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第92話 魔力循環と騎竜服

 スフィアとシェリーを引き合わせるために、ギルドハウス二階の居住区に上がってきたが、姿が見当たらない。


「お父さん、リムお母さんたちはどこにいるのかな?」


 師匠は俺の身体を見てくれているはずだが、一度席を外してでもシェリーを呼んできたということは、何か理由があるのは間違いない。


 何か、胸騒ぎがする。いや、精神体のような存在となった今、胸など存在しないのだが――と細かい訂正を入れている場合ではない。


「私、シェリーお母さんに会って、私をつくってくれたお礼を言わなきゃ」


(シェリーは身持ちが固いというか、凄く真面目な女性だから、あまり驚かせないようにしないとな)


「うん、分かった。二人で一緒に、お父さんの身体のところにいるのかな?」


(おそらくはそうだと思うが……スフィア、できるだけ静かに近づいてみよう。隠密ハイディングは唱えられるか?)


「お父さんの魔法なら、思い浮かべてくれたら真似できると思う。私、がんばってみるね」


 娘に魔法を教えるというのも、なかなか悪い気はしないものだ。


「えっと……魔力をこうやって……んー、むずかしいね」


(全身に魔力を巡らせて、あとは『力ある言葉』を使う方がいいかもしれないな。俺の場合は、無詠唱でいけるんだが)


「んーん、お父さんが無詠唱でできるなら、私だって……『隠密ハイディング』」


 やはり口には出してしまったが、魔法の名前だけで効果が発言するというのは『短縮詠唱』にあたる。短縮の次には『圧縮詠唱』があり、さらに極めると無音詠唱となる。


 ミラルカが恐ろしいのは全ての陣魔法が無音詠唱で発動可能で、『高速圧縮詠唱』よりも展開が速いということだ。彼女はそれを理論化し、後世に伝えようと本を書いているのだが、非常に難解で常人には読み解けない。俺なら感覚的に八割は理解できるが、残り二割は理論だけでは模倣できない部分だ。


「お父さん、どうして『隠密』をするの?」


(ただの勘なんだが……何か、普通に行ってはいけない気がするんだ)


「そうなの? ふーん……わかった。じゃあ、できるだけ静かにするね。そーっと、そーっと……」


 スフィアは隠密をかけた上で、さらに足音を小さくする。その歩法はアイリーンのものだ――彼女の体術も、呼吸するように使えるということか。


(……お父さんのお部屋の、ドアがちょっと開いてる。閉め忘れたのかな?)


(スフィア、ゆっくり近づいてみるんだ。これは覗きじゃないぞ、ただの確認だから)


(うん、確認しなきゃね。お母さんたちが、お父さんの身体と一緒に何をしてるのか)


(っ……や、やっぱりそういうことだと思うか?)


 スフィアは恥ずかしそうに頬を染める。俺が自分で赤面してるようで、変な気分なのだが――まあそれはいい。いくら知識が豊富とはいえ、生まれたばかりの彼女には刺激が強い話だっただろうか。


(あ、あのね……お母さんたちはお父さんのことが大事だから、心配しなくていいと思う)


 スフィアは言って、そろそろとドアの隙間に近づき――そして。


 部屋の中の光景が、視界に入る。カーテンを締めて太陽の光を遮った薄暗い部屋の中で――今まさに、シェリーが服を脱ぎ終えたところだった。


(な、なっ……一体どういう流れでこんな……っ)


(しー、お父さん、リムお母さんたちがお話してるよ)


 シェリーはこちらに背を向けたまま、師匠から受け取った薄衣を身にまとう。大人っぽいネグリジェ――肌の露出が多すぎて、とても直視できない。ベアトリスやヴェルレーヌがたまに身につけているものに近いが、まさかシェリーが着ている姿を見ることになるとは。


 背中に届いた黒く長い艶髪と、真っ白な肌。シェリーは恥じらっているようで、胸を手で押さえて隠しているようだった。


「そんなに恥ずかしがらなくていいよ、ディー君はおやすみしてるから」

「……貴女あなたに見られるのも恥ずかしい。人に肌を見せること自体、していい身体じゃないから……」


(お父さん……シェリーお母さんの背中の……)


(……彼女は、剣奴だったんだ。その時のものだろうな)


 シェリーの背中に薄く残った、焼印のあと。今はほとんど薄れているが、それは自由を奪われていた剣奴にとってはあまりにも皮肉な、翼を模したものだった。


 師匠もまた、シェリーと同じような就寝着を身に着けている。ねやで着るような妖艶なデザイン――いつも異性を強く意識したりしないのに、昔から全く変わっていない隆起のはっきりした身体が目に入ると、心臓を掴まれるような思いを味わう。


 こんな考えをスフィアに悟られたら――と思うが、幸いにも師匠とシェリーのやりとりに一心に意識を傾けてくれていた。


「見せたくないって……そっか。シェリーちゃん、昔に辛いことがあったんだね」


 師匠がこちらに歩いてくる。スフィアの『隠密』は完璧で、師匠の視界に入るかというきわどい位置でも気づかれることはなかった。


 シェリーの後ろに回ると、師匠が背中の焼き印の跡に手を伸ばす。


「……触ってもいい?」

「っ……だ、だめ……その傷はずっとあって、簡単には……」

「私なら、消してあげられる。ディー君にも同じことができると思うけど……彼に消してもらった方がいい?」

「……ディックは私みたいな人間も、差別せずに仲間だと言ってくれた。私のことをいつも助けてくれた……あんなに優しい人に、これ以上甘えられない」


 シェリーは師匠の申し出を断ろうとする。しかし師匠は何を思ったのか、シェリーを後ろからそっと抱きしめた。


「っ……な、何を……」

「ディー君のこと、好きになってくれてありがとう。私はディー君を慕ってくれる子を見るたびに、こうしたくなるの。彼のお姉さんみたいな気持ちで……そんなこと言ったら、ディー君は鬱陶しがるだろうけど」

「……そんなわけない。ディックに一番近いのは、ミラルカさんかアイリーンさんだと思ってた……ヴェルレーヌさんが、その次。でも、誰よりも、貴女の方が近かった。どれだけ離れていても、心が寄り添ってた」

「そう……かな。私こそ、ディー君の重荷になってたから、彼にこれ以上甘えちゃいけないと思ってる。いっぱい迷惑かけた分だけ、彼が笑ってくれるようなことがしたい」


 二人がそんな話をするとは思っていなくて――そして、必要だと思ったとはいえ、スフィアの中で聞いていることが、申し訳なくて。


 そんな俺をスフィアが落ち着かせるように、自分の胸に手を当てる。人工精霊なのに、彼女の胸は温かな鼓動を打っていて、それを感じているうちに嘘のように心が落ち着く。


「シェリーちゃんに来てもらったのは、あのときディー君に力を貸したみんなの力を借りないといけないから。ディー君の中に残ってるシェリーちゃんの魔力が安定するまで、傍にいてあげてほしいの。『レギオンドラゴン』のコアを使ってみんなの力を集めたあと、ディー君は何人分もの強い魔力を取り込んだことで、体内の魔力が不安定になってるから」

「……ディックは、私たちが近くにいれば良くなるの?」

「それが、ひとりずつ順番に寄り添ってあげないといけなくて……ディー君の中に残ってるシェリーちゃんの魔力を、シェリーちゃんの身体を通して循環させて、ディー君が制御できる分だけ戻してあげるの。そうして、彼の大きくなった魔力容量に合うように、一人分ずつ調整していかないといけなくて……」


 つまり俺の身体は過剰な魔力を取り込んだために、魔力容量が変化したらしい。


 『小さき魂』でスフィアを産んだことで大量の魔力を放出したことで、俺の精神はスフィアの中に引っ張られてしまった。それは一度に魔力が激減して不安定になった俺の肉体より、スフィアの方が安定しているからだと考えられる。


 ベアトリスに魔力を分けたことがあったが、今回はその逆だ。俺の本体にパーティメンバーの魔力を注いでもらい、師匠がバランスを調整して安定させる。そうすれば、俺の精神は自分の肉体に戻ることができるわけだ――魔力と精神には密接な関係があるということを、改めて思い知らされる。


「……私にできることなら、何でもする」

「うん……私もそう。ディー君を助けるために、力を貸してね。それで、もう一つ話しておかないといけないことがあって……」


 師匠はスフィアが生まれた経緯を説明する――シェリーの娘でもある、ということも。


 するとシェリーは、肌を見せたときよりも目に見えて恥ずかしがり、耳まで真っ赤になってしゃがみこんでしまった。


「私と、ディックの……こ、子供……?」

「そう、私たちとディー君の魔力が混ざって、ある魔法を使うことで生まれたの」

「……そういうことなら……私もお母さんとして、その子に接してもいいの……?」

「うん、もちろん。スフィアちゃんが家に帰ってきたら、お母さんって呼ばれると思うよ。あの子、自分のお母さんは分かるから」


(シェリーお母さん、すごく恥ずかしそう……私のお母さんなのが恥ずかしいのかな……)


(いや、そういう恥ずかしさじゃないから、安心していいぞ)


(本当? じゃあシェリーお母さんにも甘えていいの?)


(ま、まあ……優しくしてくれるとは思うけどな)


 俺が中にいる間に、母に甘えるとはどういうことか――スフィアはシェリーの胸に飛び込む可能性が高いわけで。そんなことを全ての母親に対して繰り返したら、俺はいよいよ罪悪感でみんなの顔をまともに見られなくなってしまう。


 だが、そんな俺の遠慮を全て吹き飛ばすようなことが、今まさに行われようとしていた。師匠はベッドに寝ている俺の本体に近づくと、かけられていた毛布をめくる。


(ぐぁ……!)


 俺の身体はなんと、一糸まとわぬ状態にされていた。下着だけは穿いているが、ほかは裸にされ、身体に何か紋様が描き込まれている。


 あの紋様は――師匠が俺に伝授してくれた魔法文字。その意味を読み取ると、俺の精神体が身体を離れていても肉体が維持されるように、師匠の魔力を常に使用して制御する複雑な医療魔法がかけられていた。


 どうやら俺は、思っていた以上に深刻な状態にあったらしい。精神体の状態でもゾクリと寒気を覚える光景だ。


(……師匠には本当に、面倒かけるな……あんな高度な魔法を、常に使い続けてるなんて……)


(リムお母さんは、お父さんのためならなんでもするって。そういう気持ちでいること、私には伝わってくるから……お父さんはきっと、もとの身体に戻れるよ)


 シェリーもまた、俺の姿を見て、覚悟を決めたように胸に手を当て、ベッドに近づいていく。そして師匠の指示に従って――俺に寄り添うのではなく、覆いかぶさり、動かない俺の手と自分の手を結び合わせた。


「……こんなふうにして、ディックの身体に負担がかかったりは……」

「身体には魔力が集中する点がいくつかあって、そこに全部触れてあげないと、お互いの身体を効率よく魔力が循環しないの。このまま一時間くらい続ける必要があるから、休憩したい時は言ってね」

「……わかった。ディックが起きてくれるのなら、私は……どんなことでも……」

「うん……お願い。一人ずつ順番に魔力を循環させたら、あとは私に任せてくれれば、必ずディー君を目覚めさせてみせるから」


 精神が身体を離れているのに、俺は温かいと感じた――冷え切った身体を温めるようにシェリーは寄り添い、懸命に俺の無事を祈ってくれている。その傍らにいる師匠もまた、俺の身体を維持するために常に魔力を消費しながらも、集中を切らすことはない。


(……スフィアのお母さんたちは、強い女性だ。俺は、いつも頭が上がらない)


(お母さんたちも、お父さんに同じことを思ってるよ)


(そうか……ずっと見てるのも何だから、そろそろ居間に戻ろう。終わったら、シェリーも出てきてくれるから、いい子にして待ってるんだ)


(うん、わかった!)


 スフィアはそっと、俺の寝室の前から離れる。そして居間にやってきたところで、彼女は師匠たちに聞こえないようにということか、小声で俺に聞いてきた。


「お父さん、何か食べたい? お父さんの代わりに私が食べたり飲んだりするね」


(そうだな……じゃあ、店を手伝ってくれてるみんなのために、まかないを作るか。ハレ姐さんも、スフィアが料理をしたら喜ぶだろうしな)


 ミラルカ、マナリナ、そしていつも働いてくれている皆に、昼の部が終わった時に出す食事。その作り方を、俺はスフィアに教えることにした。



 ハレ姐さんの喜びようは予想通りだった――さすがにずっと働いているわけにもいかないミラルカとマナリナは昼の部だけで上がることになったが、彼女たちも俺とスフィアの作った手料理を食べて感激してくれた。


 昼の部に来てくれる数少ない常連客に出している、限定二十食の昼メニュー。その材料の余りを使った銀の水瓶亭特製『タラチナ魚のアラシチュー』と焼きたてのパン、好みで香辛料を使って炒めたライス、そして形が整っていないだけで安く仕入れられる上質な野菜のサラダ。


 難しい料理は一つもないが、作り方を知らないと、ありあわせの材料で美味いものは作れない。俺が面白いと思うそういうことを、スフィアも楽しいと思ってくれたようだった。


 ミラルカとヴェルレーヌは娘の料理を喜び、スフィアは母親一人ひとりに手ずからシチューを食べさせたりもした――アラを使っていても下処理をすることで上品な味に仕立てられたシチューを、二人ともが絶賛していた。王宮料理人の味に慣れているマナリナすらも太鼓判を押してくれたので、俺の店のまかないも捨てたものではないと思う。



 だがそうやって和やかな時間を過ごした代償も大きかった。あのミラルカが、スフィアと別れる時に寂しそうな表情を見せたのだ。


「ミラルカお母さん、また会いに来てね。私が竜に乗るところも、絶対見ててね」

「ええ。ディックに教えてもらったのなら、竜も言うことを聞いてくれるでしょうし……彼が一緒にいれば、何も心配はいらないわ。その人は目立ちたくないこともそうだけど、周囲の人を危険にさらさないことにも、全力を費やす人なの」

「ティミスのことでも大変お世話になりましたわ。彼女が火竜討伐で怪我一つなく済んだのは、私はディック様のおかげだと思っていますのよ」

「あ、お父さんがそれは内緒にしてって言ってます」

「ふふっ……デュークさんは、私たちの大学に訪問してくださっていますのに」


 考えてみればそうだ――大学に顔を出すときの偽名がデュークだから、マナリナがティミスから『デュークに助けてもらった』と聞かされたら、それで俺と結びついてしまう。


「たまに迂闊なところもあるお父さんだから、うっかりしていたら厳しくしつけてあげなさい」

「ミ、ミラルカ……ディック様をしつけるだなんて、そんな……」

「私はお父さんのこと大好きだから、優しく注意してあげたいな」

「……そこは私にはあまり似ていないのね。ユマあたりに似たのかしら……コーディも何だかんだと言って、ディックには優しいし……」


 ミラルカは言いつつ、スフィアを――その中にいる俺をちら、と見る。


「お父さんがね、ミラルカお母さんも怒ってないときは優しいって」

「っ……そ、そう……そういうことを思っているのなら、普段どうして言わないのかしら」


 ユマに『仮面の救い手』として同行していることを知ったとき、友達思いだとか、そういうことは言ったはずなのだが。ミラルカの場合は何度も言わないと伝わらないようなので、可能な限り言うようにしよう。俺の性格上、なかなか素直には言えないのだが。


 ◆◇◆


 スフィアは竜の騎乗技術を、俺の指導によってまるで植物が水を吸い上げるように習熟していった。


 練習に時間を費やす間も、俺は情報部とやりとりを続け、ラトクリス魔王国からエルセインに向かったと考えられる黒竜について情報を得ようと試みた。


 こういう時が来るかもしれないと、最初から思っていたわけではない。それは保険だった――北部渓谷近辺の、エルセインとの国境付近にある村にも、俺のギルドの支部があるのだ。といっても大きな拠点ではなく、数名の冒険者が所属しているだけの小さな支部だが。


 交易などはしていないアルベインとエルセインだが、俺たち魔王討伐隊がヴェルレーヌに勝ったあと、エルセイン側から国内の状況をある程度報告する義務を課した。その情報の受け口となっていたアルベイン軍の砦があるのだが、魔王国に対してまだ警戒心のある兵たちは、エルセインからの報告をまともに受けず、国境に近づいたエルセインの伝令を追い返すということがあったのである。


 俺たちは魔族や魔物を恐れないが、軍人たちにとっては脅威であり続ける。それを痛感した俺は、Sランクの冒険者とAランクの冒険者を数名派遣し、彼らにエルセインからの情報の受け渡しを警護させることにした。


 こんな時はコーディの持つ地位が、抜群の威力を発揮する――目立つことを嫌い、表舞台から遠ざかった俺が、堂々と頑張っている戦友の権威を借りるのも気が引けるが、そんなときコーディは遠慮をするなと言ってくれるので、その言葉に幾度となく甘えてきた。


 コーディからのお達しで、エルセイン兵からの情報の受け渡しの際には、近隣の冒険者ギルド――つまり俺のギルドなのだが――の猛者が警護することになった。アルベインの兵たちはそう言われれば一も二もなく従い、エルセインから確実に上がってくるようになった情報は、コーディの部下を介して俺の情報網で収集できるようになった。


 だから俺は、注意深く見ていれば気づく機会はあった。エルセインの軍事資料の中に、魔王直属の近衛兵一名が新たに加わったことが記載されていることに。



 騎竜戦まであと二日となった日、コーディが酒場に打ち合わせにやってきた。国王陛下と貴族の代表が勝敗を見届けるために観戦するわけだが、その観覧の形式、そして警護について話す必要があるからだ。


 カウンターの端に座った俺――スフィアが寝ているので、少女の姿で俺の人格が表に出ている――の隣にコーディが座り、いつものように話す。


 スフィアの身長だとコーディが大きく感じる。母親の中では最も長身で、見るからに温和に見えるものの、すごく頼りがいがあるように感じる。少女の姿だから、肉体に精神が引きずられているのだろうかと思うと、早く戻らねばと思いはするが。


「つまり……その一名が、ラトクリス魔王国から潜入し、魔王ジュリアスに取り入ったと考えられるわけだね」

「ああ。ただ、近衛兵の素性を外に漏らさないようにしてるから、ジュリアスに追従してきた四騎のうちいずれかってところまでしかわからない」

「その四騎が、騎竜戦に乗じて何かを仕掛けてくるということもあるか……それにしてもディック、その姿でその口調だと、可愛らしく感じてしまうんだけど……」

「っ……ま、まあ、姿は子供だからな……しかし可愛いって言っても、コーディの特徴もある程度は引き継いでるんだぞ」

「そ、それは……この髪の先には、僕の色が出てるみたいだけど。もしかして、僕の『光剣』も模倣できたりするのかい?」

「出力は半分くらいになるけど、剣精の性能を模倣することはできる。この身体を使ってみて分かったが、才能の塊みたいなものだ」


 娘バカと言われてしまいそうだが、スフィアは驚くほど優秀なのだから仕方がない。みんなの能力を使うこと自体は、俺の本体も出来るようになっていたのだが――初めて剣精を模倣したときの用途が光の操作による透明化だったなどと、迂闊に口を滑らせられない。


「……僕は……そ、その、母親なんて言葉が似つかわしくないと思うけど……それでも、僕の娘でもあると思ってもいいのかな……?」

「っ……あ、あまり恥ずかしがるなよ。さすがに色々とばれかねないぞ」

「だ、大丈夫だよ。今みたいな格好をしていて、気づかれたことはないからね」


 コーディはそう言ってごまかすが、やはり年齢を重ねることで少しずつ隠せなくなってきている気がする――もはや普通にエールを飲むだけでも、こんなに色気があっただろうかと思ってしまう瞬間があって、そのたびに申し訳なさを感じる。


 女として生きていった方がいいんじゃないか、なんて無責任に言えないが、コーディは自分もスフィアの母の一人だと聞かされてから、俺――スフィアの姿だが――を見る目がやけに優しく、今まで感じることがなかった包容力がとんでもないことになっている。


(好青年としか見えなかったのに、どんどん変わっていってるような……や、やっぱり、俺に正体を明かしたからなのか……)


「……あ、あの……ディック、良かったらなんだけど。僕も抱っこしていいかな」

「っ……だ、抱っこって、お姫様抱っこか?」

「あはは……それもいいけどね。やっぱり自分の娘だと思うと、どうしてもね……」


 子供を可愛がることを『目を細める』というが、コーディを見るとそれがどういうことなのかよく分かる。


 彼女は俺の頭を撫でてくれる。そうされるとすぐに眠くなるほどの安心感があって、俺はついされるがままになってしまう。


「……はっ。ま、待ってくれ……撫でるのは危険だ、人間を駄目にする」

「ディックがそうなら、きっとスフィアも同じだろうね」


 コーディは満足そうに微笑む。危ないところだった――この身体で信頼している相手に頭を撫でられると、他のことが全てどうでも良くなってしまう。まだ真剣な話が残っているというのに。


「こ、こほん。それでコーディ、騎竜戦の件なんだが……」

「国王陛下のほかに、僕も含めた騎士団と政務官の幹部、貴族の人たち、魔法大学の学長、商人ギルドや冒険者ギルドのマスター、アルベイン神教会の大司教殿……他にも大勢の人が観戦することになったよ。オルランド家のマーキス公は外出を自粛されているから、シュトーレン家と侯爵家・伯爵家の方々の代表が来ることになっている」

「そうか……そこまで国のトップが集結すると、警備も厳重にしないとな」

「僕が警備の責任者をするから、何が起きても確実に対処するよ。ディックには、騎竜戦に集中して欲しいからね」

「すまない、恩に着る」

「礼には及ばないよ。スフィアの姿で出ることになるのは、少し惜しいと思うところもあるけどね……不謹慎かもしれないけど、僕は君が本気になっているところを見るのが好きだから」

「そ、そうか……」


 昔なら「俺はいつでも本気だ」と茶化したりするところだが、コーディがサラリと『好き』などと言うので微妙に緊張してしまう。


「……あっ。え、えっと……今のはその、僕は真剣なときのディックにはいつも敬意を抱いているというか、そういう意味だよ」

「わ、分かってるよ。いや、分かってないのか……ま、まあその、この姿で出ることになっても本気であることに違いはないからな」

「うん。でも、そろそろ元のディックが恋しくなるね……」


 無自覚なのか、分かっていて言っているのか。異性としては、コーディは意外にというか、最も手強い相手だったりするのかもしれない。


「観戦に使う場所だけど、渓谷の近くにある村に、景観を楽しむための展望台が作られていると分かった。そこを借りる手続きをしたから、今回の観客……アルベイン側の百名余りと、エルセイン側の両方を収容できるよ」

「その渓谷は観光名所でもあるからな。すごい景観らしい……底を流れてる河は流れが速いから、近づくのは命がけらしいが。先達が残した『視界晶』っていう魔道具があって、渓谷の何箇所かの景観が見えるそうだな」

「おや……そこまで把握しているのかい? やっぱりディックは僕より何でも詳しいね。その視界晶を利用して、騎竜戦の様子を見ることができる。決まった場所を通過するときしか見えないけどね」

「それで十分ではあるな。将来的に騎竜戦を国民の娯楽にするなら、視界晶の数を増やして、観戦できる範囲を広げたいところだ」

「君と魔王ジュリアスの戦い次第で、人々の騎竜戦に対する印象は変わるだろうね。僕は君が勝つと信じているけど、そうなれば『エルセインとの国際試合として初めて選択された競技であり、初勝利した競技でもある』となって、いきなり人気競技になると思うよ」


 俺は国威発揚を目的として試合を受けたわけじゃないが、立て続けに色々とあって、この国が元気をなくしかけているのは何とかしたいと思っている。


 何はなくとも、勝つしかない。ヴェルレーヌは自分の居場所を自分で選んだ――それをジュリアスに納得させれば、ヴェルレーヌの胸のつかえも取れるだろう。


「……ヴェルレーヌは弟のことを、あの子はいい子だなんて言ってたんだけどな」

「お姉さんがいなくなると思っていなかったんじゃないかな。譲位をしても、元魔王として後見人になってくれると思った……そんな考えだったら、誰かに背中を押されて、取り返したいと思うこともあるかもしれない。それは言ってしまえば彼の甘えだけど、少しだけ分かる気がするよ」

「……俺もヴェルレーヌが補佐してくれて、安心してる部分はある。あいつが魔王国で支持されてたのは確かだから、みんなが頼りにしてたんだろうな」

「僕もそこまで頼りにされてみたいよ。君は今でも十分頼ってるって言うんだろうけど」


 言おうとしたことを読まれて、俺は苦笑いするしかない。スフィアの姿でそういう顔をすると、どんな顔をしてるんだろうか――困惑顔というやつだろうか。


 そんな話をしていると、当人――ヴェルレーヌが、二階から降りてきた。彼女は俺を見るなり、首から上――長い耳まで赤くする。


(わ、わかりやすすぎる……二階で俺の部屋にいたら、していたことは一つだろうが……)


「……お客様、少し特別な要件がございまして、二階でリムセリット様がお呼びです」


 実を言うとコーディは俺と話す要件以外に、師匠に呼ばれてもいた。


 今の今までヴェルレーヌがしていたように、スフィアの母親たちが寝ている俺に対してしていることはというと、添い寝をしてゆっくり俺の魔力を自分の身体に循環させているのである。


 コーディは男装をしているということで、師匠も気を使ってなかなか声をかけなかったのだが――ついにコーディの力も借りないと次の治療に進めない段階がきたらしく、招集がかかってしまった。


「じゃあ、行ってくるよ。ディックが元気になるために、僕にもできることがあるのなら、それは光栄なことだからね」

「あ、ああ……くれぐれも、気を確かに持ってくれ。そしてできれば俺を恨まないでくれ」

「え……? な、何か急に嫌な予感がしてきたんだけど……っ、ま、待ってヴェルレーヌさん、僕の心の準備が急にっ……」


 珍しいほど狼狽しながら、コーディはヴェルレーヌに連行されていった。サラシを解く必要はなさそうだが、服を脱ぐ必要はあるので、非常に申し訳ない――友情に対する裏切りだ。


(ふぁ……お父さん、おはよー)


 そこでスフィアが起きてきたので、俺は彼女に身体の支配権を渡して引っ込む。娘の情緒を考え、俺がスフィアの身体を動かすことは、彼女が寝ている時以外はしないことにしていた。


「あ、入れ替わった。お父さん、コーデリアお母さんとお話してたの?」


(あ、ああ……だが、あいつは物凄く恥ずかしがるから、みんなの前では言っちゃだめだぞ)


「そ、そっか、秘密にしなきゃ。お母さんじゃなくて、外ではお父さんなんだよね」


 それはそれで微妙にショックを受けそうだが、あいつはけろっと『父親』を演じてしまうのだろう。スフィアといると俺より絵になりそうだ――と、嫉妬するのも違うとは分かっているが。


(今日は北部渓谷の事前視察に行ってこよう。スフィア、寝起きだけど大丈夫か?)


「うん、ばっちり! お父さんとお出かけしたい!」


(よし、じゃあ早速行こうか。そうだ、スフィアが竜に乗るときの服を作ったから着ていくか)


 地下には転移魔法陣を使う前、武具を身に着けるための更衣室がある。スフィアが着替えている間は俺は視覚を切り、彼女の質問に答えつつ、身に着け終わるまで待った。


「お父さんだったら、見られても恥ずかしくないよ?」


(それは違うぞスフィア。お父さんだからって、簡単に見せちゃいけない)


「そうなの? ふーん、お父さんってやっぱり『まじめ』なんだね」


(母さんの誰かが言ってたのか? 真面目ってことは全くないというか、買いかぶりなんだがな)


「そんなことないよ、お父さんはまじめだよ。んしょ……あとはここを結んで……できた♪ お父さん、見て見て!」


 視覚を戻し、目の前に置かれた姿見を見ると、そこには軽量化した魔法金属で補強された『騎竜服』を身に着けているスフィアの姿があった。


 竜騎士の身に着ける鎧とは全く形が違う。シュラ老のところの子供たちが竜に乗るときに装備する服を参考に、知り合いの武具職人にオーダーメイドで作ってもらったものだ。いわばチュニックとレギンスに装飾を施したようなもので、竜の鱗で皮膚を傷めないように配慮されている。


 短い工期で作られたにもかかわらず、スフィアのために作られたそれはぴったりとサイズが合っており、我が娘ながら、愛らしさと勇ましさが同居している――俺もほとほと親馬鹿だが、こんな姿で出場したら人気が出てしまいそうだ。


「……お父さん、似合ってる?」


(ああ、よく似合う。さすがは俺の自慢の娘だ)


「っ……お、お父さん、そんなふうに言われたら恥ずかしいよ……」


(す、すまない。でも本当にそう思うよ)


 スフィアの恥じらう姿は母親の誰にも似ている。つまり、母親それぞれの表情を思い出させられるわけで――自分の娘が可愛いと思っても仕方がないと、自分を擁護したい。


「お母さんたちに教えてあげたいな。お父さんは、お母さんたちが大好きだってこと」


(っ……そういうことは、あまりストレートに言っちゃだめだぞ。俺が逆に怒られたり、制裁を受ける可能性があるからな)


「そうなの? それなら、一人ずつに言ってあげて、秘密にしたらいいのに」


(女性同士の横のつながりの前では、秘密なんてあってないようなものなんだ)


「じゃあどうしたらお父さんはお母さんたちと仲良くできるの? ねえお父さん、教えて?」


 俺とみんなの関係が、父親と母親にしてはよそよそしいとスフィアは感じているのか――このままでは娘が非行に走ってしまう。


(わ、分かった。できるだけ仲良くするし、今でも十分仲はいいから安心してくれ)


「ほんと? 良かった……じゃあ今日の夜から、お母さんたちと一緒に寝ようね♪」


 一緒に寝るくらいなら全く構わない――と、だんだん俺もスフィアに毒されてきている。後でお母さん勢に怒られたとしても、スフィアを寂しがらせるよりはいい。


 軽い足取りで転移魔法陣に乗るスフィア。俺がやり方を指示しなくても、彼女は見よう見まねですでに制御の仕方を覚えていて、火竜の放牧場への転移が始まった。



※いつもお読みいただきありがとうございます!

 今回はこの場をお借りして、ご報告させていただきます。

 本作「魔王討伐したあと、目立ちたくないのでギルドマスターになった」の

 書籍化が決定しました! レーベルは富士見ファンタジア文庫になります。

 ドラゴンマガジン7月号にも刊行予定が掲載されておりますが、

 発売予定日は7月20日になりまして、イラスト担当は鳴瀬ひろふみ先生です。

 連載開始からもうすぐ一年になりますが、更新頻度を上げてこれからも

 頑張っていきたいと思っております! 今後とも本作にお付き合いいただけましたら幸いです。

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