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第五十五話 殺戮を楽しんだ犯人は

 翌日の朝、ザックと兵士達は村の中を散策する事にした。

 朝食前に小一時間ほど歩いてみたが、昨日感じた村人からの殺気は気のせいだったのではと、そう思わせるほど村は平和な空気で満ちている。


「教官、昨日の村人の態度は何だったんでしょうか」


 先ほどは畑仕事をしている村人に挨拶をしたが普通に返事が返ってきた。

 家屋を修理する者にも、治療院で働く医師にも同じように挨拶をしたが普通の反応が返ってくる。

 どの村人も何かを隠す為に演技をしているようには見えず、これと言った違和感は感じられない。


「教官は何が原因だと思われますか? 村人を怒らせるような事を俺が言ってしまったんでしょうか?」

「何か身に覚えでもあるのか?」

「そうではないですが、それ以外に考えられないので……」


 怒ると一言で言っても、その程度には差がある。

 仲の良い者と喧嘩をして怒る場合もあれば、復讐を誓うほどの怒りもある、だがそのいずれもお互いに接点がある場合に限られてくる。

 ザック達と村人のように初対面の場合、毛嫌いで避ける事はあるかもしれないが明白(あからさま)な殺気を向けられる道理はない。

 村中の空気が変わる直前に話をしていた兵士が、昨日仲間と交わした会話の内容を思い出し原因を探そうとしている。


「確か人族の襲撃は誤報で、ボリス教官が顔見知りのザック教官に悪戯をしてるんじゃないかって」

「そうそう、それで魔王様なんて居る訳がない、信じてる奴は馬鹿だろって」

「それだ!」

 

 兵士の一名が声を荒げて叫んだ。


「ここは魔王信仰の厚い村だったんだよ! だから魔王様を馬鹿にされたと思って」

「そうか?」


 話の途中でザックが首を傾げながら遮ってきた。

 魔族ならば誰もが幼い頃に一度は教会で魔王について習う。

 信仰としてこの世界に広まっているのも魔王の教え一つだけと言っても過言ではない。

 だが、信仰心の厚い薄いの差はあっても、即座に殺意を抱く程の信仰心を持つ者に今まで出会った事があるだろうか。

 極端な話、信仰で利益を得てる教会関係者ですら、一度の中傷では演戯としての怒りは見せても殺意は向けてはこないだろう。


「それよりも俺は殺意が収まった理由の方が気になるんだ」


 ザックは新たな疑問を掲示する。


「あの時はボリスも殺気を放ってただろ、あいつがあれ程怒るのは現役時代でも滅多になかったんだが、そんな強烈な殺気が一瞬にして消えちまったのはどうしてなんだ?」

「確か、イリーナとか呼ばれてた少女が声を掛けてきた直後かと……」


 改めて少女の名を耳にしたザックは、教官にだけ配られている、ある噂に関する資料を思い出した。

 現世に顕現した魔王の名はイリーナ・カレニナだと……。


「まさかな……」


 一概に信じる事は出来ないが、キリルやボリスほど己の力に誇りを持ち、自尊心の強い魔族が只の訓練生に従うなど考えられない。

 ましてや村人全員の心を掌握出来る存在など、魔王の他には有り得ないのではないか。

 心の中で幾ら否定しようとも、辿り着く答えは一つしかない。


「どうしたんですか教官」

「いや、何でもない……」


 仮にイリーナの正体が噂通りであったとしても、村人やキリル達から提示が無い限り、こちらから指摘するべき問題ではない。

 今は分からないが何か重要な理由がある筈だ。

 ならばまだ様子を見るべきだと、ザックは見習い兵に支持を出した。


 それから更に三日後、復興は全て終了し村は日常を取り戻していた。

 そんな中、監視塔の上から警備兵の声と警鐘が鳴り響く。

 イリーナとアリフィアが先陣を切って監視塔に駆け上がると、まだ顔などは判別出来ない距離ではあるが、黒い軍服を着た集団が村に向かって来ているのが分かった。


「百人……くらいかしら? ここからじゃまだ人族かどうかも分からないわね」

「ねぇ、イリーナちゃんの魔術で遠くを見る事って出来ないの?」

「う~ん……ちょっと待ってね」

「出来ちゃうんだ……」


 イリーナは手指の魔術で空気中の水分集め、丸みを帯びた大きな板状の物を幾つも作りだした。


「それで何をするの?」

「これをこうして目の前に並べて~……ほらアリフィア、こっちから見れば分かるわよ」


 イリーナに言われた通り水の板の前に立ったアリフィアは驚きの声を上げた。


「何これ凄い! あんな遠くの風景が大きく見える!」

「ふふ~ん、凄いでしょ~」


 いつの間にか棟に登っていた教官達が、はしゃぐアリフィアの後ろに立っていた。

 ボリス達は交代で水の板を覗き込み感心する。


「ほほぅ、これは人族との戦いでも役に立ちそうだが、ボリスは前から知ってたのか?」

「いや、俺も初めて見たが、これは水属性の適性がある者だったら誰でも出来るのか?」

「う~ん、大きく見える原理を理解してて、お水を精密にかつ滑らかに固定し続けないと駄目だから、私意外だとちょっと難しいかもしれませんね」


 後ろに控えているザックはイリーナ達の会話を静かに聞いている。

 ボリスやキリルは見た事のない未知の原理に何の疑問も抱いていない。

 しかも彼女にしか扱えない魔術の存在を当たり前のように受け入れている。

 やはりイリーナは彼らにとって特別な存在で間違いない。

 ザックの疑惑は確信へと近付いていく。

 

「この姿はどこかの都市の魔族兵士ですよね?」

「いや、この制服は国家所属の正規兵……それも憲兵隊のものだな」

「憲兵隊?」


 イリーナの質問にボリスが答える。

 

「この村やイリーナの生まれた街は俺達の養成所がある中央都市によって統治されているのは知ってるな」

「はい……」


 ボリスの話によれば各地に散らばる街や村、広大な森はボリスが務める中央都市や、ザックの養成所がある南の都市などの統治下に属されている。

 都市の大きさや隣接する都市との距離は多様だが、そんな都市は全部で五十二あり、それらを纏めて統治しているのが『魔族国家』と呼ばれる組織らしい。

 それぞれの都市からは特に優秀な成績を収めた兵士が集められ、国家に所属する軍隊へと配属されるのだが、その中でも憲兵隊と呼ばれる部署に配属されているのが、今目の前に居る兵士達なのだ。


「それで憲兵って、普通の兵士とは違うんですか?」

 

 イリーナの素朴な質問に、ボリスやキリルの顔は苦い表情に変わった。

 彼等にとって憲兵隊とは嫌な存在なのだろうか。


「奴らは人族との戦闘の後で、兵士の功績を調べたり虚偽の報告が無いかを調べるんだよ」

「それって軍や兵士が不正をしていないかを監視する重要な役目ですよね? 憲兵って兵士の上官みたいな感じなんですか?」

「いやいやいや、そんな立派なもんじゃないぞ、奴らは安全な場所から監視してるだけで、人族との死闘なんかには絶対に参加しないくせに、虚偽の報告で功績を横取りしたり、出鱈目な罪を密告して気に入らない奴を投獄したり」

「なんですかそれ! どうしてそんな卑怯者が監視なんて重要な役職に付いてるんですか?」

「簡単な話だ、あいつらの親は国家の幹部連中だからな、俺たちのような一般の兵士じゃ逆らえないんだ」


 ボリスはイリーナに対して絶対に嘘はつかない。

 ならば目の前に居るのが危険から目を背け、見方を陥れる卑怯者だと言うのは真実だ。

 そんな者が危険を犯し、二千人の人族から村を救いに来た等とは到底思えない。

 目的の分からぬ来訪者にイリーナの警戒心は高まる。


「これは聞いた話なんだが……」


 ここに来て初めて後ろで聞いていたザックが話を始めた。


「確か一月半(ひとつきはん)二月(ふたつき)くらい前に、憲兵隊が東の街に監査で来ていたらしいんだ」

「東の街?」


 イリーナは街の場所が分からないらしいので、ボリスが大まかな位置を提示した。


「東の街って言うのはエレオノーラの村から馬車で三日くらの位置にある街で、人族の集落が近くにあるから監視基地的な役割がある重要な場所なんだ……で、憲兵隊が東の街で何をやってたって?」

「そこの教会の司祭に何度か相談された事があるんだが、戦闘経験の無い若い連中が精神的に弱くなってて、人族の村の監視や攻撃をやりたがらないんだとさ」

「はぁ? 甘え切ってるなそいつら」

「だからそんな状況を国家反逆の罪か何かで検挙しに行ったんだろ」

「ふ~ん、それでその検挙と、奴らがここに居るのと何の関係があるんだ?」


 ザックがこの先は自分個人の憶測だと念を押しながら話した。

 

「その後は大きな操作案件も無かったと聞くから、例の噂の真偽を早急に調べろって上から言われたと思うんだ」

「それにしちゃ来るのが遅くないか? 検挙の後に大きな調査が無かったんなら、俺達と同じか、何なら俺達よりも早く到着しててもおかしくないだろ」


 敢て到着を遅らせたのだとしたら、その理由は人族との戦闘に巻き込まれない為だと推測できる。

 仮にボリス達と同じ日に到着していたら、戦闘に参加せず高みの見物を決め込む訳にはいかない。

 そんな事実が発覚でもすれば、今度は自分達が処分の対象となってしまうからだ。

 調査する噂が真実ならば人族は排除されており、いつ訪れても問題ない訳だが、恐らく憲兵達は噂を信じてはいない。

 ではどの時宜で訪れるのが良いのか。

 まず人族の手により村の兵士が惨殺され、次に村人が甚振られながら殺害され、距離による時間差で到着する援軍との交戦を終え、最後に人族が村に残った財産を奪い逃亡する……。

 その全てが完了し我が身の安全が保障され、尚且つ本部から到着が遅すぎたと非難されない時宜……それが今日なのであろう。


「なんだそりゃ? 狡辛(こすから)いにも程があるだろ」


 呆れ果てるボリスの横で、イリーナはあの人族の集落の事を思い出していた。

 ローラの村からの帰り道で見た、無残に弄ばれた人族の村を……。

 

(あの集落が残酷な目に遭ってた時期に、あの憲兵達は近くに居たんだ……)

 

 話はザックの憶測であり証拠がある訳ではない。

 だが、イリーナは胸に沸きあがってくるドス黒い疑惑を抑えられなかった。

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