第85話 全てを否定する
自分で言って、ルルアンリはすぐに首を横に振った。
あり得ない、と自分に言い聞かせる。既に死んだ人間だ。
確かに先程のシャルハート・グリルラーズは一瞬あの“不道魔王”にかなり似ていた。良く本能的に攻撃をしなかったとルルアンリは己を褒めたくなった。
「……シャルハート、貴方は一体何者なの?」
「たった今、言いましたよ。私はシャルハート・グリルラーズです。それ以上でもそれ以下でもありません」
「そう、なのね。……分かったわ。もう何も言わない。ただ、一つだけ約束して」
ルルアンリはシャルハートの肩に手を置いた。一瞬だけぎゅっと力が強くなる。
「ヤバい、と思ったら即逃げて。こんな事言いたくないけど、グラゼリオの腕は本物よ。私でも制圧にはかなり手こずるかもしれない。だから本当にお願い。生きて帰ってきてね」
グラゼリオは確かにデキると思っていた。シャルハートは自分の見立てに間違いはなかったと確信する。
ルルアンリの言う『かなり手こずる』とは、『途方もなく強い』という言葉と同義なのだ。一対一でやれば、どっちが勝つか測りかねる。あの自信満々なルルアンリが、だ。
「ええ、軽く捻ってやりますよ」
その時、強烈な気配が生まれた!
『それは楽しみですね。私を軽く捻れるかどうか、期待せざるを得ない』
「魔力体とは言え、良くも私の前に姿を見せたなグラゼリオォ……!」
魔力で構成された遠隔操作魔法。いわゆる分身である。
しかし、グラゼリオの姿を見た時点でシャルハートの瞳からハイライトが消失していた。つまり、激情を抑えきれていないということである。
魔力体を消失させて少しでもウサを晴らそうとしたが、それは向こうも予想しているであろう。
だからこそあえて、目の前に現れたことへの意味を探る。
『シャルハートさん、私の嫌がらせは受け取ってくれたようですね』
「しっかり受け取ったよ。……お礼に貴様の思惑を全部ぶち壊してやる」
『それが貴方の本性ですか?』
「どう受け取るかは任せるとするよ。それで、いい加減に私の前に現れた理由を言ってもらおうか」
二人のやり取りを見ていたルルアンリはあえて口を出さなかった。
グラゼリオの視線はずっとシャルハートに注がれている。視界に入っていないということはすぐに分かった。
それだけ彼にとってシャルハートの存在が大きいのだろう。
(やはりシャルハートを一度ちゃんと調べる必要がありそうね)
ルルアンリの思惑は今のシャルハートが勘づくことはないであろう。
それだけ今のシャルハートはグラゼリオに対して、激情を抱いていた。彼女から魔力が滲み出ている。あまりにも濃密。呼吸すら出来ない。
『シャルハートさん私が今、どこにいるか分かりますか?』
「『入れない棟』ですよね? あれは容易に動かせないよう何重にもトラップが仕掛けられていた。その解除中、といった所でしょうか?」
『ええ。ルルアンリの仕掛けた狡猾な罠に手を焼かされています』
「手を焼くのは当たり前じゃない。私の腕を忘れた訳ではないでしょう?」
グラゼリオが『入れない棟』にいる、といった段階でルルアンリもその予想をしていた。
ワイズマンシリーズは非常に強力であり、凶悪だ。持ち主の善悪によっては世界を救済する道具にもなり、世界の平和を脅かす道具にもなり得る。
だからルルアンリは取られる可能性があるならば、と完全破壊が出来るトラップを仕掛けたのだ。
邪悪な者が自由自在に使うリスクを天秤にかければ、当たり前の話なのだ。
というのは平凡な凡愚相手の考え。
相手はグラゼリオ・ベガファリア。ルルアンリ自身、その才能を認めているところだ。
「シャルハート。本当に大丈夫なのよね? 彼、近いうちに必ず私のトラップを解除するわよ」
「私が行くんですよ? 大丈夫に決まっているじゃないですか」
『そう、きっと貴方は来ると思っていました。私の前に立ち塞がるのは貴方しかいない』
「立ち塞がる? 私の前に立てる奴はそういないが?」
『――明日の正午です』
グラゼリオは両手を広げた。
『明日の正午、私はやってくるであろう君の前で杖の封印を解き放つ』
「それをあえて宣言する意味は?」
『“今”の貴方と話してみたいからです。明日、正午の少し前に私の元へやってきてください。……ああ、そうだ。お友達を連れてきても良いですが、その代わりそこで起きた事に対して私は後悔しませんよ』
「たった今から行くことも出来るけど?」
『それならば、私は今すぐ封印を解除しましょうか。既にトラップの九割方は解除し終えていますしね』
グラゼリオの言葉は恐らくハッタリではない。シャルハートとルルアンリはそれを感じ取っていた。
ならば尚更、さっさと封印を解除すれば良いのだ。杖を餌に、シャルハートを誘き寄せている。彼がやっていることはそういうことなのだ。
「グラゼリオ。貴方がどんな目的でこんな真似をしているかは分からない。分からないけど、私は貴方を徹底的に潰す。完全に、完璧に。二度と愚かな考えは出来ないくらいに、貴方の全てを否定する」
『……楽しみです』
その時のグラゼリオは確かに笑っていた。とても嬉しそうに。




