表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

25/37

最終話 狂信者とクラムチャウダー

「……来ましたね」


私は、完成したばかりのヤシの木ハウスのバルコニーに立ち、水平線を睨んだ。

朝の光を受けて輝く海面に、場違いな白い影がいくつも浮かんでいる。

十字のマークを帆に掲げた、十隻ほどの帆船団。

海賊のマリーナさんが警告してくれた「神聖教団」だ。


「数は多いな。だが、船の速度は遅い」


隣でレンさんが双眼鏡(魔道具)を覗きながら冷静に分析する。

彼の手には、朝食用に焼いたバタートーストが握られており、サクサクといい音を立てて齧っていた。

緊張感があるのかないのか分からない。


「レンさん、パン屑が落ちてますよ」


「……すまん。このパン、美味すぎて止まらん」


「それより、どうしますか? あの方たち、話を聞いてくれるでしょうか」


「無理だろうな。奴らの目は狂信者のそれだ。『自分たちこそが正義』と信じ込んでいる連中ほど、言葉は通じない」


レンさんは最後のパンを飲み込み、手のひらのパン屑を払った。

そして、眼下の白い砂浜を見下ろす。

そこには、昨夜マリアベルさんと一緒に設置した「おもてなし(迎撃)用植物」たちが、海風に吹かれて頼もしく揺れていた。


「マリアベル! 配置はどうだ!」


レンさんが声を張り上げると、砂浜からマリアベルさんが大きく手を振った。


「バッチリよ! 【トウモロコシ・キャノン】十基、【スイカ・カタパルト】五基、弾薬装填完了! いつでも撃てるわ!」


「よし。……フローリア、君はここで見ていろ。俺が追い払ってくる」


「待ってください。まずはご挨拶からですよ」


私はエプロンを締め直した。

キッチンから漂ってくる、クリーミーで濃厚な香りが鼻をくすぐる。

寸胴鍋の中では、とっておきの朝食が完成を待っていた。


「戦う前に、朝ご飯を食べてもらいましょう。空腹だとイライラして、まともな判断ができませんから」


「……君らしいな。だが、毒見もせずに食うような連中か?」


「匂いで釣ります。これだけの量なら、風に乗せて船まで届くはずです」


私は自信満々に微笑んだ。

今日のメニューは、『虹色真珠とクラーケンのクラムチャウダー』だ。

世界最高の食材を使ったスープに勝てる人間なんて、この世にいないはずだ。


        ◇


船団が、島の周囲に張られた黄金の結界のすぐ外まで接近してきた。

先頭の船の甲板に、豪華な法衣を纏った男が立っているのが見える。

白髪で痩せこけ、目が異様にぎらついた老人――おそらく司祭だろう。


『――罪深き魔女よ! 聞くがいい!』


司祭が拡声魔法を使って叫んだ。

その声はガラガラに枯れていて、聞いていて不安になる。


『我らは神聖教団! 神が創りたもうた自然を歪め、冒涜する貴様を断罪しに来た! 即刻その島を出て、神の裁きを受けよ!』


やっぱり、問答無用で断罪コースだ。

私はバルコニーから、こちらも拡声魔法(ラッパ草)を使って返事をした。


「おはようございます! 遠路はるばるお疲れ様です! 朝ご飯はまだですか? よかったら温かいスープがありますよー!」


『黙れ! 悪魔の食事など口にするものか! ……総員、攻撃準備! あの邪悪な結界を打ち破れ!』


司祭が杖を振り上げると、船上の信徒たちが一斉に詠唱を始めた。

光の魔法弾が無数に生成され、私たちの島に向かって放たれる。


ドォォォン! ババババッ!


魔法弾が結界に衝突し、激しい閃光と爆音が響く。

しかし、レンさんの張った『竜王の結界』はビクともしない。

波紋ひとつ立たずに、すべての攻撃を無効化している。


「無駄だ。あの程度の魔力で俺の結界は破れん」


レンさんが鼻で笑う。

でも、ずっと攻撃され続けるのはうるさいし、何よりスープが冷めてしまう。


「マリアベルさん、威嚇射撃お願いします! 船には当てないで、周囲の水面に!」


私が指示を出すと、砂浜のマリアベルさんが号令をかけた。


「撃てぇぇぇ! トウモロコシの雨を降らせなさい!」


ポン、ポン、ポンッ!


【トウモロコシ・キャノン】が一斉に火を噴いた。

発射されたのは、実の粒ではない。

皮ごと魔力で硬化させた、砲弾サイズのトウモロコシそのものである。


ヒュルルルル……ドッパァァァン!!


トウモロコシ弾が船団の周囲に着水し、巨大な水柱を上げた。

その衝撃で船が大きく揺れ、信徒たちが甲板で転げ回る。


『ひぃっ!? なんだ今の攻撃は!』

『黄色い棒が飛んできたぞ!』

『バカな、我らの聖なる魔法が届かないだと!?』


船団は大混乱に陥った。

私たちの植物兵器の射程と威力は、彼らの想像を遥かに超えていたようだ。


「よし、今のうちに」


私はキッチンから鍋ごとスープを運び出し、巨大な送風機(【扇風草】の集合体)の前に置いた。

蓋を開ける。


フワァァァ……。


湯気と共に、濃厚な香りが立ち昇る。

バターとミルクの甘い香り。

炒めた玉ねぎとベーコンの香ばしさ。

そして何より、クラーケンの出汁と虹色真珠のミネラルが溶け合った、極上の海の香り。


「風よ、届けて!」


扇風草が回転し、スープの匂いを海風に乗せて船団の方へと送り出した。


        ◇


教団の船上では、異変が起きていた。


「……くんくん。な、なんだこの匂いは?」

「ミルク? いや、魚介の……すごいいい匂いだ……」


攻撃の手を止め、信徒たちが鼻をヒクヒクさせ始めた。

彼らはここ数週間、清貧を旨とする教義に従い、固いパンと水だけの生活を送っていた。

極限の空腹状態にある彼らにとって、この匂いは拷問に近い誘惑だった。


「うぅ……腹が……」

「食いたい……あんな美味そうな匂い、嗅いだことがない……」


「ええい、惑わされるな!」


司祭が杖で床を叩いて叱咤する。


「これは魔女の幻惑だ! 毒の煙だ! 吸い込めば魂が腐るぞ! 息を止めろ!」


しかし、生理現象は止められない。

信徒たちのお腹が、グゥゥゥゥと大合唱を始めた。

ヨダレが止まらない。

戦意が、食欲によって急速に削がれていく。


「……効いてますね」


双眼鏡で様子を見ていたシルヴィオ様が、ニヤリと笑った。


「やはり、空腹は最大のスパイスであり、最大の弱点です。……フローリア先生、トドメを刺しましょう」


「はい。レンさん、お願いします!」


レンさんが頷き、結界の一部を解除した。

そして、私の声を増幅させて海上に響かせた。


「神聖教団の皆さん! 戦う前にお腹が空きませんか? 私たちは逃げません。まずは温かいスープを飲んで、それから話し合いましょう! もちろん、無料です!」


『無料』。

その言葉の魔力は凄まじかった。


「……む、無料だと?」

「一杯だけなら……」

「毒見をしてやるという名目で……」


信徒たちがざわめき出し、次々と武器を置いてボートに乗り込み始めた。

司祭が「待て! 戻れ!」と叫んでいるが、誰も聞いていない。

彼らはゾンビのように、フラフラと島へ向かって漕ぎ出した。


        ◇


数十分後。

白い砂浜には、長蛇の列ができていた。

武装を解除し、お椀を持った信徒たちが、大人しくスープの配給を待っている。


「はい、どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」


私は大鍋からたっぷりとスープをよそい、手渡した。

具材はゴロゴロと入っている。

角切りのジャガイモ、甘い人参、そしてプリプリのクラーケンの身。

さらに、底には虹色真珠が沈んでおり、スープ全体が真珠色に輝いている。


「い、いただきます……」


最初に受け取った若い信徒が、震える手でスープを口に運んだ。


ズズッ。


「――ッ!?」


彼の目がカッと見開かれた。

スプーンが手から滑り落ちる。


「う、うまい……! なんだこれ、神の飲み物か!?」


彼は叫び、夢中でスープをかき込み始めた。

濃厚なクリームが冷えた体に染み渡り、クラーケンの旨味が脳を直撃する。

噛めば野菜の甘みが溢れ出し、飲み込めば虹色真珠の魔力が五臓六腑を癒やしていく。


「あぁ……生きててよかった……」

「これが悪魔の料理なものか! これこそが聖餐せいさんだ!」


次々と歓喜の声が上がる。

泣きながらお代わりを求める者、砂浜にひれ伏して感謝の祈りを捧げる者。

そこにはもう、敵意のかけらもなかった。


「……ば、馬鹿な」


最後に、ボートから降りてきた司祭が、呆然と立ち尽くしていた。

彼は信徒たちが幸せそうに食事をする姿を見て、顔を歪めた。


「貴様ら! 魂を売ったのか! そのスープには魔女の呪いがかかっているのだぞ!」


「呪いなんてありませんよ」


私は司祭に近づき、お椀を差し出した。


「ただの、栄養満点のクラムチャウダーです。司祭様も、顔色が悪いですよ? これを飲んで温まってください」


「ふざけるな! 誰が貴様などの施しを……!」


司祭は私のお椀を払い除けようとした。

その時。


ガシッ。


レンさんが司祭の手首を掴んだ。

ギリギリと骨がきしむ音がする。


「……俺の妻が、丹精込めて作った料理だ。粗末に扱うなら、その腕ごとへし折るぞ」


「ひぃッ……!」


レンさんの殺気に、司祭は腰を抜かした。

その拍子に、彼の懐から何かが転がり落ちた。

黒い、枯れ木のような杖だ。

そこから、植物を腐らせるような不快な瘴気が漂っている。


「あれは……【枯渇の杖】!?」


エルランドさん(今は麦わら帽子姿で農作業中)が、驚いて駆け寄ってきた。


「間違いない。古代の大戦で使われた、土地の魔力を吸い尽くして不毛の大地にする禁断の兵器です! ……まさか、これを島に使うつもりだったのですか!?」


エルランドさんの指摘に、信徒たちがざわめいた。


「枯渇の杖? 自然を守るはずの我らが、そんなものを?」

「司祭様、どういうことですか!?」


司祭は顔面蒼白になり、後ずさりした。


「う、うるさい! 悪を滅ぼすためなら手段は選ばん! この島ごとき、枯れ果てさせてやる!」


彼は転がった杖に手を伸ばそうとした。

しかし、それより早く。


「ウキャッ!」


タケシが地面から飛び出し、根っこで杖を絡め取った。

そして、ポキッと真っ二つに折ってしまった。


「あぁぁぁ! 我が聖遺物がぁぁ!」


司祭が絶叫する。

折れた杖からは黒い煙が上がり、消滅していった。

タケシは「美味しくない」という顔をして、残骸を海へ放り投げた。


「勝負ありだな」


レンさんが司祭を見下ろす。


「お前は自然を守ろうとしたのではない。自分の歪んだ信仰を押し付け、気に入らないものを排除しようとしただけだ。……その結果が、これだ」


レンさんが指差した先では、信徒たちが私を取り囲み、「このレシピを教えてください!」「教義を変えましょう! 『美味しい野菜は神』と!」と熱狂していた。

司祭はガックリと項垂れた。


「……私の負けだ。殺せ」


「殺しませんよ。もったいない」


私はニッコリと笑った。


「司祭様、この島には人手が足りないんです。リゾート開発の労働力として、しっかり働いてもらいますからね」


「……は?」


「まずは皿洗いです。五百人分の食器、ピカピカにしてくださいね」


私は山積みの空いたお椀を指差した。

司祭は白目を剥いたが、逃げ場はない。

オスカーが同情的な目で彼を見ていた。

「ようこそ、社畜の世界へ」という目だった。


        ◇


騒動が収束した午後。

リゾート島は、かつてない賑わいを見せていた。

神聖教団の信徒たちは、美味しいご飯を食べるために進んで労働力となり、ヤシの木の植樹や、遊歩道の整備を手伝ってくれている。

彼らの白い装束は、意外とリゾートの雰囲気にマッチしていた。


「……平和だな」


レンさんがデッキチェアに寝そべり、トロピカルジュース(私が作った)を飲んでいる。

その隣で、私はお腹をさすっていた。


「はい。お腹の子も、賑やかになって喜んでます」


結晶ちゃんは、『おいしい! たのしい!』と脈打っている。

海のミネラルをたっぷり吸収し、光り輝くその力は日に日に増しているようだ。


「フローリア先生、見てください!」


シルヴィオ様が波打ち際から走ってきた。

手には、海藻と真珠で作ったリースを持っている。


「教団の人たちが、感謝の印にこれを作ってくれました! 『野菜万歳』という新しい教義の象徴だそうです!」


「あはは、変わり身が早いですね」


私たちは笑い合った。

かつての敵も、味方も、みんな一緒にご飯を食べて笑っている。

これこそが、私の目指した楽園の姿だ。


その時。


ピシッ。


微かな音が、私のお腹から聞こえた。

痛みはない。

でも、確かに何かが弾けたような音。


「……え?」


私が自分のワンピースをめくると、お腹の光が強烈に輝き出した。

翠緑の光が、島全体を包み込むほどに膨れ上がる。


「フローリア!?」


レンさんが飛び起きる。


「ま、まさか……!」


『ママ……でるよ……!』


頭の中に、はっきりと言葉が響いた。

次の瞬間、私のお腹から光の球体がポロリと抜け出し、空中に浮かび上がった。

物理的な痛みはない。

まるで魂が抜け出したような浮遊感だけがあった。


光の球体は、ゆっくりとビーチの砂浜へと降りていく。

そこは、虹色真珠を敷き詰めた特製の『孵化ベッド』の上だ。


「生まれる……!」


全員が息を呑んで見守る中。

光が収束し、パキパキと殻が割れる音が響いた。


眩い光の中から現れたのは――。


「……おぎゃあ!」


元気な産声。

そこにいたのは、人間の赤ちゃんの姿をした、とびきり可愛い女の子だった。

ただし、その髪は若草色で、頭には小さな双葉が、そして背中には透き通るようなドラゴンの翼が生えていた。


「……俺たちの、娘だ」


レンさんが震える手で赤ちゃんを抱き上げた。

赤ちゃんはレンさんの指をギュッと握り、ニパッと笑った。


「ユユ……」


私が自然と口にしたその名前を聞いて、赤ちゃんは嬉しそうに翼をパタパタさせた。

第3章完です!!

第4章をお楽しみに〜!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なんでエルランドが島に居る?
エルランドさんはエデンに残ってるはずなんでは?いつのまに島に来たの?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ