第七病棟
七月二十三日(金)、停電八日目。
遠くで聞こえる囁くような声で目覚めると外はすっかり明るくなっていた。真理は既にベッドにいない。水島はTシャツとジーンズに着替えてリビングに入ったが、そこにも誰もいなかった。書斎に入り、南西の窓に掛けたスクリーンの濃度を薄くして外の明かりを取り入れる。ロッキングチェアの傍に跪き、童話のお姫様のように眠り続けるクレオの前髪をかき上げ、額から頬に沿って優しく撫で、軽く唇を合わせる。この三日、続けている朝の挨拶。
囁くような声は玄関の外から聞こえてくる。果たして、そこには服に着替えた山本(野菜工場経営者)とネグリジェ姿の真理、そして、同じフロアの住人二人(ともに女性)が深刻な顔で話をしている。聞くとマンションのロックシステムが作動していないとのこと。朝方、ドアの施錠が解除される音が聞こえ、その後、ドアがロックできなくなったそうだ。水島は部屋に戻り、トイレとバスルームを確認する。非常灯が点いていない。
(住人A)「さっき、下まで行ってきたんですが、集合玄関の扉も開きっぱなしなんですよ」
(水島)「トイレや風呂場の非常灯も点かない。ソーラー発電で蓄積した電力が・・・多分、奪われたんだ」
(住人B)「奪われたって、電気をですか?」
真理は、昨夜、隣の野菜工場で起きた暴動を説明し、このマンションで盗電が起きても不思議ではないと話した。
(水島)「一階の管理人室を見てくる」
そう言い残し、水島は階段を降りていった。
管理人室は集合玄関から一番離れた奥の隅にひっそりとあった。ドアを開けると床に管理人が倒れており、その横に充電用の椅子があった。四畳半程度の広さしかない管理人室にあるのは、それだけだった。水島は、管理人を抱きかかえて椅子に乗せ、右耳にあるスイッチを探してオンにする。起動するまでの数分、水島は腕を組みながら窓の外を眺めていた。
(管理人)「おはようございます。506号室の水島さんですね。402号室の里中さんがお困りの時には、大変、お世話になりました」
(水島)「いえ。それより、マンションのロックシステム、それから非常灯もオフになったようです。原因、分かりますか?」
(管理人)「少々、お待ちください。あっ、エナジー・ストレージの電力がほとんどゼロになってます。この部屋以外への電力供給が遮断・・・。おかしいなぁ、あれ、屋上のソーラー・パネルが稼働してません」
(水島)「管理人さん、どうして床に寝てたんですか?」
(管理人)「セキュリティ・カメラの映像をチェックしてみます。あっ、マンションの住民の方が私をシャットダウンしてます。何故?あっ、この方、ご自分のヒューマノイドをここに連れてきて充電しています。あぁ、これは、犯罪であり、重大な規則違反です。賃貸契約が強制解除される行為ですねぇ・・・。ああ、別の入居者の方も・・・」
(水島)「その住人って、どういう人ですか?」
(管理人)「プライバシーに関わることなので、お話しすることができません」
(水島)「ソーラー・パネルの方は、どうなってるんですか?」
(管理人)「ソーラー・パネルの方は、・・あぁ、なんてことを!」
管理人は自分の頭の中に映した映像を見ているので水島には何も見えないが、管理人は悲しい表情を作って、その悲劇を水島に伝えた。
(管理人)「別の住人の方ですが、ソーラー・パネルの一部を無理やり取り去って部屋に持っていかれました。それだけじゃあ、発電できないのに。この方、単にソーラー・パネルを壊してしまいました」
(水島)「管理人さん、あなたの充電、どのくらい持ちますか?」
(管理人)「あと五、六時間しか持ちません」
(水島)「マンションのロックシステムと非常灯、なんとか、なりませんか?」
(管理人)「残念ながら、今の状況では何もできません」
水島は諦めて管理人室を出た。扉が開いたままの集合玄関の入口から向かいの野菜工場を覗く。まだ人影が残っている。額に手をやり、傷跡がまだヒリヒリするのを感じながら昨夜の暴動を回想する。「(眼付きが異常だったよなぁ)」水島は、あの連中の薄気味悪い眼付きを思い出し、背筋が震えるのを感じた。
四階の手前の踊り場まで登ると、一息つき、花玲奈のことを考えた。「(まさか、あいつが盗電犯じゃないだろうな?)」水島は確かめてみたい衝動を覚えたが、今、あいつに巻き込まれるのは御免と思い直し、音を立てないよう注意して四階を素通りした。五階に戻り、同じフロアの住人に状況を伝えると部屋に入り、非常食の朝食を取った。
(山本)「あのぉ、私、自分の非常食、取ってきます」
(水島)「あなたの工場、まだ、人が出入りしてました。・・・とりあえず、腹ごしらえしてから、後で3人で工場とあなたの家を見に行きましょう」
(山本)「すいません、あの、ありがとうございます」
(水島)「山本さんの野菜、毎日、食べてたんで、停電明けたらすぐに操業開始してもらわないと。あっ、真理は空手チャンピオンなので、いざとなったら僕たちを守ってくれます」
(真理)「まかしといて!」
昨夜は怯えて凍り付いた表情だった山本に少し笑顔が浮かぶ。肩先までかかる髪、色白の丸顔に優しく遠慮がちな表情、美しい瞳に大きめの口元から白い歯を覗かせ、年齢を重ねて少し盛り上がった頬骨と目尻のシワ、それと少し掠れた甘い声。美貌と可愛らしさ、謙虚さを備える山本は、水島の生前であれば、およそ『罵倒される』ことから最も遠そうな人物だが、昨夜は罵倒され、家のドアを蹴飛ばされ、工場はめちゃくちゃにされた。
山本の家の扉は開け放たれたままだった。中に入ると土足で上がられた痕跡があり、山本のヒューマノイド(女性型だった)は、ソファ近くに転がっていた。山本と真理は、それを優しく抱えソファに据え直した。リビングの窓ガラスが一枚割られ、食卓にあったはずの花瓶が下に落ちて割れていたが、それ以外は荒らされた痕跡はない。ベッドルームからバスルーム、トイレまで隈なく調べたが、いずれも異常はなかった。テーブルの上に置いてある非常食もお菓子も果物も、そのままだ。
(水島)「ほんとに電気だけしか興味ないようだな」
(真理)「そうね。今晩もああいう連中、来るのかしら」
(水島)「・・・可能性は、あるだろう」
水島は、山本に非常食や貴重品を持参して水島の部屋に来るよう誘い、山本は何度も頭を下げて礼を言った。真理と山本を先に部屋に戻し、水島は、再び野菜工場の中に入る。昨日と違い、今日はライトと手提げ袋を持ってきた。ためらうことなく暗い『ピンク・ハウス』に入ると、二、三の光が見える。水島がライトの光を消したまま三階まで足を運ぶと、まだ、三つ四つ懐中電灯の光が見え、いまだ暴徒がヒューマノイドを充電している気配を感じた。三階フロアの中頃まで進むとライトを点けトマトを確認、3つ4つ手提げ袋に放り込み、二階へ移動してキュウリやセロリのところにたどり着くと再びライトを点け、品を確認、幾つか放り込み、一階ではレタスやニンジンを入手した。『ピンク・ハウス』を出て帰り際、割れたショーウィンドウの破片が足元に散らばる棚で特製ドレッシングを見つけ、それも手提げ袋に放り込んだ。「(今日は新鮮なサラダだ!)」
マンションの部屋に戻ると、真理と山本の他に先ほどの同じフロアの住民二人と、いつの間に潜り込んだのか花玲奈を加えた女性五名がソファに腰掛け、つかの間の語らいを楽しんでいた。花玲奈は水島を見るなりアカンベエをしたが、水島がニッと笑うと投げキッスを返した。
(水島)「山本さん、これ、停電終わったら支払いますので、今晩は新鮮なサラダを食べましょう」
山本は手提げ袋を受け取ると、にっこり笑って応える。
(山本)「はい、締めてゼロ円です」
(住民A)「あら、高いわねぇ?」
(山本)「ええ、うちは丹精込めて作った良い品しか置いてませんので」
(水島)「・・・ありがとう。真理、ちょっとメルクーリの様子を見てくる」
(真理)「私も行くわ」
(水島)「いや、君はここで皆さんと・・・」
(真理)「また暴動があるかもね。私、あなたより強いわ。・・試してみる?」
そういうと真理は水島をキツく睨みつけた。
(水島)「・・・」
(真理)「山本さん、すいませんが、お留守番、お願いできます?」
(山本)「もちろんです。でも、その前に新鮮な野菜を使って、サラダ・ランチにしましょう」
* * *
水島と真理が渡辺家の玄関で待っていると、奥から弱った顔をした渡辺が出てきて、そのまま二人を門の外へ連れ出した。聞くと、昼過ぎに見知らぬ男どもがやってきてソーラー・パネルを使わせろと凄み、故障していると言うと「直してやる」といって勝手に部屋に上がり、頼みもしないのにソーラー・パネルの装置を分解しはじめたという。三人は垣根越しに家の中の連中の行動を観察した。男どもは、ソーラー・パネルから伸びる端子をつまんでは観察する程度で、まったくもって機械音痴にしか見えない。到底、直せそうもない。が、男たちは根気強く装置と向き合っている。
(渡辺)「また例のご婦人のために充電に行かれるんですか?」
渡辺は連中に聞こえないよう水島の耳元で小声で聞いた。水島は近くの野菜工場で昨夜から起こっている暴挙を説明した。
(渡辺)「ふ〜む、こいつらだけでなく、この手の連中がたくさんいるのかぁ。ひどい世の中になったもんだ。・・・まさか病院も襲撃されていると?」
(水島)「かもしれない、と。それが気になりまして」
(渡辺)「命を預かっている病院を襲うなら、もはや獣ですね。・・・ところで、あのバイクで何キロ走りました?」
(水島)「キロにすると、・・・約220キロです」
(渡辺)「では、走行できる距離は残り80キロもありません。万一、途中でガス欠になったら、回収は停電明けてからでいいですからね」
(水島)「ありがとうございます。そうならないよう気を付けます」
キックスターターを蹴り込みトライアンフがエンジン音を響かせると、装置をいじっていた連中は、一瞬、水島に視線を向けた。が、「またか」という表情を浮かべただけで、再び、視線をソーラー・パネルの装置へ戻した。
小さな岬を越えたところで海岸線の道から左折する。いつもなら、そのまま第七病棟までバイクで乗り付けるが、メルクーリのキャンパスは、いつもと様子が違う。エンジンを切り、第五病棟の裏、第七病棟からは見えないところまで手押しでバイクを運んで停めた。
(真理)「どうやら、連中、獣になったようね」
(水島)「真理、ヒューマノイドになってくれるか、電源オフ状態の?」
(真理)「えっ、どういうこと?」
(水島)「奴らと同類の振りしてれば、昨夜のように襲われないかな、って」
(真理)「ケイが背負っていくの?でも、私、大きいから重いわよ」
(水島)「ヒューマノイドに比べれば軽い。クレオより10センチ背が高いけど、たぶん10キロは軽い」
(真理)「クレオより8センチ高くて、11キロ軽いわ」
そういうと真理は水島の背におぶさり、目を閉じてダラリと手を垂らした。第七病棟の入口では、五、六人の男が言い争うように議論している。『この病院には燃料電池を使った発電設備があるはずだが、それが、どこにあるのか?この建物の地下は鍵が掛かって、まだ侵入できないが、そこにあるのか?あるいは、他の建物の中にあるのか?』そんな話が漏れ聞こえてくる。
第七病棟のガラス張りの入口は閉ざされていたが、ガラスが綺麗に割られていたので、そこから中に侵入できる。中に入ると、有線や無線の電源を見つけた連中がヒューマノイドを電源の側に置いて充電している。一階の廊下だけで十組以上の盗電野郎の姿があり、前を通ると聞きもしないのに上の階へ行けと言う。
白衣を着た医師が怒りに満ちた顔で怒鳴っている。その乱暴な言葉尻から、ヒューマノイドではなく、上杉以外に二人いるという人間の医師の一人だろう。『ここには重篤患者が多数入院していて、電気がないとすぐに命を絶たれる人がいっぱいいるんだ。お前たち、何やってるか分かってるのか!お前らのやってるのは殺人だぞ!』そんなことを怒鳴っているが、盗電してる連中はお構いなしどころか、医師が近づくと殴りかかる振りをして威嚇する。水島は医師が向かってくる先の階段で待ち伏せした。医師が階段を途中まで上ったタイミングで真理を背中から降ろし、真理に医師へ話しかけさせた。
(真理)「加藤先生」
(加藤)「あれ、真理ちゃんじゃない。あっ、水島さんですね」
加藤は水島に気が付くと、すぐに水島を促して上杉の部屋へ案内した。メルクーリ日本法人ナンバー2の上杉の部屋は、床も天井も、机や会議テーブル、椅子も全て同じ色の木で統一され、三面白い壁で囲まれた広々としたオフィスだった。奥の大きな窓は開け放たれ、角に2つ観葉植物が置いてあるだけの簡素で清潔な感じが漂う。水島と真理を迎えた上杉は、相変わらず、飄々とした顔をしていたが、目元は明らかに疲れ切っていた。
(上杉)「水島さん、来てくれてありがとう。早速ですが、お願いがあります」
(水島)「はい、仰ってください」
(上杉)「県警まで行って、助けを呼んできてほしい」
上杉によると、稼働できるヒューマノイド警官の数が限られているので活動は限定されているが、県警は機能しているという。上杉は紙に書かれた地図を取り出してルートを示した。水島が来てくれると信じて、医師ヒューマノイドの一台にクレオが描いたのと同じようなランドマーク付きの地図を用意させたそうだ。
(水島)「片道28.7キロ、往復だと57.4キロ、フム」
(上杉)「燃料、足りますか?」
(水島)「バイクのオーナーの見積もりだと、あと70キロ走れます。道を間違わなければ帰ってこれます」
水島は地図をしばし凝視する。ハイウェイを降りた後、県警まで四カ所で道を曲がる。標識がないので容易ではないが、ランドマークがちゃんと記載されているので何とかなると感じた。
(水島)「メルクーリの状況は、どんな感じでしょう?」
(上杉)「見ての通り、賊どもが病室まで押し入って電気を盗んでます。発電用の燃料タンクも、時期、奴らに奪われるでしょう。そうなると、今、照ってる太陽光だけが電気の源。暗くなれば電気は止まり、患者の命を預けている装置が停止します。闇の到来とともに多くの患者が亡くなります」
(水島)「はぁ・・・」
水島は背中に一筋の汗が流れるのを感じたが、まだ午後2時、時間には余裕があると自分に言い聞かせた。上杉は、机から栄養補給用の菓子を両手に抱えて持ってきて皆に振舞った。
(水島)「食料は、どうなんですか?」
(上杉)「今日の夜で切れます。明日からは、サプリメントとこういった栄養補給用の菓子で過ごすしかありませんなぁ。それも二日分しかありませんが」
(水島)「県警には、食料もリクエストしますか?」
(上杉)「まあ、どの病院も同じような状況でしょう。県警には、メルクーリにもスタッフ含めて170名の人間がいま〜す!とアピールして頂ければ、と。もっとも、県警が食料を管轄しているか存じませんが」
開け放たれた窓から騒がしい声が聞こえた。上杉の後を追って窓際に行く。
(上杉)「見つかっちゃいましたな」
(水島)「発電用の燃料ですか?」
(上杉)「はい、第二病棟の地下が発電所 軒 格納庫なんですが、見つかっちゃいましたね。よく、あんな分厚い鍵の掛かった扉を開けましたね、あいつら」
(水島)「ずいぶん、重そうですね」
(上杉)「一本、60キロあります」
(水島)「あのタンクを持って帰って、どうやって発電するんですか?」
(上杉)「一応、燃料電池車を見つければ、そこから発電してヒューマノイドを充電できますが、あの連中の何%がそれを知ってることか疑問です」
(水島)「というと?」
(上杉)「ほとんどの連中は、家に持って帰ったはいいが、どうやって使ったら良いか分からず、眺めるだけで終わるでしょう。困った連中です」
(水島)「はぁ(そういうことかぁ)」
水島は、栄養補給用の菓子を水で喉に流し込みながら、使えもしないタンクを奪い合っている賊たちの様子を眺めた。




