第四十九話 魔王様に従う真の使徒
翌日は早朝から慌ただしく準備が整えられ、訓練生は全員集会所へと集められた。
「ここに居る者は皆先日の奇跡を目にしたと思うが、改めて彼女から自己紹介と挨拶を貰いたいと思う」
ボリスの号令で全員が席を立ち、壇上のイリーナに対し深々と礼をする。
「先日は挨拶を交わす前に揉め事になってしまったので、改めてと言われても少し今更感がありますけど、初めまして、イリーナ・カレリナです……とある事情で公言は出来ませんが、私の持つ力と素性は皆さんが見て感じた通りで間違いないと思ってください」
その一言で訓練生全員の目の色が変わった。
伝説でしか聞いた事のない存在が目の前に君臨した喜びは、到底言葉になど出来はしない。
皆が生まれ育った村や街にあったどの教会よりも、清く神々しい空気がイリーナを中心に会場全体を包み込んでいる。
「皆さんも幼い頃に教会で魔族の歴史を学んだのではないでしょうか……三千年前に起きた天変地異と突然現れた人族による殺戮と強奪、そしてそれを退けて下さった魔王様の歴史を」
イリーナは密かに手指の魔術を発動させ空気の振動を操っていた。
会場全体に声を響かせるのではなく、聞く者全ての耳元に声が響くように。
本来ならば聞こえる筈のない音量の声なのに、まるで魔王様がそれぞれの目の前に屈み一人一人に優しく語りかけているかのような、そんな錯覚を引き起こさせていた。
「魔王様は何よりも魔族の平和を願い、私達のご先祖様に戦う為の魔術を授けてくださいました……そのお陰で魔族は滅びの危機から逃れ、私達は今もこうして生きていく事が出来ています……空間の歪みや亀裂と言った異変で失った土地は元には戻せませんでしたけど、それでも人族の蛮行で奪われた土地は魔王様と共に取り戻す事が出来ました……なのに平和は訪れず、今も争いが続いているのはどうしてなんでしょう……」
会場にはイリーナの声以外は何も響いていない。
身動ぎする些細な音もなく、呼吸する音さえも控えていると思えるほど、皆はイリーナの話に集中している。
「魔王様は何千年も繰り返される人族との争いを悲しみ、世界が真の平和へ向かう道から踏み外して居る事を憂い、私の夢の中に現れて下さったんです……そして争いが終わらないのは自分が伝えたかった教えが正しく伝わらず、誰かの手によって歪められているからだと……そう仰いました」
イリーナの言葉はその場に居る者全てに衝撃を与えた。
教会で教わる事は魔族が最も尊ぶべきものだと聞かされ、幼い頃から何の疑いも抱かずに信じていたのに、それが間違っていたとは。
会場には魔王の教えを改竄し、争いの阻止を妨害した者への憤りが充満する。
「何者かが己の利の為に歪めた教え……それが長い時間を掛けて当たり前の事となった世界を、正しい方向へと導くのは簡単な事ではないかもしれません……だからこそ魔王様は私に自分と同じ『文字の魔術』と『手指の魔術』を……そして真の教えに目覚めた使徒を導く術を授けて下さったのだと思います……どうかお願いします、この世界を平和に……魔王様が心から願った真の平和に包まれた世界にする為に、私と一緒に歩んでください……」
魔王の生まれ変わりである事を認めさせ、皆を一つに纏める為に多少の脚色はあるものの、伝えたい事は概ね話せたはずだ。
イリーナは不安な気持ちを隠し、引き締めた表情で前を見据える。
するとその場に居た者は誰が始めるともなく跪き、イリーナに向けて祈りと決意の念を込めてきた。
自分達は新たな魔王様に選ばれた真の使徒なのだ。
例え命を捨てる事になろうとも、我が身の全てを捧げ信じ続ける事が唯一無二の幸福なのだと。
その想いの強さはイリーナの身に犇々と伝わってくる。
それは今までの彼女ならば耐えられない重圧だったかもしれない。
「演説も素晴らしかったけど声を伝える魔術も凄かったわね、耳元でイリーナちゃんに囁かれたみたいでゾクゾクしちゃったもの」
アリフィアは壇上のイリーナに駆け寄り、お道化るように声を掛けた。
イリーナは気丈な振りをしてはいるが額には大量の汗が流れている、魔王として皆を導く覚悟は決めていても心への負担は免れないのかもしれない。
アリフィアの行動はそれを気遣ってのものであろう。
「大丈夫よイリーナちゃん、何があっても、例えどんな結果になっても私はイリーナちゃんの傍にいるからね」
「平気よアリフィア……魔族の平和と……そして人族の弱者を守る為に私は歩みを止めないから」
イリーナは訓練生全員に着席を促し、先に述べた『とある事情』の説明を始めた。
これから共に行動するにあたり中央都市の運営を担う組織にも、更にはそれらを統率する地位に居座る幹部達にも、新たな魔王の出現は知られてはいけないのだと。
教会を操り、経典を偽り、己の利の為には魔王様の教えさえも軽んじる輩に手の内を知られれば、必ず排除しようと動き出すだろう。
派閥の力が小さいうちにイリーナの目的を悟られてしまえば、相手は愚かで卑怯な手段をも厭わなくなるに違いない。
イリーナ本人に敵わないとなれば家族や友人、その他にも大切な何かを奪い、破壊し、脅しを掛けてくる。
それは新たな魔王の使徒となった訓練生にも言える事だった。
新たに植え付けられた考えを諫め、元の歪んだ教えに修正する為に家族を人質にするのは火を見るよりも明らかである。
だからこそ今は細心の注意が必要なのだ。
卑怯者の手により都合良く造られた経典を信じる魔族を演じ、歪めた教えで利を貪る者の目を欺き、扱いやすく利用価値のある者達だと思わせ、油断を誘いながら水面下で力を付けていく。
敵味方を含め被害を最小に抑える為に、一気に決着が付けられる規模の組織に育つその時までは……。
「もちろん私は、私を信じてくれた皆さんと大切な家族は必ず守ります!」
ここに来て初めてイリーナの声が大きくなった。
「もしも敵に情報が洩れて卑怯な手段を取られたら、私は迷わず皆さんの命を守ります! 皆さんの家族を脅かす全ての災いを跳ね除けます! 例えそれが人族の起こす蛮行だけではなく、魔族の手による愚行だったとしても、私は持てる力の全てを使って排除します! 共に歩む者が幸せに生きられる世界……それが私の目的であり、夢ですから」
新たな魔王に優先して守るべき対象だと認められ、イリーナを見上げる訓練生の目は歓喜の涙で滲んでいた。
「イ、イリーナざま”ぁ”……」
横を見るとボリスは膝を着き、鼻水か何か分からない液体で顔を汚しながら号泣している。
その様子を横目にイリーナが更に付け加えた。
「え~っと……これから敵対する相手に状況を悟られない為にも、ボリス教官みたいに私の事を様を付けて呼んだり、ましてや魔王様と呼ぶのは絶対に止めてくださいね」
口角を少し上げて引き攣るように笑うイリーナに見つめられ、ボリスはその身を委縮させる。
「あくまでも今の私は只の訓練生で、皆さんの後輩なんですから、わかりましたね」
『『『はい、魔王様!』』』
「だ~か~ら~!」
崇拝する者から気軽に接せよと言われても、すぐに態度を軟化できる者は少数派だと思われる。
それが強い信仰心を持つ者ならなおさらの事だろう。
見習いや正規の兵士達に悟られず普通の訓練生を装いながら強化を図るには、訓練生との気軽な会話や付き合いは必須である。
イリーナは新たに湧き出た課題の難しさに、思わず溜息が漏れ出すのだった。




