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第五十二話 彼女への信頼こそ正義

 キリルは 見習い兵百五十名を引き連れ村へと突入した。

 視界には手足を失い、矢で体を撃ち抜かれた警備兵の姿が飛び込んでくる。

 だが幸いな事に命を落とした者はまだ居ない……いや、わざと命を落とさぬよう傷付けられているが正しい表現かもしれない。

 どの警備兵もすぐには死なない個所を切断され、微妙に急所を外した場所を射抜かれている。

 侵入した人族は数の暴力に酔いしれているのであろう、時間を掛けて苦しむ魔族を見て楽しむ事しか考えてはいないようだ。


「手当は後だ! 先に人族の進行を止めるぞ!」


 キリルの指示で全員が村の奥へと突き進むが、そこは今まさに惨劇が起きている現場だった。

 優秀な者故に地方から招集され、養成所での訓練の後に正規軍へと配属されたとは言え、補給兵と警備兵の戦力はそれほど高くはない。

 屈強な人族の兵士が相手だと、一人に対し二名掛かりでも危ういかもしれない。

 なのに今回の襲撃では五倍の数が押し寄せているのだ。

 キリル達の目の前で多くの同胞が弄ばれている。


「全員詠唱を始めろ! 人族を蹴散らせ!」


 魔術を放ちながら突進してくる軍勢に対し人族の警戒が強まったとは感じないが、それは事前に得た情報で慢心しているからだろう。

 相手は僅か二百五十名……自分達と対峙できるのは精々百三十名弱……。

 所詮は甚振(いたぶ)玩具(おもちゃ)が増えただけだと……。

 

「数の差なんか考えるな! 一人でも多く敵を倒す事だけを考えるんだ!」


 警備兵よりは強いと言っても、まだ正規兵に配属されていない見習いでは戦況を覆すだけの力はない。

 ならば少しでも長く抵抗し敵の足を引き付け、村人が逃げる時間を稼ぐ以外に策はない。

 だが多くの時を消費せず、一方的に傷を負う魔族の数だけが増していく。

 そしてついに見習い兵を庇ったキリルも両足を失い倒れこんだ。


(やはり無謀だったのか、おそらくボリス達も……)


 諦めの念がキリルの頭を過る。


「キリル! 今行くぞ!」


 だが、叫び声を聞き顔を上げたキリルの目に信じられない光景が映る。

 一名とて欠けることなく走り寄るイリーナ達訓練生の姿がそこにあった。

 その光景に驚いた人族が大声で叫ぶ。


「ま、まさか奴ら裏切りやがったのか!」


 多数の人族に嬲られ、死に絶えていなければならない存在が目の前に居るのだから、考えられる理由は一つしか思い浮かばない。

 何らかの目的で外の仲間が裏切ったのだと……。


「くそっ、何が目的なんだ……まさか共倒れを望んでるんじゃないだろうな」

「あっちには卑怯な奴が多く残ってたからな、金や女を奪った後の分け前が増えるのを狙ってるんじゃないのか」


 襲撃の為だけに集められた人族には元より信頼関係など無い。

 憶測が憶測を呼び憤りへと発展したが、一人の参謀の声で再び冷静さが戻ってきた。


「慌てるな! 敵の魔族が増えようがまだ俺達の方が倍以上の戦力があるんだ! 弄ぶ余裕は減るかもしれないが、確実に殺害していけばいいだけだ」

「そうだよ、そうすりゃ村を占領した報酬は俺達だけの物になるし、外の奴らは何もしなかったって報告すりゃ罰を受けるのはあいつらだけだ」


 イリーナ達へと向きを変えた人族が嘲笑うかのように叫ぶ。


「外の奴らに見逃して貰えたならそのまま逃げれば良いものを、わざわざ殺されに来るとは愚かだな」


 その声を皮切りに訓練生を見下した言葉が辺り一面に轟く。


「あぁ、『アレ』なら一分で消滅したわよ」

「はっ?」


 人族の兵士はイリーナの言葉が理解できなかった。

 『アレ』とは何なのだ。

 目の前の魔族は何の話をしている……。


「意味の分からぬ話で時間を稼ぐつもりか知らんが、何をやっても無駄だ! お前たち卑しい魔族は俺達の玩具になるんだからな」

「お前たちはどんな声で鳴くのか楽しみだぜ」


 人族全員の顔に歪んだ笑みが浮かぶ。


「『アレ』も不快な考えを持ってたみたいだけど、人族の兵士って屑しか居ないの?」


 ここに至って初めて、イリーナの言葉から『アレ』が外に居る人族の事だと理解した。

 あり得ない事態に人族の顔からは笑顔が消え、困惑の表情が浮き出る。

 たった百名の魔族が千人の、それも精鋭と謳われる兵士を相手に逃げ切れる訳がない。

 敢えて見逃されでもしなければ、これほどの短時間で自分達と相見(あいまみ)える筈がない。

 ならば消滅とはどう言う意味なのだ。

 どんな魔術で攻撃を受ければ言葉通りの意味になるのだ。

 額に汗が滲む人族に対し、イリーナの口角が少し上がる。


「あなた達は何秒持つのかしら?」


 イリーナが言い終えると同時に、最前列に居た人族百人が木乃伊(ミイラ)化した。

 後ろに立つ者が気が付かぬ間に同胞は乾燥し、崩れ、風に散っていく。

 余りにも理解の範疇を超えた現象に兵士からは声一つ上がらない。

 

「今度はイリーナちゃんと半分こじゃなくて、残りは全部私達に任せてくれない?」

「え? どうして?」


 アリフィアがイリーナに進言する。

 先ほどは一刻を争う事態だったので早く殲滅させる事に重点を置いたが、今度は見習い兵に力を誇示する必要がある。

 イリーナ自身の力は戦闘後の治癒で見せる事は可能だが、今キリル達に見せる必要があるのは、イリーナに従った者が得られる恩恵だ。

 奇跡の御業を起こせる者が現れ、彼女を信仰し付き従えばこれほど強くなれるのだと、その姿を目に焼き付ければイリーナが魔王の生まれ変わりであると言う噂の信憑性は上がる筈である。

 彼女に従う恩恵の大きさと逆らう事の愚かさを理解させれば、自ずと信仰心は芽生えてくる。


「じゃあ私はキリル教官達の治療に回るから、人族の討伐はアリフィア達にお願いするわね」

「まっかせて!」


 アリフィアが砂鉄の剣を手に突進すると、人族はようやく我を取り戻し応戦体制に入った。

 だがその動きは一手も二手も遅く、アリフィアが振るう剣により一気に数十人が人間の形を失い崩れ落ちた。

 そんなイリーナとアリフィアの攻撃を見た人族の心は即座に折れてしまう。

 余りにも戦力が違いすぎる……早すぎて見えない攻撃と、何をされたかさえ理解できぬ魔術。

 おそらく彼女達は本気を出してはいない、それでいてこの威力なのだ。

 もし後ろに控えている魔族も同じ実力なのだとしたら十倍の……いや、百倍の人数を揃えても意味がない。


「はい、私の分は終わり~、あとはみんなの番よ」


 笑顔で仲間に告げるアリフィアの様子に、人族の意識は『逃げ』の一色に染まる。


「い、いやだぁあ! 助けてくれぇえぇ!」

「ねぇ、どうして酷い事を考える人族ってぇ、みんな自分は同じ事をされないって思うのぉ?」


 ローラは懇願する人族に近づき問いかける。


「だってぇ、私達が来なかったら魔族への殺戮は止めなかったんでしょぉ? なのにどうして自分の時は止めてもらえるって思うのかしらぁ?」


 真剣な表情のローラに対し兵士からの答えは無い。

 その時、突然上空から火竜が口を開け兵士を飲み込んだ。

 一人の兵士を蒸発させた火竜はそのまま横方向へと首を振り、居並ぶ人族の姿を霧へと変えていく。


「ローラ! あんまり人族なんかに近づくなよ、危ないだろうが」

「だってぇ、どんな気持ちか聞くのもぉ、心理学のお勉強になるしぃ」

「今は勉強なんてやってる場合じゃないだろ、そんな事よりお前が危険な目に会うのが嫌なんだよ!」


 ローラはミーリャの言葉に喜び、力いっぱい抱き着いてきた。

 その様子を羨ましそうに眺めながらアリフィアが話しかける。


「仲がいいのは分かりますけど、時と場所を弁えてもらえませんか? 私だってイリーナちゃんに抱き着くのを我慢してるのに……」

「わ、分かってるよ! ローラが勝手に抱き着いてきたんだから仕方ないだろ!」

「ふ~ん、仕方ないって顔には見えませんけどね」


 ミーリャは耳まで赤く染め黙ってしまう。


「それはそうとミーリャさんの魔術も凄くなってませんか? これだけ近距離で発動してるのに私やローラさんには一切熱が伝わって来てないし」

「あぁ……イリーナに教わって熱の伝わる範囲を決められるようなったからな、ぶっつけ本番で上手くいくとは思わなかったけどな」

「そんな危ない魔術を使ったんですか! ローラさんが巻き込まれてたらどうするつもりだったんです!」

「ははっ、冗談だよ、自信があるから使ったに決まってるだろ」


 イリーナに治癒魔術を施されながらキリルは自分が置かれた状況に驚愕していた。

 切られた足が何の問題もなく元に戻っていく……。

 我が身が体験している奇跡の御業もそうだが、訓練生に起きている実力の増加も実際に見ていなければ信じられなかっただろう。

 しかもミーリャの会話からは、この戦いは命の危険がある実戦ではなく、普段の練習と変わりないと思っているのが読み取れる。

 キリルの頭に浮かぶ疑問が解決する時間すら与えぬほど、人族の討伐は呆気なく終わった。

 人族からの反撃はほぼ無く、イリーナの言葉通り数十秒しか必要のない些細な出来事として処理された。


「ボリス……俺は夢を見てるのか?」

「夢じゃないさ、奇跡を起こせるイリーナと、その恩恵を受けた訓練生の力は現実のものだ」

「それじゃあ彼女は……」

「あぁ、お前も知ってる噂は本当なんだよ」


 疑いようのない事実を経験した者は根底から考えを変えられる。

 今、この場に新たな魔王様が現れ我らを救ってくれた。

 彼女の存在だけが魔族にとって救いであり、信じる事こそが正義なのだと。

 キリルと見習い兵全員の脳裏に同じ想いが深く刻み込まれた。


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