第四十七話 魔王の御業を目にする
教官は魂を抜かれたように頭を垂れ、影を宿した瞳で空を見つめている。
「お許しください魔王様お許しください魔王様お許しください……」
もはや会話など出来る状態ではなく、一心不乱に同じ言葉を繰り返しているだけであった。
一連の流れを見届けていた者は皆一様に言動を止めている。
今まで自分達が逆らう事が出来ず……いや、逆らうと言った概念が思い浮かばぬ程に高貴な存在だと、そう信じていた者が惨敗した。
それも、まともな戦いにすらならずに何度も何度も……。
更には勝敗が決まる度に起きる奇跡の数々。
幼い頃から教会に通い何度も聞いた魔王様の伝説と同じ御業が目の前で繰り広げられている。
もはや訓練生にとって、イリーナが魔王の生まれ変わりだと言う話は単なる噂ではなく、疑いようのない事実となっていた。
「イリーナさん、いったい何があったんですか?」
「説明しろよボリス、訓練生の監視はお前の役目だっただろ」
入所の為の手続きを終えたラウラ達が戻ってきたが、同行している男性がその場の異様な空気を感じて問いかけてきた。
「へぇ……あなたボリスって名前なのね……」
イリーナに耳元で囁かれたボリスが怯えて萎縮する。
同僚の教官らしき男性がそんな彼に向かって話しかけた。
「さっき大勢の訓練生が大怪我をして医務室に運び込まれたみたいだが、何があったんだ?」
「…………」
イリーナが起こした奇跡の御業をそのまま話して良いのか。
いや、そもそも自分ごときが魔王様について余計な言葉を発して許されるのだろうか。
ボリスは同僚とイリーナの顔を交互に見ていた。
「さっきからお前ちょっと変だぞ?」
「ボリス教官は私達の相手をして下さって、少し疲れてしまったんですよね」
同僚に責められ口籠るボリスに代わり、イリーナが横から言葉を挟んだ。
「確かキミはラウラ先生が連れてきた娘でイリーナ……だったか?」
「はい、イリーナ・カレリナです、よろしくお願いします」
「ふむ、で? キミ達の相手と言うのは?」
イリーナは初日からこれ以上もめ事が大きくならないように、真実の素材に嘘の香辛料を少し加えながら話した。
到着してすぐに訓練生と些細な揉め事を起こしてしまい、それをボリスに諫められたのだと。
その後、お互いの実力を見ると共に親睦も図れるように練習試合の場を設けてくれた事。
試合に熱が入ってしまい行き過ぎた戦闘になったが、ボリスが参加していた訓練生全員を止めてくれた事。
それも余計な怪我をさせないよう手加減を加えつつ間に入ってくれたんだと。
「そうですよねボリス教官」
笑顔で同意を求めるイリーナに対し、ボリスは必死に考えを巡らせていた。
彼女の真意は何なのか。
どう答えるのが正解なのか。
「なるほど、それだけの人数を相手に手加減をしながらでは疲れるのも仕方ない、それにしても流石ボリスだな、歴戦の戦士の称号は伊達ではないな」
「ですよね~、手加減されてるのが分かっても、私なんかでは手も足も出ませんでしたから」
「…………」
尚も口籠るボリスに対し、イリーナはこっそりと耳打ちする。
「私は無意味な戦いは好まないし誰彼構わず傷付けたい訳でもないの……只あなた達教官と、その上の存在が何を考えてるのか、この先も繰り返される人族との戦争を、魔族の未来をどう考えてるのか、その真意が知りたいだけなの……だから私達三人はこの養成所のお世話になるけど、あなたは過剰な反応はせずに普段通りの態度で話を合わせて……」
「は、はい」
ボリスは叱られた子供のように頷いた。
「それでお前の目から見てどうなんだ? イリーナと、あとはアリフィアとエレオノーラだったか? 正直俺は噂の真偽なんかはどうでもよくてな、実力と人族を憎む気持ちが強ければそれでいいと思ってるんだ」
「そ、そうだな……」
「で本題だが、彼女達はここでやっていけそうか? ラウラ先生は身内贔屓か知らんが、とにかく褒めちぎるばかりで参考にはならなかったからな」
同僚の教官は豪快な笑い声をあげながら期待の目でイリーナ達を見ている。
「ボリス教官! 私は目的に向かってみんなで前に進みたいんです、弱い所や足りない部分があったら一生懸命変えるように努力します、だからどうかここで学ばせてください!」
「ほう、人族を根絶やしにする目的に皆で進みたいとは見上げた心掛けだ、しかしボリスは不器用で忖度とか曲がった事が嫌いな男だからな、期待しても的確な判断しか下さないぞ」
同僚はイリーナの言葉を文字通りにしか受け取っていない。
だがこれはボリスにだけ通じる遠回しな命令だ……訓練生の精神に魔王の考えを刻み、彼女の目的に役立つよう変えてしまいたい。
だから他の教官に不信感を抱かせずに入所させろと、そう言ってるのだ。
もはやボリスにとってイリーナの言葉は絶対的なものになっていた。
彼女の考えに疑いを持ってはいけない……彼女の行動を阻害してはならない……。
彼女に否定されたのだから、今までの自分の考えが間違っていたのだ。
同僚は戦闘においては以前の自分と似た考えを持っている。
ならば魔王様に正してもらう事こそが同僚にとっても幸せな事なのだ。
全ては魔王様の為に……。
「あぁ問題ない、彼女達の実力は私が受け持っているどの訓練生よりも優れているぞ」
「ほほぉ、お前がそこまで言うとはな」
「今まで一番だと思っていたリュドミーラを遥かに凌ぐ程の力を持ってるから、これから先が楽しみだ」
期待に胸を膨らませるように話すボリスの演技に違和感はない。
「ボリスのお墨付きを貰えるとは光栄だなイリーナ! 訓練生を卒業して俺が受け持つ見習い部隊に配属されるのが楽しみだ」
どうやら同僚の教官はリュドミーラ達訓練生よりも一つ上のクラスを受け持っているようだ。
ならば近々取り込んでしまうのも良いかもしれない、そうイリーナは謀を巡らせる。
「そうだ! あの……えっと」
「ん? どうしたイリーナ」
「いえ、まだ教官のお名前をまだお伺いしてなかったなと」
「あははは、そうだったな、俺はキリル・フォーキン……ボリスが受け持つ訓練所で成績が認められれば、俺が面倒を見てる見習い兵士に昇格出来るから頑張れよ」
「はい! それで一つお願いしたい事があるんですけど」
「なんだ言ってみろ」
イリーナは一人の教官からだけではなく、大勢の教官から教えを受けた方が早く強くなれるのではと提案する。
その為にキリルが受け持つ見習い兵士との戦闘訓練が出来ないか聞いてみた。
「なかなか殊勝な心掛けだな、だが見習いとは言え兵士は兵士、生半可な覚悟では訓練に付いて来れないぞ」
「覚悟はあります!」
イリーナはキリルの目を真っ直ぐ見つめながら言い切った。
キリルもこういった直情的な子供は嫌いではないらしい。
豪快に笑いながらイリーナの背を軽く叩き、一カ月後に共同訓練をすると約束を交わし庁舎へと戻って行った。
「それじゃあボリス教官、まずは医務室へ案内してもらえるかしら?」
「医務室……ですか?」
「アリフィアの攻撃で大怪我を負った患者がたくさん居るんだから、すぐに全員治さないとね」
その後、多くの訓練生が見守る中、再び奇跡の御業が繰り広げられる。
手足を切断され、治せる医者はこの世には存在しないと告げられ、戦いを挑んだ事を後悔している者が……。
村の期待を背負いやってきたのに、その期待を裏切り、帰るしかないと諦め泣き崩れていた者が……。
順次イリーナの意思と魔術により深い闇から救われる。
「魔王様……」
奇跡の御業を間近で見、我が身で受け、感じ、記憶に深く刻み込む。
そうして教官一名を含む訓練生の全員が、今まで教会で語られてきた教えとは違う『新たな魔王信者』となった。




