第五十四話 イリーナを敬愛する村
人族の襲撃があってから二日が経ち、村では破壊された壁や家屋の修復も一通りの目処が立った。
養成所の兵士たちが積極的に支援活動をしている事が早い復興を可能にした要因の一つだが、その陰ではイリーナが自分の考えを中心に皆を纏め上げてる様子が伺える。
イリーナが嫌がるので敢えて言葉にはしないが、村人は魔王様の生まれ変わりである彼女の何気ない言葉に感銘を受け、一つ一つの所作に喜びを見出している。
そんな折、何故か三日目の朝に村の外を多くの魔族が取り囲み、一触即発の緊迫した空気を醸し出していた。
「やけに静かだな」
「あぁ……報告によれば敵の兵は二千人、対する味方の兵士は二百名で合ってたか?」
「先に到着している中央都市の奴らを合わせても、確か敵の半数にも満たなかった筈だ」
「壁の前に大量の血痕と遺体らしき物はあったが……」
「あの状態の物を遺体と呼んでいいのかは分からんが、壁にも大きな破壊の跡は無いし、悲鳴も何も聞こえやしない……おそらくもう……」
「くそっ! あと二日……いや、せめて一日だけでも早く着いてりゃ救えたかもしれないのに!」
村の様子を伺いながら話をしていたのは、中央都市よりも少しだけ離れた場所にある養成所からの援軍だった。
争う気配すらない様子から、村と中央都市の兵士は抵抗らしい抵抗も出来ないまま惨殺されたと、援軍の兵士はそう考えていた。
「兵士や村の男達は殺されてるかもしれないが、女子供はまだ生かされてる可能性がある」
「そうだな……酷い目に遭ってるかもしれんが、すぐに助けてやらないと」
抵抗も許さず圧勝した兵ならば必ず油断をしている筈だ。
ましてや弱い者を甚振っている最中となれば警戒などはしていないだろう。
援軍の中から索敵の魔術に特化した男性が村を探りに行く。
固く閉ざされた門に破壊の跡は無い、今も魔族の復讐を回避する為に内側から丹念に施錠されていると思われる。
男が調査の為に魔術詠唱を始めると、心成しか体の構造が希薄になったように見える。
存在感を消したまま壁を擦り抜け村へ侵入すると、男の目には予想に反する光景が飛び込んできた。
壊れた家屋の修理をしながら汗を流す兵士達。
その横に食べ物や飲み物を広げて笑う女子供たち。
笑顔と労いの気持ちが溢れる村は平和に満ちていた。
「これは……」
男は透過の魔術を解き、近くに居る村人に事情を聴いた。
そこで初めて知る奇跡の数々に男は言葉を失う。
「し、信じられん……」
村人の話では二千人の人族による襲撃は確かにあったと言う。
警備兵の交戦も空しく人族の攻撃で手足を切断され、毒矢を受けた重傷者も多数出たのだと。
だがそれを中央都市から来た二百五十名の援軍が……人族の兵の僅か一割程度の見習い兵が物の数分で殲滅したらしい……。
男は自分一人では判断出来ないと思い、待機している教官と仲間の兵を村へと呼び寄せた。
「そこに居るのはボリスとキリルか? 中央都市からの援軍だと聞いてお前達が来るとは思ってたが無事だったんだな」
「当たり前だザック! このキリル様が人族なんぞにやられる訳がないだろ!」
どうやら援軍を率いるザックと言う名の教官はキリル達の知り合いらしい。
話の内容から察するに、若い頃に人族との対戦で共に死線を潜り抜けてきた仲のようだ。
仲間の無事な姿を見て気が抜けたのか、ザックはその場に座り込んでしまった。
急ぐあまり無理に進軍してきた疲れがここに来て一気に襲ってきたのだろう。
「人族二千人の襲撃だと報告を受けた時はどうなる事かと思ったが、どうやらこの様子だと誤報だったようだな……まぁ、とにかくお前らが無事で良かったよ」
「いや、それは誤報じゃないぞ」
「はぁ?」
「俺達が到着した時には人族の兵が二千人居たし、戦闘もあったからな」
キリルの言葉にザックのみならず、傍で聞いていた援軍の全員が騒めき立った。
とてもではないが信じられる話ではない。
何らかの理由で数千の正規兵の到着が間に合い、キリル達と一緒に村を救った後に踵を返して遠征に戻ったのではと考える者も居た。
「キリル、みんなにも分かるように説明してくれ」
「あぁ……俺とボリスの隊が到着したのは、人族が壁を突破して数刻経った後だったんだ……」
キリルは順を追って話し始めた。
ほんの数刻の差で間に合わず警備兵が負傷した事。
見習い兵の善戦むなしく敗戦し、キリル自身も両足を失った事を。
「ちょっと待て! 両足を失った?」
「そう、数の暴力に負けて無様に両足を切られちまったよ……俺は見習い達を守れず、大勢が腕や足を失った」
目の前に居るキリルには両足が有る。
もちろん後ろに控える見習い兵達の体にも傷のある者は見当たらず、話の辻褄が合わない。
だがザックはキリルの性格をよく知っている。
馬鹿正直で曲がった事が嫌いな彼は決して嘘を付いたり、誇張した話で自分を大きく見せようとするような矮小な男ではない。
「いや、しかし……これは……」
嘘ではないと思っているが素直に信じられる話でもない。
複雑な感情で戸惑う様子のザックにキリルが説明を続ける。
「人族の兵士二千人を数分で殲滅したのも、俺達重傷者の傷を治癒魔術で治したのも、全部ボリスと訓練生がやった事なんだ」
キリルのその言葉はザックと援軍全員の疑問を更に大きくしただけだった。
このままでは何をどう説明しても理解はされないだろう。
ボリスは横から助け舟を出した。
「信じられないのは仕方ないさ、だがこの村が救われたのは疑い様のない事実だ、今はその事実だけを見て判断してくれたらいい」
「そうだな、俺もボリスも嘘は言ってないし、この先ザックも復興の手伝いをしてる内に真実に気付く機会があるだろ」
「機会って今回みたいな襲撃の事か? 俺としては無い事を願うがな」
ボリス達は豪快に笑い合いそれ以上の説明をせず、信じる信じないの選択肢をザック達に託した。
「なぁ、これって壮大な悪戯って事はないよな?」
「ザック教官と話してたキリル教官……だったか? あの教官達が遅れてきた俺達を揶揄って遊んでるだけって言いたいのか?」
「そうとしか思えないだろ、本当に人族が二千人で襲撃して来てたら無事に済む訳ないだろ? そもそも切り落とされた手足を元に戻せる医者なんて居るか?」
キリルやボリスの性格を知らない援軍の兵は信じ切る事が出来ない。
人族の情報は誤報であり、何も知らずに遅れて来た自分たちは揶揄われているだけなんだと、そんな結論に至っていた。
「だいたい常識で考えたら分かる事だろ? 俺達どころか正規の兵士でも十倍の人族を相手に無傷で勝つなんて不可能なんだから」
「だよな、それを俺達より弱い訓練生がって所が、作り話にしても真実味が無いよな」
「そうそう、それに無くした手足を治すって、そんなのもう魔王様じゃなきゃ無理だろ?」
キリルの話が悪戯だと思い込んだ兵士達の揶揄は止まらない。
彼らの会話は歯止めが効かず、事の真偽から魔王への嘲りへと発展してしまう。
かつてのボリスもそうだったように、実力だけの世界で競い合ってきた者は伝承を軽んじる傾向にあるのかもしれない。
「だいたい魔王様なんか居ない居ない、今時小さい頃に聞いたお伽噺を信じてる馬鹿なんて……」
援軍の兵士がその言葉を言い掛けた瞬間、村中の時が止まり凍てついた。
家屋の修理をしていた者はその手を止め。
周りで遊んでいた子供は笑顔を捨て。
談笑していた女達は沈黙の衣を纏った。
「何が起きてるんだ?」
兵士の声が届く範囲に居た者は全員がその視線に殺意を込めている。
普段は温厚な司祭や医師が……。
揉め事など起こさぬであろう年配者や幼子が……。
村に住む魔族が一名の例外もなく兵士を侮蔑の目で見ている。
その中には当然ボリスも含まれていた。
「君たちはザックに訓練を受けてる見習い兵だったかな? 南の都市の養成所がどんな訓練をしてるのか知りたいから俺と模擬戦をしてくれないか?」
一見にこやかに申し出てるように感じるが、その目は笑ってはいない。
殺気を纏うボリスに怯える兵士達の前にザックが割込み阻止する。
「悪いボリス! 俺達は急いで来たから疲れてるんだ、訓練は明日にしてくれないか」
「いや、人族は俺達がどんな状態の時でも襲ってくるからな、疲れ果ててる時だからこそ役に立つ訓練が出来るってもんだぞ」
怯える見習い兵と嬲りたい教官の対立は収拾がつかない。
その場を見かねたイリーナがボリスに歩み寄った。
「ボリス教官、ザック教官達はとても疲れてるようですし、今日はもう宿で休んで頂いた方が良いと思いますよ」
イリーナの一言で村の時が戻った。
家屋の修繕をしていた者も談笑をしていた者も、全てが何事も無かったかのように動き始める。
「そうだな、悪いがイリーナが宿まで案内してやってくれ」
「分かりました」
ボリスがイリーナに指示を出すが、その表情からは先ほどまでの過激な殺気は感じられない。
「さぁ、こちらですよザック教官」
振り返りながら微笑む姿は普通の魔族の少女にしか見えない。
だが何かが違う……。
ザックはイリーナに対し得体のしれない畏怖の念を抱いていた。




