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第二十六話 一つ目の村での出来事

 イリーナ達が街を出てから五日の時が過ぎ、馬車はようやく森を抜け小さな村へと到着した。


「わぁ~! イリーナちゃん見て見て、あそこに教会があるわよ」

「うん、あれだけ大きな教会だったらお風呂もあると思うし、今夜は久しぶりにゆっくりできそうね」

「さすがに森の中だとお風呂は無理だったしね~……まぁお湯で体を拭くだけでも我慢はできたけど、やっぱり湯船に浸かって手足を伸ばしたいもの」


 到着した村はイリーナ達が暮らしていた街よりは小さく、広さも人口も二割程度の規模なのだが、教会だけは他の街にも劣らない立派なものが建てられている。

 それはこの地に住む者の魔王への信仰心の強さだと言えるだろう。

 程なくして教会の前へと到着すると、馬車を取り囲むように多くの村人が集まり異様な熱気に包まれていった。

 イリーナ達が到着するのを長い時間待っていたのだろうか、村人や子供が並んで歓喜の声をあげている。


「す、凄いわねイリーナちゃん、何だか分からないけど大歓迎されてるわよ」

「うん、きっと司祭様が訪れるのを待っていたのね」


 大きな花束を持って近づいてきた子供たちに向かって、イリーナとアリフィアは窓から身を乗り出して手を振り始めた。


「こんにちは~! よろしくね~!」


 その様子を眺めていたラウラがイリーナに質問をする。


「教会でも何度か見た事がありますけど、その人差し指と中指の二本を立てる仕草は何か意味があるんですか?」

「え? これですか?」


 イリーナは無意識に出していた右手のピースサインを見つめた。

 日本の女子高生としての記憶はあるが、ピースサイン本来の意味を調べた事などはない。

 ただ癖と同じく無意識のうちに出していただけなので、改めて聞かれるとどう答えていいのか悩んでしまう。

 

「えっとですね……これは……」


 困っているイリーナを横目にアリフィアが代わりに答え始めた。


「これは嬉しい気持ちになった時にする手の形で、ピースサインって言うらしいですよ」

「ピースサインですか?」


 イリーナ本人は気にしていないのかもしれないが、駆けっこで勝った時、テストで良い点数を取った時、新しい魔術が成功した時……嬉しい事があった時は必ずと言って良いほどアリフィアに向かってピースサインを出していた。

 小さな頃から何度も見てきたこの動作の意味を、一度アリフィアは聞いた事があったのだ。

 その時のイリーナは軽い気持ちで答えていた。


「それは手指の魔術と関係のある動作なんですか? 何か魔術が発動したりしてるんでしょうか?」

「えっと……その……」


 ラウラの問い掛けに対し、これは日本人の本能なのだと、……細胞に刻まれたDNAなのだと力説したかったが、そんな事は理解してもらえる筈もなく、イリーナの答えはいつもの『魔王様の夢』で落ち着いた。


「イリーナさんは魔術は発動していないって言いましたけど、私にはそうは思えません……イリーナさんやアリフィアさんを見ていると、楽しいって気持ちが凄く伝わってきますから……その動作にはきっと微弱な魔術が含まれていて、見ている者を幸せな気持ちにしているんだと思いますよ」

「ですよね~! 私もイリーナちゃんから教えてもらってからやってますけど『やった~!』って感情が増幅されるような気がしますから」


 ラウラの意見にアリフィアが同調する。


「教会でも何人かのお友達はやり始めてますからね~……そうだ! これから訪れる街でどんどんピースサインを流行らせていきましょうよ! いいですよねラウラ先生? きっとすぐに広まりますよ」

「そうですね、楽しい気持ちになれるのでしたら悪い事ではないと思いますよ」

「やった~!」


 アリフィアとラウラだけで話がどんどん進んで行く。


「本当に広める気なの?」

「もっちろん! ほら、この村の子供たちも真似し始めたし、イリーナちゃんが始めた事なんだから『ピース教の教祖』として協力しなきゃ駄目よ」

「教祖って……」


 イリーナは何気ない気持ちでやっていた事なのだが、いつの間にか教会公認で広める事に決まってしまった。

 この先イリーナの戸惑いとは裏腹に、ピースサインは魔族の子供たちの間に凄まじい勢いで広がる事となる。


 教会の中に入ると四人は広い客間へと案内された。

 客間には扉が三つあり、その一つはイリーナとアリフィアが眠る為のベッドが置かれている部屋へと続いていた。

 決して豪華な造りではなかったが、隅々まで清掃されており、清潔感のある心地よい部屋であった。

 司祭様とラウラは教会関係者への挨拶があるからと部屋を後にする。


「私と司祭様は夕食まで戻って来られませんから、二人はお風呂でも頂いてゆっくり休んでいてくださいね」

「は~い」


 部屋に残された二人はさっそく準備を整え、浴室へと向かった。

 浴室は街の教会の物よりも広く、村の子供たちが大勢入っていて賑わっている。


「あれ? さっき馬車の周りに集まってきた子供達もそうだったけど、私達と同じくらいの子っていないのね」


 アリフィアは浴室の中を覗いて呟いた。


「あぁ、それはさっきラウラ先生に聞いたんだけど、この村には強力な戦闘魔術が使える先生が居ないんですって」

「え? そうなの?」

「うん、だから学問だけならこの教会でもいいけど、魔術を習いたいって思う子供は七歳になったら大きな街の寮に入るそうよ」


 七歳から十二歳の子供の中でも、魔術に興味を持った者は遠く離れた場所へ行ってしまう。

 それは村に住む小さな子供達の世話をする手が足りない事を意味する。

 その為、この村の教会は宗教や知識を教える場としての役割だけではなく、小さな子供の清潔を保つ場としても機能しているようだ。

 中に入ったアリフィアは湯煙の向こうに広がる世界に驚いた。


「何これ、ひっろ~い! 向こうの浴槽なんて泳げちゃうんじゃない?」

「アリフィア! 小さい子供が見てるのに騒がないでよ、もぅ……」 


 アリフィアを叱る声に気が付いたのか、子供たちがイリーナ達の周りに集まり始めた。


「ねぇねぇ、お姉ちゃん達は森の向こうにある街からきたんでしょ?」

「ええ、そうよ」


 イリーナの返事を聞いた子供たちの表情が一斉に明るくなっていくのが分かる。

 

「じゃあ院長様が言ってた、凄い魔術が使える魔王様の生まれ変わりってお姉ちゃん達の事なんでしょ? そうなんでしょ?」


 思いもしなかった言葉に、イリーナ達は困った表情で見つめあった。

 中央都市の使者を退治した時に見せた手指の魔術の噂は、二人が想像していた以上に早く伝わっていたようだ。


(まさかとは思うけど、教会の前で歓迎されてたのって私とアリフィアだったの? 魔王様の生まれ変わりが来たと思ったから村の人たちが集まってたの?)


 ラウラも心配していた事だが、信仰心は思いがけない速さで伝わって行く。

 旅の準備をしていた二週間の間にどこまで広がっていったのか、どんな尾鰭おひれが付いて伝わっているのか、イリーナは少しだけ不安になった。


「えっと……お姉ちゃん達は魔王様の生まれ変わりとか、そんな凄い魔族じゃないわよ~、ただ、ほんのちょっとだけ魔術とか剣術が得意なだけだから」

「本当に?」

「うんうん、本当本当! 全然特別な事なんてないから」

「そうなんだ……じゃあ何か簡単な魔術でいいから使って見せて~」


 この村には強力な魔術を使える者が居ないため、生活魔術以外を目にする事がないのであろう、子供たちは期待に満ちた瞳で見つめてくる。

 もちろん強力な魔術を使う事は出来ないが、こんな目で見つめられては何も出来ないと断る訳にはいかない。

 イリーナは簡単な魔術で子供が喜びそうな事を考える。

 そして浴槽に虹を作り、その周りにたくさんのシャボン玉を飛ばしたり、魚の形をした水を泳がせたりした。


「うわぁ~! 凄い凄い!」

「きれい~!」

 

 イリーナは大喜びで声をあげている子供たちの笑顔を幸せそうに眺めている。


 その頃ラウラと司祭様の二人は、この村の村長や教会の関係者と話をしていた。


「それにしても司祭様の街も災難でしたな」

「えぇ、まさか中央都市の者があれほどの凶行に出るとは思いもしませんでした」


 村長の言葉に司祭様が暗い表情で答える。

 続いて村の状況を確かめるようにラウラが発言した。


「この村へは使者は訪れなかったんでしょうか? 確か魔界全土へ同じ内容の文が届けられたと聞きましたけれど」

「確かに魔力の多い者を送るようにと伝令はされましたが、ラウラさんもご存じのようにこの村には戦闘魔術を使える者がおりませんからな……強硬手段に出るだけ無駄だと後回しにされたのかもしれません」

「そうですか……でも使者はかなり焦っていたようでしたから、中央都市の状況はかなり危険な状態なのではないでしょうか……何も無ければそれが一番良いのですが、今後も油断はしない方がいいと思います」

「ご忠告感謝します……それはそうと、一緒に居た二人の事ですが、彼女達が噂の?」


 イリーナ達の事でどんな噂が広まっているのか、ラウラは容易に想像できた。

 恐らく魔王と同等の力を持った少女と、それに続く実力を持つ少女の二人が現れたと伝えられているのであろう。

 村長の言葉にラウラは一瞬戸惑ったが、魔王への信仰心の強いこの村では期待する気持ちも大きい筈である。

 下手な嘘で誤魔化してしまうと噂だけが大袈裟なものへとすり替わり、独り歩きをしてしまう可能性があるのではないだろうか。

 暫く考えた結果、ラウラは正直に話す事により二人を守ろうと考えた。

 イリーナが魔王から夢を通して魔術を伝えられた事……。

 その魔術は他の魔族とは比べ物にならない威力がある事……。

 アリフィアが魔族では習得不可能な剣術を扱える事……。

 そして二人がその力を自分の為ではなく、周りの者の為に使おうとしてる事を。


「どれほど強大な力を持っていたとしても、見た通りあの二人はまだ幼い少女です……信仰の対象とされ、魔王様の生まれ変わりだと期待をされても、それに耐えられるほど心は強くありません……だから今はあまり騒ぎ立てないようにして頂きたいんです」


 村長は暫く考えたあと、静かに答えた。


「そうですね……分かりました、魔族全体の事を考えても、まずはあの二人を守る事が最優先されるべきだと思います」

「ありがとうございます村長」

「そうと決まればすぐに夕食の準備に掛かりますので、司祭様とラウラさんの両名もお部屋でくつろいでいてください」


 こうしてイリーナ達は魔王の生まれ変わりとして特別扱いをされる事はなく、普通の客人として楽しい夜を迎える事となった。


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