第91話 距離――近くて遠くて
『常識喰らいの大杖』を手にしたグラゼリオの足元に、魔法陣が出現した。
それを黙って見ていたシャルハートは腹の底から響くような魔力の波を感じる。
「シャルハートさん。私は今から古の魔王をこの現世に復活させます」
「生き返らせる魔法はそう多くない。どうするつもりですか?」
「そうですね。範囲蘇生魔法『神の偉業』、完全自動蘇生魔法『生命は続く』……。天才中の天才が何度も何度も魔力を持ち越して人生をやり直さければ、発動出来ないとされる神話の世界の魔法。私でも発動は出来ない」
「でも、勝算がある。そうでしょう?」
シャルハートの言葉に頷くグラゼリオ。
そうだ、普通ならば“無理”なのだ。この世界には生命を復活させる魔法はある。それは揺るぎない事実。だが、それを行使出来る者がこの世に存在しないというのも揺るぎない事実。
グラゼリオにはそれが分かっていた。
自分の実力の最大値は理解している。だからこそ工夫のし甲斐はあった。
結論から言えば、蘇生魔法は無理だ。
だが古の魔王ゼロガをこの世界に復活させたい。
ただそこまでの目的ならば、いくらでもやりようはある。
「――『偉大にして苛烈な魂よ。この輝き失くし地に再び舞い降りる度量はあるか』」
「詠唱……下準備をしなければならないほどの魔法か」
グラゼリオが一つ言葉を紡ぐたびに、世界全てに重力がかかったような威圧が増していく。
それを見ていたミラがつい両腕を自分の体に回していた。
「何……これ? なんでこんなに、寒いの?」
「……これから起こる魔法がそれほどということ。外的なモノではなく、内的な寒気。つまり、恐怖」
かく言うサレーナも、自分の震えている足を睨みつける。動かそうとしても出来ない。
ミラへ言った言葉は、サレーナがサレーナ自身に言い聞かせていたのだ。
グラゼリオの詠唱は終わりを迎えようとしている。
「――『この不平等な世へ再び剣を振るう覚悟はあるか。ならば降りよ、幾千の魔を統べ、幾億の術を統べし者――古き魔王、ゼロガ』」
瞬間、シャルハート達の視界は光に包まれた。しばしの無音。白と光。天国、あるいは地獄。力の奔流、ともすれば静寂の揺りかご。
時間にして一秒とも、那由多とも取れる間の後、光のカーテンは消えた。
グラゼリオはただ立っていた。
杖は力強く握り、纏う雰囲気を変え、そして髪の色が黒くなっている。
それを黙って見ていたシャルハートはあえて質問した。
「私はシャルハート。シャルハート・グリルラーズ。貴様は?」
「ゼロガ。義によって立ち上がり、義に背かれ滅ぼされた者」
やはり、とシャルハートは大して驚きはしなかった。
(自分の肉体を容れ物にし、現代に復活させる……。そうだ、やるならその手段しかない。グラゼリオレベルの腕でも、やれることに限界がある。ワイズマンシリーズで増幅させた己の魔力を使ってようやく成功するかしないかだ。……グラゼリオ、貴様は賭けに勝ったよ)
グラゼリオ改めゼロガは、シャルハートの顔をじっと見る。いや、正確にはもっと“深淵”を眺めていると言ったほうが正しい。
「貴様、魔族か? 魂に懐かしさを感じる。私を裏切った者達の懐かしさだ」
「さて、どうでしょうね? 少なくとも今、この場においては関係ないでしょう」
一度深呼吸をし、シャルハートは尋ねる。
「古の魔王ゼロガ、貴方はこれからどうするつもりですか?」
「滅ぼす。魔族のために立ち上がった私を裏切った魔族と人族共を諸共に滅殺してくれる」
「……本末転倒だ、それじゃあ」
突如襲いかかる衝撃波!
シャルハートにとってはただのそよ風だったため、動じなかったが、後ろの壁がその余波で一部崩れる。
ミラ達に当たらないのは分かっていたため、シャルハートは特に何もしなかったのだ。
いつの間にか振るっていた杖を構え直し、ゼロガは話を続ける。
「義に生き、義のために動いた私が何故あのような結果を迎えた? 私は善き者だったはずだ」
「義だったよ。少なくとも魔族達はそう感じていたと思う。でも貴方は――貴様はやり過ぎたんだ」
「私が? そんな訳があるものか」
少しも自らの行いを間違いとは思っていないゼロガ。その姿に、少しだけシャルハートは己自身を感じた。
「ならば、なんで貴様は死んだ?」
「私を理解しない者達が多すぎたのだ。だから今回の生ではそうならないように徹底的に潰す」
じろり、とゼロガはミラ達を見る。
「魔族と人族が一緒にいるだと? また結託して私を滅ぼそうとしているのか」
ゼロガが右手をミラ達へ翳す。瞬間、彼女たちの周囲には無数の光球が出現。大きく発光した。
それを攻撃と断定したシャルハート。この距離からでは防御魔法が間に合わない。
「ミラ!」
刹那、シャルハートはとある魔法の行使に成功する。
世界が静止する。世界の色が白黒になり、あらゆる存在がその時間を止める。
『時間操作』。一日一回しか発動することの出来ない大禁呪の一つである。
操れる時間には限りがある。すぐさまシャルハートは地面を蹴り、ミラ達の元へ跳躍する。着地と同時に、シャルハートはミラ達をカバーできる防御魔法を行使していた。
時間が動き出す。
「しゃ、シャルハートさん!?」
「大丈夫。絶対に守るから」
四方八方から襲いかかる光線はどれもシャルハートの防御を抜くことが出来ず、その役目を終えていく。生半可な防御魔法ならば容易く貫かれて、甚大な攻撃を食らっていた。
その防御を見届けたゼロガは目を見開いた。
「時空間魔法だと? 操れたのか、あんな少女が? 神話の魔法を?」
ゼロガですら、シャルハートは奇天烈な存在だった。
あり得ない存在。ゼロガの魔力を間近で喰らえば少なからず戦意を喪失する。
だが、シャルハートは戦意を喪失するどころか、むき出しにしていた。
「ゼロガァァ!!」
直後、ゼロガが吹き飛んだ。『旋風槌』による強烈な風圧が、容赦なくゼロガを壁に叩きつけた。
追撃。
すぐにシャルハートはアリスも使う魔法『光の矢』を放った。
アリスの物とは比較にもならない量と威力を秘めた光の線が容赦なくゼロガに突き刺さる。
普通の人間ならば、オーバーキルも良いところ。しかし、シャルハートは“この程度”で終われるとは全く考えていない。
「……やってくれたなゼロガ。よりにもよってミラを、ミラ達を真っ先に狙うとはな」
「シャルハートさん……?」
その時のシャルハートの横顔を、確かにミラは見ていた。
ハイライトが消失した瞳、普段とは全く違う戦気に満ちた表情。そして何より、“魔力が怖い”。
「あ……」
見た。見て、しまった。ミラが“一歩下がった”のを、シャルハートは確かに見てしまったのだ。
アリス達も例外ではない。リアクションは人それぞれだが、彼女たちの瞳には確かに“恐怖”の色があった。
シャルハートは口を一瞬開いたが、すぐに閉じた。
「皆、生きて帰すから。私の後ろにいて。なるべく離れないようにね」
そこからはもう、シャルハートはミラ達の顔を見ることが出来なかった。




