8 罠と過去
しっかり掛けられた幌をめくって荷台に乗る時、ジーンはもしやと思って用心していた。おかげでとっさに頭はかわしたが、棒で背中を一発殴られた。
「ジーン!」
「罠だ!」
イーファにそう叫び、右側の男の顔に拳を叩き込む。男は声も出さずに崩れ落ちた。左の男が棒を振り下ろして来たがそれは予想済みだ。棒をかわしつつ右足で回し蹴りを頭の後ろに入れると、そいつもゆっくり倒れた。
「イーファ! どこだ?」
「こっち!」
荷台から飛び降りてイーファを探すと、彼女は御者にナイフを向けて動きを封じていた。さすがだ。
「俺が話を聞く間、後ろの二人を縛ってくれ。念のため腹にもう一発入れてからだ」
「はい」
イーファ言うとおりに腹に一発入れたらしく、背後から「グッ」という声が聞こえてくる。
「縛り上げた。自分では絶対にほどけないと思う」
「よし、よくやった。さてさて、あんたの目的は?」
ジーンが御者に尋ねたが答えはない。仕方なくイーファのナイフで胸のあたりを横に払った。男の旅支度が切れてパカリと横に開いた。ほんの少し皮膚も切れて血がツツッと流れている。
「やめてくれ!」
「ああ、悪かったな。服だけを切るつもりだったんだ。俺はナイフの腕が悪くてね。で、お前らは何が目当てだ?」
男が何も言わないので、ジーンが今度は縦にナイフを振るう。また服と一緒に胸の皮が少し切れた。
「ぎゃっ! 言うから! やめてくれ! 女だ。あれは船村の女だろう? 船村の女は高値がつくと……グハッ!」
「よし、これでお前らは真っ黒確定だ」
ジーンは御者の腹に拳を入れ、失神させてからぐるぐる巻きにした。
「陸は危険だね」
「まあな。イーファ、お前は狙われやすい。油断するな」
「私をさらって売りたいヤツがいっぱいいるのか。シャチの群れの中みたいだね」
「そういうこと。いっそシャチに食われた方がマシな目に遭わされるんだよ」
「気を付ける」
「そうしてくれ」
荷台に三人を転がして馬車でナーシャに向かう。
「馬車は楽で速いね」
「助かったと言えば助かったな。馬鹿も利用価値がある」
「なるほどね」
三人の男たちは、普段はまがりなりにも商人をやってたようで、荷台には日用雑貨がぎっしり積んであった。
「出来心で私を狙ったのかな?」
「まさか。出来心であんな上手く連携できるもんか。宿で俺たちの噂を聞いた時からイーファを狙って追いかけてきたんだろう。普段から副業で人身売買に手を出してたんじゃないか? 街の警備隊に渡せば報奨金が出るレベルの悪人だ」
イーファは無言で考え込んでいる。ジーンはそんなイーファを励まそうと、話しかけてみた。
「なあイーファ、そんなにお前の村は人が出て行かないのか。一人くらい新天地を求める奴がいたっていいと思うんだが」
「たまにはいるのかな。十年に一人くらい? でも男の人だけ。たいてい戻ってくるそうです。それよりジーンさん、体は大丈夫なの?」
そう言いながらイーファが俺の背中に手を当てた。
「ッ!」
「怪我してるんですかっ? 見せて!」
「大丈夫だよ」
「殴られたのは私のせいです。見せてくれないと困ります」
「なんでだよ」
ジーンの問いに答えるイーファの声が、普段より低くなった。
「私のせいで誰かが怪我するのはもうたくさんなんです。せめて手当てさせてください!じゃないと……じゃないと申し訳なくて苦しい」
ジーンは言われている意味がわからなかったが、早くもイーファの紫の目が赤くなってきた。「泣くな泣くな」と苦笑して、上着とシャツを脱いで背中を見せた。
イーファがヒュッと息を呑む音がした。
「まあそうなるだろうな。でも、そのうち治るさ」
「そうじゃなくて。殴られた跡も腫れていますけど、ジーンさん、背中の傷跡はどうしたんですか?」
「まあ、追放されるついでかな。気にするな」
俺の背中は、重い革の鞭で三十回叩かれて、その時裂けた肌と肉が治りかけてる途中だ。傷にかさぶたが出来て、デコボコに盛り上がってえらいことになっているのは自覚している。
「何があったのか聞いちゃだめですか?」
イーファが前を向いたまま暗い声で言う。
「聞いても別に楽しくない話なんだよ」
シャツを着ながら返答する。
「だってこんな、こんな酷い目に遭うようなことをジーンさんがするとは思えないです」
「イーファ、それは俺を信用し過ぎだ。だがまあ、ナーシャまでの関係だ。暇つぶしに話してもいいか。言えないことは言わないがな」
「はい。それでお願いします」
どこから話そうかと、ジーンは考え込み、兄のことから話そうと決めた。
「俺には兄と弟がいたんだ。兄はあまり身体が丈夫じゃなくてね。兄の子供はまだ小さかったから、俺が兄の代わりに家の仕事をこなしてた。俺には五年越しの恋人もいて、忙しいながらも平和な毎日だった」
イーファが頷く。
「ある時、他の地区と争いが起きたんだが、こちらの打つ手が全部かわされる。直前に逃げられるし潜んでいれば見つかって攻撃される。こっちの情報が漏れてたんだ」
「漏れてた? 漏らした人がいたってことね?」
「ああ。敵に情報を漏らしていたのは俺の恋人。彼女に情報を渡してたのは俺の弟。二人は俺が知らない間にそういう関係になってた」
イーファが眉間にシワを寄せている。
「五年も恋人だったのに?」
「五年も恋人だったから、かな。弟は敵と手を組んで俺らを倒して、兄の立場に立ちたかったそうだよ。兄も俺も邪魔だったらしい」
イーファは眉間にシワを寄せたままだ。
「弟と俺の恋人、その二人のせいで仲間が大勢死んだ。俺も責任を問われた。裁判が開かれて、彼女と弟は処刑された。弟と彼女への監督不行き届きとして、俺は歳の数だけ鞭打ちされて国外追放。以上だ」
「なんで彼女はそんなことをしたんでしょうか」
(十六歳にはわからねえだろうなあ)
「途中から俺を憎んでたんじゃないかな。そんな気がする。俺は彼女も了解してるものと思い込んで自分の考えを押し付けていたんだよ」
「考え?」
「お前は俺に守られていればいいとか。俺の言う通りにして贅沢して綺麗にして笑っていればいいとか。彼女が仕事のことで何を言っても、笑って取り合わなかった。結婚ももっと先でいいとも言ったな」
「そんなことで? 言い分があるなら、裏切る前にちゃんとジーンさんに言えばよかったのに」
イーファの声が震えてたから、顔を見なくても泣いていることがわかった。しばらくしてジーンがちらりと横を見ると、イーファは紫の瞳から涙を流していた。
「なんだよ、結局泣くのか。全て終わったことだ。お前が泣くな」
「ジーンさんは、全部失ったんですね」
「そうだな。まあ、俺が愚かだった罰だ。納得して受け入れているよ」
猫はイーファの膝の上で丸くなっていたがチラリと俺を見た。イーファの膝は居心地がいいらしい。




