第3話 カボチャの馬車、水陸両用へ
「おい、止まれと言っているんだ。聞こえないのか?」
荒野の一本道を塞ぐように立っていた男が、太い剣を肩に担いで声を張り上げた。
彼の背後には、同じような強面の男たちが二十人ほど展開している。
装備はバラバラだが、その目は獲物を狙うハイエエナのように鋭く、殺気立っていた。
私たちの乗るカボチャの馬車は、トレントたちの足踏みによって停止した。
「……やれやれ。出発早々、景気のいいことだ」
私の隣で、レンさんが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
彼の手はすでに腰の剣に伸びており、琥珀色の瞳からは隠しきれない殺気が漏れ出していた。
車内の温度が急激に下がる。
同乗している医師の先生が、恐怖で青ざめて座席の隅に縮こまった。
「レンさん、落ち着いてください。まずは話を聞きましょう」
私はレンさんの腕を軽く叩き、窓を開けて身を乗り出した。
「こんにちは! 私たちは急いでいるんです。道を開けていただけませんか?」
私が努めて明るく声をかけると、リーダー格の男が下卑た笑みを浮かべた。
「急いでいる? そりゃあいい。ここは『荒野の関所』だ。通りたければ通行料を払いな」
「関所? 地図にはありませんでしたけど」
「今作ったんだよ。……見たところ、随分と立派な馬車じゃないか。中にはさぞかし上等な荷物が積んであるんだろう?」
男の視線が、カボチャの馬車を舐めるように動く。
明らかに通行料目当てではない。
この馬車そのもの、あるいは私たち自身を狙っている目だ。
「金貨百枚だ。払えないなら、その馬車と女を置いていきな。俺たちの雇い主は、珍しいものがお好きでね」
「……雇い主?」
私が聞き返すと、男はしまったという顔をして口をつぐんだ。
ただの盗賊団ではないらしい。
組織的な匂いがする。
「交渉決裂だな」
レンさんが立ち上がった。
全身から黄金色のオーラが立ち昇る。
竜の威圧だ。
「俺の女と車を奪うだと? その薄汚い口、二度と開けないようにしてやる」
「ひぃっ! か、閣下! 車内で暴れないでください! ここには妊婦がいるんですよ!」
医師の先生が悲鳴を上げる。
そうだった。
私のお腹には、大事な結晶ちゃんがいるのだ。
レンさんが本気を出してブレスでも吐こうものなら、衝撃波で馬車ごと吹き飛んでしまう。
「レンさん、ダメです! 胎教に悪いです! 血なまぐさいのは教育上よろしくありません!」
「だがフローリア、害虫駆除は親の務めだ」
「駆除はいいですけど、スマートにお願いします。……あ、そうだ」
私はポケットを探り、今朝収穫したばかりの『あれ』を取り出した。
紫色の艶やかな皮に包まれた、拳大の野菜。
「ちょうどいい実験台……いえ、お客様ですね」
私はニッコリと笑い、野菜を握りしめた。
「おい、何をごちゃごちゃやってやがる! 実力行使だ、野郎ども! 馬車を囲め!」
リーダーの号令で、男たちが一斉に襲いかかってきた。
剣や槍を構え、カボチャの外壁を叩こうとする。
「いけっ! 【痺れナス(スタン・エッグプラント)】!」
私は窓から身を乗り出し、ナスを男たちの中心に向かって放り投げた。
ナスは美しい放物線を描き、リーダーの足元に着地する。
「あ? なんだこれ、ナ……」
ボムッ!!
軽い破裂音と共に、ナスが弾けた。
中から飛び散ったのは、果汁ではない。
紫色をした、高濃度の痺れ花粉だ。
「うわっ、なんだこの煙!」
「けほっ! 目が、目がぁぁ!」
「あ、足が……動か……」
バタバタバタッ。
花粉を吸い込んだ男たちが、次々とその場に崩れ落ちていく。
麻痺毒を含んだこのナスは、食べれば舌がピリピリする程度だが、花粉を直接吸い込めば大の大人でも一時間は動けなくなる。
「な、なんだと……!? 体が……痺れ……」
リーダーの男も、白目を剥いて地面に突っ伏した。
わずか数十秒。
二十人の屈強な男たちが、ナスの前になす術なく全滅したのである。
「ふふっ、大成功です! 効果範囲は半径五メートルってところですね」
私はノートを取り出し、結果をメモした。
レンさんは剣を抜きかけたまま、呆気にとられている。
「……フローリア。お前、いつの間にそんな凶悪な兵器を」
「護身用ですよ。さあ、通れなくなっちゃうので、端っこに寄せておきましょう」
トレントたちに指示を出し、動けない男たちを道の脇へどかしてもらう。
男たちは涙目で何かを訴えていたが、麻痺して声が出ないようだった。
命に別状はないので、放置しても問題ないだろう。
「先を急ぎましょう、レンさん」
「……ああ。君を敵に回さなくてよかったと、心底思うよ」
カボチャの馬車は再び動き出した。
胎教に悪い暴力沙汰にならなくて本当によかった。
◇
それから数時間。
荒涼とした岩場を抜け、景色は少しずつ変化を見せていた。
風に湿り気が混じり始め、遠くに海鳥の鳴き声が聞こえるようになってきた。
「うっ……気持ち悪い……」
隅で医師の先生が青い顔をしているが、私は逆に絶好調だった。
潮風の匂いがするたびに、お腹の結晶が『ドクン!』と嬉しそうに跳ねるのだ。
「いい子ね。もうすぐ海だよ」
お腹を撫でていると、今度は別の場所から音が聞こえてきた。
ガタゴト。
ドン、ドン。
荷台の方からだ。
「……ん? 何か聞こえなかったか?」
レンさんが怪訝な顔で振り返る。
「き、気のせいですよ! 風の音です!」
私は慌てて誤魔化そうとしたが、遅かった。
「水……みずぅ……」
掠れた呻き声と共に、荷台との仕切り戸が少しだけ開いた。
そこから這い出してきたのは、干からびたミイラ――ではなく、顔色が土気色になったシルヴィオ王子だった。
「……!」
レンさんの目が点になる。
「……誰だ、こいつ」
「あ、アハハ……シルヴィオ様ですね。どうしたんですか、そんなところで」
私は白々しく尋ねた。
シルヴィオ様はカサカサの唇を震わせ、床を這ってこちらへ手を伸ばした。
「暑い……狭い……酸素が……」
どうやら、密閉された木箱の中に長時間隠れていたせいで、酸欠と脱水症状を起こしているらしい。
王子様なのに、なんて無茶なことを。
「チッ、あの時の泥王子か。なぜここにいる」
レンさんは汚いものを見る目で言った。
「捨ててこようか? 今ならまだ、さっきの盗賊と一緒に転がしておけるぞ」
「ダメですよ! 一国の王子を野垂れ死にさせるわけにはいきません!」
私は急いで水筒を取り出し、シルヴィオ様に飲ませた。
さらに、疲労回復効果のあるトマトジュースを含ませる。
「ぷはぁっ……! い、生き返った……!」
数分後。
シルヴィオ様は驚異的な回復力で蘇り、ソファに座り直していた。
「申し訳ありません、公爵殿下。どうしても海に行きたくて、つい魔が差しました」
「魔が差して密航する王族がどこの世界にいる」
レンさんは冷たく言い放つが、シルヴィオ様はどこ吹く風だ。
「しかし、フローリア先生の野菜兵器は素晴らしかった! 箱の隙間から見ていましたが、あのナスの爆発力、実に見事でした!」
「見てたんですか。……まあ、出てきてしまったものは仕方ありません。一緒に海へ行きましょう」
私が言うと、レンさんは深いため息をついた。
「……フローリアが甘やかすから、こいつが図に乗るんだ。いいか、足手まといになったら即座に海へ放り込むぞ」
「肝に銘じます! 海藻の研究材料になるのは本望ですが、まだ死ねませんので!」
こうして、密航者が正規の乗員に昇格し、馬車の中はさらに賑やかになった。
◇
そして、夕暮れ時。
私たちはついに、大陸の北端にある断崖絶壁にたどり着いた。
「うわぁ……!」
私が窓の外を見て歓声を上げる。
そこには、視界を埋め尽くすほどの広大な海が広がっていた。
深い群青色の水面。
白波を立てて打ち寄せる荒々しい波。
そして、鼻腔をくすぐる濃厚な潮の香り。
ここが、『セイレーンの海』だ。
普通の海とは違う。
水面からは強い魔力が立ち昇っており、遠くには巨大な魚影や、渦潮が見え隠れしている。
「着いたな」
レンさんが窓を開け、風を感じるように目を細めた。
「エデンとは違う、荒々しい魔力だ。……フローリア、体調はどうだ?」
「最高です! お腹の子も、すごく喜んでます!」
本当だ。
お腹の結晶が、今までで一番強く脈打ち、熱を放っている。
『あそこ! いきたい! いきたい!』
という強い意思が伝わってくる。
「よし。では、行くとするか」
レンさんは運転席(御者台ではない、内部にある操縦桿)に向かった。
このカボチャの馬車・マークⅢの真価を発揮する時だ。
「マリアベル、医師、それに泥王子。ベルトを締めろ。舌を噛むぞ」
「えっ、ここからどうするんですか? 崖ですよ?」
シルヴィオ様が恐る恐る下を覗き込む。
高さは五十メートルはある。
「飛ぶわけないでしょう。……落ちるんだよ」
レンさんがニヤリと笑った。
「ええええええ!?」
全員の悲鳴が重なる中、レンさんは操縦桿を倒した。
「《カボチャの馬車、水陸両用モード起動》!」
ギギギギ、ガシャン!
馬車の下部から、蔦が変形してスクリューとフロート(浮き袋)が展開される。
同時に、車体全体を覆うように透明な防水結界が張られた。
「いくぞッ!」
トレントたちが崖の縁を蹴り、巨大なカボチャが空へと飛び出した。
フワッとした浮遊感。
そして、眼下に迫る青い海面。
「キャーーーーッ!」
「うわああああ!」
「植物万歳ーーーッ!」
ドッパァァァァァァン!!!
盛大な水しぶきを上げて、カボチャの馬車は海へと着水した。
激しい衝撃が来るかと思ったが、浮き袋草の弾力と結界のおかげで、ボヨン、と柔らかく受け止められた。
「……生きてる?」
マリアベルさんが震えながら目を開ける。
窓の外は、水面ギリギリの視界だ。
カボチャは沈むことなく、プカプカと波間に浮いていた。
「成功だな」
レンさんが満足げに操縦桿を操作する。
「スクリュー始動。全速前進」
キュルルルル……!
後部のスクリュー蔦が回転し、カボチャの馬車は滑るように水面を進み始めた。
揺れも少ない。快適なクルージングだ。
「すごい……! 本当に浮いてます!」
私は窓に張り付いた。
透明度の高い海水の中を、色とりどりの魚が泳いでいくのが見える。
お腹の結晶が、緑色の光を放ち始めた。
その光に誘われるように、小魚たちがカボチャの周りに集まってくる。
「見てくださいレンさん! お魚がいっぱいです!」
「ああ。どうやら俺たちの子は、海の生き物にも好かれているようだな」
レンさんは優しく私の肩を抱いた。
夕日に染まる海原を、オレンジ色のカボチャが進んでいく。
なんて幻想的な光景だろう。
「目指すは、沖合にある無人島だ。あそこなら、誰にも邪魔されずリゾート開発ができる」
レンさんが指差した先には、うっすらと島影が見えていた。
あそこが、私たちの新しい拠点。
出産(孵化?)のための聖地となる場所だ。
「楽しみですね! 着いたら早速、海の家を作りましょう!」
私は胸を躍らせた。
しかし、この海が『セイレーンの海』と呼ばれている理由を、私たちはまだ知らなかった。
魔物が住むから?
いいえ、もっと厄介な、『海の支配者』たちが縄張りを張っているからだ。
「……ん? 前方から何か来るぞ」
シルヴィオ様が双眼鏡を覗き込んで声を上げた。
「船……ですかね? 黒い旗を掲げていますが」
「黒い旗?」
レンさんの表情が険しくなる。
「……海賊か」
水平線の向こうから現れたのは、ドクロのマークを描いた巨大なガレオン船だった。
そのマストの頂上には、仁王立ちする人影が見える。
「アハハハハ! 見つけたぞ、オレンジ色の珍客!」
風に乗って、豪快な女性の笑い声が聞こえてきた。
「アタイの海を通るなら、通行料を置いていきな! その奇妙なカボチャと、中の『お宝』をね!」
私のマタニティ・ライフ、やっぱり前途多難みたいです。




