を構えた。
先端に青白い光が集束していく。
問答無用で攻撃してくる気だ。
「……下等生物だと?」
レンさんの声が低く響く。
彼が片手を前にかざした瞬間、黄金色の結界が私たちの前に展開された。
チュドォォン!!
機械人形から放たれた光線が、結界に弾かれて四散する。
レンさんは一歩も動じない。
「俺の娘と妻を汚染物質呼ばわりした罪、万死に値する」
「パパ、かっこいい!」
ユユが背中で拍手する。
「排除するのはこちらだ。……消えろ」
レンさんが指を鳴らした。
パチンッ。
ドッゴォォォォン!!
衝撃波が発生し、五体の機械人形が一瞬にしてスクラップになった。
爆発四散し、部品となって雲の下へ落ちていく。
「さすがお義父様(皇帝)譲りの破壊力ですね」
「手加減はしたつもりだが、脆すぎるな」
レンさんはつまらなそうに鼻を鳴らした。
しかし、これで歓迎されていないことは明白になった。
「行きましょう。ハッチが開いています」
私たちは豆の木の先端から、開いたハッチの中へと飛び込んだ。
◇
天空都市の内部に足を踏み入れた私たちは、言葉を失った。
そこは、白と銀色だけで構成された世界だった。
どこまでも続く金属の回廊。
ガラス張りの高層ビル群。
空中に浮かぶ道路を行き交う乗り物たち。
「すごい……まるで未来都市ですね」
「だが、息苦しいな」
レンさんが顔をしかめる。
確かに、空気が妙に無味乾燥だ。
匂いがない。
土の匂いも、草の匂いも、風の匂いもしない。
完全に空調管理された、人工的な空気。
「植物が……ありませんね」
シルヴィオ様が悲痛な声で呟く。
街路樹一本、雑草一本生えていない。
すべてがコンクリートと金属で覆われている。
「パパ、ここ、さみしい」
ユユがレンさんの背中にしがみついた。
感受性の強い彼女には、この場所の「死んだような静けさ」が怖いのだろう。
「そうだな。早く用事を済ませて帰ろう」
私たちは都市のメインストリートらしき場所を歩き始めた。
すれ違う住民たちは、皆一様に薄いグレーのジャンプスーツを着て、顔にはマスクのようなものを装着している。
彼らは私たちを見ると、ギョッとして道を空け、遠巻きにヒソヒソと話し始めた。
「見ろ、地上の人間だ」
「汚い……服に泥がついているぞ」
「菌がうつるんじゃないか?」
聞こえてくるのは、侮蔑と恐怖の声ばかり。
どうやら、ここの人たちは「地上=汚染された世界」という教育を受けているらしい。
エデンの土は最高級の培養土なのに、失礼しちゃうわ。
「止まれ!」
前方から、武装した集団が現れた。
先ほどの機械人形とは違い、今度は人間だ。
白銀の鎧を着込んだ騎士たち。
その先頭に立つ男が、剣を抜いて私たちに向けた。
「貴様らか、防衛ドローンを破壊した不届き者は!」
男は整った顔立ちをしていたが、その目は潔癖症特有の神経質さを宿していた。
彼はハンカチで鼻を押さえながら、汚いものを見る目で叫んだ。
「私は天空騎士団長、ゼファー! 地上の蛮族よ、神聖なるアイギスに土足で踏み入るとは何事だ!」
「蛮族じゃありません。フローリアです」
私は笑顔で自己紹介した。
「私たちは、この都市の責任者の方とお話ししたいんです。あと、日照権の侵害について抗議を……」
「黙れ! 菌を撒き散らすな!」
ゼファーは私の言葉を遮り、腰に下げていたスプレー缶のようなものを取り出した。
「消毒だ! この不潔な連中を洗浄せよ!」
シュァァァァッ!
彼がスプレーを噴射すると、刺激臭のする霧が私たちに降り注いだ。
強力な消毒液だ。
人体には無害かもしれないが、植物にとっては猛毒になりかねない成分が含まれている。
「きゃっ、なんですかこれ!」
「くさい!」
ユユが鼻をつまむ。
レンさんが風圧で霧を吹き飛ばすが、ゼファーは止まらない。
「ええい、しぶとい菌どもめ! 総員、浄化魔法『ホワイト・クレンズ』を放て!」
騎士たちが杖を構える。
殺す気はないようだが、徹底的に「消毒」して無力化するつもりらしい。
「……レンさん、やっていいですか?」
私の堪忍袋の緒が切れた。
私の可愛いユユに、あんな臭いスプレーをかけるなんて。
それに、私たちが愛する土を「菌」扱いするその態度。
農家として、教育的指導が必要だ。
「ああ。手加減はしてやれよ」
「もちろんです。……タケシ、出番よ!」
「ウキャッ!」
タケシがリュックから飛び出した。
私はポケットから、とある種を取り出し、ゼファーの足元に投げつけた。
「清潔すぎるのも考えものですよ! 大自然の泥んこ遊びをプレゼントします!」
「なにっ?」
私が投げたのは、【泥沼蓮根】の種だ。
魔力を込める。
ボコボコボコッ!
金属の床が液状化し、泥沼のように波打った。
ゼファーと騎士たちの足元が沈み込む。
「うわぁっ!? なんだこの汚い泥は!」
「足が抜けない! 鎧が汚れる!」
潔癖症の彼らにとって、泥まみれになることは死ぬより辛い屈辱らしい。
彼らは悲鳴を上げ、パニックに陥った。
「くそっ、私の純白のマントが……! 貴様、何をした!」
「ただの泥パックですよ。お肌にいいんです」
私はニッコリと笑った。
「さあ、案内してください。この都市で一番偉い人のところへ。……でなければ、次は全身泥パックコースですよ?」
「ひぃぃっ! わ、わかった! 案内するからやめてくれ!」
ゼファーは涙目で降伏した。
案外チョロい。
こうして、私たちは泥だらけの騎士団長を先導役に、天空都市の中枢へと向かうことになった。
しかし、そこで待っていたのは、予想以上に深刻な「食の危機」だった。
道中、私は住民たちが食事をしている光景を目撃した。
彼らが手にしていたのは、銀色のパックに入ったゼリー状の物体。
「……ゼファーさん、あれは何ですか?」
「完全栄養食だ。必要なカロリーとビタミンが全て計算されている」
ゼファーは誇らしげに言ったが、私は絶句した。
匂いもしない。湯気も立っていない。
ただ生きるためだけに摂取する、味気ない燃料。
(こんなの、食事じゃないわ)
私の料理人魂が燃え上がった。
日照権の抗議も大事だけど、まずはこの人たちに「美味しい」を教えなければ。
「決めました、レンさん」
「何をだ?」
「今夜はここで炊き出しをします! エデンの野菜たっぷりの、最高に美味しいご飯を作って、この無機質な都市を『胃袋』から攻略します!」
「……そう来ると思ったよ」
レンさんは苦笑し、ユユの頭を撫でた。
「パパもてつだう!」
「僕も、天空植物の研究の傍ら、皿洗いをします!」
私たちの「天空カチコミツアー」は、いつの間にか「天空食育ツアー」へと目的が変わっていた。
待ってなさい、天空人の皆さん。
ほっぺたが落ちるような大地の恵みを、たっぷりと味あわせてあげますから!




