最終話 皇帝襲来!孫は「緑色」をしていました
「孫……ですか?」
私はきょとんとして、レンさんの顔を見つめた。
朝の爽やかな光が差し込むリビング。
しかし、空気は凍りつくほど重い。
レンさんは頭を抱え、テーブルに突っ伏していた。
その背中からは、あの王国軍五百人を一人で蹴散らした時ですら見せなかった、深い絶望のオーラが漂っている。
「ああ、そうだ。ジークの奴め……報告を端折りすぎだ。『閣下は愛する女性と共に、新たな生命を育んでおられます』と伝えたらしい」
「新たな生命……ああ、植物たちのことですね!」
「俺たちはそう解釈する。だが、受け取り手が『孫の顔が見たい』と張り切っているウチの父親(皇帝)だと話が変わってくる。『新たな生命=赤ん坊』と脳内変換されたに違いない」
レンさんはガバッと顔を上げた。
その目は血走っている。
「いいかフローリア。親父は……カイザー皇帝は、思い込みが激しい上に、行動力が化け物じみている。一度『孫がいる』と思い込んだら、否定しても『隠しているのか!』と逆上して国の一つや二つ焼き払いかねない」
「えぇ……なんて迷惑な」
「しかも『孫への手土産』として、帝国のオモチャ(魔導兵器)を大量に持ってくるはずだ。この楽園が火薬庫になる」
それは困る。
私の可愛い植物たちが、兵器の下敷きになったら大変だ。
「わかりました。じゃあ、誤解を解くために、きちんとお話ししましょう。私たちにはまだ子供はいません、って」
「それが通じる相手なら、俺はこんなに胃を痛めていない……」
レンさんは遠い目をした。
どうやら、相当な「親バカ」ならぬ「孫バカ」らしい。
その時だった。
ズズズズズ……ッ!
空気が、ビリビリと震え始めた。
地震ではない。大気そのものが畏怖して震えているような、圧倒的な重圧感。
窓の外を見ると、空が割れていた。
いや、正確には雲が真っぷたつに裂け、そこから黄金の光を纏った巨大な影が降下してくるところだった。
「き、来た……!」
レンさんが立ち上がる。
同時に、畑で草むしりをしていたマリアベルが、悲鳴を上げて家の中に飛び込んできた。
「きゃあああ! な、なによアレ! 空からドラゴンが! しかも金ピカのやつが降りてくるわよぉぉ!」
「落ち着いてマリアベルさん。お客様です」
「お客様のレベルがおかしいでしょ!? 心臓止まるかと思ったわ!」
マリアベルはガタガタと震え、テーブルの下に潜り込んだ。
無理もない。
空から降りてきたのは、レンさんが背後に背負っていた幻影よりもさらに巨大な、黄金の竜だったのだから。
ドォォォォォン!!
庭の広場(マリアベルが昨日綺麗に草むしりした場所)に、竜が着地した。
その衝撃で家が揺れる。
竜の姿が光に包まれ、収束していく。
光が晴れたそこに立っていたのは――。
身の丈二メートルを超える、巨漢の老人だった。
レンさんによく似た精悍な顔立ちだが、髪も髭も白銀色。
筋肉の鎧のような肉体に、最高級の軍服をパツパツに着こなしている。
その背中には、「覇王」という文字が見えるような気さえする。
「お義父様(予定)ですね」
「……フローリア、その呼び方はまだ早い。そして逃げるなら今のうちだ」
レンさんが剣に手をかけるが、私は首を振った。
せっかく来てくれたのだから、おもてなしをしなくては。
私はエプロンを整え、玄関を開けた。
◇
「レンーーーッ!! ワシの可愛い孫はどこじゃーーッ!!」
扉を開けた瞬間、鼓膜が破れそうな大音声が響いた。
皇帝カイザー・ドラグニル。
彼は私を押しのけ(実際には私の周囲の結界が作動して彼を弾いたのだが)、ドカドカとリビングに入ってきた。
「ちっ、来たかクソ親父」
「おう、レン! お前、随分と健康そうな顔をしておるな! 竜熱はどうした? ……むっ、消えておる?」
カイザー皇帝はレンさんの顔を覗き込み、驚いたように目を見開いた。
「どういうことだ。医者からは余命いくばくもないと言われておったのに、全盛期より魔力が膨れ上がっとるではないか」
「ここでは飯が美味いからな。……それより、勝手に上がり込むな」
「細かいことは気にするな! それより孫だ! ジークから聞いたぞ、新しい命を育てているとな!」
カイザー皇帝はキョロキョロと部屋を見回した。
そして、テーブルの下で震えているマリアベルと目が合った。
「ヒッ……!」
「ぬ? なんだこの貧相なネズミは。これが孫か? 随分と育ちすぎだが」
「ち、違いますぅぅ! 私はただの雑草抜き係ですぅぅ!」
マリアベルが泣きながら否定する。
「なんだ、使用人か。……では、そこの娘か?」
皇帝の視線が、私に向けられた。
黄金の瞳。
見つめられるだけで、魂の底まで見透かされそうな眼力だ。
普通の人なら気絶するレベルの覇気だが、私は平気だった。
なぜなら、世界樹の加護が私を守ってくれているからだ。
「初めまして、皇帝陛下。フローリア・グリーンと申します。現在はここで、レンさんと同居させていただいております」
私はカーテシー(礼)をした。
皇帝は「ほう」と感心したように唸った。
「ワシの覇気を前にして、眉一つ動かさんとは。……レン、いい女を見つけたな」
「……ああ。俺には過ぎた人だ」
レンさんが素直に認めるので、ちょっと照れる。
「で、孫はどこだ? フローリアとやら、赤子を抱かせてくれ。ほれ、土産も持ってきたぞ」
皇帝が懐から取り出したのは、ガラガラ(赤ちゃん用のオモチャ)だった。
ただし、素材がオリハルコンで出来ており、振ると「ゴウン、ゴウン」と重低音が鳴る凶器のような代物だ。
「あー……陛下。その件についてですが」
私は冷や汗をかきながら、レンさんと視線を合わせた。
レンさんは「何とかしろ」という目で訴えている。
ここで「いません」と言えば、この場は修羅場になるだろう。
怒れる竜王が暴れれば、せっかく育てたトマトたちが全滅してしまう。
それだけは避けたい。
ならば、どうする?
「育てている新しい命」を見せればいいのだ。
「……少々お待ちください。今、連れてまいります」
「おお! 別室に寝かせてあるのか! 早くせい、早く!」
皇帝がワクワクして尻尾(幻影)を振っている。
私は奥の部屋へ行き、昨日収穫したばかりの『アレ』を植木鉢ごと抱えて戻ってきた。
「……お待たせしました。こちらが、私たちが手塩にかけて育てている子です」
私は植木鉢を、そっとテーブルの上に置いた。
そこには、大根のような、人参のような、それでいて手足が生えた奇妙な植物が埋まっていた。
頭の葉っぱがフサフサと揺れている。
【歌うマンドラゴラ(変異種)】。
私の魔力を吸いすぎて、顔が妙に人間くさくなり、たまに「オギャー」と鳴く希少種だ。
「…………」
部屋に沈黙が落ちた。
レンさんが額を手で覆った。
マリアベルが「えぇ……」とドン引きしている。
皇帝は、植木鉢を凝視した。
瞬きもせず、石像のように固まっている。
(や、やっぱり無理があったかな!? これ、どう見ても野菜だし!)
私が弁解しようと口を開きかけた時。
「オギャアアアアアッ!」
マンドラゴラが目を覚まし、元気な産声を上げた。
その声には強力な魔力が乗っており、窓ガラスがビリビリと震える。
皇帝が、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「……なんてことだ」
彼は震える手でマンドラゴラの葉っぱを撫でた。
「この魔力……! 小さい体の中に、大自然のマナが渦巻いておる! レンよ、お前が赤子の頃よりも遥かに強大な力だ!」
「は?」レンさんがポカンとする。
「緑色の肌……これは、フローリアの『植物魔法』の才能を色濃く受け継いだということか。そしてこのふてぶてしい顔つきは、まさにレンの幼少期そのもの!」
皇帝の目から、滝のような涙が溢れ出した。
「可愛い……! なんて可愛いんじゃ! 目に入れても痛くないとはこのことか!」
「えええええ!?」
全員の声がハモった。
皇帝フィルター、強すぎる。
高レベルの魔力感知能力が仇となり、「見た目」よりも「魔力の本質」を見てしまったらしい。
マンドラゴラが持つ生命エネルギーを、竜の血を引く孫の才能だと勘違いしている。
「よしよし、高い高い~!」
皇帝は植木鉢ごと持ち上げ、あやし始めた。
マンドラゴラは「キャッキャッ」と喜んで、根っこの足をバタつかせている。
「……レンさん、どうしましょう。気に入られちゃいました」
「……もういい。俺は考えるのをやめた」
レンさんは諦めの境地に達していた。
◇
「さて、孫の顔も見れたことだし、祝いの宴といこうではないか!」
一通りマンドラゴラ(名前は『タケシ』と命名された)を愛でた後、皇帝は上機嫌で席に着いた。
「フローリアよ、レンの病を治した料理とやら、ワシにも食わせてくれるのだろうな?」
「はい、もちろんです。今日は陛下の来訪を祝して、最高級のメインディッシュをご用意しました」
私はキッチンへ向かった。
本日のメニューは、皇帝の舌を唸らせ、かつ「孫は野菜じゃなくて、これから作ります」という事実をマイルドに伝えるための、魂の料理だ。
「お待たせいたしました」
私が運んできたのは、熱々の鉄板に乗ったステーキだ。
ジュウウウッ……という食欲をそそる音と共に、香ばしい醤油とガーリックの香りが広がる。
肉厚で、表面はこんがりと狐色に焼かれ、ナイフを入れると中からトロリとした汁が溢れ出す。
「ほう、これは……ドラゴンの尾の肉か? 随分と柔らかそうだが」
皇帝はナイフを入れた。
抵抗なく切れる柔らかさに、彼は眉を上げた。
一切れを口に運ぶ。
ハフッ、ハフッ。
「――ッ!?」
咀嚼した瞬間、皇帝の動きが止まった。
口の中に広がるのは、肉の脂ではない。
もっと上品で、しかし濃厚な旨味の爆弾だ。
表面のカリッとした食感と、中のトロトロにとろけるクリーミーな舌触り。
甘辛いソースが絡み合い、噛むたびに幸福感が脳髄を直撃する。
「これは……肉ではない!? 野菜か!?」
「はい。これは【竜尾茄子】のステーキです」
そう、これはナスだ。
ただし、私の魔力で極限まで肉厚に、そしてジューシーに育て上げた幻の品種。
ナス特有の青臭さは一切なく、まるでフォアグラのような濃厚さを持っている。
「ナスだと!? 馬鹿な、ナスがこれほど力強い味を出すわけが……」
皇帝は疑いながらも、フォークが止まらない。
次に添えられた白いご飯(これも【天使の米】)と一緒に頬張る。
「う、うまいッ! 白米との相性が良すぎる! 誰か、酒を持てぇぇ!」
「こちらにございます」
私が差し出したのは、先日作った『百年熟成(魔法)』の巨峰ワインだ。
皇帝はグラスを一気に煽った。
「カァーーッ! 染みる! 五臓六腑に魔力が染み渡るわ!」
皇帝の肌がツヤツヤと輝き出し、背後の黄金のオーラが増大していく。
「レンよ……お前、こんな美味いものを毎日食っておったのか?」
「……まあな」
「許せん! 父を差し置いて! ズルいぞ!」
皇帝は子供のように地団駄を踏んだ。
そして、私の方を向き、真剣な眼差しで言った。
「フローリアよ。単刀直入に言おう。……帝国に来い」
空気が張り詰めた。
レンさんがナイフを置く。
「帝国に来て、宮廷料理長になれ。いや、レンの嫁として皇太子妃になれ。この才能を荒野に埋もれさせておくのは、人類の損失だ」
皇帝の言葉は、最大限の賛辞だった。
帝国の皇太子妃。
それは、世界で最も権力のある女性になることを意味する。
かつて王太子に婚約破棄され、ゴミのように捨てられた私が、今や皇帝から直々にスカウトされているのだ。
普通の令嬢なら、泣いて喜ぶ展開だろう。
でも。
私は首を横に振った。
「申し訳ありません、陛下。お断りします」
「な、なに? 不満か? 金か? 地位か? 何でもやるぞ?」
「いいえ。私は、ここが好きなんです」
私は窓の外を見た。
世界樹が枝を揺らし、畑ではマリアベルが(サボろうとしてミミズに驚いて)走り回っている。
スミレたちが花びらを揺らし、タケシ(マンドラゴラ)が机の上で寝息を立てている。
「私は土いじりが好きなんです。宮廷の煌びやかな生活よりも、朝起きてトマトに水をやり、レンさんとご飯を食べる……そんな毎日が、私にとっての『贅沢』なんです」
私の言葉に、レンさんが優しく微笑んでくれた。
皇帝はしばらく私をじっと見つめていたが、やがて「フン」と鼻を鳴らした。
「欲のない女だ。……だが、そこがいい」
皇帝はニヤリと笑った。
「気に入った! ならば仕方あるまい。ここを『帝国直轄特別領・エデン』として認定する! 租税免除、治外法権、なんでもありだ!」
「えっ、いいんですか?」
「その代わり!」
皇帝は身を乗り出した。
「月に一度……いや、週に一度はワシを食事に招け! あと、その孫の成長記録も送るように!」
「あ、はい。それくらいなら」
「よし、交渉成立だ!」
皇帝は満足げにワインをおかわりした。
こうして、最強のトラブルメーカーである皇帝陛下は、私たちの最強のパトロン(支援者)となったのだった。
孫の勘違いは……まあ、おいおい解いていけばいいだろう。
宴は夜まで続いた。
マリアベルも途中から参加し(空腹に耐えかねて)、皇帝に酌をしながら「私、元聖女なんですけど~」と愚痴をこぼして意気投合していた。
意外な才能だ。
そして翌朝。
皇帝は「国務があるから」と、嵐のように去っていった。
大量の魔導兵器(防犯用)と、最高級のベビー服(タケシ用)を残して。
「……疲れたな」
レンさんが玄関でへたり込む。
「お疲れ様です、レンさん。でも、認めてもらえてよかったですね」
「ああ。……だが、一つだけ問題がある」
「はい?」
「親父のやつ、帰り際にこう言っていったんだ。『次はサンタリア王国に礼参りに行ってくる』とな」
「……はい?」
礼参り。
それはつまり、息子と嫁(予定)を不当に扱った国への「お返し」ということだ。
皇帝陛下のお返しといえば、国の一つや二つ……。
「ま、まずいですよレンさん! 止めないと王国が地図から消えます!」
「放っておけ。自業自得だ」
「でも、あそこにはまだ無関係な人も……!」
その時。
私のポケットの中で、ジークさんから預かった通信機が鳴った。
『緊急連絡! フローリア様、レン閣下! サンタリア王国でクーデターが発生しました!』
「えっ?」
『カイル王太子が廃嫡され、幽閉されていた第二王子が解放されました。新国王は、フローリア様への謝罪と、国交回復を求めて使節団を送るとのことです!』
どうやら、私たちが動くまでもなく、世界は勝手に変わり始めているようだった。
皇帝陛下が通ったルートの国境警備隊が、恐怖で全員逃げ出したという噂も聞こえてくる。
私のスローライフは、どんどんスケールが大きくなっていく。
でも、まあいいか。
隣にはレンさんがいて、庭には緑が溢れている。
「さて、レンさん。今日も畑仕事、頑張りましょうか!」
「ああ。……一生、付き合うよ」
私たちは手を取り合い、光溢れる庭へと歩き出した。
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