第89話 開戦
『入れない棟』の奥深く。ワイズマンシリーズが安置されている場所にて、グラゼリオは黙想していた。
「あぁ、来ますか。賽はとうの昔に投げられたというのに、まだ緊張している私がいますね」
グラゼリオは眼鏡をおもむろに外し、コートの裾でレンズを拭う。
「古の魔王ゼロガ、貴方は私の行いを嘲笑いますか? それとも――」
天井を見上げる。シンとした室内。まるで今の自分の心をそのまま映し出しているかのようだ。
全ての準備は整っている。後は然るべき人間から、然るべき回答を聞くだけ。
「……やはり貴方は何もしなくても分かりやすいですね。シャルハートさん」
強烈な魔力。特殊な魔法を使わなくてもはっきりと感じるこの異常なまでの質。
やってきたのだ、グラゼリオにとって現時点での最大障害シャルハート・グリルラーズが。
少し感覚を研ぎ澄ませてみると、微弱な魔力がいくつか感じられた。その時点でグラゼリオは、シャルハートがいつもの仲間を連れてきたのだなと察する事ができた。
「そうですか。貴方はやはり、あくまで一人では来ないのですね」
そこまで言った辺りでグラゼリオは手で口を覆った。
「……私が言ったのか、今? ふっ……まだそんな事を言えるのだな私は」
扉が開かれた。
白銀の髪が麗しい少女が、キッとグラゼリオを睨みつける。
「やぁ、来ましたか。ご足労いただき感謝をしますよ、シャルハートさん」
「グラゼリオォ」
シャルハートは出合い頭に攻撃魔法をぶちかましたい気持ちでいっぱいだった。既に彼女の瞳からハイライトが消失している。感情を抑えきれていないのだ。
アリスがグラゼリオへ呼びかける。
「グラゼリオ先生。私と、そしてエルレイにしたことの説明はしていただけるのですよね?」
「……とりあえず入ってきてください。ルルアンリの仕掛けは完全に解除しました。もうおかしな事は起きません」
シャルハートはジッと室内を見る。グラゼリオの言う通り、確かにルルアンリのトラップの気配はない。
代表して、一歩踏み出す。何も起きない。数歩前へ行く。これまた何も起きない。
安全を確認できたシャルハートは皆を呼び、改めてグラゼリオと相対する。
「どこから説明しましょうか」
「貴様の目的であるゼロガ復活について、かな。古の魔王を復活させてまで成し遂げたい目的は?」
既に口調はシャルハートではなく、“ザーラレイド”になっていた。
グラゼリオはそれに触れることはなく、問いに答えた。
「悪しき存在を全て消し飛ばす事。それが私の目的です」
「抽象的だな。何が貴様をそこまでさせた?」
「そうですね。私の幼少期にまで遡ります。かいつまんで話しますので、続けても?」
シャルハートが無言で首を縦に振ると、グラゼリオは話を続けた。
「私の家系は貴族でして、義を重んじる一族でした。弱きを助け強きをくじく、そんな誰に対しても胸を張ることが出来る、そんな一族」
「ベガファリア……聞いたことがない」
「リィファス王子は知らないはずです。何せ、貴方が生まれる前に滅びた家なのですから。それに名前も変えているので、分かりようがないです」
「名前を変える前は……?」
「ユダリクス」
ユダリクス――その名を聞いたリィファスは目を見開いた。
その家名は父親であるクレゼリア国王から聞いたことがあった。
「国王暗殺の容疑で解体されたとされる一族……」
「反乱願望があったんですか?」
「違う。違うんだシャルハートさん。それは第三者によって仕組まれた全くの嘘だったと後から分かったんだ」
「……なるほど」
思った以上に王国と関わりがあるのか、とシャルハートは話を聞いてそう感じていた。
だが、それでこれから後のことについて、一切手心を加えるつもりは微塵もなかった。
「そうです。そのユダリクスです。私はその生き残り、グラゼリオ・ユダリクスということになります」
「……グラゼリオ先生が古の魔王ゼロガを復活させようとするのは、王国への復讐……ですか? ちゃんと真実を見極められなかった愚かな王家に対する……」
それが一番理由として納得できる。
だが、グラゼリオは柔らかに微笑んでみせた。
「いいえ。そのつもりはありません。元々、義を重んじるユダリクスを疎んだ第三者が上手く罪をでっち上げ、それを王国が信じただけ。それに関しては特に言いたい事はありません。その時の状況が悪かったのですから」
「ならばどうして……!」
「分かったからです。そういう悪意ある者達がいるから、不幸になる者がいる。……父や母が処罰され、天涯孤独になった私がいる。でもこれは私だけの話ではない。私の他にも声を上げられず、あるべきモノを奪われた哀れな者がいる。そういう者をこれ以上増やさないため、私は悪しき者を全て消し飛ばすのです」
皆、息を呑んだ。何と返せば良いのか、分からなかったからだ。
リィファスが、アリスが、エルレイが、サレーナが、ミラが。グラゼリオの話を聞き、こう思ってしまった。
――大義があると。
自分たちは止めても良い立場なのか、そもそもそこからの話にまでなってしまう。グラゼリオは他の弱き者の事を考えている。
もしも。
もしも、グラゼリオがこれから召喚しようとしているゼロガにそのような力があるとすれば。
それは、素晴らしいことなのではないか。
「事情は分かったよ。でも貴様は止める」
シャルハートは真っ向から切って捨てた。
「……貴方なら私のやりたいことが分かってくれると思ったのですがね」
「分かるさ。でも、それはもっと力のある奴にこそ許されることだ。グラゼリオ、貴様は――出来ない側にいる」
「私の力が足りないとでも?」
「足りない。圧倒的に足りない。人を上から支配できるのはもっと強大な力を持つ奴にしか許されないんだ。貴様にはそれが無いんだよ」
「確かめてみますか?」
「確 か め な く て も 分 か る」
シャルハートは一歩前に出る。その歩みはさながら覇王のソレであった。
「グラゼリオ、そもそも勘違いしているようだから教えてやる」
右手を天に掲げたシャルハートは、きっぱりと言った。
それは虚言でもなんでもなく、ただの事実。
「貴様が私に勝てる、という根拠は一体どこから来た?」
瞬間、シャルハートとグラゼリオの身体から膨大な魔力が吹き出した。
開戦の狼煙が上がったのだ。




