第六十一話 例えこの身に代えても
イリーナには前世の記憶が有るが故に、種族に対する考え方がこの世界の魔族とは違っていた。
そして、それを間近で見続けてきて両親もまた、少なからずイリーナの影響を受けていると思われる。
敵の象徴とも言える勇者を目の前にしても尚、アンナは感情に左右されず冷静に物事を判断出来ていた。
「憲兵隊は私やダリアさんの娘の実力を確かめに来てたんですよね? だったら、きっとダリアさんの容姿に関係なく、あれこれと難癖を付けて情報を奪おうとしてたんじゃないかしら?」
「し、しかし」
「それに、その人族の勇者は子供達が傷付けられるのが我慢できなくて出てきたんじゃないんですか? もし、私達の事を憎い敵だとしか思っていないなら、魔族の子供がどんな扱いを受けたって関係ない筈でしょ?」
「…………」
「無視して隠れ続けていれば魔族同士が争い、自分は手を下さなくても敵の数が減ってたんですよ、それなのに身に降りかかる危険も気にしないで子供達を救ってくれるような性格なんだもの、きっと話し合いにも応じてくれると思うわ」
一昔前ならば、人族と話し合うなどと言った選択肢は最も愚かであり得ない考えとされていたが、ダリア母娘の存在が街に住む者の考えを変えていた。
容姿や種族、魔力の有無の差異などは、その者の本質と結ぶ絆に比べれば問題にすらならないほど些細な事なのだと……。
しかしアンナの説得でその場の空気は緩んだように思えるが、国家から指令を受けて来た憲兵に危害を加えた事実は変わらない。
一番近い部隊がどこに居るのかは分からないが、連絡が届いた部隊から順に反逆者を討伐しようと街へ進撃してくるのは紛れもない事実である。
いくら考えようと憲兵を傷付けた事実を無かった事には出来ない以上、この先に起こる悲劇に向き合い対処しなければならない。
留守を預かる司祭代理が頭を抱え思案している横で、アンナが口火を切った。
「とにかく現状を正確に把握して、状況に応じた正しい対策を練らない事には一歩も前に進めません、それにはまず勇者さんのお名前と、この街に来た目的を教えてもらえませんか? 私達は無暗にあなたを断罪したり、無益な争いをする気などはありませんから」
「それは理解したが、その前に一つだけ確認させてもらえないか?」
「何を……でしょうか?」
「先ほどのあなた方の会話でそちらの女性の娘がアリフィアと言う名である事は分かった……ならば、あなたの娘の名はイリーナ・カレリナではないのか?」
「ど、どうして娘の名前を知ってるんです!」
「やはりそうか……」
レオニードはこの街がイリーナの生まれ故郷だと分かった時点で早々に家族と会って話がしたいと考えていたが、これほど早く機会が訪れるとは考えていなかった。
この好機を無駄にせず相手の信頼を得る為に、レオニードは鞘に納めた剣を司祭代理の前に差し出した。
剣を差し出す手に敵意が無い事を感じた司祭代理は、恐る恐る震える手でそれを受け取る。
「俺はこれから真実しか話さないが、もしそれが虚偽の言葉だと思ったなら即座にその剣で俺の首を撥ねてくれて構わない」
「わ、わかりました」
「俺の名はレオニード・ザイチェフ……あなたたち魔族の同胞を数多く切り殺してきた、人族の勇者だ」
『魔族を殺害してきた勇者』……。
その言葉を聞いた者から響きが沸き起こるが、手を上げ阻止するアンナの仕草一つですぐに収まってしまった。
英雄の母であるダリアの立場もそうだが、魔王の生まれ変わりであるイリーナの母と言う存在は、街の中では今や司祭よりも上なのかもしれない。
勇者の剣を抱え委縮する司祭代理に代わり、急遽アンナが質問をする事になった。
「最初にお聞きしたいんですけど、どうして娘の……イリーナの名を知っているんです?」
レオニードは人族の蛮行を知り、嘗て仲間と呼んだ人族を切り捨てた事で裏切り者となった経緯から順を追って話した。
「俺は幼い頃から教えられた正義を疑う事なく人族の兵士になった……魔族を絶滅する事こそが平和に繋がる唯一の道だと信じ、勇者と呼ばれるまで力を付けてきた」
「それは人族だけに限らず、魔族にも言える事だと思います……どちらの種族の兵士も、それぞれの正義をを信じているのですから」
「ははっ、やっぱりあなたはイリーナの母親だな……普通の魔族なら『人族の勝手な理屈を言うな!』って怒鳴り散らす所だぞ」
「それは……怒鳴って否定するだけでは何も変わりませんから」
「そうだな、冷静に聞いてくれるのは助かる……人族も魔族も、皆がこうやって話し合える者ばかりだったら、もっと早く俺も気が付けたかもしれないがな……」
「…………」
「俺は人族の平和だけを願い魔族と戦った……命を奪おうとする者は自らの命を奪われる覚悟を持つべき……そう覚悟を決めて俺は敵兵の命を奪い土地を取り戻してきた……それなのに周りの奴らは……仲間と呼んだ人族の兵士は違ってた!」
見るとレオニードは指先から血が滲むほど拳を握りしめ、肩を震わせていた。
「戦う術を知らない弱者を……明らかに兵士ではないと分かる魔族の女子供を……歪んだ笑みを浮かべながら惨殺する仲間が許せなかった……だから俺はそいつらを殺した……」
「それで人族から裏切り者と呼ばれ旅に?」
「あぁ……未来ある子供から笑顔を奪う奴は悪だ、そこに人族も魔族も関係ない! だが人族の弱者を甚振る魔族も、魔族の弱者を甚振る人族も、俺が行く先々には腐るほど居た! それどころか、この街のように同族の命を奪おうとするクズも大勢居た……この争いは人族対魔族なんて単純な話じゃないんだ……お互いの心に敵対心を植え付けて利用し、自分だけが甘い汁を吸ってる真の極悪人が人族にも魔族にも居るんだ!……俺はそいつらを排除するために旅を続けてきたが、その途中でイリーナに出会ったんだ」
「それでイリーナとは争ったんですか?」
「いや……彼女もあなたと同じで俺の話を真剣に聞いて共感してくれたよ」
「そうですか……あの子が……」
「でも彼女は優しすぎるんだ……身に宿した力に怯え、その力のせいで貴女たち家族に危害が及ぶのを恐れ、その為に子供達に何もしてやれない自分を責めていた」
旅の経緯とイリーナとの出会いを説明したレオニードは改めて姿勢を正し、アンナに対し深々と頭を下げた。
「しかし意図した訳ではないが、俺の行為があなた達を争いに巻き込んでしまった……詫びて済む事ではないのは分かっているが謝罪させてほしい……すまなかった」
「そんな、頭を上げてください! あなたのお陰で多くの子供達が命を落とさずに済んだんですから」
嘘偽りのない彼の言葉は聞く者の心を揺さぶる。
もし仮にレオニードがここに居なかったとしたら……。
人族の容姿をしたしたダリアは憲兵に甚振られ、庇うために抵抗した街の者も大怪我を負い、命の危険に晒されていたのは明白であろう。
勇者の存在の有無に関わらず、今回の出来事で憲兵に逆らうのは避けられない事であり、結果として助けられたのも事実だ。
アンナとイリーナの対話を聞いていた者の頭からはもう、レオニードに対する敵対心も疑念も消えていた。
しかし、魔族と人族の垣根が一つ取り払われただけでは状況は何一つ進展しない。
勇者の協力を得たとしても、それで国家の武力に対抗する手段が増えたとは到底言えなかった。
絶望の二文字に街中が支配される中、レオニードが声を荒げた。
「この街は俺が守る! 例え敵が何百、何千と来ようとも、イリーナの街は俺が命に代えてでも守ってみせる!」
国家の兵士が来るまで何日あるのか分らぬが、レオニードは即座にこの戦いで命を捨てる覚悟を決めたのだった。




