第三十一話 他の人族とは違う存在
「すまない……俺が駆け付けた時には既に子供達が兵士に襲われていて……その子しか助ける事が出来なかった……」
(すまない? すまないって何? どう言う意味?)
人はあまりにも予想外の言葉を投げ掛けられた時は思考が停止してしまうようだ。
イリーナは男の発した言葉が謝罪の言葉だとは理解できず、沈黙を続ける事しか出来なかった。
「その子は危険な状態だが、まだなんとか耐えてくれている……もっと完全な治療をしてやりたいが、俺の治癒魔術じゃ力が足りなくて……出血を止めるのがやっとなんだ……」
(この人族はさっきから何を言ってるの? この子を助ける為に魔術を使った?)
魔族の子供達を救えなかったと涙を流し、治療を施す為の魔力が足りないと悔やむ男の言動は、他の人族とは違いすぎる。
戸惑いを隠せないイリーナを余所に、男は人族の兵士を睨みつけ剣を構え始めた。
兵士は人質となっている子供の喉元に剣を突き付けたまま、男に向かって必死の形相で叫び始める。
「レオニード! てめぇいつから魔族に取り入って人族を裏切ってやがったんだ!」
「俺は人族を裏切ってなどいない……」
「ふざけるな! あちこちの街で兵士の邪魔をして、人族を殺しまくって全滅させてるそうじゃねぇか、それが裏切りじゃないだと!」
「人族だから……そんな理由で切っている訳じゃない……人族であろうと魔族であろうと関係ない、俺は貴様らのように生きている資格がない存在をこの世界から排除しているだけだ……」
「排除だと? なめやがって!」
兵士はレオニードの事を激しく罵っている。
注意が反れている今が好機と判断したイリーナが、小声でアリフィアに話し掛けた。
「アリフィア……理由は分からないけど、この人族の男と兵士は敵対してるみたいね……」
「うん……」
「今なら小さな動きには気付かれないと思うから、手指の魔術で十人の動きを一気に封じ込めるわ……」
「うん……それで私はどうすればいいの?」
「人質の子供は全員私が助けるから、魔術が発動したらアリフィアは怪我をしてる子を背負ってローラさんの所へ行って欲しいの……たぶんローラさんの魔術だったら完全に治せると思うから」
「わかった……イリーナちゃんも気を付けてね」
イリーナは兵士達の視線に注意を払いながら手話での詠唱を始めた。
【兵士達の手足の細胞から水分を完全に奪い、動きを封じ込めろ】
次の瞬間、その場に居た人族は信じられない光景を目にする事となる。
足は自分の体重を支える事も出来なくなり、枯れ木が折れるような軽い音をたてて崩れていった。
そして倒れる体を支えようと咄嗟に出した手は、地面に触れると同時に落ち葉を握りつぶすかのように肘までの形を失っていく。
「な! 何なんだよこれは!」
「アリフィア! 今よ!」
イリーナの掛け声と共にアリフィアが横たわる子供を抱えて走り去っていった。
兵士はそれに反応する事はおろか、自分の身に何が起きているのかも理解できず、地面に転がったまま叫び声を上げ続けている。
そんな兵士にイリーナは近づき問いかけた。
「人族はあなた達で最後なの? まだ隠れている人族は居るの? 正直に答えなさい!」
兵士は恐ろしさのあまり言葉にならない声を発している。
剣を構えていたレオニードはその様子に驚愕していた。
彼自身も幾多の戦いに参加し、強力な魔術を使う魔族を大勢見てきたが、これほど凄まじい現象は見たことがない。
かつての仲間が使っていた文字の魔術でも不可能だと思われる威力に、レオニードは無意識のうちに声を出していた。
「この攻撃はキミの魔術なのか?」
イリーナはレオニードの質問に対し、ただ沈黙をもって見つめている。
敵として警戒しているのだから無闇に会話などしないのが当たり前である。
それでもレオニードは堰を切ったかのように一方的に話し掛けてきた。
「俺はこいつらを追ってこの村に来たが、生き残りはもう居ない筈だ……」
人族の言葉を信じて良いのか分からない。
このまま子供達をラウラ達が居る場所まで走らせて、万が一隠れている人族に襲われてしまたら……
そう考えたイリーナは、人質となっていた子供達の周りに結界を張って守る事にした。
レオニードはその様子に反応する事は無く、ただ静かに見ているだけだった。
「それよりも、さっき子供を抱えて走り去ったキミの友人は人族じゃないのか?」
「…………」
「どう見ても魔族には見えなかったし……この村では実現していたんだな……」
「ふざけないで! あの子は魔族よ! 卑劣なあなた達と一緒にしないで!」
レオニードの言葉の真意は分からなかったが、少し笑いながら話すその態度が気に障る。
アリフィアの事を侮辱されているように感じたイリーナは思わず反論してしまった。
「そ、そうか……すまない、キミの友人を侮辱した訳じゃないんだ……ただ、人族だと思ったら少しだけ嬉しくなって……」
「うれしくなった? 意味が分からないわ! あなたは何を企んでるの!」
アリフィアが人族ではないと聞かされると、レオニードの顔には残念だと言った表情が現れた。
イリーナはその理由が気になって仕方がない。
いざとなれば手指の魔術で簡単に抑え込む事が出来る……そんな想いが心のどこかにあったのかもしれないが、いつのまにかイリーナは問い掛けに応じて話し始めていた。
しかし、その反応に一番驚いていたのはレオニードかもしれない。
「キミは変わってるな」
「人族はみんなそう……容姿が違うだけで魔族を侮辱し、見下し、襲っても罪だと感じていない」
「ち、違う! 変わってるって言うのはそんな意味じゃなくて」
目に怒りの感情を滲ませるイリーナに対し、レオニードは慌てて言い訳をした。
「俺から話しかけておいて何だが、質問に対して会話になるような言葉が返ってきたのは初めてだったから……今までは何を言っても俺を罵る言葉しか返ってこなかったから……だから他の魔族とは違うと言いたかったんだが、気を悪くしたなら謝る、すまなかった」
魔族に頭を下げ謝罪する人族が居るなどとは、ラウラや司祭様の話でも一度も聞いた事が無い。
イリーナは戸惑いながらも、目の前に居る男が他の人族とは違う事を感じ始めていた。
「魔族と人族は長年争っているんだから、憎しみの言葉しか出ないのは当たり前でしょ」
「確かに戦場ではそうだが……」
レオニードの言葉は戦場以外の場所でも魔族と関わっていた事を意味していた。
その行為が兵士の言っていた『裏切り』に繋がるのだと思うが、会話さえ成り立たず、罵られるだけの魔族と何故関わっていたのか、なぜ敵である筈の魔族を救い人族を裏切っているのか、イリーナは疑問に思っていた。
「兵士との会話だと、あなたは人族だけではなく魔族も殺害してるのよね……それなのに魔族を救うのはどうして? いったい何がしたいの?」
「奴らとの話を聞いてたなら、俺が裏切り者だと呼ばれてるのは分かってるんだよな……それなのに仲間を裏切るような奴が本当の事を話すとでも?」
「何か人族には理解してもらえない理由があったから裏切ったんでしょ……それに嘘かどうかは話を聞いてから私が決める事よ」
イリーナの言葉に対し、レオニードは思わず口角を緩めてしまった。
「ははっ、やっぱりキミは変わってるな……聞いてから決めるって事は、人族の俺が本当の事を言うかもしれないって思ってくれてるんだろ? 嘘しか言わないって決めつけてたら話を聞く筈がないからな」
「そ、それは」
レオニードは手に持っていた剣を鞘に納め、裏切り者と呼ばれる事になった経緯を話し始めた。




