第4話 港町と悪徳商人
「撃てぇぇぇ! 威嚇射撃だ! そのふざけたカボチャを止めるんだよ!」
ドォォォォォン!!
海賊船のマストの上から、女船長マリーナさんの号令が飛んだ。
直後、船の側面にある大砲が火を噴き、私たちのすぐ近くの水柱が高く上がった。
水しぶきがカボチャの馬車の窓ガラスを激しく叩く。
「きゃあああっ! 本当に撃ってきた!」
私は座席にしがみついた。
車内は大きく揺れ、同乗している医師の先生が悲鳴を上げて床を転がっていく。
マリアベルさんも農具を抱きしめて青ざめている。
「チッ、行儀の悪い連中だ」
レンさんが舌打ちをし、操縦桿から片手を離して剣に触れた。
琥珀色の瞳が鋭く細められる。
彼の体から黄金色のオーラが立ち昇り始めた。
「フローリア、少し揺れるぞ。あの船ごと両断してくる」
「待ってくださいレンさん! ダメです!」
私は慌ててレンさんの腕を掴んだ。
「お腹の子がびっくりしちゃいます! それに、あんな大きな船を壊したら、海が汚れてお魚さんが逃げちゃいますよ!」
「だが、向こうから仕掛けてきたんだぞ」
「逃げましょう! このカボチャなら、あんな重そうな船より速く走れるはずです!」
私は平和的解決(逃走)を提案した。
何より、今はまだ戦闘よりも、早く陸地に上がって美味しい魚介類を食べたいという欲求のほうが勝っていた。
お腹の結晶ちゃんも『おなかすいた!』と訴えている気がする。
「……仕方ない」
レンさんは剣から手を離し、操縦桿を強く握り直した。
彼はニヤリと不敵に笑う。
「いいだろう。帝国の技術力と、君の植物パワーの結晶……その性能を見せてやる」
レンさんが足元のペダルを踏み込んだ。
「《緊急回避・ニトロ・マッシュルーム》点火!」
「えっ、そんな機能ついてたんですか!?」
ボシュウウウウウッ!!
馬車の後部に取り付けられていた排気管(巨大なキノコ型)から、青白い炎のような胞子が噴射された。
猛烈な加速Gが襲いかかる。
私の背中がシートにめり込んだ。
「うわあああああ!」
「速いぃぃぃぃ!」
シルヴィオ様とマリアベルさんの絶叫が重なる。
カボチャの馬車は水面を滑るように加速し、あっという間に海賊船を引き離していく。
「な、なんだあの加速は!? 待ちな! 逃がすんじゃないよ!」
後ろからマリーナさんの悔しそうな怒鳴り声が聞こえたが、すぐに風の音にかき消された。
私たちは水切りの石のように海を駆け抜け、水平線の彼方へと逃走することに成功したのだった。
◇
それから一時間後。
私たちは、中立の貿易港町『ポルト・マーレ』に到着していた。
「ふぅ……なんとか撒けましたね」
私は港の桟橋に降り立ち、大きく深呼吸をした。
潮風には、少し生臭いが食欲をそそる磯の香りと、市場から漂う焼き魚の香ばしい匂いが混ざっている。
「ここが海の街……!」
目の前には、活気あふれる光景が広がっていた。
石造りの白い建物が斜面に沿って建ち並び、港には大小様々な船が停泊している。
通りを行き交う人々は、日焼けした肌に軽装をまとい、威勢のいい声を張り上げていた。
「おい、見ろよあの船」
「カボチャだ……カボチャが浮いてるぞ」
「新種の魔物か?」
港の人々が、私たちのカボチャの馬車を指差してざわついている。
まあ、目立つのは仕方がない。
オレンジ色の巨大カボチャが停泊しているのだから。
「レンさん、ここなら安全でしょうか?」
「ああ。ここはどの国にも属さない自由貿易都市だ。海賊も表立っては手出しできないはずだ」
レンさんは周囲を警戒しつつ、私をエスコートしてくれた。
背中のタケシも、初めて見る海に興奮して「ウキャキャ!」と葉っぱを揺らしている。
「まずは宿を確保しましょう。それから、市場で食材の調達です!」
私の目的は一つ。
新鮮な魚介類だ。
お腹の結晶ちゃんが、さっきから『エビ! カニ! カイ!』と具体的なリクエストを送ってきているのだ。
私たちは大通りを歩き出した。
シルヴィオ様は「海藻のサンプル採取に行ってきます!」と言い残して、すでにどこかへ消えてしまった。
マリアベルさんと医師の先生は、船酔い(カボチャ酔い)でグロッキー状態なので、馬車の中で休憩している。
私とレンさん、そしてタケシの三人(?)で、市場を散策することになった。
「いらっしゃい! 獲れたてのマグロだよ!」
「珍しい七色サンゴはいらんかね!」
市場は熱気で溢れていた。
並んでいる魚たちは、エデンの川魚とは比べ物にならないほど大きく、色鮮やかだ。
氷の上に並べられた銀色の鱗がキラキラと輝いている。
「うわぁ……美味しそう……」
私はとある屋台の前で足を止めた。
そこでは、殻付きのホタテやエビを炭火で焼いていた。
醤油のようなタレが焦げる匂いが、強烈に鼻腔を刺激する。
「お嬢ちゃん、食べてくかい? 妊婦さんなら精をつけなきゃな!」
店主のおじさんが豪快に笑いかけてくれた。
「はい! これとこれ、あとその大きなイカ焼きもください!」
「おうよ!」
私は焼きたてのホタテを受け取り、熱さを我慢して口に運んだ。
ハフハフしながら噛みしめる。
「ん~~っ!!」
美味しい。
弾力のある身から、濃厚な旨味ジュースが溢れ出してくる。
海のミネラルが体に染み渡るようだ。
お腹の結晶が『コレダ! コレガ欲シカッタ!』と歓喜しているのが分かる。
「レンさんもどうぞ! すっごく美味しいです!」
「……ああ」
レンさんは私が食べた残りを一口食べ、満足げに頷いた。
「悪くない。だが、君が作った野菜の方が数倍美味いな」
「もう、レンさんは私の信者すぎますよ」
私たちは食べ歩きを楽しんだ。
タケシにも小さなエビを与えると、器用に根っこで殻を剥いて食べていた。
植物なのに動物性タンパク質を摂取して大丈夫なのか不安になるが、本人が喜んでいるので良しとする。
しかし。
楽しい時間は長くは続かなかった。
「おい、そこのオレンジ色のカボチャの持ち主は誰だ?」
突然、背後から不躾な声がかけられた。
振り返ると、高そうな白いスーツを着た男が立っていた。
細身で、神経質そうな顔立ち。
片眼鏡をかけ、後ろには屈強な護衛を数人従えている。
「私ですが……何か?」
私が答えると、男は私とレンさんを値踏みするようにジロジロと見た。
そして、フンと鼻で笑う。
「私はオスカー・ヴァイス。この港を実質的に管理している『ディープ・ブルー商会』の総帥だ」
オスカーと名乗った男は、尊大に胸を張った。
「単刀直入に言おう。あのカボチャの船、港の景観を損ねている。直ちに撤去するか、もしくは……」
彼はニヤリと笑った。
「『特別停泊料』として、金貨一千枚を払え」
「いっ、一千枚!?」
私は目を丸くした。
金貨一千枚といえば、小さなお城が買える金額だ。
ただ船を停めるだけで、そんな法外な値段なんてあり得ない。
「ふざけるな」
レンさんが一歩前に出た。
低い声と共に、周囲の空気がビリリと震える。
「俺たちから金を巻き上げようなど、百年早いぞ。この港は自由貿易都市のはずだ。不当な請求には応じられん」
「不当? 心外だな」
オスカーは動じなかった。
それどころか、レンさんの威圧を涼しい顔で受け流している。
ただの商人ではないようだ。
「この港の桟橋も、倉庫も、すべて私の所有物だ。私の庭にゴミを置くなら、相応の代価をいただくのは当然だろう?」
「ゴミだと……?」
レンさんのこめかみに青筋が浮かぶ。
彼にとって、私が作ったカボチャの馬車は「愛の巣」であり、それをゴミ呼ばわりされたことは許しがたい侮辱だった。
レンさんの手が剣に伸びる。
マズい。
ここでレンさんが暴れたら、港が消滅してしまう。
「待ってください、レンさん!」
私はレンさんの前に立ちふさがった。
そして、オスカーに向き直る。
「オスカーさん。貴方は商人なんですよね?」
「いかにも」
「なら、暴力や脅しではなく、商売で話をつけませんか?」
「商売?」
オスカーは片眉を上げた。
「面白い。田舎娘が、この私に商売で挑もうというのか?」
「はい。私たちはエデンから来た『農家』です。私たちが持ってきた特産品……この港で売らせてください」
私は持っていたバスケットから、一本の野菜を取り出した。
それは、エデンで収穫したばかりの【黄金人参】だ。
太陽の光を浴びて金色に輝くその人参は、一本で滋養強壮剤十本分の効果がある。
「もし、私の野菜がこの港で一番の売り上げを出したら、停泊料はタダにしてください。そして、私たちの滞在を全面的にサポートしてください」
「ほう……」
オスカーは私の人参を一瞥し、鼻で笑った。
「野菜? 海の街で野菜を売るだと? 馬鹿も休み休み言え。ここの住民が求めているのは魚だ。陸の野菜など、家畜の餌にもならんよ」
「それはどうでしょうか。食べてみなければ分かりませんよ?」
私は挑発的に微笑んだ。
オスカーの目が、スッと細められる。
商人の目だ。
利益と損失を天秤にかける、冷徹な計算の目。
「いいだろう。その勝負、乗ってやる」
オスカーは指を鳴らした。
「期限は三日。港の中央広場を使わせてやる。そこで、私の商会が扱う『最高級海産物』と売り上げ勝負だ。もし貴様が負けたら……」
彼の視線が、私のお腹、そして背中のタケシに向けられた。
「そのカボチャの馬車と、その奇妙な植物を置いていけ。希少な生物兵器として高く売れそうだ」
「タケシは売り物じゃありません!」
「条件を飲むか、今すぐ出て行くかだ」
完全に足元を見られている。
でも、私は引かなかった。
エデンの野菜が、魚に負けるはずがない。
それに、この港の人たちは明らかに野菜不足だ。肌荒れしている人が多いし、広場に漂う匂いも少し酸味が足りない。
「わかりました。受けます!」
「フローリア……」
レンさんが心配そうに私を見る。
私は彼の手を握り、力強く頷いた。
「大丈夫です、レンさん。私には秘策がありますから!」
「……わかった。君がそう言うなら、俺は全力でサポートする。客引きでも何でもやろう」
「ありがとうございます! 最強の客引きですね!」
こうして、港町での「野菜vs海鮮」の売り上げバトルが決定した。
オスカーは余裕の笑みを浮かべて去っていった。
彼は知らないのだ。
私の野菜が、食べた人を虜にする「魔法の野菜」であることを。
私たちはカボチャの馬車に戻り、作戦会議を開くことにした。
マリアベルさんを叩き起こし、シルヴィオ様を捜索して連れ戻さなければならない。
「よーし、やるぞー! エデンの野菜の底力、見せてあげましょう!」
お腹の結晶ちゃんも、『ママ、がんばれ!』と応援してくれている。
負ける気がしなかった。
しかし、この時の私はまだ気づいていなかった。
オスカーの背後に、もっと巨大な「海の脅威」が潜んでいることを。
そして、彼がただの金儲けのために私たちを狙っているわけではないことを。
港の空に、不穏な雲がかかり始めていた。




