第60話 “不道魔王”
仮面の女性が突撃する。今までのは本当にお遊びだったというばかりの速力。瞬きした直後にはもう女性がいる。
すれ違いざまに女性はシャルハートの首へ刃を走らせた。人間が反応することすら難しい程の踏み込み。
しかし、シャルハートには傷一つついていなかった。白銀の剣には何一つ目もくれず、彼女は女性の耳元へ顔を寄せる。
「そういう速い攻撃はディノラスで見慣れているよ」
首筋にハニカム状の防御フィールドが展開されていた。女性が消えた瞬間には既にシャルハートは防御の用意を終えていたのだ。
シャルハートは剣を振り切った女性の腕を掴み、そのまま空中へ放り投げた。
「『火炎』」
彼女が腕を軽く振ると、背後から巨大な魔法陣が出現。魔法陣が火炎弾を大量に吐き出し始めた。
空中で無防備になる仮面の女性。魔力の気配。その性質からすぐに防御魔法による防御を察知したシャルハート。だが、動じずにむしろ口の端を吊り上げるだけ。
「一発防げればいいかな?」
その言葉の意味はすぐに分かった。
空中で上手くバランスを取り戻した女性が即座に防御魔法を展開。来る火炎弾に備える。
しかし火炎弾は一撃でその防御魔法を破壊、勢いすら落ちずにそのまま女性へ直撃した。それを皮切りに次々に着弾する火炎弾。熱と爆発が女性の体力を限界まで削り取っていく。
「ァァァ!!」
まるでゴミのように転がる女性。全身がボロボロになり、少し前まで見せていた動きのキレは完全に無くなっていた。
そんな女性に対し、シャルハートは一言だけ。
「魔族の端くれとして、もう少し抵抗して欲しいところだな」
残念そうに言いながら、シャルハートは女性が着用している仮面へ視線が移っていた。
先程から気になっていたあの仮面。ただの素顔隠しではないのは分かっていたが、どういう理由で身に着けているのかが分からなかったのだ。
しかし、先程の攻防と仮面を間近で見たことで、彼女は完全に理解した。
結論から言おう。
これは彼女の意志で戦っているわけではない。
(精神魔法『狂化』。対象者の感情へ大きく干渉し、加虐心や敵対心を増幅させる効果があったはず。……揺れ幅はあるけど、温厚で慈悲深き聖者ですら殺戮を崇拝する残忍な狂戦士に仕立て上げてしまう唾棄すべき魔法だ)
そんな魔法があの仮面に掛かっている。それも相当高度な技術を以て織り込まれていた。
あのレベルならば着用しただけで魔法が発動。仮面に込められた魔力が尽きるまではずっとあの状態になってしまうだろう。
「ミラを――ミラ達を傷つけたことは許さない。だけど、それ以上に許せないことも出てきた」
仮面の女性の足元から無数の鎖が飛び出した。抵抗する間もなく、鎖は全身を絡め取り、行動不能状態にまで持ち込んだ。シャルハートによる、少し本腰を入れた『拘束』である。
「何をしようとしているのかは分からないけど、誰かをそんな風にして、何かをさせようという奴がいるという事実に私は腹が立つ」
シャルハートの手に魔力が凝縮し、やがてそれは剣となった。仮面の女性へ近づく間に彼女は『魔力剣身』にもうひと工夫を加える。直後、魔力剣に稲妻が迸る。
「こんなガラクタ相手に大げさな話かもしれないけど、念には念を入れないとね」
魔力剣を構え、そして一息に腕を伸ばした。
切っ先は寸分の狂いもなく、女性の仮面へと向かい、そして触れた。
すると、仮面が破壊されまいと一瞬だけ抵抗を見せた。
やはり破壊に関するある程度のカウンターが施されていた。シャルハートの読み通りである。下手に物理的に壊そうとすれば仮面自身の魔力による反撃が待っていた。
だからこそシャルハートは純粋に己が得意とする破壊の魔法でケリをつけることにしたのだ。
「そんな抵抗じゃあ私の『魔法解除』は防げない」
これがシャルハートが先程行った“工夫”。『魔力剣身』に魔法効果を解除する効果を持つ魔法を重ねがけすることによって、今この剣は触れた魔法を解除するある意味無敵の剣と化した。
仮面はひび割れる間もなく真っ二つに割れ、地面に落ちていく。落下の途中で形が崩れていき、やがて仮面は霧散していった。これで完全に『狂化』は解除されたであろう。
「決着だ」
拘束を解き、女性を自由にしたシャルハートは周囲を見回す。
「シャルハート……さん」
ミラと目が合った。彼女の顔色はすっかり良くなっており、さっき重傷を受けたとは思えない。ミラを皮切りに、他の皆が次々に意識を取り戻していく。
「ミラ! 気がついた!? 大丈夫!? 痛いところは無い?」
「うん、シャルハートさんが治してくれたんだよね? ありがとうシャルハートさん。やっぱりシャルハートさんはすごいなぁ」
ふにゃっと笑うミラ。その表情を見ることができたシャルハートはようやく少しだけ気を抜くことが出来た。
「…………よかった」
誰にも聞こえないように、小さく呟くシャルハート。
バクバクと鳴っていた心臓の鼓動が収まり、ゆったりとしたリズムを刻み始めた。
「シャルハートさん、これは君が?」
リィファスは色々と状況を推察していた。
シャルハートにそう質問した直後、アリスへ視線を向けると、彼女はこくりと頷いた。
「ええリィファス王子の言う通りです。シャルハートさんが一人で制圧しました」
「うん……やっぱりか。ねえシャルハートさん」
リィファスがシャルハートに近づき、そっと両肩に手を置いた。
「君はどこでそんな力を得たんだい? 僕たちが束になっても勝てなかった相手に対して、そこまで圧倒的に戦えたのは何故なんだい?」
リィファスとシャルハートの視線が交差する。
彼女はすぐに理由を言おうとした。ここまで力を見せたのだから、別に言ってしまっても構わないだろう。
――自分はあの“不道魔王ザーラレイド”の転生体だ。
そう、言えばいいだけだ。それならば誰もが納得する。既に力を見せている。これ以上の説得力はないだろう。
なのに。
「……日々の鍛錬の成果です。お父様からいつも効果的な訓練をつけてもらっていますので」
言えなかった。
言ってしまえば良いのだ。それでこの話はおしまいなのだ。
しかし、そんな中でとある不安がシャルハートの脳裏を過っていた。
(もし言ったら……私は今まで通り、皆と居れるのかな)
ミラが、他の皆が、恐怖に引きつり一歩下がる光景を幻視した。
そうならないかもしれない。心根が優しい皆のことだ。受け入れてくれるかもしれない。
だが、しかし。
もし“そうじゃなかった”ら。
(二十年を経た私は、随分と臆病で卑怯者になったんだな。……これじゃあ本当に“不道魔王”だ)
だが、せめてもの誠意として、リィファスからは一瞬たりとも目を逸らさなかった。




