第十六話 シュワシュワは駄目よ
次の日からイリーナとアリフィアはラウラの補佐をする為に教会へと通い始めていた。
「今年は教会で魔術を習いたいと言ってくれたお友達はここに集まった二十八名になります、みなさん魔術が使えるように頑張りましょうね」
「は~い」
ラウラは挨拶を終えると、イリーナとアリフィアに自己紹介をするように促した。
まずはアリフィアが前に出て挨拶と一緒に簡単な魔術を見せる事にした。
アリフィアは昨日イリーナと話し合いをし、魔術に興味をもってもらう為には実際に目の前で見てもらうのが一番いいと言う結論を出していたようだ。
「おはようございます、アリフィア・クラスノヴァです、私はつい先月までみなさんと同じようにこの教会でラウラ先生に魔術を教えて頂いてました、ラウラ先生は教えるのが凄く上手なので、みなさんも一生懸命練習をすればこれくらいの事は出来るようになりますよ」
アリフィアは挨拶を終えると森で集めた砂鉄が入った袋と丸太を机の上に並べ、短い木の枝を右手に持って構えてみせた。
「袋の中の砂鉄よ、剣の形で枝を覆い、小さな刃を高速で動かす事で触れる物を切り刻め」
木の枝は瞬く間に長めのナイフへと姿を変えた。
アリフィアは間髪入れずにそナイフを丸太に向かって振り下ろす。
すると丸太はまるで胡瓜でもスライスしているかのように、何の抵抗もなく薄い輪切りにされていく。
子供達は信じられないものでも見ているかのように呆然とその光景を眺めていた。
「すっご~~い! 格好いい~!」
「アリフィアさん素敵……」
少年達は感動の声をあげ、少女達は憧れの対象を見つめるようにうっとりとした表情をしている。
アリフィアは慣れない状況にどう対処していいのか分からず、顔を真っ赤にして照れていた。
何を話せば子供達が喜んでくれるか、アリフィアは寝る間も惜しんで考えていた筈なのだが、潤んだ瞳で少女達に見つめられた途端に頭の中が真っ白になってしまったようだ。
「とと、とにかく一生懸命練習をすれば、えっと、その……次はイリーナちゃんどうぞ」
「はい? 急に振らないでよ」
ヤレヤレと言った面持ちでイリーナが前に出てきた。
「おはようございます、イリーナ・カレリナと言います、みなさんは今アリフィアが見せた魔術はとても不思議だって……自分には出来ないって思ったかもしれませんが、どうやって切っているのか、何を思い浮かべればいいのか、それを理解していれば難しくは無いんですよ、この世界で起こる出来事を正しく理解する……それが魔術には一番大切な事なんです……あと日常の生活には役に立たないかもしれませんけど、自然現象を理解出来ればこんな事もできちゃうんですよ」
イリーナは両手で何かを掬うような形を作り体の前に突き出した。
「空気の中に隠れているお水の粒よ、少しだけ大きな粒となり、手の上の光を屈折させて虹を作り出せ」
詠唱を終えるとイリーナの手の上に小さな虹が現れた。
「うわ~、綺麗~」
大喜びではしゃいでいる子供達にイリーナは更に語り掛けた。
「じゃあ次は窓の方へ移動してお空を見てて下さいね」
子供達が窓のある壁に一列に並び、空を見上げている。
イリーナはみんなが外を向いてる隙に手指の魔術を使い、それがばれないようにと声も同時にだしていた。
【大気に含まれる水滴よ、少しだけ大きな粒となり、太陽の光を屈折させて大空に虹を描け】
次の瞬間、大空には鮮やかな虹の橋が現れた。
この光景にはラウラも驚いた様子だった。
「雨が降ったあとに日の光が差すと太陽の反対側に虹が現れるのは知っていましたけど、イリーナさんは虹が何なのか、どうして出来るのかと言った原理まで理解してるんですね」
「はい……でもこれはそんなに難しい事じゃないんですよ、説明をすれば誰でも理解できる事なんです」
「いいえ、発見や発明は気付く事が出来るかどうかが一番重要なんですよ、どんなに簡単な原理の事だとしても、気付く事ができなければ永遠に理解する事が出来ないんですから、イリーナさんはもっと自信を持った方がいいと思いますよ」
「は、はい……」
前世の小学生ならば誰でもプリズムを使って虹を作った経験がある筈だ。
イリーナは何となくカンニングを褒められてるようでバツが悪かった。
その後もイリーナとアリフィアは交代しながら、簡単な魔術をいくつか披露して子供たちの心を掴んでいった
「イリーナさん、アリフィアさん今日はご苦労様でした」
「みんなキラキラした目で見つめてくるから恥ずかしかったけど、凄く楽しかった~」
「うんうん、アリフィアはいつも以上に張り切ってたものね」
「そう言うイリーナちゃんだって、昨日の話し合いで出なかった魔術までやってたじゃないの」
「だって、あんな期待に満ちた目で見られちゃったらね~」
二人は今日の自己紹介が成功した事を喜び合っていた。
「そうだ、まだまだ子供達は緊張してると思うし、明日はお友達と仲良くなれるように歓迎会でも開けばどうですか?」
「歓迎会ですか?」
「はい、明日からすぐに授業をするよりもいいかな~って」
イリーナがラウラに一つの提案を持ち掛けてきた。
「歓迎会って……まさかイリーナちゃん、あの飲み物を出す気なの?」
「勿論! 以前アリフィアに作ってあげたけど、美味しいって言ってくれたじゃない」
「確かに慣れれば美味しいかもって言ったけど、あれはみんなビックリするわよ」
「ちょっと待ってイリーナさん、いったい何を飲ませるつもりなんですか?」
アリフィアとイリーナの会話からは不安の材料しか見当たらない。
ラウラが狼狽えた表情を見せている。
「心配しなくても大丈夫ですよ、誰も飲んだことが無い新しい飲み物を作っただけですから」
「そ、そうなんですか……」
どうやらイリーナは前世で飲んでいた炭酸飲料が忘れられなくて、ずっと以前から再現できないかと試行錯誤を繰り返していたらしい。
その結果、魔術で空気中から微量に含まれている二酸化炭素を集め、それを果汁に溶け込ませればいいのではと考えたようだ。
しかし最初はなかなかうまくいかず、何度も何度も失敗を繰り返し、最近になってようやく思い通りのシュワシュワ感が完成したらしい。
「じゃあ今から試しに作ってみますから、ラウラ先生も飲んでみてください」
イリーナは大きめの器に柑橘系の果汁を注ぎ、両手をかざして詠唱を始めた。
「空気に含まれる二酸化炭素よ、私の手元に集まり果汁の中に溶け込め」
ラウラが器の中を覗き込むと、注がれた果汁の表面には無数の小さい気泡が生じ、音を立てながら弾けている。
「できた~! ファ〇タ・オレンジ~!」
「イリーナちゃん前も同じ事言ってたけど、それって何?」
「ううん、気にしないで、それよりもラウラ先生どうぞ」
イリーナは出来たばかりの飲み物をコップに注いで手渡した。
「こ、これは……」
ラウラが恐る恐る口にしてみる。
口に含んだ瞬間に喉を刺激する感覚に襲われ、思わず吹き出しそうになってしまったが、両手で必死に口元を押さえ何とか飲み込むことが出来た。
「な、何なんですかこれは! 本当に体に無害な物なんですか!」
「当たり前じゃないですか、これは炭酸ガスと言ってシュワシュワ~っとした喉越しを楽しむ飲み物で……」
イリーナが説明をしている途中だったが、ラウラが遮るように話し始めた。
「イリーナさんちょっと待ってください……確かに不思議な刺激の果汁で驚きましたけど、それよりも先ほどの詠唱は何なんですか?」
「え? 何って?」
「果汁に気体を溶け込ませたのは分かりました、でも『空気』ではなく確か『空気に含まれる二酸化炭素』って言いましたよね?」
「は、はい……」
「その言葉は初めて聞きましたけど、イリーナさんは私達の周りにある空気が何で出来ているのかを把握しているんですか?」
驚いた表情で尋ねるラウラに対して、イリーナは前世で見た教科書を思い出していた。
「えっと確か……空気の主な成分は窒素と酸素で、あとはアルゴン、二酸化炭素、ネオン、ヘリウム、クリプトン、キセノン、水素、メタン、一酸化炭素、それと水蒸気……」
ラウラは聞いた事のない言葉の羅列に驚愕した。
この世界にも空気や風を操る魔術は存在するが、イリーナのように空気の中の一部を取り出せる者などは……いや、それ以前に、空気が何種類もの物質で構成されている等と言った概念が無く、理解できる者も存在しなかった。
「残念ですけど、これは子供達に出す訳にはいきませんね」
「え? どうして? 美味しくなかったですか?」
「いいえ、味の事を問題にしている訳ではないんです」
ラウラは真剣な表情でこの飲み物は出せないと言い切った。
イリーナは納得出来ず理由を問い詰めた。
「イリーナさんの知識の数々は、魔王様が夢を見せる事でお与え下さったものに違いありませんけど、今はまだ第三者に知られてはいけない危険なものだと思うんです」
ラウラの発言はイリーナの身を案じての事だった。
この飲み物を与えれば確かに子供達は喜ぶだろう。
しかしその感動を親に伝え、親が周りの者に伝える事で噂は広がっていくと思われる。
すると、当然それを詮索する者も出てくる筈だ……『あの飲み物は何で出来ているのか』と……
本当の事を説明した所で理解できる者は一人もいない。
しかし現物が目の前にある以上、その原理は虚偽のものではなく真実なのだと結論付けられる。
誰も知らない新たな知識は研究の対象とされ、イリーナの自由を奪うのは明白だった。
「だからこれはイリーナさんやアリフィアさんがこっそりと楽しむだけならいいんですけど、他の誰にも飲ませてはいけませんよ」
「はい……わかりました……」
イリーナは軽い気持ちで行った行為でさえ、重大な事案へと発展する恐れがある事を理解した。




