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第59話 シャルハート、怒る

「ミラさん!!」


 もはや悲鳴に近い叫び声をあげていた。

 無言で倒れ伏すミラ。背中から血が流れているのは分かっているのに、アリスはすぐに動けなかった。それだけ重い蹴りを食らっていたのだ。

 彼女は悔しさで歯噛みした。余りにもあっけない。これほどまでに子供扱いされるとは思わなかった。


 ――自分のことなどどうでもいい。それよりも今はミラだ。


「ミラ……さん」


 息も絶え絶えにミラへ声をかけてみるが、反応がない。遠目からでも分かる裂傷と今も流れ続ける血が彼女の危険を如実に表している。


(出血がひどい。ミラさんを一刻も早く治療しないと命が……)


 だが、事態は既に行き止まりとなっていた。

 他の人間は既に倒され、ミラは生命に関わる重傷。彼女自身負っているダメージはそう軽いものではない。

 そして、女性は再び白銀の剣を振り上げている。立ち上がり、抵抗の意思を見せた瞬間、殺されるのは目に見えている。即座に殺されていないのは一体どういう意図なのかは分からないが、こうして無様に生かされている。


「くそ……」


 アリスは思わず悪態をつく。

 終わりというのはこれほど呆気ないのだろうか。

 勇者の娘として、まだ何もやれていない。何も為せていない。悔しさで視界が滲む。

 不意にシャルハートが気になった。取り込まれた魔力の球体がある方向へ視線を向けようとする。

 謎の魔法に拘束された彼女は一体どうなるのだろうか。まさかこのまま一生あの中にいるのだろうか。

 ミラもだが、彼女も気がかりだ。

 だが、


「――え?」


 魔力の球体にヒビが入っていた。丁度中が見える位置だったので、シャルハートの無事を確認しようとするが、中に誰かいる気配がない。

 そう、誰かいる気配がないのだ。


「ミラ」


 無音の空間に、シャルハートの鈴のような澄み通った声が響く。

 彼女の視線がミラの背中の傷へと注がれていた。血に対して何ら驚いた様子もなく、彼女の傷へ掌を(かざ)す。


「『範囲治癒(エリアヒール)』」


 掌から新緑を思わせる輝きが放たれ、ミラの身体を、そしてアリスを含む他の三人の身体を包み込んだ。


「これは……」


 アリスは己の身体から傷や痛みが引いていくのが明らかに分かった。そして、直ぐに彼女はミラの背中へと視線を移す。

 そして驚愕でその眼を開くことになる。


「傷が一瞬で……!」


 彼女の傷がいつの間にか塞がっており、苦痛に歪んでいた彼女の顔が安らぎの表情に変わっていた。

 それを確認出来たシャルハートはアリスの方へ顔を向ける。その無表情の顔を見て、彼女は体の芯から冷えたような感覚を覚えた。今までコロコロと表情を変えていたのが、嘘のようだ。


「アリスさん、大丈夫?」


「え……ええ。私は大丈夫です。ですが、ミラさんが私を庇って……」


「うん、そうみたいだね。やっぱりミラは優しい子だ。それにアリスさんも」


「私、ですか……? いいえ、私に力がなかったから皆を……」


 ふるふると首を横に振ると、シャルハートは一瞬だけ表情が柔らかくなった。


「やっぱり優しい人ですよ。ミラのことで、そんなに悔しそうにしてくれているじゃないですか」


 シャルハートが人差し指を向けた。指し示す先はアリスの両拳だ。

 アリスはそこでようやく自分の両拳から出血していることに気づいた。力を込めて拳を握りしめていたという認識すらなかった。


「アリスさんは悪くありませんよ。自分を責めないでください」


「っ! シャルハートさん!」


 仮面の女性が跳躍し、白銀の剣を水平に構えていた。薙ぎ払いを繰り出すことは明確。

 シャルハートはゆっくりと振り向いた。

 そして、


「――!!?」


 彼女の拳が仮面の女性の顔面に突き刺さる!

 一瞬時間が止まったような瞬間の後、まるで弾丸を思わせる勢いと速度で仮面の女性が吹き飛んだ! 地面に掠りすらせず、女性は直進、やがて壁に直撃! 衝撃音と砕かれた破片と煙がその周囲に充満する!


「なっ……!」


 アリスの口から思わず声が漏れた。目の前で起きた光景の非現実ぶりに、脳の処理が追いつかない。

 そんな注目の対象となるシャルハートは動じていなかった。これが当たり前だと、普通なのだと、そう言いたいようにゆっくりと彼女は歩を進める。


「私には初めてこの両手で抱きしめられたものがあるんだ。昔、一瞬だけこの手で掴めたんだけど、すり抜けてしまったものがね」


 煙が晴れ、女性の姿が確認できた。よろめき、剣を杖にして立ち上がっていた。

 ダメージで口もきけないのだろうか、返事が返ってこない。そんな中でも、シャルハートは続ける。


「だからさ、私は今すごく怒っているよ。ようやくの思いで得られた友達がここまでやられたことにさ」


 シャルハートを中心に風が吹く。ただの風? 否、魔力と怒気と闘気に満ちた戦慄の風だ。

 既にアリスは動けなかった。生存本能がけたたましく警鐘を鳴らしているのだ。

 下手に動いたり、加勢をしたりすれば巻き込まれる。確信に近いものがあった。


「ゥゥゥゥ!!」


 剣を構え直し、女性が跳躍のために一瞬だけ姿勢を低くした。

 その時だった。

 女性が跳躍したのとほぼ同時、シャルハートが魔力弾を放ち、再び彼女を地面に叩きつけた!

 何たる早業。完全に挙動を読み切っているとしか言えない攻撃のタイミングであった。

 既にこの場の空気はシャルハートが掌握していた。


「喚くな。そして(あがな)ってもらおうか。軽率に私の手の届く者達を傷つけたことに対して」


 彼女の紺碧の瞳からハイライトが消失していた。

 これはザーラレイド時代の特徴の一つ。なぜこんな特徴まで引き継いでいるのかは分からないが、昔からそうだった。激しい感情を抱いた時に、彼女(彼)の瞳から光が消えるのだ。

 この時点で仮面の女性はシャルハートを最大級の驚異と認識。既に周りの有象無象は目に入っていなかった。白銀の剣へ再び魔力を込め、彼女は動きを読ませない足捌きで距離を詰めていく。


「――教育してやりましょう。このシャルハート・グリルラーズが、越えられない壁があるのだということを」


 対するシャルハート、ゆったりと前進を開始する。

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