第三十四話 あなたの夢に心惹かれ
レオニードの突然の提案に対し、イリーナは即座に答える事は出来なかった。
「……む、無理よ」
暫く経って、イリーナは絞る出すように弱々しい声を出した。
しかしその答はレオニードにとっては期待をしていたものとは違っていたようだ。
同じ世界の記憶を持ち、同じ価値観を共有できる彼女ならばきっと自分の望む返事をしてくれる筈である……
無意識のうちにそれが当然の事なのだと思い込んでいたレオニードは、いつの間にか問いただす口調が荒くなっていた。
「どうして最初から無理だって決めつけるんだ! 確かに魔族も人族も関係なく、全ての子供達を救うのは簡単な事じゃないかもしれない! でも何もしないうちから諦めたら一歩も進まないじゃないか!」
俯きながら僅かに震えていたイリーナは、その言葉に怒ったかのように反論をしてきた。
「私だって子供達を助けたいって思ってるわよ! 魔族も人族も関係なく、みんなが笑顔で暮らせる世界が出来るなら協力したいって思ってるわ!」
「だったらどうして俺と一緒に来てくれないんだ」
「思っててもあなたと一緒に行動なんて出来る訳ないじゃない! あなたは自分が言ってる言葉の意味が分かってるの? あなたと一緒に戦いの旅に出るって事は、私に魔族である事の全てを捨てろって言ってるのと同じなのよ!」
「そ……それは……」
「私には何よりも大切な家族が居るのよ! 私が魔族から裏切り者と呼ばれるような存在になったらパパやママはどうなるの! 裏切り者の家族として処罰されるのは火を見るより明らかじゃない!」
「…………」
「あなたから見れば自分の幸せの為に他の子供達を見捨てる酷い女に見えるかもしれないけど……辛い事から逃げてる卑怯者だって蔑まれても構わないわ……でも……誰も傷付かない御伽話みたいな世界なんて、どこを探したって現実には無いじゃない! 両方を選ぶ事なんて出来ないのに……どちらかを選ばなきゃならないのに……だったら私は……」
そのあとイリーナは言葉を詰まらせ何も話せなくなり、大粒の涙を流しながら両手で顔を覆ってしまった。
レオニードはこの世界に転移してからは天涯孤独の身である。
それ故に、イリーナの家族に処罰が及ぶであろう事にまで考えが至らなかった軽率さを反省していた。
「す、すまない……俺は自分の夢だけに捉われて、キミの事情を何一つ考えていなかったな……許してくれ」
深々と頭を下げるレオニードの態度に、イリーナは少しずつ冷静さを取り戻していく。
「あなたは何も悪くないわ……だから謝らないで」
「いや……でも……」
「あなたの考えは決して間違ってはいないと思うもの……」
二人がお互いの事を気遣っているその時、僅かではあるが遠くからイリーナを呼ぶ声が聞こえたような気がした。
時間の経過を考えると、おそらくローラの元へと子供を送り届けたアリフィアが戻ってきたのだと思われる。
このままではアリフィアとレオニードの間で戦いが起きてしまうのは容易に想像できてしまう。
イリーナは慌てた様子でレオニードへ話しかけた。
「このままじゃあなたとの戦いを避けられなくなってしまうわ! だからあの子が来る前に早く姿を消して!」
事情を呑み込んだレオニードは静かに頷いた。
そしてイリーナに向かって自分の考えと決意を伝えた。
「俺はこれから先もずっと、魔族の子供も人族の子供も関係なく救う為に戦い続ける……今は一人かもしれないが、正しい行動を続けていれば賛同してくれる人は必ず現れてくれる筈だ……それはいつの日になるかは分からないが、魔族や人族の中に俺の考えを少しでも理解してくれる者が現れ始めたら……キミの周りの魔族や御両親がキミの行動を正しい事だと理解してくれる日が訪れたら……その時は俺の夢をより確実なものにする為に、一緒に来てほしい」
「……はい」
少しも躊躇する事無く出てきた返事の言葉に、イリーナ自身も驚いていた。
邪な気持ちなど微塵も感じさせないレオニードの真っ直ぐな瞳に、いつしかイリーナの心は惹かれていたのであろう。
「俺の名はレオニード・ザイチェフ! 覚えておいてくれ!」
「私はイリーナ……イリーナ・カレリナよ」
「俺達が目指す世界は同じ筈なんだ、だから……必ず迎えに来るから待っててくれイリーナ!」
その言葉を最後に、レオニードはアリフィアの声とは逆の方向へと走り去り、姿を消した。
暫くしてアリフィアがイリーナの元へと駆け寄り、息を切らせながら話しかけてくる。
「イリーナちゃん大丈夫!」
「大丈夫よアリフィア、人質になってた子供達はみんな無事だから安心して」
当たり前のように話すイリーナに、アリフィアは少し怒ったような表情をした後、強く抱きしめてきた。
「馬鹿! 私はイリーナちゃんの事を心配して言ってるのよ!」
「え~っと……まぁ私は何ともないし大丈夫大丈夫」
「イリーナちゃんは子供達を守る為だったら自分を犠牲にしかねないし、最後に現れた男は他の人族とは違う気配が感じられたし……私……」
「アリフィアは心配性ね、私は手指の魔術が使えるんだから負ける訳ないじゃない」
「そんな事分かんないでしょ!」
声を荒げるアリフィアの表情からは、どれほど自分の事を心配させてしまったかがハッキリと読み取れる。
「イリーナちゃんだったら大丈夫だって信じてたけど……でも、私が居ない時にイリーナちゃんにもしもの事があったらって……」
「ごめんねアリフィア」
目にいっぱい涙を浮かべて訴えるその様子に、イリーナは優しく抱き返して宥めるのだった。
「村に入った人族の兵士は全員倒したし、怪我をした子供を運んできた人族もどこかへ逃げて行ったし、もう心配する事はないわよ」
「逃げた?」
「うん……」
アリフィアはイリーナの言葉に違和感を感じていた。
イリーナが使う手指の魔術は魔王の再来と言われるくらい強大な威力を秘めていた。
その力はいつも傍に居て実際に見てきたアリフィアが一番よく知っている。
だからこそ、その強大な攻撃を受け、尚且つ逃げ果せると言う事は、相手の人族も同等の力を持っていると言う結論になってしまう。
「あの人族がイリーナちゃんと同じくらい強かったなんて……もしそんな人族が復讐の為に軍隊を引き連れてやってきたら大変な事に……今すぐにでも追いかけて止めを刺さないと!」
「大丈夫よアリフィア、そんな事は絶対にないから」
「どうしてそんな事が分かるのよ!」
「そ、それは……そうそう、あの人族が逃げる寸前に手指の魔術で洗脳だけは出来たからよ」
「洗脳?……本当に?」
「うんうん、本当本当」
「洗脳したのにイリーナちゃんに逆らって逃げたの?」
「それはその……ほら、あれよ、魔族に対して攻撃できないって暗示を掛けただけだから逃げる事は可能で……」
なんとか誤魔化そうと言葉を繕うが、焦れば焦るほど矛盾が生じてしまう。
アリフィアの鋭い視線に耐え切れず、イリーナの額には冷や汗が流れ、目は宙を彷徨っていた。
「まぁイリーナちゃんがそう言うなら間違いないんでしょうけど……それにまた襲ってきたとしても、今度は私も一緒に戦えばいいだけだしね」
少し納得いかない部分もあったが、アリフィアは大きな溜め息をついた後、諦めたかのような表情で答え、人質となっていた子供達と共に村長や司祭様の待つ教会へと向かうのだった。
一方イリーナは、教会へと向かう途中もずっとレオニードの言葉を思い出していた。
……だが、一つだけハッキリと言える事がある!
人族であろうが、魔族であろうが、子供の命を奪う行為は『正義』じゃない!……
……魔族の子供を守った行為は正義ではなく悪だと言いたいのか?
だったら俺は『悪』でいい!
裏切り者の『悪』で構わない!
魔族も人族も、全ての子供を守る『悪の化身』になってやる!……
(魔族にとって最大の敵になるかもしれないと、そう伝えられていた人族が彼で良かった……話してみて分かったけど、あんなにも真っ直ぐな心を持った人だったなんて……。
でも純粋な人だからこそ、この先どんなに苦しく辛い事が待っているのか、それが容易に想像できちゃう……。
彼が夢を叶える為に、私には何が出来るのかしら?
勿論パパやママに悲しい思いをさせるのは絶対にダメだけど、何か彼の援護になるような事は出来ないのかしら……。
レオニード……。
もう一度会って、みんなが笑って暮らせる世界についてゆっくりとお話がしたいな……)
魔族も人族も関係なく、子供が笑顔で暮らせる世界……そんな世界をレオニードと一緒に造りたい……。
イリーナの心に新たな目標が一つ増えたのだった。




