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第55話 迷宮の奥にいた者は

 チュリア迷宮のとある場所に何者かが居た。

 埃や土まみれになった服を着たセミロングの黒髪の女性、ということまでしか分からない。鳥の(くちばし)を模した仮面で顔を隠していたためだ。

 ただ分かるのはその口元が苦悶の表情を浮かべていることだけ。


「ゥゥゥゥゥウ……!」


 四肢を鎖で縛られ、更にその上から魔力的拘束も施されている。さながら人外の化け物への対処。それが人間に対して行われていたのだ。

 女性は歯が折れそうになるほど噛み締めている。迂闊に触れれば、相手の喉笛を噛みちぎらんばかりの凄みが彼女から放たれていた。まるで獣である。


「ァァァァ!」


 女性の身体から光が迸る。これはただの光ではない。彼女の身体に溜め込まれている余剰魔力が解き放たれたのだ。そうでもしなければ彼女は狂気に取り憑かれてしまうだろう。

 解き放たれた魔力が側に刺さっている剣を共鳴させる。彼女の魔力を受けた剣は白銀の光に包まれた。見る者全てを虜にする荘厳な輝きがそこにはあった。


「ハァァ……ァァァ……!」


 女性の呻き声が空間に溶けていく。



 ◆ ◆ ◆



「こいつは……」


 シャルハートが不意に立ち止まる。いつもの余裕たっぷりの表情ではなく、真剣そのもの。右手には自然と魔力を込めていた。

 その背中を見ていたサレーナも眼を細めていた。

 たった今、魔力の波を感じた。一瞬、しかし濃密。今までに出会ったこともないタイプの魔力である。

 その答え合わせも兼ね、シャルハートの耳元に口を寄せる。


「シャルハート……何、今の? すごい魔力だった」


「サレーナも気づいた? 私ほどではないけど、強い魔力だった」


「あれは分かる。そして、あそこの二人も多分気づいた」


 サレーナが指差したのは剣の柄に手をやるアリスと、辺りを見回すエルレイだった。二人共、表情を険しくさせていた。

 特にエルレイ。まるで猫が毛を逆立てるように興奮している。


「ミラさん!?」


 リィファスの声がする方を向くと、ミラが彼に支えられていた。顔色が酷く悪い。

 何かの攻撃の可能性を疑ったシャルハートは、索敵をしつつ、即座にミラへ駆け寄る。これがもし何かしらの毒を持つ魔法だったのなら、即刻治癒しなければならない。


「ミラ!? 大丈夫!? ミラ!」


「う……ご、ごめんねシャルハートさん。リィファス様も、支えてもらってごめんなさい」


 ミラの顔色を見てひとまずは緊急を要する状態でなかったことに、シャルハートは安堵した。


「ううん。僕は良いんだ。一体どうしたんだい?」


 ミラは今起きた出来事を振り返る。とは言っても、あまりにも唐突な出来事だったため、彼女は少し思い出すのに時間が掛かってしまった。


「えっと……何か突然、見えない波のような物を浴びたと思ったら急に具合が悪くなっちゃって……」


 波――シャルハートとサレーナは顔を見合わせる。

 つまりミラも感じていたのだ。それならば不調にも察しがつく。至極単純な理由だ。

 代表してシャルハートが説明をする。


「ミラは魔力の感受性が高いんだね。だから、魔力を必要以上に受けすぎてしまったんだよ」


「魔力……そ、そうなの? シャルハートさんがそう言うなら、たぶんそうなんだね……」


「大丈夫? もし駄目そうなら……」


「大丈夫。うん、行かせて欲しい。何だかさっきの魔力を浴びたら余計、行かなきゃなってなったから。“助けて”って言っているように聞こえたんだ」


「助けて……? ねえ、ミラそれはどういうことなの?」


 どういう事か詳しく聞こうとすると、アリスが進軍を促す。


「そろそろ行きましょう皆さん。いつまでもここにいる理由はありません」


 強い語気のアリス。しかし、剣の柄に添える手が落ち着いていない。

 それを緊張と見るか、武者震いと見るか。

 今のアリスへそれを指摘する者は誰もいない。


「アリスさんの言うとおりですね。行きましょう皆さん! けど絶対に油断はしないようにしましょう! 大事ですよ命! 死んだらやり直しなんて出来ないですからね」


 シャルハートは皆に顔を見られないよう、先頭を歩く。


(今回の波動は悪意を以て引き起こされた物ではない。分かっている。それは分かっているんだ。だけど――)


 強い意志を込め、歩む速度を上げた。


(私の友達に怖い思いをさせた報いは受けてもらおうか)


 眼を細め、口元を引き締めていた。その様相はまさに戦場(いくさば)へ向かう一人の戦士。いや、魔王だった。

 研ぎ澄まされていく。進む度に、感覚が。

 通路を進みきった先に何があるのか、シャルハートは不謹慎ながら、ワクワクしていた。



 ◆ ◆ ◆



「灯りが大きい! ようやく着いたのかなアリス!」


「まずは剣を収めなさいエルレイ。何かがいたら勘付かれますよ」


 シャルハート達は扉の前で立ち止まる。鉄製の観音開き。大きく、重く、そして冷たい。重厚な圧力を感じる。

 シャルハートはまず物理的そして魔力的な罠が無いかを確認する。これをしっかり行う事で生存率は大きく変わる。


(定番の飛び出し式の矢だったり、条件式の魔力爆発は無いみたいだね。私、しょっちゅうこれにやられてたんだよなぁ! あはは! ……あれ? 何で私は泣きそうになっているんだろう)


 “不道魔王”の全盛期は毎日のように罠を仕掛けられていた経験がここで生きた。急に涙が溢れそうになったが、強い意志を込め、顔を上げた。


「よし、大丈夫そうだね。開けるよ」


 皆が頷いたのを確認したシャルハートは扉に両手を当て、そのまま一気に押した。

 油の差されていない特有の軋んだ音、そして重苦しい稼働音が辺りに広がる。

 その行く末を見守るアリスは自然と唾を飲み込んでいた。これから何が起こるのか、予想出来ない。

 あの時は勢いで承諾したが、いざ何かが起こる直前になると身構えてしまうのは悪い癖。アリスは自省する。

 なにはともあれ、(さい)は投げられた。

 後は万全を尽くして事に当たるだけ。


「広い……」


 その鉄扉の向こうは新たな部屋だった。

 ちょっとした運動場ぐらいの大きさ。石造りの素材が肌寒さを感じさせる。


「あ……」


 ミラが奥を指差した。

 全員がその先を見ると、誰もがその存在に気づく。


「女性……? いや、それよりもあれは……」


 リィファスが一番に女性に絡みつく鎖と魔力的拘束に気づいた。

 何か尋常じゃない訳があると彼はすぐに想像がついた。

 シャルハートもそれには気づいており、まずは観察しようと決める。

 その時だった。


「ゥゥゥゥゥウ……!」


 拘束されている女性から呻き声が漏れる。

 その瞬間、女性から強烈な魔力が吹き上がった。


「大きい魔力……」


 シャルハートはその魔力を受け、すぐに先程ミラを困らせた魔力だということに気づく。

 理解はした、だが納得は出来ない。


(黒髪は魔族の特徴の一つ。となれば、あの人は魔族と見て間違いない。でも何で人間界のこんな所に魔族がいるんだ……? ここはただの訓練所じゃないのか……?)


 この迷宮の奥に、こんな物々しい封印を施された魔族の女性がいる理由が分からない。そして、ここに至る道があんなに中途半端に封印解除されていた理由も分からない。

 全部が、気に入らない。

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