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第78話 悪意、蜘蛛の糸のように

 空の色が夜に近づこうとする頃合い。

 アリスとエルレイは『入れない棟』の前に立っていた。


「ねーアリス。あとどれくらい?」


「そうですね……あと二十分といった所でしょうか?」


 ぼんやりと時計を見ながらそう答えるアリス。エルレイと話していれば時間が経つのはあっという間だった。

 話す話題も尽き、あと十分を無言で過ごそうとしていたアリスへ、エルレイがこう聞いてきた。


「どうしてシャルハートを怒鳴ったの? シャルハートが何か悪い事したの?」


「そういう訳では……いや、ある意味そうかもしれませんね」


「どゆこと? ボクにも分かりやすいように説明できないの?」


「何でそこで上から目線になれるのかが解せないけど、まあ良いわ」


 アリスは自分の考えを整理する意味でも語り始めた。

 キッカケは初めてアリスがシャルハートに負けたところまで遡る。その辺の相手にはまず負けないという自信をへし折った一瞬。

 あの頃からアリスはシャルハートを意識していた。超えたい、と思っていた。彼女は間違いなく自分やエルレイの実力を超えていると。

 だからシャルハートと本気で戦いたい。そして白黒はっきりつけたいのだ。


 だというのに。


「シャルハートさんは明らかに私達に手加減をしている。実力を隠そうとしている。それが私には許せないのよ」


「じゃあもしかしてアリスが後でシャルハートにお願いしたいことって」


「本気で戦ってもらいたい。それで負けるならそこまで。一から鍛え直すだけです」


「ふーん」


 淡白な返答についアリスはムッとしてしまった。


「何ですか。貴方から聞いておいて」


「んーそれだけなのアリスって」


「それだけって何ですか。その他に何があるんですか?」


 エルレイは両手を後頭部に回し、空を見上げていた。口はへの字になっており、何やら腑に落ちていないようだった。


「え~だってアリスさぁ――」


 その時だった。


「おやアリスさん、エルレイさん。どうしたのですかこんな所で」


 グラゼリオ・ベガファリアが二人の前に現れた。その口元を僅かに緩ませて。


「あれー? グラゼリオ先生だ! どうしたんですかー?」


「こらエルレイ、失礼でしょう。すいませんグラゼリオ先生。エルレイがお馬鹿で」


「いえいえ。気にしないでください。それよりも空が暗くなってきましたよ。封印は私が見ておきますから、早く帰った方が良いですよ」


 その言葉を聞き、エルレイは両手をあげた。


「やったー! ありがとうグラゼリオ先生ー! 早く帰ろうよアリスー!」


 パタパタと帰り支度をし、手招きするエルレイ。さっさと帰ろうとしているので、置いて行かれないよう、アリスも準備を始める。

 その時、アリスはふと気づいたことがある。

 単純にして、不可解な点。


「あの、グラゼリオ先生は何で私達がここの封印を見ていると知っていたんですか?」


「……やはり引っかかりますよね。封印が再起動するまで時間がなかったので強行してみれば、結果はこうですか。もう少し上手くやれたはずなのですがね。――『睡魔の囁き(ウィスパー・スリープ)』」



 グラゼリオはエルレイへ指を向けると、指先から緑色の光が迸った。気を抜いていたエルレイは為す術もなく直撃。直後、ゆっくりと地面へ倒れた。


「エルレイ!? 先生、何を……!?」


「遅いですね。『麻痺の一突き(パラライズ・スタブ)』」


 黄色い光で形成された短剣状の光がアリスの右手に突き刺さる。

 痛みは一瞬。すぐにアリスは短剣を抜こうとしたが、手が届くことはなかった。既に全身に痺れが回っていた。思考能力も働かなくなりつつある。

 行動不能を確認したグラゼリオがアリスの頭を掴んだ。


「私のために『入れない棟』の防衛機構を破壊してくれてありがとうございます。あと少ししか時間がありませんが、心置きなく『常識喰らいの大杖(おおづえ)』を確保することが出来ますよ」


「なっ……グラゼリオ先生、貴方何をするつもりですか……!?」


「強いて言うなら目的を果たすためです。それよりも、貴方は良いですね。力への渇望、そしてあの怪物への対抗意識が凄まじい。これならば彼女に対して効果的な嫌がらせが出来そうです」


 頭を掴んでいる方の手が淡く光った。直後感じる魔力。何かをしようとしているのは明白。

 だが、抵抗できない。『麻痺の一突き(パラライズ・スタブ)』とは極めて発生速度が早いが、麻痺時間は僅か。

 しかし、今の状況においてその僅かな時間が非常に長く感じる。


「役に立ってください。この世界を壊すために」


 グラゼリオはその魔法を行使する。


「『揺れる怒り(シェイキング・ヘイター)』。その感情を力に変えられるように」


 その時、アリスは目を大きく見開いた。

 流れ込んでくる。足元から頭へ駆け上がってくる“何か”。明らかに正常なソレではない。もっとドロドロとして、だが、親しみが持てる感情。

 アリスは常に悩んでいた。

 勇者の娘として何が必要なのか。アリス・シグニスタをアリス・シグニスタたらしめんファクターは一体何なのか。


「あ……あぁ……分かった……。今、わかり、ました……」


 たった今、答えを掴んだ。

 全ての存在を黙らせるたった一つのシンプルなもの。

 それは力。

 力がないから『チュリアの迷宮』で無様を晒した。力がないからシャルハートに負ける! 力がないなら、勇者の娘ではない!!


 既にそこにグラゼリオはいなかった。

 膝をつき、呆然としているアリスのみ。

 虚ろな目で彼女は空を見上げていた。倒れるエルレイには目をくれず、ただ上を見つめていた。


「私は……今まで何をやっていたんでしょうか。こんな体たらくでは、私は勇者の娘失格ですね」


 だらりとさげていた両手に力を入れ、アリスは呟いた。


「私は強者になります。何者をも寄せ付けない圧倒的な強者に……!!」

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