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第五十七話 後悔しても時既に遅し

「村に被害が及ぶ恐れがあるから全員外に出るように」

 

 ボリスの号令でイリーナと憲兵達は壁の外へと移動した。

 イリーナの後ろには訓練生や見習い兵が並び、監視塔や壁の上では多くの村人が見守っている。

 開始の笛が鳴るとすぐにイリーナは振り返り、村人に向かって手を振り始めた。


「みんなの所には攻撃が行かないようにするから安心してね~」


 イリーナの言動に村人からは歓喜の声が上がる。

 対する憲兵達はまだ怒りが治まらない様子であった。


「隊長、奴らは何を考えてるんでしょう?」

「分らんが、あいつ等から提案してきた事だ、何も気にする必要は無い!」

「まぁ少し痛い目に合えば泣いて謝ってくるだろ」


 人族の弱者ばかりを相手に選んでいた者は、魔術にもその性格がよく表れている。

 放たれた水の刃や土の礫は全て、手足の先端など命に別条のない個所を正確に狙ってくる。

 だが、これは決して相手が死なぬようにとの思いやりや手加減などではない。

 長時間痛みを味わわせ、苦しむ姿を眺めると言う下卑た娯楽の為である。


「死んでも恨むなよ!」


 まずは五名の憲兵が先制を仕掛けた。

 詠唱を始めても村人の方を向いたままのイリーナに容赦なく攻撃魔術が浴びせられる。

 大量の砂煙が上がり、一瞬にして勝敗が決まったかのように思えたが、暫く経つとそこには何事もなかったかのように手を振り続けるイリーナの姿があった。

 現状が理解出来ずに再度魔術を放つ五名だったが、結果は先程と少しも変わらない。

 魔術は確実にイリーナへと到達し破壊音も衝撃も伝わってくるのに、相も変わらずイリーナは村人と対峙したままである。


「ふざけるな! 手加減でもしてるのか!」


 怒りを(あら)わにする隊長の声と共に、今度は我先にと五十名の憲兵が詠唱を始めた。

 複数の攻撃魔術が重なり村人の前で地獄絵図が展開される。

 大地が抉られ、大気が熱を帯び、生き物全ての生命(いのち)を消し去ったと思われる場所の中心にその姿はあった。

 

「ボリス教官、憲兵さん達はまだ試合を始めないんでしょうか?」


 拍子抜けするような声色でボリスに問いかけるイリーナの姿に憲兵達は違和感を覚えた。

 五十名の魔術による亀裂や炎上の跡は広範囲に渡り、イリーナを中心に深く確実に刻まれている。

 しかしよく見るとその全ての跡が訓練生や村人の手前で途切れていた。

 まるで見えない何かで遮られてるかのように……。


「ふざけるなふざけるなふざけるな!」


 必死の形相で有りっ丈の魔術を放つ隊長を筆頭に、憲兵百名による総攻撃が始まった。

 大地が裂け、砕け、溶解し。

 大気は震え、重みを増す。

 だがその何れの攻撃もイリーナには届かない。


「あれ~? もしかして私が挨拶をしてる間は待っててくれたんですか? もう始めてくれても良かったのに~」


 あれだけの攻撃をそよ風か何かとでも思ってるのか。

 憲兵の立つ方向へと振り返り笑う姿は理解の範疇を超えていた。

 何が起きてるんだ……。

 俺達は今何を相手にしている……。

 隊長の思考は最早正常には働かず迷走を繰り返している。


「早く始めないとこっちから攻撃しちゃいますよ~」


 その後も百名による総攻撃は続いたが、イリーナに掠り傷一つ負わせる事の無いまま、次第に憲兵達の魔力量が尽きてくる。

 これほどの実力差を予想できた者が憲兵の中に居ただろうか……突き付けられた現実に信念の揺らぐ者が続出した。

 

「ふふふっ、弱い者虐めは楽しいですよね~……でも、あなた達は強者なんかじゃなくて、本当は虐められる側だって知らなかったんですか?」


 イリーナは敢て憲兵達の心を折る言葉を選んだが、その効果は絶大だった。

 今から人族に行ってきた蛮行の全てが我が身に降りかかってくる。

 それは想像しただけで発狂しそうな恐怖を憲兵の心に突き付けてきた。


「今から同じ事をしてあげるから、あなた達が人族の子供にやった事をよ~く思い出してね」

「ふざけるな! あれのどこが悪い事なんだ! 俺達は魔族の為にやって来たんだぞ!」


 この期に及んで隊長はまだ自分の行った行為の愚かさを自覚してはいない。

 国家の中枢部に属してる者は英才教育と称し、幼い頃から歪められた魔王の教えを刷り込まれ、地方の都市に住む魔族以上に洗脳されているのかもしれない。

 この憲兵達も心の底から人族を虐げる事が魔王の教えだと信じているのだろう。

 人族には何をしても許される……むしろ人族を苦しめる事こそが、何よりも率先してやるべき魔王への信仰心の現れなのだと。

 だからこそ残虐な行為に対し、抵抗ではなく愉悦を感じているのだ。


「魔族の為ですって? 魔王様は苦しむ魔族を救う術は教えて下さったけど、その力を使って戦う意思の無い弱者を甚振れとは言ってないでしょ!」

「何を馬鹿な事を、魔族の前には人族の存在などゴミに等しいわ! そのゴミを魔族の優越感を倍増させる為に役立ててやったんだ、もしも魔王がここに居たら称賛するに決まってるだろうが!」

「ふざけた事言わないで!」


 それまで黙って攻撃を受けるだけだったイリーナが初めて反撃に出た。

 手指の魔術を発動させると、その場に居た百名の憲兵全員が地面へと伏せ始めた。

 まるで彼らに掛かる重力だけが強くなり、体重が何倍にも増したかのように立っていられず、突っ伏してなお地面へと()()んでいく。

 

「俺達は悪くない! おい、ボリス教官! お前も誇りある魔族の兵士なら分かるだろ! 人族は全滅させられて当然の存在なんだ! 同じ殺すなら楽しんだって構わないだろうが!」


 人族を惨殺する事は間違っていないと、そう兵士であるボリスに認めさせる事で隊長は自分の正当性を主張しようと必死だった。

 

「はぁ? イリーナが違うって言ってるんだ、お前の考えは間違ってるに決まってるだろ」


 ボリスは先ほど敵意を見せていた時以上の侮蔑を込めて隊長を見下している。

 同じように後ろで見ている訓練生からも、壁の上に立つ村人からも、同情や憐みの感情は一切感じられない。

 隊長は観衆の中に教会関係者の姿を見つけ更に声を張り上げる。


「司祭なら俺が正しいって分かる筈だ! お前達も昔からずっとそう子供達に教えて来ただろ!」


 誰でも構わないから肯定してほしい、もはや隊長の願いはその言葉を欲するのみとなっていた。

 だが教会関係者からも蔑みの視線以外は向けられない。


「あなたは何を言ってるんですか、彼女の言葉こそが魔王様の教えなのですよ」


 この司祭の言葉が止めとなった。

 隊長の言葉を肯定する者はこの村には居ない。


(俺はなぜ噂を信じなかった……なぜ魔王と敵対なんてしてしまったんだ……)


 憲兵達はここに来てようやく、自分達が一番選んではいけない答えを選んでしまった事を理解した。

 しかし時既に遅し……イリーナによる長い長い拷問と治癒の地獄は、今始まったばかりなのだから。

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