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第四十六話 許されざる者の末路は

 いつまで経ってもイリーナと対峙する教官の顔から不快な笑みが消える事はなかった。

 村や街から集められた素質ある子供に対し恐怖を与え、思い通りに支配できる自信があるのだろう。

 その表情には自尊心が強い者独自の自惚れた思考が如実に表れている。


「お前は確かあの辺鄙な街出身だったな、まぁ世間知らずな田舎者が、ちょっと素質のあったガキを見て魔王だ何だと騒いだんだろ? それで煽てられてお前もその気になったのか?」

「弱い犬ほどよく吠えるわね……あなたがあると思い込んでる実力で私を負かし吐かせたらいいでしょ」

「舐めるな!」


 教官は人族との戦闘経験もあるのだろう、まずは相手の動きを封じるのに魔術を使わず体術で攻撃してきた。

 確かに魔族としては体術を極めている部類に入り、並みの兵士相手ならば通用するかも知れないが、人族として体術を極めたアリフィアと比べるとその動きは止まっているに等しい。

 イリーナは手指の魔術を使う事もなく躱し続けた。


「そんな遅い動きで何がしたいの? あなたの攻撃は魔術と体術を組み合わせてこそ真価を発揮するんじゃないの」

「ほう、戦術の勉強だけはやっているようだな、なら数多の人族を葬ってきた俺の力をその目に焼き付けるんだな」


 教官は電気の魔術を詠唱する。

 微弱な電気を自らの筋肉に流す事で強化を図ったのだろうか。

 その速さはアリフィアを超え、常人の目では捉えられない移動速度になっていた。


「ふ~ん……その動きに攻撃の魔術を足す事で強くなって、他の魔族より上の立場になれたんだ」


 今まで対峙してきた多くの人族はこの素早い動きを見ただけで戦意を喪失した。

 自慢の武器を当てる事が出来ず、一方的に魔術で攻撃され死んでいく人族を見て彼はいつも笑いを堪えられなかった。

 俺の力は絶対的な正義だ。

 そう確信して高笑いする教官は、次の瞬間自分に起きた現象が理解できなかった。


(なんだこの壁は……何でこんな所に壁があるんだ)


 突然目の前に現れ顔に押し付けられる巨大な土の壁……。

 いや、そうじゃない。

 いつの間にか教官自身が地面に倒れ込み、自ら地面に顔を押し付けていたのだ。

 慌てて起き上がろうとした彼は再び倒れこみ、初めて我が身に起きている異常を目にした。

 

「な、なんだこれ!」


 両脚は枯れ果てた木のように脆く崩れ、起き上がろうと着いた右手も肘から先が形を失っていた。


「お、俺に何しやがった」

「何って、リュドミーラさん達にやったように、実力で私を屈服させてから聞けば?」


 イリーナは手指の魔術により教官の体から水分を奪い続けていた。

 手足の全てが枯れ落ち、首から下の感覚が消失した時、ついに教官の意識は潰えた。


「ローラさん、ちょっとこっちに来てもらえませんか?」

「ミーリャの容体が落ち着いてきたから別に構わないけどぉ」

「じゃあ早速、この男の容態を完治させるのはどうすればいいか教えて下さい」


 倒れている教官の傍にアリフィアも駆け寄ってきた。


「凄いわねイリーナちゃん、自業自得とは言えこの人も懲りたでしょ」

「うん、気を失ってすぐに治してあげるなんてイリーナちゃんは優しいわよねぇ」

「ん? そんな訳ないでしょ」

「えっ?」


 即答するイリーナの顔には悪い笑みが浮かんでいる。

 疑問を持つローラとは裏腹に、アリフィアはイリーナの意図を理解したようだ。


「あ~あ、可哀そうに……」


 ローラにはアリフィアの言葉の意味は分からなかったが、取り合えずは教官の症状から治療の経緯を考え伝えた。

 奇跡と呼ばれる御業を間近で見るのは何度目かは分からないが、ローラは感動で胸が締め付けられる思いだった。

 それは周りで見ている者達も同様である。


「俺は何を……」


 失った四肢や臓器が再生されると教官は意識を取り戻した。


「さぁ、続けましょ」

「はっ?」


 満面の笑みを浮かべながらイリーナは教官に立つように指示をした。

 彼には確かに手足を失った感覚がある。

 朽ちて崩れていく時に感じた痛みや苦しみは決して幻覚ではない。

 戸惑っている男に躊躇なくイリーナが語り掛ける。


「私はまだ実力を全部あなたに見せていないから、続きをやりましょうって言ってるの」


 教官の目に初めて恐怖の色が宿る。

 決して怒らせてはいけない者を怒らせてしまった。

 そんな後悔の念で頭の中は埋め尽くされる。


「こっちへ来るな!」


 どうにか逃げようと藻搔く男の周りを氷の壁が取り囲む。

 次の瞬間、密閉された空間を突風と砂鉄の刃が吹き荒れた。


「ぐわあぁあぁ!」


 手足を切り刻まれ、体の至る所に深い裂傷が刻まれ、男は成す術もなく二度目の失神を味わう事となる。

 …………。

 …………。


「俺は生きてるのか」


 目覚めた男は慌てて全身に手を這わせた。

 傷は無いものの、ボロ布と化した服や付着した血糊の数々が、先程己の身が受けた攻撃が夢ではないのだと脳に直接語り掛けてくる。


「さぁもう一度」


 声に(おのの)き振り向くと、そこには満面の笑顔を浮かべるイリーナが立っていた。

 逆らっても無駄だ、この娘の前では己の力など塵芥に等しい。

 男の頭から対立の意思は消え、生き残りの為の模索のみが巡っていた。


「ま、待ってくれ、俺は!」

「も・う・い・ち・ど」


 イリーナの笑顔が消え厳しい表情に変わった途端、男の体が手足から順に折り畳まれていった。

 まるで骨が砕ける音で音楽でも奏でるように、少しずつ少しずつ。


「もうやめてくれ! 俺が悪かった!」


 イリーナの耳にその声は届かない。

 叫び続ける男の体が半分の大きさまで畳まれた時、三度(みたび)意識は失われた。


「イリーナちゃん、まだ続けるのぉ?」

「何言ってるんですか、この男はローラさんの大切な人をずっとずっと苦しめてたんですよ」

「でもぉ……」


 一方的に続く攻撃に戸惑いを見せ始めるローラを、イリーナは男の治療をしながら説得する。

 養成所の教官のように、ある種の権力を長く得た者は他者を支配する快感に脳が支配されてしまう。

 自分は選ばれた者だと勘違いをした思考は、一度や二度の敗北で変える事など出来はしない。

 己にとって都合の良い快感に支配された脳を修正するには、死にも勝る恐怖を刻み付け上書きするしかない。


「まぁ若干同情はするけど、この教官はイリーナちゃんが二番目に怒る事をしちゃったから仕方ないわね」

「二番目に怒る事ってぇ?」

「大切なお友達を悲しませた事ですよ」

「それって……私の事なのぉ?」

「当然じゃないですか」

「もしそうなら凄く嬉しいけどぉ、じゃあイリーナちゃんが一番怒る事って何なのかしらぁ?」

「そりゃもちろん!」


 ローラの問い掛けに対し これ以上ないドヤ顔のアリフィアが答える。


「私が傷付けられる事ですよ」

「そ、そうなんだぁ」

「ちなみに三番目に怒る事はザガートカを食べられちゃった時で、四番目がお手洗いの順番を抜かされた時、五番目が寝てる時に鼻の穴に指を突っ込まれて……」

「何馬鹿な事言ってるの!」


 イリーナがアリフィアの相手をしている間に男は目を覚ましていた。

 自分に向ける表情とは全く違う、笑顔のイリーナを見て男は必死に考えを巡らせる。

 今が最後の時節かもしれない。

 何をすれば助かるのか。

 どんな言葉を発すれば彼女は許してくれるのか。

 いったい何が正解なのか……。


「あら、目を覚ましてたのね」

「お、お許しください魔王さ……」

「不快な言葉は止めて」


 イリーナはアリフィア達と話している時とは別人のような形相になり、男の耳元で囁いた。


「私が魔王様の生まれ変わりだなんて信じてないくせに……」

「信じてます! あなた様は魔王様だと信じています!」

「これ以上不快な言葉を吐くなら、今度は治療しないわよ……」

「!!!!」


 助かる行動など無かった……。

 許される言葉など無かった……。

 どの選択肢を選んでもイリーナの機嫌を損ね、確実な死が襲い来る。

 生き残る為の正解はただ一つ……沈黙をもって耐える事。


 四度、五度と繰り返される攻撃と治療。

 死を回避する為に死を受け入れる矛盾。

 六度、七度の攻撃で精神は崩壊に近づき、ついには脳内に別人格を形成し自問自答が始まる。

 なぜこんな事になった……

       ……お前が弱い愚か者だからだ。

 どうすれば許される……

       ……お前がやってきた事が許されると思うのか。

 いつまで続くんだ……

       ……未来永劫。

       

 そしてイリーナの攻撃が十回目に達した時、教官の心は砕け散った。

 

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