最終話 狂信者とクラムチャウダー
「……来ましたね」
私は、完成したばかりのヤシの木ハウスのバルコニーに立ち、水平線を睨んだ。
朝の光を受けて輝く海面に、場違いな白い影がいくつも浮かんでいる。
十字のマークを帆に掲げた、十隻ほどの帆船団。
海賊のマリーナさんが警告してくれた「神聖教団」だ。
「数は多いな。だが、船の速度は遅い」
隣でレンさんが双眼鏡(魔道具)を覗きながら冷静に分析する。
彼の手には、朝食用に焼いたバタートーストが握られており、サクサクといい音を立てて齧っていた。
緊張感があるのかないのか分からない。
「レンさん、パン屑が落ちてますよ」
「……すまん。このパン、美味すぎて止まらん」
「それより、どうしますか? あの方たち、話を聞いてくれるでしょうか」
「無理だろうな。奴らの目は狂信者のそれだ。『自分たちこそが正義』と信じ込んでいる連中ほど、言葉は通じない」
レンさんは最後のパンを飲み込み、手のひらのパン屑を払った。
そして、眼下の白い砂浜を見下ろす。
そこには、昨夜マリアベルさんと一緒に設置した「おもてなし(迎撃)用植物」たちが、海風に吹かれて頼もしく揺れていた。
「マリアベル! 配置はどうだ!」
レンさんが声を張り上げると、砂浜からマリアベルさんが大きく手を振った。
「バッチリよ! 【トウモロコシ・キャノン】十基、【スイカ・カタパルト】五基、弾薬装填完了! いつでも撃てるわ!」
「よし。……フローリア、君はここで見ていろ。俺が追い払ってくる」
「待ってください。まずはご挨拶からですよ」
私はエプロンを締め直した。
キッチンから漂ってくる、クリーミーで濃厚な香りが鼻をくすぐる。
寸胴鍋の中では、とっておきの朝食が完成を待っていた。
「戦う前に、朝ご飯を食べてもらいましょう。空腹だとイライラして、まともな判断ができませんから」
「……君らしいな。だが、毒見もせずに食うような連中か?」
「匂いで釣ります。これだけの量なら、風に乗せて船まで届くはずです」
私は自信満々に微笑んだ。
今日のメニューは、『虹色真珠とクラーケンのクラムチャウダー』だ。
世界最高の食材を使ったスープに勝てる人間なんて、この世にいないはずだ。
◇
船団が、島の周囲に張られた黄金の結界のすぐ外まで接近してきた。
先頭の船の甲板に、豪華な法衣を纏った男が立っているのが見える。
白髪で痩せこけ、目が異様にぎらついた老人――おそらく司祭だろう。
『――罪深き魔女よ! 聞くがいい!』
司祭が拡声魔法を使って叫んだ。
その声はガラガラに枯れていて、聞いていて不安になる。
『我らは神聖教団! 神が創りたもうた自然を歪め、冒涜する貴様を断罪しに来た! 即刻その島を出て、神の裁きを受けよ!』
やっぱり、問答無用で断罪コースだ。
私はバルコニーから、こちらも拡声魔法(ラッパ草)を使って返事をした。
「おはようございます! 遠路はるばるお疲れ様です! 朝ご飯はまだですか? よかったら温かいスープがありますよー!」
『黙れ! 悪魔の食事など口にするものか! ……総員、攻撃準備! あの邪悪な結界を打ち破れ!』
司祭が杖を振り上げると、船上の信徒たちが一斉に詠唱を始めた。
光の魔法弾が無数に生成され、私たちの島に向かって放たれる。
ドォォォン! ババババッ!
魔法弾が結界に衝突し、激しい閃光と爆音が響く。
しかし、レンさんの張った『竜王の結界』はビクともしない。
波紋ひとつ立たずに、すべての攻撃を無効化している。
「無駄だ。あの程度の魔力で俺の結界は破れん」
レンさんが鼻で笑う。
でも、ずっと攻撃され続けるのはうるさいし、何よりスープが冷めてしまう。
「マリアベルさん、威嚇射撃お願いします! 船には当てないで、周囲の水面に!」
私が指示を出すと、砂浜のマリアベルさんが号令をかけた。
「撃てぇぇぇ! トウモロコシの雨を降らせなさい!」
ポン、ポン、ポンッ!
【トウモロコシ・キャノン】が一斉に火を噴いた。
発射されたのは、実の粒ではない。
皮ごと魔力で硬化させた、砲弾サイズのトウモロコシそのものである。
ヒュルルルル……ドッパァァァン!!
トウモロコシ弾が船団の周囲に着水し、巨大な水柱を上げた。
その衝撃で船が大きく揺れ、信徒たちが甲板で転げ回る。
『ひぃっ!? なんだ今の攻撃は!』
『黄色い棒が飛んできたぞ!』
『バカな、我らの聖なる魔法が届かないだと!?』
船団は大混乱に陥った。
私たちの植物兵器の射程と威力は、彼らの想像を遥かに超えていたようだ。
「よし、今のうちに」
私はキッチンから鍋ごとスープを運び出し、巨大な送風機(【扇風草】の集合体)の前に置いた。
蓋を開ける。
フワァァァ……。
湯気と共に、濃厚な香りが立ち昇る。
バターとミルクの甘い香り。
炒めた玉ねぎとベーコンの香ばしさ。
そして何より、クラーケンの出汁と虹色真珠のミネラルが溶け合った、極上の海の香り。
「風よ、届けて!」
扇風草が回転し、スープの匂いを海風に乗せて船団の方へと送り出した。
◇
教団の船上では、異変が起きていた。
「……くんくん。な、なんだこの匂いは?」
「ミルク? いや、魚介の……すごいいい匂いだ……」
攻撃の手を止め、信徒たちが鼻をヒクヒクさせ始めた。
彼らはここ数週間、清貧を旨とする教義に従い、固いパンと水だけの生活を送っていた。
極限の空腹状態にある彼らにとって、この匂いは拷問に近い誘惑だった。
「うぅ……腹が……」
「食いたい……あんな美味そうな匂い、嗅いだことがない……」
「ええい、惑わされるな!」
司祭が杖で床を叩いて叱咤する。
「これは魔女の幻惑だ! 毒の煙だ! 吸い込めば魂が腐るぞ! 息を止めろ!」
しかし、生理現象は止められない。
信徒たちのお腹が、グゥゥゥゥと大合唱を始めた。
ヨダレが止まらない。
戦意が、食欲によって急速に削がれていく。
「……効いてますね」
双眼鏡で様子を見ていたシルヴィオ様が、ニヤリと笑った。
「やはり、空腹は最大のスパイスであり、最大の弱点です。……フローリア先生、トドメを刺しましょう」
「はい。レンさん、お願いします!」
レンさんが頷き、結界の一部を解除した。
そして、私の声を増幅させて海上に響かせた。
「神聖教団の皆さん! 戦う前にお腹が空きませんか? 私たちは逃げません。まずは温かいスープを飲んで、それから話し合いましょう! もちろん、無料です!」
『無料』。
その言葉の魔力は凄まじかった。
「……む、無料だと?」
「一杯だけなら……」
「毒見をしてやるという名目で……」
信徒たちがざわめき出し、次々と武器を置いてボートに乗り込み始めた。
司祭が「待て! 戻れ!」と叫んでいるが、誰も聞いていない。
彼らはゾンビのように、フラフラと島へ向かって漕ぎ出した。
◇
数十分後。
白い砂浜には、長蛇の列ができていた。
武装を解除し、お椀を持った信徒たちが、大人しくスープの配給を待っている。
「はい、どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」
私は大鍋からたっぷりとスープをよそい、手渡した。
具材はゴロゴロと入っている。
角切りのジャガイモ、甘い人参、そしてプリプリのクラーケンの身。
さらに、底には虹色真珠が沈んでおり、スープ全体が真珠色に輝いている。
「い、いただきます……」
最初に受け取った若い信徒が、震える手でスープを口に運んだ。
ズズッ。
「――ッ!?」
彼の目がカッと見開かれた。
スプーンが手から滑り落ちる。
「う、うまい……! なんだこれ、神の飲み物か!?」
彼は叫び、夢中でスープをかき込み始めた。
濃厚なクリームが冷えた体に染み渡り、クラーケンの旨味が脳を直撃する。
噛めば野菜の甘みが溢れ出し、飲み込めば虹色真珠の魔力が五臓六腑を癒やしていく。
「あぁ……生きててよかった……」
「これが悪魔の料理なものか! これこそが聖餐だ!」
次々と歓喜の声が上がる。
泣きながらお代わりを求める者、砂浜にひれ伏して感謝の祈りを捧げる者。
そこにはもう、敵意のかけらもなかった。
「……ば、馬鹿な」
最後に、ボートから降りてきた司祭が、呆然と立ち尽くしていた。
彼は信徒たちが幸せそうに食事をする姿を見て、顔を歪めた。
「貴様ら! 魂を売ったのか! そのスープには魔女の呪いがかかっているのだぞ!」
「呪いなんてありませんよ」
私は司祭に近づき、お椀を差し出した。
「ただの、栄養満点のクラムチャウダーです。司祭様も、顔色が悪いですよ? これを飲んで温まってください」
「ふざけるな! 誰が貴様などの施しを……!」
司祭は私のお椀を払い除けようとした。
その時。
ガシッ。
レンさんが司祭の手首を掴んだ。
ギリギリと骨がきしむ音がする。
「……俺の妻が、丹精込めて作った料理だ。粗末に扱うなら、その腕ごとへし折るぞ」
「ひぃッ……!」
レンさんの殺気に、司祭は腰を抜かした。
その拍子に、彼の懐から何かが転がり落ちた。
黒い、枯れ木のような杖だ。
そこから、植物を腐らせるような不快な瘴気が漂っている。
「あれは……【枯渇の杖】!?」
エルランドさん(今は麦わら帽子姿で農作業中)が、驚いて駆け寄ってきた。
「間違いない。古代の大戦で使われた、土地の魔力を吸い尽くして不毛の大地にする禁断の兵器です! ……まさか、これを島に使うつもりだったのですか!?」
エルランドさんの指摘に、信徒たちがざわめいた。
「枯渇の杖? 自然を守るはずの我らが、そんなものを?」
「司祭様、どういうことですか!?」
司祭は顔面蒼白になり、後ずさりした。
「う、うるさい! 悪を滅ぼすためなら手段は選ばん! この島ごとき、枯れ果てさせてやる!」
彼は転がった杖に手を伸ばそうとした。
しかし、それより早く。
「ウキャッ!」
タケシが地面から飛び出し、根っこで杖を絡め取った。
そして、ポキッと真っ二つに折ってしまった。
「あぁぁぁ! 我が聖遺物がぁぁ!」
司祭が絶叫する。
折れた杖からは黒い煙が上がり、消滅していった。
タケシは「美味しくない」という顔をして、残骸を海へ放り投げた。
「勝負ありだな」
レンさんが司祭を見下ろす。
「お前は自然を守ろうとしたのではない。自分の歪んだ信仰を押し付け、気に入らないものを排除しようとしただけだ。……その結果が、これだ」
レンさんが指差した先では、信徒たちが私を取り囲み、「このレシピを教えてください!」「教義を変えましょう! 『美味しい野菜は神』と!」と熱狂していた。
司祭はガックリと項垂れた。
「……私の負けだ。殺せ」
「殺しませんよ。もったいない」
私はニッコリと笑った。
「司祭様、この島には人手が足りないんです。リゾート開発の労働力として、しっかり働いてもらいますからね」
「……は?」
「まずは皿洗いです。五百人分の食器、ピカピカにしてくださいね」
私は山積みの空いたお椀を指差した。
司祭は白目を剥いたが、逃げ場はない。
オスカーが同情的な目で彼を見ていた。
「ようこそ、社畜の世界へ」という目だった。
◇
騒動が収束した午後。
リゾート島は、かつてない賑わいを見せていた。
神聖教団の信徒たちは、美味しいご飯を食べるために進んで労働力となり、ヤシの木の植樹や、遊歩道の整備を手伝ってくれている。
彼らの白い装束は、意外とリゾートの雰囲気にマッチしていた。
「……平和だな」
レンさんがデッキチェアに寝そべり、トロピカルジュース(私が作った)を飲んでいる。
その隣で、私はお腹をさすっていた。
「はい。お腹の子も、賑やかになって喜んでます」
結晶ちゃんは、『おいしい! たのしい!』と脈打っている。
海のミネラルをたっぷり吸収し、光り輝くその力は日に日に増しているようだ。
「フローリア先生、見てください!」
シルヴィオ様が波打ち際から走ってきた。
手には、海藻と真珠で作ったリースを持っている。
「教団の人たちが、感謝の印にこれを作ってくれました! 『野菜万歳』という新しい教義の象徴だそうです!」
「あはは、変わり身が早いですね」
私たちは笑い合った。
かつての敵も、味方も、みんな一緒にご飯を食べて笑っている。
これこそが、私の目指した楽園の姿だ。
その時。
ピシッ。
微かな音が、私のお腹から聞こえた。
痛みはない。
でも、確かに何かが弾けたような音。
「……え?」
私が自分のワンピースをめくると、お腹の光が強烈に輝き出した。
翠緑の光が、島全体を包み込むほどに膨れ上がる。
「フローリア!?」
レンさんが飛び起きる。
「ま、まさか……!」
『ママ……でるよ……!』
頭の中に、はっきりと言葉が響いた。
次の瞬間、私のお腹から光の球体がポロリと抜け出し、空中に浮かび上がった。
物理的な痛みはない。
まるで魂が抜け出したような浮遊感だけがあった。
光の球体は、ゆっくりとビーチの砂浜へと降りていく。
そこは、虹色真珠を敷き詰めた特製の『孵化ベッド』の上だ。
「生まれる……!」
全員が息を呑んで見守る中。
光が収束し、パキパキと殻が割れる音が響いた。
眩い光の中から現れたのは――。
「……おぎゃあ!」
元気な産声。
そこにいたのは、人間の赤ちゃんの姿をした、とびきり可愛い女の子だった。
ただし、その髪は若草色で、頭には小さな双葉が、そして背中には透き通るようなドラゴンの翼が生えていた。
「……俺たちの、娘だ」
レンさんが震える手で赤ちゃんを抱き上げた。
赤ちゃんはレンさんの指をギュッと握り、ニパッと笑った。
「ユユ……」
私が自然と口にしたその名前を聞いて、赤ちゃんは嬉しそうに翼をパタパタさせた。
第3章完です!!
第4章をお楽しみに〜!!




