第四十二話 魔王の威光を示す為に
ローラの村を発って数日後、イリーナ達は小さな村へと到着した。
村の入り口には多くの村人が並び馬車が来るのを心待ちにしていたようだ。
「魔王様がいらっしゃったぞ!」
こちらの世界には『人の噂は千里を駆ける』と言う諺があるが、今が正にその状況だった。
物資の輸送や移動の為の手段がどれほど発達しようとも、情報が伝わる速さはそれらを遥かに超えていると思われる。
きっと村人の耳にはローラの村での奇跡が詳細に届いているのであろう。
「イリーナちゃん見てみて、凄く大勢の人達が歓迎してくれてるわよ」
「どうしよう……ちょっと緊張してきちゃった」
もう魔王の生まれ変わりだと言う噂は否定しないと決めてはいても、村人の前で上手く立ち回れるかどうかは別問題で、言いようのない不安と緊張が波のように押し寄せてくる。
イリーナは手のひらに何度も『人』の文字を書いては飲み込む動作を繰り返した。
「さっきからそれ何やってるの? 新しい魔術?」
アリフィアの問いにイリーナは一瞬考えこむ。
(ん? ここに居るのは魔族なんだから『人』の文字じゃ効果ないんじゃないの? もしかして『魔』の方が良かった? どうしようどうしよう……ヒッヒッフ~、ヒッヒッフ~)
ローラは冷静さを失っているイリーナを抱き寄せ耳元で囁いた。
「大丈夫よイリーナちゃん、別に魔王様ならこうするとかぁ、こんな態度をするとかぁ、そんな演技なんかしなくていいんだから」
「で、でも私の態度一つで今後の事が」
「ううん、出来る事をいつもと同じようにやってれば自然とみぃ~んなイリーナちゃんが魔王様だって信じてくれるわよぉ」
「そ……そうですか?」
「うん、私がそうだから」
優しく微笑むローラの態度に照れながら、イリーナは気合を入れ直す。
暫くすると群衆から村長と思われる老人が馬車へと歩み寄ってきた。
「私は司祭様と一緒に今後の話をしてきますので、みなさんは先にお部屋に行って休んでいてくださいね」
「は~い」
ラウラと司祭様は村長と挨拶を交わした後、教会の談話室へと入っていった。
残された三人はこのまま何もせずに引き籠るのは時間が勿体ない気がしていた。
「どうするイリーナちゃん、このままお部屋に行くのもなんだし、私達だけで聞き込みでもしちゃう?」
「そうね、先に村に人族の襲撃があったかどうか、それを調べて対策を取るのもいいかもね」
数人に話を聞くと、幸いな事にこの村が人族との戦場になった事はないらしい。
ただ、戦闘魔術が使える若い者が中央都市へと招集され、防御力が不足しているのはどこの村も変わらないようだ。
何度かあった村を取り巻く地に住む害獣駆除の闘い。
それを苦も無く追い払うだけの力が無く、大きな怪我を負った者が今も尚その痛みに苦しんでいると言う。
話を聞いた三人はお互いの顔を見合わせ頷いた。
「今から私が治療をしますので、傷を負ってる村人を教会に集めてもらえますか」
その言葉は忽ち村中へと広がり、教会には多くの怪我人が集まった。
「じゃあローラさんは症状を診断して、どう治療していくのが最適かを指示してください」
「うん、まかせてねぇ」
イリーナの魔術は言葉では言い表せない威力だった。
二度と愛する者の姿は見られないと諦めていた瞳は光を得。
もう一度青空の下を走りたいと懇願した者は足を取り戻し。
我が子を抱きしめる腕が、愛を囁く声が、焼けて失われた容姿が次々と蘇っていく。
村人は眼前で起こる奇跡の数々に喜びの涙を流した。
「魔王様……」
村人から歓喜の声は上がらない。
慣れ親しんだ肖像画や教会で教わる伝承ではなく、生きてこの目で魔王様を拝見出来た喜び……。
願う事しか出来なかった事が……所詮は夢なのだと諦めるしかなかった事が叶う奇跡……。
それらを体験した者は声を出す事すら忘れ、ただその場に膝をつき祈りを捧げるのだった。
「ちゃんと治せて良かった」
幾つもの村や街を訪れ行われた奇跡の御業。
それは数を重ねる毎に崇拝の念を高め、魔王様の再来は噂ではなく真実なのだと、そんな認識が魔族の間に広まっていった。
「もうすぐ中央都市に到着しますよ、みなさん準備はいいですか?」
ラウラの声と共に顔を上げると、眼前には見上げる程に高く、そして無限に横方向へと広がっているかのような城壁がそびえ立つ。
城壁の規模を見るだけでもどれ程巨大な都市なのかが伺える。
当初は三十日で到着すると考えていた工程は幾つもの村を救う為に十日ほど余計に掛かり、本当なら疲労が溜まっている筈なのだが、ようやく辿り着いた目的地への期待と感動でイリーナ達の疲れはどこかに飛んで行ってしまったようだ。
「いよいよ養成所での生活が始まるのね」
「うん……イリーナちゃんは大丈夫? もし緊張で息が苦しくなったらいつでもキスしてあげるから言ってね」
「それはもういいから!」
二人が話してる間に馬車は門を抜け、都市の中枢部へと横付けする形で停まった。
「司祭よ、散々こちらの要請を拒否していたようだが、やっとその者達を差し出す気になったようだな、結構結構」
上層部の一人であろう人物が嫌な笑みを浮かべながら近付いてくる。
この男性が人族との戦争を利用してる者なのだろうか。
いや、もっと上の存在が居るはずである。
根本を覆す為には物事を正確に把握する必要がある……今は作られた経典を信じ、人族と敵対している魔族を演じなければ……。
「私は司祭様と一緒に手続きをしてきますので、ここで少しだけ待っててもらえますか」
イリーナは建物の中へと歩いていくラウラ達を見送り馬車の中で待機する事にしたが、不意にどこからか聞き慣れぬ女性の声が聞こえてきた。
「そこに居るのはローラじゃねぇか! 何でお前がここに居るんだよ!」
赤い髪に赤い瞳、翼と角を有した竜族の女性……彼女がローラの幼馴染であるリュドミーラなのだろうか?
「ミーリャ……」
「相変わらずトロくせぇ話し方だな! 私は何でここに居るんだって聞いてんだ、早く答えろ!」
「えっと……イリーナちゃんとアリフィアちゃんが養成所に入るからぁ、私も一緒に来たのぉ……」
「はぁ? 戦う力の無い奴が来て何をするつもりなんだよ!」
ミーリャは荒々しい口調でローラを罵倒する。
ローラの昔話と余りにも違いすぎる口調や態度にイリーナは困惑した。
自分を守ってくれたのだと、そう嬉しそうに思い出を語ったローラは決して話を美化したり嘘を言ったりはしていない筈だ。
ならばこの粗暴さは何なのだ?
もしこれが養成所の力によって変えられたものだとしたら……。
躊躇なく人族を殺害する為の洗脳は完了してしまっているのか……。
「ローラさんに戦う力が無いですって? 見る目がないにも程があるわね」
「なんだと!」
ローラが馬鹿にされ、我慢の限界に達したイリーナが声を荒げた。
恐らく養成所に送られた魔族は皆一様に洗脳教育を受け、他者に対して攻撃的になるのだろう。
それは人族に対してより大きく、顕著に。
残虐性が正しいと信じてる者の考えを改めるには、まずは圧倒的な力の差を見せつけ自分の弱さを認識させるのが早道かもしれない。
「あなた達養成所に居る魔族よりもローラさんの方が遥かに強いって、今から証拠を見せてあげるから訓練所へ案内しなさい」
「ちょっとイリーナちゃん、大丈夫なの?」
「平気よアリフィア、ローラさんに勝てる魔族なんてそうそう居ないんだから」
「へぇ~、おもしれぇ事言うじゃねぇか」
「何だったら私も含めて三人で順番に遊んであげてもいいわよ」
不安で押しつぶされそうな表情のローラを置き去りにし、話だけがどんどん進んでいく。
「後悔するなよ! とっととこっちに来な!」
「ふえぇえぇ~……」
こうして養成所の魔族とローラ達の決闘は、当事者の意見を全く聞かずに決まってしまった。




