第六十話 人の勇者に守られた街
「今すぐこの汚らわしい人族を処刑しろ!」
隊長の指示で十名ほどの憲兵がダリアを捕えようと近づくが、司祭代理を始めとする教会関係者が壁を作るように並び阻止をする。
「我々憲兵に逆らう気か! 反逆罪で捕縛するぞ!」
隊長の脅しに少しも怯む事なく、街に住む者は結束して壁を厚くする。
「ダリアさん母娘は立派な魔族じゃ! アリフィアは儂の孫を野獣から救ってくれた英雄なんじゃ!」
「悪い大人め! ダリアおばちゃんを虐めるな!」
壁を作り進行を阻止するだけでなく、年老いた者も幼い者も関係なくダリアの前に立ちはだかり憲兵への投石を始めた。
見下していた者からの意外な行動に激怒した隊長が部下に最悪の命令を下す。
「鬱陶しい奴らだ! 構わんから全員殺してしまえ!」
憲兵達は隊長の言葉に嬉々とした表情を浮かべる。
『国家反逆罪』……身勝手で一方的な罪名ではあるが、それは大義名分を得たと思い込む愚者の引き金を引くには十分な言葉だった。
百名は居るであろう憲兵全員が詠唱を始め、壁を作る者たちを目標にし攻撃を加える。
人族の兵士との戦闘では役に立たない憲兵でも、相手が戦闘力のない平民ならば何の問題もなかった。
戸惑い、逃げ惑う者を一方的に痛めつける地獄がダリアの眼前に広がる。
「止めてください! 私はおとなしく投降しますから!」
ダリアの必死の叫びも憲兵の耳には届かない。
彼等の頭の中では最早彼女を捕縛する事などは二の次になっているのであろう。
弱者を甚振る憲兵の顔は愉悦の為か醜く歪んでいる。
「ダリアおばちゃん怖いよ~!」
「痛いよ~熱いよ~!」
近くに居た幼子達が恐怖から逃れようとダリアにしがみ付いてくる。
その様子を見た隊長が絶好の機会だとばかりに攻撃を仕掛けた。
炎の魔術を放つための詠唱を終え巨大な火球がダリアに向かったその時、物陰から飛び出した男が一閃の光と共に火球を切り裂き消滅させた。
「馬鹿野郎が! 子供に手を出すな!」
ダリアを断罪する為に詭弁を弄する憲兵のやり口は気に入らないが、今ここで人族であるレオニードが姿を現せば事態は収集が付かないほどに悪くなるのは明らかだ。
しかし彼は目の前で子供が傷つけられようとしている現状を見過ごす事が出来なかった。
「なんだこの人族は!」
レオニードの顔を見た隊長は一瞬狼狽えたが、すぐに体制を整え虚勢を張った。
「お前の顔はどこかで見た記憶があるぞ……そうだ! 軍の手配書にあった人族の人相書きの男だ!」
どうやらレオニードは魔族軍の上層部には憎むべき勇者として顔が知れ渡っているようだ。
隊長は全ての疑問が繋がったとばかりに司祭代理へと詰め寄った。
「なるほどな……まさかこれ程の罪人を隠していたとは」
「な、何を仰ってるのか存じませんが、私達はこの人族など知りません!」
「まだ白を切るのか? 噂の真偽を調べるだけの仕事だと思ってたが、国家に反旗を翻す愚か者を摘発できるとはな」
「違います! 私達はそんな恐ろしい考えなどは持っておりません!」
司祭代理が必死に言い訳をするが、憲兵達は誰一人として聞く耳を持たない。
「お前らが好き勝手に戯言をほざくのはいいが、俺は愚かな奴らを根絶やしにする為に勝手にこの街に潜伏してただけだ! 街の魔族とは一切関係ない!」
レオニードは街の魔族に被害が及ばぬよう自分とは無関係である事を主張したが、隊長は何一つ聞き入れるつもりは無いらしい。
国家転覆を目論む大罪人を捉え、上手くいけば敵の中でも主力と言える勇者を亡き者に出来る機会が目の前に転がり込んできた……。
親の命令に従うだけの馬鹿々々しい任務が一転して出世への足掛かりとなったのだ、もはや憲兵達の思考は己にとって都合の良い筋書き以外は認めなくなっていた。
「貴様らは関係ないだと? そんな屁理屈が通るものか! 街の連中は魔王の復活を隠れ蓑にしながら人族と手を組み、同胞である魔族を裏切り、殺害し、国全体を乗っ取るつもりであったのだろ!」
根拠のない疑いを掛ける隊長の言葉に、レオニードの表情が一変する。
「同胞だと? 今同胞である魔族って言ったのか?」
「はぁ? 言ったら何だ」
「ならばどうしてその同胞に攻撃をした! 裏切りを大罪と考えるくらい同胞を大切に思うなら、どうして魔族の子供たちを殺そうとした! 答えてみろ!」
顔を紅潮させ声を張り上げるレオニードとは対照的に、隊長は歪めた笑みを浮かべていた。
「いいかよく聞け! 同胞とは我々のような国家を動かす選ばれた存在の事を言うんだ……こいつら底辺の魔族は同胞ではなく、国に役立つ時まで生かされてるだけの只の『駒』だ!」
耳を疑いたくなる言葉が放たれた途端、隊長の右膝から下は切り刻まれ原型を失った。
レオニードは地面に転がる隊長の首元に剣を突きつけ再度質問を繰り返す。
「よく聞こえなかったからもう一度答えろ……どうして子供を殺そうとした」
剣筋も見えず、痛みを感じるまで何をされたかも分からない隊長は呻き声以外出す事が出来ない。
周りで見ていた憲兵達もレオニードの動きは捉えられず、助けに行く事はおろか、その場を一歩も動けないでいる。
「答えろと言ってるんだ!」
隊長は両の腕を切り落とされ、初めて自分の身に死が迫っている事を実感したが、もう命乞いの言葉はおろ、呻き声一つあげる事が出来ない状態となっている。
「た、たた、隊長をすす、救え!」
一名の兵が声を荒げると他の者も我に返ったかのように詠唱を始めたが、どの憲兵も詠唱を終える事無く次々と切り倒されていく。
また仮に詠唱を終え魔術が発動する者がいても、レオニードの剣劇により全てが跳ね返され無かった事にされていく。
ここに至って憲兵は初めて、人族の勇者とはどんな存在なのかを思い知るのだった。
「た、頼むから助けてくれ!」
弱者の命は弄び強者には媚びる……卑怯者が助けを乞おうとも、そんな言葉はレオニードの耳には届かない。
だが、まだ動ける兵の数が十名を切った時、切り倒した筈の男から無数の光が上空に延び四散した。
「今のは何だ! 一体何をした!」
「ははっ……これで貴様もこの街も終わりだ……」
レオニードは倒れている兵士に剣を向け四散した光が何なのかを問い詰めたが、男は呪いとも思える言葉を最後に気を失った。
その姿を見た残りの兵も覚悟を決めたのか、最後の気力を振り絞り魔術を駆使してくる。
しかし勇者と一兵卒では力の差がありすぎる為に戦いにすらならない。
たいした時間を必要とせず、百名の憲兵は戦闘不能に陥った。
「もう駄目だ……国家に連絡が届いてしまったらもう……」
傍でレオニードの戦いを見ていた司祭代理が膝を落として呟いた。
彼には憲兵が最後に放った光が何であるのかが分かっているようだ。
レオニードは彼が落ち着くのを待ち説明を求める。
「あれは憲兵隊だけが従える事を許された霊獣です……」
査察の任務が主な憲兵隊にとって情報は重要な戦力となる。
その為に守秘と伝達に重きを置き、その手段も特別に与えられているのだと言う。
電波や電気のない世界においての霊獣とは、レオニードの知る伝書鳩と同じ働きをする生き物なのだが、その移動速度は伝書鳩とは桁違いであると思われる。
今回放たれた光の数から考えると、その情報の届け先は国土全域に散らばっている憲兵隊や正規兵……そして内容は人族の勇者の出現と、勇者に協力し魔族を裏切った街の存在であろう。
「どうして……どうして貴方のような存在がこの街に居るのですか……魔族を滅ぼしたいほど憎んでいるなら、どうして魔族の子供を庇うような言動をしたのです……そのせいで私達の街は裏切り者の刻印を押され、国家から敵視される事になってしまったではないですか」
司祭代理の嘆きにレオニードは言い返す事が出来なかった。
「それは違うんじゃないかしら」
司祭代理の声に釣られ、その場に居た者全員がレオニードに原因の全てを押し付ける流れになっていたが、一名の女性が放った一言で殺気立った空気が霧散する。
彼女の名はアンナ・カレニナ。
街の者から魔王の生まれ変わりとして崇められているイリーナの母親であった。




