第62話 答え合わせ
「皆さん無事ですか!? 怪我はありませんか!?」
ルクレツィアが皆の安否を確認している中、グラゼリオはただ立っていた。いや正確には周囲を確認しているようだった。
「怪我はないようで安心しました。色々と聞きたいことがありますが、まずはこの迷宮を出ることが先決です。グラゼリオ先生はすいませんが一番後ろから来てもらってもいいですか? 私が先行します」
「分かりましたルクレツィア先生。それでは皆さん行きましょうか。ここは危ないですからね」
皆がルクレツィアに付いていく中、シャルハートはグラゼリオの近くにいた。
彼もそれが分かっていたようで、妙に落ち着かない様子だった。
「ええと、シャルハートさん。皆さんと行かないんですか? 早く行かないと置いていかれますよ」
「気になることがあるんです」
「気になること、とは?」
「あそこです」
指差す先は例の鉄扉。グラゼリオの表情に変化はない。
「あそこですか。やはりシャルハートさんも気になるので?」
「やはり、ということはグラゼリオ先生も気になっていたんですね」
「ええ。あそこには興味深い気配を感じます。行かなければ嘘、というものですよ」
既に誰もいなくなった場にはシャルハートとグラゼリオのみ。二人の声がシンとした空間に響く。
お互い口元には笑みを浮かべたまま。一見和やかな雰囲気。シャルハートは世間話でもするかのようなテンションでこう口にした。
「グラゼリオ先生がここの封印を甘くしたんですよね? というか一度入っていますよね?」
「ええ、私がやりましたし、マァスガルドさんをあそこに置くために入りました」
ここで初めて二人の視線が交差する。身長差もあるのでグラゼリオが見下ろす格好だ。
彼はいつも通りの涼し気な表情だった。そこに感情の色は見て取れない。
「聞くまでもないでしょうが、どうして私だと?」
「あの封印にはグラゼリオ先生の魔力残滓が残っていました。そこで私は疑問を抱き、そしてあの魔法『星見の檻』で確信しましたよ。貴方が仕組んだってね」
「流石ですね、認めましょう。やはり貴方はその辺の生徒とは少し違うようだ」
「今更気づいたんですか?」
再び静寂が周囲を包み込む。
シャルハートはいつでも戦闘準備万端だった。ここまで話せば、いつ口封じに掛かられてもおかしくない。
殺されるつもりはないが、それでも不意打ちだけは屈辱。それだけのことだ。
しかし、グラゼリオはシャルハートと戦おうという素振りすら見せなかった。
彼女の隣から離れ、グラゼリオは鉄扉の元へ歩き出す。
「良いんですかグラゼリオ先生?」
「別に私は貴方をどうにかしようという気はありませんよ、今は」
「本当ですかね?」
「ええ、貴方は私のテストを乗り越えました。だからこそシャルハートさんも来ませんか? 貴方も気になっていたんでしょう?」
灰色のロングコートを翻して闊歩するグラゼリオの背中は無防備だった。いつ撃っても構わない、と言いたげに。
本当に戦う気はないのか、それともそう“見せている”だけなのか。
とはいえ、シャルハートも鉄扉の奥は気になっていた。
彼が何を企んでいるのか。
彼は悪意を持った敵なのか。
彼を――抹殺するべきか。
鉄扉の向こうを見てからそれを判断しよう、そうシャルハートは決めた。
「シャルハートさんは“不道魔王”という存在を知っていますか?」
「かつて圧倒的な力を以て、人間界と魔界へ反旗を翻した全ての者達の敵ですよね」
「ええ、そうです。そして人間界の勇者アルザと魔界の勇者ディノラスによって“不道魔王”は討たれた」
一瞬の間を挟み、グラゼリオは続ける。
「何と惜しい人材を世界は失ったのだと思いましたよ」
「……どういう事でしょうか」
一本調子だった彼の声に、波が生じ始めた。
「“不道魔王”、いいえザーラレイドは世界にとって必要な存在でしたよ。……この世界は悪意で溢れています。だから一度、この世界は大掃除をするべきなんですよ。悪い存在だけを消して、良い存在だけが残る――そんなクリーンな世界にこの世界は生まれ変わるべきなんです」
「出来ると思うんですか?」
綺麗な事を一度行うには、汚いことを百度行わなければならない。
少なくとも、シャルハートはそうした。何をやっても百度に届かないと感じたから、最終的には命を捧げた。
「そうしなければならない、という位には思います」
「そうですか。でも気をつけた方が良いですよグラゼリオ先生。そういう崇高な事を考える人に限って、何かしら大きな障害にぶつかるんですから」
「肝に銘じておきましょう。……さて」
鉄扉の前に辿り着いた二人。グラゼリオが警戒する様子もなく、鉄扉を開けた。
「蛇が出てくるか何が出てくるか……」
そこは一言で言えば、資料室だった。小さな部屋に敷き詰められた古ぼけた書類の山。
特に悪質な何かを感じるわけではない。本当に何の変哲もない部屋である。
「……何もいない?」
「そうですよ、何もいません。あるのはこの山のような資料だけ。そして、これが私の探していた物です」
そう言って、書類の山の一番上から、これまた古ぼけた本を手にとったグラゼリオ。
その本にはこう書かれていた。
――古の魔王ゼロガの伝説。
「おとぎ話の本が好きなんですか?」
「ええ、特にこういった災いを起こす類が好きなんですよ。ですが、一つだけ訂正があります。これはおとぎ話ではありません。実際にいたとされます」
おとぎ話の真偽には興味がないシャルハート。
彼女の興味はその“先”にある。
「そのゼロガとやらをどうするつもりなんですか?」
「復活させたいと考えています」
馬鹿げているとは思わなかった。実際、大いなる力に魅せられた者はザーラレイドが知る中で星の数ほどいた。
そしてそういう奴は決まってこうなるのだ。
「滅びますよ。そういう人って」
「そういうものだというのは歴史が証明しています。だから私もきっと滅びるのでしょうね」
「今、この場で滅ぼすと言ったら?」
「甘んじて受けましょう。それが然るべき運命ならば、ですが」
シャルハートには選択が迫られていた。
グラゼリオを止めるか、止めないか。
この場でくびり殺すのは簡単だ。しかし、シャルハートには矜持があった。
「いいや、やめておきますよ。私は世界の守護者じゃありませんしね。……ただし」
シャルハートはグラゼリオの視界に入り、見上げた。
「私の大事な人達に危害が及ぶなら、私は私の持てる力全てを以てグラゼリオ先生を叩き潰します」
世界の守護者じゃない。だけどシャルハートは、自分の両手で抱きしめられるものは全てを抱きしめるつもりなのだ。




