第四十一話 一番の良策故の選択を
馬車は中央都市へと向けて歩みを進めていた。
中では先程からローラがイリーナによって質問攻めにあっている。
この先立ち寄る村で行う治療と言う名の『魔王の奇跡』
その精度を今よりも上位の魔術へと練り上げ、効率よく行えるように知識を蓄えなければとの考えなのだろう。
「こんな怪我の時はどうすればいいんですか?」
「そんな時はぁ、まず患部をこうしてぇ……」
「じゃあこんな症状の時は?」
「それは血液の中からぁ……それでぇ……」
質問を繰り返して分かった事だが、ローラの医学知識はどの村の……いや、どんなに大きな街の医者でも適わないレベルに達しているかもしれない。
前世で見た本やテレビの内容と比べても何一つ遜色の無いローナの話に、イリーナは容易に対処に必要な映像を思い浮かべる事ができた。
「ローラさんはお父さんがお医者様で、お仕事なんかのお手伝いしてたから医療に詳しいのは分かるけど、それを全部理解できるイリーナちゃんも凄いわよね」
二人の会話を見ていたアリフィアが関心する。
「だって、ズバ~っと切らないと見られない体の中身とか目に見えない病気の原因とか、そんな物のイメージを正確に思い描けてるんでしょ? さすがイリーナちゃん、魔王様の生まれ変わりの名は伊達じゃないって、ラウラ先生もそう思いますよね?」
「そうですね」
魔術の基本は正しい知識を理解し思い描ける事。
イリーナが医療の魔術で失った腕を再生できたと言う事は、直接見た事のない骨や筋肉や神経を正確に理解し、映像として思い描けた証拠である。
「手指の魔術もそうですが、街や教会では決して得られる筈のない知識がイリーナさんにあるのは、魔王様がその御身に宿り、加護を与えてくださってるのだとしか思えません」
前世の概念がない者にとってはイリーナの知識は最早『魔王様の奇跡』以外に説明も納得も出来ないものであり、ラウラも司祭様もイリーナは魔王様と同等の存在だと信じていた。
「それにぃ、イリーナちゃんの魔力の大きさを間近で見たらぁ、やっぱり魔王様の生まれ変わりだぁって思えちゃうものぉ」
「ええ、イリーナさんが起こす奇跡はどんな洗脳よりも心に強く浸透し、人々を正しい方向へと導けるでしょう……ただ」
それまで優しい眼差しでイリーナを見ていたラウラだったが、その瞳が急激に曇り始めた。
「中央都市に着くまでの間、その奇跡は魔族に対してのみ行った方が良いでしょうね」
「それは途中にある人族の村は見捨てて行くって事ですか?」
確かに、中央都市に都合の良い存在だと誤認させる為には人族の治療をするのは良案とは言えないかもしれない。
だが、魔族に気付かれないように人族を助ける方法はいくらでもある筈だ。
魔族も人族も救うと誓った矢先に発せられたラウラの言葉にイリーナは不満を隠せなかった。
「イリーナさんが疑問に思う気持ちはよく分かります」
「だったら!」
「ローラさんの村で起こした奇跡は近いうちに中央都市の耳にも入ると思います……そうなるとその力が本当なのか、真実ならどんな事をしてでも取り込もうと間者が動き始めるでしょう」
「……」
監視の目がどこにあるのか分からない限り、行動の隠蔽は完璧には出来はしない。
仮に人族を助けている場面を見られたりすれば、裏切り者の噂は瞬く間に広がってしまうだろう。
そうなれば全ての弱者を助ける……そんな本来の目的が永遠に遠のいてしまう。
イリーナにとっては心苦しい選択肢かもしれないが、魔族と人族の両方を救う為にも、今は心を鬼にして人族の村は見捨てるしかないのだ。
「分かり……ました」
信じられないような事が目前で起きれば人の心を掌握出来る。
奇跡の規模が大きければ大きいほど、魔王に縋る気持ちは強くなる筈。
だったら躊躇う事はない。
恐れる必要もない。
一日でも、一時間でも早く全ての弱者を救うため、みんなの前で全力で奇跡を起こせばいい。
人族を見捨てる選択はイリーナの決意を更に強めたのだった。
皆の決意が固まり緊張した雰囲気中の中、その空気を和らげる為なのか唐突にアリフィアがある提案をしてきた。
「それはそうとローラさん、そろそろ腰とか……その、おしりとか痛くなってきたんじゃないですか?」
「アリフィアちゃんはおしりが痛くなってきちゃったのぉ? 私が癒してあげましょうかぁ?」
「そそ、そうじゃなくて、癒しの魔術よりもっと良い物があるんですよ」
「いいものぉ?」
アリフィアは何やら悪い笑みを浮かべながらイリーナ対して目配せをしてきた。
「ねぇイリーナちゃん、例のクッションをまた作ってくれない? 特にローラさんには特別製のをね」
イリーナにはアリフィアの考えが簡単に読み取れた。
以前に自分が仕掛けられた悪戯をローラにしようと言うのだろう。
ヤレヤレと言った面持ちでイリーナは手指の魔術を使い始めた。
【私の周りにある空気よ、座布団の大きさに圧縮、固定し、地面から伝わる衝撃を吸収せよ】
ローラの目には見えない何かを捏ねている動作のイリーナしか映らない。
「それって何をしてるのぉ?」
「いいからいいから、もう本当に驚いちゃいますよ!」
満面の笑みで答えるアリフィアを余所に、イリーナはまずラウラと司祭様に腰を浮かすよう促す。
「司祭様、ラウラ先生、以前のより更に柔らかくしてみましたのでどうぞ」
腰を下ろした二人の表情が瞬く間に崩れていく。
その様子を目の当たりにしたローラは得体のしれない期待に胸を膨らませる。
「次はローラさんね、下にこれを置きますのでちょっとだけ腰を浮かせてもらえますか」
「こ、こうかしらぁ」
「さぁローラさん! 勢いよく腰を下ろしてみてください!」
アリフィアに急かされローラは勢いを付けて座ってみた。
その途端……。
言葉に出来ない柔らかさが腰から下全体を包み、今まで不快に思っていた馬車の揺れと衝撃を一切感じなくなった。
「なにこれぇ~! すごぉ~い」
「????」
空気で作られた目には見えないクッション。
この世の物とは思えないその柔らかさと快適さにローラは感動の声をあげた。
一方アリフィアは、頭上に大きな疑問符が浮かんでいるかのような表情だった。
「あれ? どうして? ローラさんには特別のをって言ったのに」
「うん、だからローラさんには特別大きくて柔らかいのを作ったのよ」
「ちっが~~~~う!」
アリフィアはローラに対して何の悪戯もされなかった事が気に入らず駄々を捏ね始めた。
「さっきから何訳の分からない事で文句を言ってるのよ、ちゃんとアリフィアの分も作ったから早く腰を上げなさい」
「あ~あ……イリーナちゃんだったら私が何を期待してるか分かってくれると思ってたのに」
ブツブツと文句を言いながらアリフィアが腰を下ろすと、それは突然起きた。
『ぶぅ~~~!』
「!!!!」
「やだぁ、アリフィアったら下品~」
馬車の中に鳴り響く轟音に皆は一斉にアリフィアの顔を見合わせる。
焦るアリフィアの態度にイリーナは吹き出しそうになるのを必死に抑えていた。
「ちち、違うの! 私じゃなくて! そうじゃなくて!」
「もう、そんな大きな音が出るまで我慢しなくていいのに~」
「イリーナちゃん、そんな事言っちゃ駄目よぉ」
「ちが……ローラさん本当に……私じゃ」
「少しも恥ずかしい事じゃないのよぉ、お腹が痛かっただけなのよねぇ、私が治してあげるからこっちにいらっしゃい」
優しいローラの言葉と態度は当事者にとって余計に辛いものがあった。
「あははははは」
「イリーナちゃんの馬鹿ばかバカ~!」
その後ローラに誤解である事がバレるまで、イリーナの笑い声とアリフィアの罵声は続いた。




