第十一話 認めたくなかった真実
ラウラから魔王の魔術について聞いた翌日、イリーナはこっそりと街の外れに出掛け、ある事を確かめようとしていた。
魔王の使った魔術は誰にも使えない筈……魔王の手指魔術と日本の手話は何の関係もない……そう自分に言い聞かせながら……。
まず最初は大気中にある水分を集める様子を思い浮かべながら、そのイメージを声にして唱えてみた。
「大気に含まれている水の粒よ、私の手の下に集まれ」
すると地面にかざした手の平の下に小さな水の球が現れ、次第に大きく膨れ上がっていく。
それは小さい頃に母親を心配させてしまったあの時と同じ光景だった。
次にイリーナは家から持ってきた木の板に木炭で文字を書き始めた。
(魔王様が使った『文字の魔術』が象形文字だとしても、私が知ってる漢字とは関係ない筈よ……でも……もしこれで魔法が使えちゃったら……)
先ほどと同じ水のイメージを思い浮かべながら、イリーナは『手』の漢字を横向きに書き、その下に『水』の漢字を書いた。
何も起こらないでほしい、思い過ごしであってほしい……そんな期待を持ちながら。
しかしそんな想いも虚しく、イリーナの手の下には信じられない勢いで水が集まり始め、あっと言う間に小さな川のような流れを足元に作ってしまった。
「やっぱり文字魔術って日本語の漢字でも使えてしまうんだわ……」
イリーナは絶望感に飲み込まれ、眩暈にも似た感覚に襲われていたが、それでも必死に気力を振り絞り手指の魔術を試してみた。
【大気に含まれている水の粒よ、私の手の下に集まれ】
先ほど声を出した時と同じ内容を手話で話してみる
すると次の瞬間凄まじい威力の魔術が発動した。
手の下には滝と見間違うほどの大量の水が現れ、それは激流となって森の方向へと流れていった。
「嘘……こんなの絶対に嘘よ……」
イリーナはすぐには現実を受け入れられなかった。
七歳の少女が知らぬ間に恐ろしい力を与えられ、ある日突然それを自覚させられたら……心の弱い者なら正気を保つ事さえ困難かもしれない。
人族を簡単に殺害できる強大な力は周りから畏怖の念を向けられ、異端の者として孤立してしまう……。
制御出来ない力は暴走してあらゆるものを破壊し、いずれは大切な者をも傷つけるかもしれない……。
人族を制圧出来る力は権力者に利用され、自分の意志とは関係なく手を血で染める事を強いられてしまう……。
それはどんなに抗っても逃れる事は出来ない運命であり、自分の寿命が尽きるまで続く時の牢獄に違いない……
残酷な未来の情景だけが次々と頭に浮かびあがり、イリーナはその場で泣き崩れてしまった。
次の日からイリーナは教会へ行く事も出来ないくらい落ち込んでいた。
心配したアリフィアが見舞いにやってきたが、イリーナは部屋から出てこようとはしない。
何とか部屋の中に入れてもらおうとアリフィアが一生懸命語り掛けてみる。
「イリーナちゃん、アリフィアだよ……何があったの? お顔だけでも見せてよ」
「…………」
「イリーナちゃんお返事してよ」
何度名前を呼んでもイリーナは返事をしてくれなかった。
アリフィアは大粒の涙を流しながら尚も語り掛けた。
「イリーナちゃんは私の事が嫌いになっちゃったの? もう私とはお話もしてくれないの?……」
泣きながら訴えるアリフィアの声に、イリーナが消え入りそうな声でポツリと答えた。
「私……怖いの……」
「何が怖いの? お願いだからお部屋に入れてよ」
「…………」
暫くは静寂の時間が過ぎたが、やがてアリフィアの説得に答えるかのように静かに扉が開いた。
そしてイリーナは自分には恐ろしい力がある事、その力を利用され遠くに連れて行かれるかもしれない事、強大すぎる力を制御出来ず周りのみんなを傷つけてしまうかもしれない事……そしてアリフィアとも一緒に居られないかもしれない事……そんな不安の全てを話した。
イリーナの悩みを聞いたアリフィアがゆっくりと話し始める。
「三年前……イリーナちゃんは私が人族でも構わないって、そう言ってくれた時の事を覚えてる?」
「……うん」
「あの時は凄く嬉しかった……周りのみんなが居なくなってもイリーナちゃんだけは傍に居てくれるって、それが分かったから私は勇気を持てたの……何があってもイリーナちゃんだけは私のお友達で居てくれるって、そう信じる事が出来たから私はこの容姿が気にならなくなったの」
「…………」
「私も同じ気持ちだよ……イリーナちゃんがどんなに強い力を持ってたとしても何も変わらないもん……イリーナちゃんはイリーナちゃんのままだし……私の大切なお友達のままだもん」
イリーナはうつむいたまま涙を流していた。
そんなイリーナを落ち着かせるように、アリフィアは力強く両手を握りしめる。
そこには優しく静かな時間が流れていたが、暫くして何かを思いついたのかアリフィアが声をあげた。
「そうだ、そうすればいいのよ」
「…………?」
「私も一生懸命魔術を練習してイリーナちゃんと同じくらい強くなればいいのよ! そうすればイリーナちゃんだけが特別だって思われなくなるし、仮に人族と戦う事になったとしても、ずっとずっと一緒に居られるでしょ?」
アリフィアは満面の笑みで話し掛けてくる。
その笑顔に救われたように、イリーナは泣き顔のまま何度も何度も頷いた。
「私も今まで以上にお勉強してたくさん魔術を使えるようになるから、だからその為にも明日ラウラ先生にお話を聞いてもらいましょ」
「うん……」
その日アリフィアはイリーナの家に泊まる事を決め、いつまでもずっとイリーナの傍に寄り添っていた。
次の日の早朝、二人はいつもより早めに家を出てラウラの元を訪れていた。
突然の告白にラウラは少し戸惑ってしまったが、涙ながらに訴える様子は嘘を言っているようには見えない。
ラウラは二人を落ち着かせ、事の真相を確かめるために森の奥へと向かう事を決意した。
イリーナは本当に手指魔術を使えるのか、もし使えるとしたらどれほどの威力なのか……正確な事は一つも分からないが、誰も居ない森の奥なら万が一の場合でも被害が広がる事はないだろうし、第三者の目にとまる事もないと考えての事だった。
「私が一緒だから大丈夫ですよ、このあたりでしたら獣が出る確率も低いですし、もし出たとしても私の攻撃魔術で十分対応できますからね」
「は……はい……」
二人は震えながらラウラの後をついていった。
途中で巨大な猪のような獣に遭遇したが、ラウラが見えない刃のような物で攻撃をし一瞬にして葬り去った。
「ラウラ先生凄い!」
興奮した二人は尊敬の眼差しをラウラに向けている。
そんな二人に対し、ラウラは少し難しい質問をしてきた。
「いま危険な獣を退治しましたけど、その攻撃はどんな魔術だったか分かりますか?」
「え~っと、ん~っと……透明の剣で切った?」
ラウラの質問にアリフィアが困りながら答えた。
「確かに私たちの目には見えない剣で切りましたけど、その見えない剣とは何で出来ているのかイリーナさんは分かりますか?」
「ん~……私には空気の刃を飛ばしたように思えましたけど……それは空気の中に刃形の真空を作り……ううん、そうじゃなくて……地面の中に含まれてる砂鉄を刃状に集め、風の力を利用して凄い勢いで獣に当てた……の方が正解だと思うんですけど」
イリーナの話す内容にラウラは驚きを隠せなかった。
大人でも初見でここまでのイメージを思い描ける者は居ない、ましてや七歳の子供がとなると信じられない事だった。
ラウラは改めてイリーナの子供らしからぬ知識の深さに感心していた。




