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第7話 港町のグルメバトル

「……全然、売れませんね」


私はカボチャの馬車のカウンターに肘をつき、閑散とした店先を眺めて溜息をついた。

隣では、シルヴィオ様が悲しげに売れ残った野菜スティックをかじっている。


「おかしいですねぇ。この人参の甘さは、フルーツに匹敵するはずなのに」


「商品の質の問題じゃありません。……見てください、あっちを」


私が指差した先。

広場の反対側にあるオスカー商会の特設ステージには、黒山の人だかりができていた。

数百人、いや千人近い人々が、長い行列を作って並んでいる。

彼らの様子は異常だった。

虚ろな目でよだれを垂らし、手に入れた『魔魚の串焼き』を獣のように貪り食っている。

食べ終わるとすぐに「もっとくれ!」「力が欲しい!」と叫び、また列の最後尾に並び直すのだ。


「完全に中毒症状です。……オスカーさん、あんな危険なものを売りさばくなんて」


私は拳を握りしめた。

美味しい食事は人を幸せにするためのものだ。

あんな風に、理性を奪って依存させるなんて、料理への冒涜だ。


「よし。反撃開始です!」


私はエプロンの紐をキュッと締め直した。

このまま指をくわえて負けるわけにはいかない。

真正面から、味と演出で客を奪い返すのだ。


「レンさん! お願いします!」


「任せろ」


店の奥で待機していたレンさんが、ゆらりと立ち上がった。

彼は今日のために用意した『純白のコックコート(ただし胸元は開いている)』を身に纏っている。

その手には、愛剣ではなく、特注の巨大な包丁(ミスリル製)が握られていた。


「おい、そこのお前ら。……俺の剣技を見たいか?」


レンさんが低い声で呼びかけると、広場を行き交う数人がビクリとして足を止めた。

竜公爵の覇気は、雑踏の中でも異彩を放っている。


「なんだ、あのいい男は?」

「コックか? すげぇイケメンだぞ」


女性客たちがちらほらと集まり始める。

つかみはOKだ。


「タケシ、食材投入!」


「ウキャッ!」


屋根の上にいたタケシが、巨大なマグロ(健全な普通のマグロ)を放り投げた。

空を舞う数百キロの巨体。


レンさんが動いた。


「《竜爪・千切り(ドラゴン・スライサー)》」


キラーンッ!


目に見えないほどの速さで、銀色の閃光が走った。

空中のマグロが、一瞬にして解体される。

皮が剥がれ、骨が外れ、赤身が美しいサクになり、さらに一口大の刺身へと変化していく。

それらは重力に従って落ちてくるが、レンさんは皿を構えて優雅に受け止めた。


スタッ。


皿の上には、芸術的なまでに美しく盛り付けられたマグロの刺身タワーが完成していた。


「……食え」


レンさんが無愛想に差し出す。


「キャーーーーッ!!」

「すごい! 魔法みたい!」

「私、食べるわ!」


女性客たちが殺到した。

レンさんの「イケメン解体ショー」は大成功だ。


「今です! マリアベルさん、試食を配ってください!」


「はいよ! エデンの野菜は美容にいいわよー!」


船酔いから完全復活したマリアベルさんが、トレイを持って群衆に飛び込んだ。

彼女が配るのは、特製の『ピクルス』だ。

酸味の効いた酢と、シャキシャキの野菜。

これはただの付け合わせではない。

オスカーの魔魚に含まれる毒素を中和し、味覚を正常に戻すための「解毒剤」としての役割を持たせている。


「あら、さっぱりして美味しい!」

「なんだか頭がスッキリするわね」


ピクルスを食べた人々の目に、理性の光が戻り始める。


「さあ、メインディッシュですよ! 『エデン風・宝石海鮮丼』、限定五百食です!」


私は炊きたてのご飯に、レンさんが切った刺身と、シルヴィオ様が採取したジュエル・ケルプをたっぷりと乗せた。

特製ダレをかけると、香ばしい匂いが広場全体へ拡散していく。


「あっちからもいい匂いがするぞ?」

「なんだあの光る丼は!」


オスカーの列に並んでいた人々が、鼻をヒクヒクさせ始めた。

魔魚の毒々しい脂の匂いよりも、私たちの出汁と醤油の香りの方が、人間の本能には魅力的に映るはずだ。


「おい、こっちの方が美味そうだぞ!」

「野菜もついてるのか?」


一人、また一人と、列を離れてこちらへ流れてくる。


「いらっしゃいませ! お代は『笑顔』で結構です! ……というのは冗談で、今なら半額セール中です!」


私は笑顔で丼を手渡した。

食べた人々が目を見開く。


「う、うめぇぇぇ!」

「なんだこの昆布! コリコリしてて最高だ!」

「体がポカポカしてきたぞ!」


口コミは爆発的に広がった。

「あそこのカボチャの店の飯がヤバいらしい」「食べたら元気になった」という噂が駆け巡り、あっという間に私たちの店の前には長蛇の列が出来上がった。


一方、オスカー商会の列はスカスカになっていく。

魔魚を食べていた人たちも、私たちのピクルスや丼の香りを嗅ぐことで正気を取り戻し、「うっ、なんだこの魚、生臭いぞ!」「泥の味がする!」と皿を投げ捨て始めたのだ。

洗脳が解ければ、魔魚なんてただの不味い魚でしかない。


「くそっ、何が起きているんだ!」


ステージの上で、オスカーが地団駄を踏んでいるのが見えた。

彼は真っ赤な顔で部下たちを怒鳴りつけている。


「ええい、半額だ! いや無料だ! タダでいいから食わせろ!」


「社長、ダメです! 誰も寄りつきません!」

「みんな向こうの店に行っちまいます!」


勝負あった。

夕暮れになる頃には、広場の人々は全員、私たちの店の周りで笑顔で食事を楽しんでいた。

オスカーのステージの前には、腐りかけた魔魚の山と、呆然とする店員たちだけが残されていた。


        ◇


「……完敗だな、オスカー」


日が沈み、ランタンの明かりが灯る頃。

私はオスカーの元へと歩み寄った。

後ろには、エプロン姿のまま殺気を放つレンさんと、スコップを構えたマリアベルさん、そして「勝った勝った!」とはしゃぐタケシが続いている。


オスカーはステージの端に座り込み、自身の高級スーツを汚しながらうなだれていた。


「約束通り、私たちの勝ちです。停泊料はチャラ、そして私たちの滞在をサポートしてもらいますよ」


私が告げると、オスカーはゆらりと顔を上げた。

その目は、負け犬のそれではない。

底知れぬ憎悪と、狂気の色が宿っていた。


「……勝った、だと?」


彼は低く笑った。


「たかが一日、小銭を稼いだくらいで勝った気か? 農民風情が」


「負け惜しみですか?」


「いいや。……貴様らは知らんだろうが、この商売は『前座』に過ぎんのだよ」


オスカーが立ち上がる。

彼は懐から、不気味な黒い水晶を取り出した。

その水晶を見た瞬間、レンさんが反応した。


「フローリア、下がれ!」


レンさんが私を背に庇う。

水晶からドス黒い瘴気が溢れ出し、周囲の空気を汚染し始めた。


「それは……!」


シルヴィオ様が息を呑む。


「『深淵の呼びアビス・コール』……!? 古代の魔物を召喚する禁断のアーティファクトです! なぜ一介の商人がそんなものを!」


「フハハハ! 金さえあれば何でも手に入るのさ!」


オスカーは狂ったように笑った。


「私の真の目的は、この港を『魔物の養殖場』にすることだ! 魔魚カオス・ツナを量産し、その毒で人々を兵士に変え、世界を支配する! そのためには、邪魔な貴様らをここで消す必要がある!」


「……正気か」


レンさんが呆れ半分、怒り半分で剣を構える。


「そんなことをすれば、海が死ぬぞ。商売どころではなくなる」


「知ったことか! 私が支配者になれば、海などどうでもいい!」


オスカーは水晶を高々と掲げた。


「出でよ、海の暴君! 全てを飲み込む深海の悪夢! 『クラーケン』よ!」


パリーンッ!


水晶が砕け散った。

同時に、港の水面が大きく盛り上がり、爆発した。


ドッパァァァァァァン!!


巨大な水柱と共に現れたのは、山のように巨大なイカの化け物だった。

その触手一本一本が、教会の塔よりも太い。

ヌメヌメとした皮膚には無数の目がついており、ギョロギョロと街を見下ろしている。


「ギャアアアア!」

「化け物だ! 逃げろぉぉ!」


広場の人々がパニックになって逃げ惑う。

せっかくの楽しい夕食の時間が台無しだ。


「やりやがったな、あの野郎……」


レンさんのオーラが爆発する。

完全にブチ切れている。


「フローリア、ここは俺がやる。君たちは避難しろ」


「待ってください、レンさん!」


私は彼の袖を掴んだ。

お腹の結晶ちゃんが、激しく暴れている。

『こわい! きたない! いやだ!』

子供の悲鳴が聞こえる。


クラーケンが現れた海面からは、ヘドロのような汚染物質が広がり始めていた。

あの汚れが広がれば、魚たちは死に絶え、私の大好きな海藻たちも枯れてしまう。


「許せません……」


私の中で、何かがプツンと切れた。

母親としての怒り。

そして、植物を愛する者としての怒り。


「私の子供の栄養源(海鮮)を、汚すなんて……絶対に許しません!」


私は前に出た。

レンさんが驚いて目を見開く。


「フローリア!?」


「レンさん、手伝ってください。あいつを料理します!」


「料理……だと?」


「はい。あんな大きなイカ、普通には倒せません。……だから、『海藻』を使います!」


私はシルヴィオ様に向いた。


「シルヴィオ様! さっき採ったジュエル・ケルプ、全部出してください!」


「は、はい! でもどうするんですか!?」


「増やします! ……海中を、昆布の森にするんです!」


私は桟橋の先端まで走った。

目の前には、触手を振り上げ、街を破壊しようとするクラーケン。

その巨大な体に、私は手のひらを向けた。


「お腹の子よ、力を貸して。ママと一緒に、海を綺麗にしよう!」


『うん! やる!』


頭の中に力強い返事が響く。

お腹の結晶が、カッと眩い翠緑すいりょくの光を放った。


「《深海菜園アビス・ガーデン大増殖ギガ・グロウ》!!」


ドォォォォォン!!


海に投げ込まれたジュエル・ケルプの切れ端が、魔力を吸って爆発的に成長した。

一本一本が竜のように太くなり、クラーケンの触手に絡みつく。

さらに、ワカメ、ヒジキ、アオサ……ありとあらゆる海藻が海底から噴出し、クラーケンを緑色の檻に閉じ込めていく。


「ギョエエエエ!?」


クラーケンが悲鳴を上げる。

海藻たちはただ絡みつくだけではない。

その表面から浄化の光を放ち、クラーケンが纏っている汚染ヘドロを分解していくのだ。


「す、すげぇ……海が、光ってる……」


逃げ惑っていた人々が足を止め、その幻想的な光景に見とれる。

真っ黒だった港の海が、エメラルドグリーンに染め上げられていく。


「いまだ、レンさん! トドメをお願いします!」


「……ああ。最高の拘束だ」


レンさんが空へ跳躍した。

黄金の翼を広げ、流星のようにクラーケンの頭上へ落下する。


「汚物を消毒する時間だ。《皇竜剣・断罪の炎プロミネンス・スラッシュ》!」


ズバァァァァァァッ!!


黄金の斬撃が、クラーケンの本体を一刀両断した。

しかし、不思議なことに血は出なかった。

私の海藻たちが瞬時に切断面を包み込み、浄化してしまったからだ。


巨大なイカは光の粒子となって消滅……はしなかった。

浄化された結果、そこには山のような大きさの『新鮮なイカの刺身ブロック』と、『大量のイカリング(予定)』が残された。


「……あ」


オスカーがへたり込んだ。

自慢の切り札が、一瞬にして食材に変えられてしまったのだから無理もない。


「ごちそうさまでした」


私は手を合わせた。

これで、港町の平和は守られた。

そして何より、当分イカ料理には困らなそうだ。


「さて、オスカーさん」


私は真っ白になった悪徳商人に近づき、ニコリと微笑んだ。


「お約束通り、停泊料はタダですよね? それと……この大量のイカの加工、手伝ってもらいますからね?」


「ヒィッ……あ、悪魔だ……」


オスカーは白目を剥いて気絶した。


こうして、港町でのグルメバトルは、私たちの完全勝利で幕を閉じた。

しかし、これはまだ序章に過ぎなかった。

浄化された海から現れた『虹色真珠』と、それが示す無人島の秘密。

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