第五十一話 人族に圧勝する魔王軍
「もう駄目だ……これ以上人族の攻撃を防ぎきれん」
「諦めるな! きっと援軍は来る! それまで耐えれば」
「でも前に来た部隊が人族の都市に向かったのは一カ月も前なんだぞ! 野営もしないで走り続けたとしても、ここに戻るまで何週間掛かると思ってるんだよ!」
「はははっ……もうみんな死ぬんだ……」
村に駐在する補給兵の脳裏に絶望の文字が浮かぶ。
魔族にとって重要な拠点となる村には大量の食糧や装備が保管されており、それらを守る為に村を取り囲む壁は大規模な都市に匹敵する強固な物になっている。
強敵が現れようが絶対的な防御力があれば籠城すればよいだけだ。
食糧ならば常時数万名規模の兵士に振舞えるだけの貯えがあるのだから……。
そんな考えを持つ魔族の村は、人族の武器による一点突破が弱点である事に気付いていない。
魔族には扱えない強力な武器を持つ人族が千人単位で一か所を攻撃してくる。
最初は攻撃を跳ね返し、どんな武器にも耐えうると誇っていたが、二日三日と繰り返される寸分違わぬ攻撃に、ついに城壁は綻び始める。
千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ……。
僅かに崩れた壁は次第に破壊の速度を速め、あと一日もあれば人が通り抜けられる大きさになるに違いない。
そうなれば後は想像に容易い。
二百名の魔族兵士は二千人の人族に惨殺され、残された力無き者達は命を弄ばれるだけだ……。
「魔王様、どうかこの村をお救いください」
祈る事しか出来ない村人の耳に轟音が鳴り響く。
昼夜問わず鳴り続けたそれは乾いた衝撃音から次第に重く鈍い破壊音へと変化し、ついに夜明けと共に人族が発する雄叫びへと変わった。
「穴を開けられた! 人族が流れ込んでくるぞ!」
「俺達の命に代えても村人は守るんだ!」
見張りの警備兵が大声で叫ぶ。
覚悟を決めた魔族の兵士は開けられた穴の前へと並び立つ。
その時、監視塔に立つ兵士から歓喜の声が上がった。
「援軍だ! 援軍が来てくれた! これで助かるぞ!」
その情報は人族の斥候も掴んでいたようだ。
ただ、伝えられた情報は魔族が持つ楽観的なものではなく、冷静かつ現実的なものだった。
魔族の援軍は僅か二百五十名だと……。
人族の策士は即座に軍を二手に分けた。
援軍を退けるのも村を蹂躙するのも、千人居れば問題ないと判断したのだろう。
壁に開けられた穴を人族の雪崩が押し広げる。
「俺と見習い兵は壁の中に突入する! ボリスは訓練生と一緒に外に居る人族の相手をしてくれ!」
「分かった! 死ぬなよキリル!」
「お前もな! よし、全員突入するぞ! 村人を救い出せ!」
キリルが率いる百五十名の見習い兵は決死の覚悟で開けられた穴へと向かい突進する。
しかし不思議な事に二手に分かれ壁の外で待機している人族達は、キリルの行動を見過ごし動こうともしない。
そのため見習い兵達は何の抵抗もなく村へと侵入できた。
「どうしてあの兵士達は動かないんだ?」
「こっちに残ってるのは千人くらいですね、何か狙いがあるんでしょうか?」
「えっ? イリーナちゃん今の一瞬で数えたの?」
アリフィアが驚きの表情でボリスとイリーナの会話に割り込んできた。
「正確に数えた訳じゃないわ、ほら、群衆の中でも十人くらいだったらすぐ数えられるでしょ? その面積の十倍の大きさだったら百人居るなって、それで更にその十倍くらいの範囲に兵士が広がってるから千人くらいかなって、そんな感じよ」
「イリーナちゃん天才!」
アリフィアが感心している間も兵士はキリル達を追い掛けはしない。
数の暴力で圧勝を望むなら、村に駐在する警備兵と援軍が合流する前に抑えた方が得策なのに。
だがその疑問に対する答えは人族の談笑の中に含まれ、アリフィアの地獄耳に届いていた。
「あんな人数だったら簡単に殺せるが、だからって俺達だけ楽しむのは悪いだろ」
「確かに集団で一方的に殺す快感は癖になるからな、あいつらにも残してやらないとな」
「おぉ~、仲間思いだなお前」
「あははははっ……」
理由は魔族の少ない戦力を嘲笑い、愉悦を味わう為だった……。
訓練生の表情が怒りに染まる。
キリルが率先して村に突入した理由の一つに訓練生への気遣いがあった。
イリーナの力を知らないキリルは今回の戦いでは多くの死者が……いや、最悪全滅するかもしれないと考えている。
村人を救い、村人の命を第一に考える任務なのだから時間の掛かる作戦は取れない。
ましてや撤退する選択肢などはあり得ない。
戦力の差など頭から除外し目的の為には己の命を捨てなければならない……。
だが壁の外で待機する人族が相手なら話は別だ。
村人への攻撃に参加していない軍勢が相手なら、見張り続け時間を稼ぐと言う手もある。
戦況が悪くなれば後方へと撤退する選択肢も選べる。
だからこそキリルは村に突入して戦う選択肢を自分達に課したのだ。
自分達よりも弱い訓練生が死なぬよう……死ぬのは自分達だけでいいと……そう決意をしての進軍なのだ。
その誇り高い覚悟を人族の兵士は虚仮にした。
己の力を過信し、驕り高ぶり、敵を凌辱する権利は自分たちにだけあると、そんな愚かな思い違いをしている。
「五分で殲滅してキリル教官を助けに行くわよ」
イリーナの言葉に怒りの度合いが表れていた。
「私が五百人を消滅させるから、アリフィア達は五人ずつ倒していって」
「たった五人でいいの? 五分どころか五秒で終わっちゃうわよ」
怒りの治まらないイリーナを落ち着かせようとアリフィアがお道化て答える。
「ほぉ~、アリフィアが五秒なら、私とローラは三秒も要らないな」
「はぁぁあぁあぁ? じゃあ私は一秒で片付けてあげますよ!」
ミーリャの言葉に対抗したアリフィアは、その場で砂鉄の剣を具現化し大きく振り切った。
鞭のように撓う剣先は人族の軍勢が立つ方向へと伸び、左右に別つように大地を切り裂いた。
「じゃあ半分こするからイリーナちゃんは右側ね」
軽い口調で話すアリフィアの態度で訓練生は初陣の緊張から解き放たれた。
イリーナの知識で直々に強化訓練を受けたのだから、普段通りの魔術を放てれば五倍や十倍の人数差など無いに等しい。
「火竜よ、酸素を帯び……」
「原子の振動を止め凍てつかせ……」
ミーリャを筆頭に訓練生全員が得意とする魔術の詠唱を始めると、不意に視界から軍勢の右半分が消え去った。
「アリフィア、もう五秒経っちゃったわよ」
「え? イリーナちゃん何をやったの?」
「範囲を結界で囲んで、ダウンバーストで押しつぶしただけよ」
「だうんばー? 何それ、私にも教えてよ」
「そこで区切っちゃうんだ……」
対峙する人族は誰も状況を理解できなかった。
十倍近い戦力の差が覆る事などありえない。
いや、そもそも負けると言った考えが思い浮かぶ事さえあってはならない。
全員が抵抗できない魔族をどう甚振るか、殺戮の手段を考えていた筈だ。
なのに気が付くと仲間の半数が消えていた。
どんな魔術で攻撃されたのかさえ想像出来ない、かつては人間であったであろう『厚みの無い何か』が一面に散らばっている。
「な、なんだよこ……」
声を発する間もなく、ミーリャ達が放つ百人分の魔術が人族へと襲い掛かる。
大地が割れる音や凍てつく音、稲妻が空気を裂く音が響き渡る空間に人族の悲鳴は無い……。
魔族の逆鱗に触れた人族達は、痛みを訴える事も許しを請う事も許されず、僅か数分で消滅した。
「次はキリル教官を援護して村人を救助するわよ!」
イリーナの掛け声と共に訓練生は村へと突入した。




