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第五十八話 彼女の街へ歩を進める

 イリーナが憲兵隊と争っている時間軸よりも少しだけ時を遡るが、彼女の故郷付近の森には獣の多く住む地を単独で進む男の姿があった。

 彼の名はレオニード・ザイチェフ。

 かつては人族に唯一無二と称される実力を認められ勇者の称号を得るまでに至ったが、今は裏切り者の烙印を押され、人族と魔族、その両種族から敵視される存在となってしまった人物だ。

 彼はイリーナと別れた後も、種族の壁を越えた戦いを繰り返しながらこの地へと赴いたらしい。

 狩った獣の肉を食し、澱んだ水を(すす)る生活にも慣れたが、それでもやはり街で食べる食事への欲望は捨てきれないでいる。


「あ~あ……久しぶりに旨い物でも食いたいな」


 保存用の干し肉を口に含みながら、レオニードは不満の声をあげていた。

 その時、森の奥から女性の悲鳴が聞こえて来る。


「誰かが獣にでも襲われてるのか?」


 急いで声のする方向へ走っていくと、そこには人族の女性が一人、数十頭の獣に囲まれ成す術も無く立ち尽くしている姿があった。

 レオニードは迷う事無く女性の前に飛び出し獣と対峙する。


「安心しろ! この程度の数なら何の問題もない!」


 レオニードが背負った剣を抜くと、一瞬にして対峙していた獣のうち五頭の首が地に落ちた。

 襲われていた女性に理解する時間も与えぬまま、残りの獣も次々と地に伏していく。

 全ての獣を討伐し、レオニードは改めてそこに居る女性に視線を送った。

 

(なぜこんな場所に人族が……この辺りに人族の村があるなどと聞いた事は無いが……)


 腰まである金色の髪を(なびか)せ、涙に潤む碧眼を向けてくるその姿はどう見ても人族としか思えない。

 仮に彼女が旅の途中であったなら、女性が一人で行動していると言うのもおかしいが、そもそも彼女の服装は長期間の旅に適した物には見えない。


「傷を負わされたようだが大丈夫か?」

「ひ……人族がどうしてここに……」


 心配して声を掛けるレオニードに対し、怯えて呟く彼女の態度からは違和感が溢れている。

 なぜ人族である彼女が獣を退けた同族に怯えた目を向けてくるのか。

 彼には色々と聞きたい事はあったが、まずは彼女を安心させるのが先決だと考えた。


「俺はレオニード・ザイチェフ、旅の途中でたまたま貴女(あなた)の悲鳴が聞こえたから来たんだが、もう周りには獣の気配は一切無いし安心していいぞ」

「あ、ありがとうございます……私はダリア・クラスノヴァと申します……」

「そうか、ところでダリアさんはどうしてこんな森の中に居たんだ? この辺りは凶暴な獣が多く生息していて、女性が一人で訪れるような場所では無いと思うんだが」

「それは……家にある薬草の在庫が減ってきたので……それにここには何度も来た事がありましたから……」


 旅や冒険ではなく薬草を取りに来たのが本当の理由ならば、彼女の住居はこの近くにあると言う事になる。

 しかし先程も考えたように人族の村や街はこの近くには無く、むしろ一番近い街は魔族が支配していたと、レオニードはそう記憶していた。

 徒歩でこの森に来たのなら、彼女は魔族の街で暮らしていると言うのか?

 ならば奴隷や捕虜として薬草の採取を命じられた可能性があるのでは?

 しかしそれならば拘束する物を一切身に着けず、監視も付けず一人で行動しているなど有り得ない事だし、なにより人族でありながら同族であるレオニードを恐れる理由の説明がつかない。

 

「痛っ……」


 彼女の声で物思いにふけるレオニードは我に返った。

 見ると手足に負った多くの傷の中でも、特に左足首の傷が酷く服が鮮血に染まっている。

 レオニードが助けに来る以前に獣に付けられたであろう傷が痛々しい。

 手当をしたいと思うが、いま手元にある物では止血くらいしか出来ない。

 レオニードは彼女の肩を支え、家のある場所まで送ろうと考えた。


「だ、大丈夫です! 私は一人で帰れますので!」

「怪我人を放っておける訳ないだろ? それにその足でどうやって足場の悪い森を抜ける気なんだ」


 相変わらず警戒心を向けてくる彼女の態度は気になるが、だからと言って怪我人を森に放置する選択肢などは有り得ない。

 レオニードは拒否の言葉を無視して彼女を抱き上げた。


「分かりました! 分かりましたから、せめて顔をマントか何かで隠して下さい! 街は人族を恐れる子供が多く居ますので」

「俺を恐れる?」


 その街は警戒心が強く余所者を受け入れない風潮でもあるのだろうか?

 レオニードには彼女が必死に訴える真意が分からなかったが、顔を隠す程度の事で落ち着きを取り戻すのであれば……そう思いフードを深く被り直す事にした。


「それじゃあ案内をしてくれ」


 鍛えられたレオニードの身体は二人分の荷物を軽々と背負い、その上で彼女を抱える事に何の負担も感じていない様子だった。

 彼女の指示で歩を進めていくと、眼前に大きな防御柵が見えてきた。


「森の奥にある街にしては大きい方だな、ここで間違いないか?」

「はい……」


 彼女は間違いないと頷くが、柵の入り口と思われる場所に立っている門番の姿はどう見ても魔族としか思えない。

 彼女を抱えるレオニードの肩に力が入る。


「ここは魔族の街じゃないか……俺を騙したのか」

「違います! 本当に私はここに住んでいるんです」


 何らかの理由で魔族の街に隠れ住んでいるのであれば、子供が人族を恐れるからとレオニードの顔を隠させた事も納得できるが、彼女自身は人族である容姿を隠す気配さえ無い。

 何一つ疑問が解決しないままその場に立ち止まっていたが、暫くすると見張りの門番に発見されてしまった。

 レオニードに抱えられた彼女の姿に異変を感じたのか、門番と数名の魔族が二人の元へと駆け寄ってくる。

 このまま戦闘になってしまうのか……もしそうだとしても彼女だけは守らねば。

 そう決意を固めたレオニードの耳に意外な言葉が飛び込んできた。


「どうしたんですかダリアさん! 何があったんです?」

「実は森に薬草を取りに行ったんですけど、そこで獣に襲われてしまって」

「獣ですか! 早く警備隊に知らせて駆逐しないと!」

「それは大丈夫ですよ、こちらのレオニードさんが助けて下さって、その時に獣の討伐もして下さいましたから」

「本当ですか? それは何とお礼を申してよいのやら」


 会話の内容からも彼女が魔族から虐げられている感じは受けとれず、心配する言葉や態度も演技や嘘とは思えない。


「それより酷い怪我をしてるじゃないですか、早くお医者様の所に行かないと!」


 緊急事態の特例として、レオニードは詳しい尋問などを受ける事無く街の中へと通された。

 その後は診療所の場所を聞き彼女を抱えたまま向かうのだが、その姿を見た者の多くが心配して付いてくる。


「ダリアおばさん大丈夫? 痛くない?」

「誰か先に行って先生に知らせておくんじゃ!」

「私たちは着替えを持っていくから、気をしっかり持つのよ」


 老若男女問わず心配をする声が止まない。

 人族である筈の彼女は、魔族の街にとって重要な立場にいる人物なのだろうか?

 診療所での治療が始まり、レオニードは集まった魔族の何名かに声を掛けてみたが、そこで意外な事実を知る事となる。


「彼女は多くの者から人気があるようだが、何か特別な存在なのか?」

「あぁ、彼女はこの街を救った英雄アリフィアの母君(ははぎみ)なのさ」

「魔族の英雄だって? しかし……その……彼女の容姿は……」

「ここへ来るのは初めてなのか? あんたがどんな疑問を持ったかは想像できるが、それはこの街では禁句だから気を付けなよ」


 かつて彼女たち母娘(おやこ)は、人族にしか見えない容姿のせいで街中から差別を受けていたらしい。

 その為に、角も触覚もない頭を布で覆い隠し、薄橙(うすだいだい)で弱々しい色の肌を炭や泥で汚して忍んでいたのだと言う。

 しかしある日を境に……。

 そう、猛り狂った獣の襲撃に会い、壊滅の危機にあった街を救った英雄が現れた日を境に、多くの者が後悔の念に捉われ、己の愚行を恥じ、心を入れ替えた。

 それ以来、彼女は魔族の英雄の母として街中から慕われているようだ。


(それにしてもアリフィア英雄アリフィアか……どこかで聞いた名だな)


「魔王様の生まれ変わりとも言えるイリーナさんと、共に戦うアリフィアさんは私達の憧れだものね」

「その英雄のお母さんだもの、きっと凄く優しくて強いお母さんなんだよ」

「そうそう、教会で教えてくれる歴史も前とは違ってきたもんな」


 レオニードの質問に我先にと話したがる者に混じり、集まった子供たちも各々が自らの意見を言い合っていたが、その中に『イリーナ』の名前が出てきた事を彼は聞き逃さなかった。


(そうかイリーナだ……彼女との会話に何度か出てきた……あの時、子供達を抱えて走っていった少女の名がアリフィアだ)


 レオニードは、意図せずイリーナ達の故郷の街に足を踏み入れていた事を理解した。

 

 


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