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第88話 葛藤の連続と遊覧飛行

※二話同時更新の二話目になります。

 ユマは俺に絡むことで力を使い果たしてしまい、椅子に座らせるとうずくまってしまった。ベッドに運ぼうとすると、ふるふると首を振る。


「ユマちゃん、いつも朝早いから本当はもうお休みの時間だけど、ディー君に合わせて頑張ってるんだよ」

「俺は一睡もしなくても平気だが、成長期のユマに睡眠不足はいただけないな」

「ディック殿は、やはり仲間思いなのですね。いつも気を配っていなければ、そのような言葉は出てきません。そのように優しい方であるから、私のこともご容赦いただけたのでしょうか……」


 プリミエールは酔っていないようだが、肩に力が入っているのが分かる。俺もそうだが、師匠と話すにも緊張しているのだろう。


「プリミエールはこんな遅くに部屋を出て、従者に止められなかったか?」

「彼女たちには、今日は大いに羽根を伸ばすようにと指示しましたので……ディック殿たちがいらっしゃるので、私の身辺についても心配はないと伝えてあります。今は二人とも、お借りした部屋で休んでいるでしょう」


 確かにプリミエールの侍女二人は、遠慮がちではあったが、集まった客から酒を勧められて飲んでいた。最後までつぶれてはいなかったが、ほどよい酒量なら良く寝られているだろう。


「……それで、師匠に何を話しに来たんだ。差しさわりがあれば、話さなくてもいいが」

「いえ……ディック殿にもお話できればと思っていました。このように、一人で自由に行動することができる時間は貴重なものですから。私の都合で行動してしまい、申し訳ありません」


 公爵家に生まれれば、何不自由なく、欲しいものは全て与えられる――そんなこともないと分かっているが、プリミエールの言葉で改めて実感する。


 身分によって義務が生じ、義務は人を縛る。プリミエールにとっては今日晩餐会に出席することも、予定の繰り合わせが必要になり、常に監視のある立場である彼女は、今の時間を逃してはならないと考えた。


 俺や、師匠と話すために。彼女の抱えている悩みとは何だろう――幾らでも思いつくようで、どれも的を得ている気はしない。マーキスに言い寄られている件だろうかと思うが、外れたときに気まずいので、とりあえず様子を見る。


「……実は、オルランド公のことで……彼が、私に直接使いを出してきたのです。自分がした行為について、国王陛下には内密にしてほしいと」

「また、株を下げることをやってくれるな。面目が立たないのはわかるが、それじゃ彼の謝罪に意味がなくなるだろう。被害を受けたシェリーも、俺だって怒ってる。人殺しをするために迷宮に潜ったわけじゃない」


 プリミエールは答えず、俯いている。彼女を追及しても仕方がないのに、つい声を荒げてしまった。


 クライブは魔物になり、俺が消滅させた。それは俺の判断で、俺の背負うべき業だが、彼を軽率に牢から出してはならなかったという思いは消せない。


「……私は、どうすれば良いのでしょうか。マーキスの意図がそうであったかは分かりませんが、彼のしたことを知らされ、それを秘匿するということは、共犯も同じです。オルランド家が罰を受けたとき、マーキスはきっと私のせいだと思うでしょう」

「分かった、俺が何とかしよう。直接謁見するわけじゃないが、間接的に国王陛下に会う機会がある」


 アイリーンに釘を刺してもらったのに、まだ保身を考えているとは、見下げた根性だ。ロウェも私情で動いている部分があったし、この国は一つ歯車を違えれば、あっけなく崩れそうに思えてならない。


「ディック殿のご厚意に感謝いたします。ですが、私は、あなたに助けていただきたいと思って、お話したかっただけではありません」

「他に何か、俺に聞きたいことがあるのか?」

「……マーキスを見捨てたら、私のことを冷酷な女だと思いますか?」


 それを本気で心配して、俺に聞きたかったのならば――プリミエールは、義理堅い性格なのだろう。


 迷宮探索を成功させた俺に対して、敬意を払っている。俺に軽蔑されることを恐れているというのなら、かける言葉は一つだ。


「彼と、貴女の間に何があったのかは詳しく知らないが……マーキスは公爵家同士で秘密を共有すれば無罪もあると思ったんだろうが、それは甘い考えだ。今話してくれて良かった。マーキスを見捨てるんじゃない、然るべき措置に任せるんだ。そのために国があり、法という仕組みがあるわけだからな」


 ヴィンスブルクトも、他国に通じた罪で裁きを受けた。マーキスの罪はそれよりは軽いが、罰は受けなくてはならない。


 師匠は命懸けで『蛇』を討伐するという罰を受け、友人の死を見届けた。まだ彼女が償う相手は残っているが、これから償おうとする意志はある。


「まあ……公爵家が二つも短期間に倒れたら、国が揺らぐ。代わりに下の爵位から引き上げるなんてこともできないしな。しばらくは、オルランド家の下についていた侯爵家が代理をすることになるだろう」

「まことに……おっしゃる通りです。情けないことですが、私は全ての貴族の統率を取れるほど求心力を持ちません。侮られぬようにと、顔も隠してきたのですが……このような小手先では、効果はさほどありませんでした」


 ――そして、プリミエールは。


 ずっと身に着けていたヴェールを外し、その下にある素顔を見せてくれた。明るい栗色の髪がふわりと広がり、穏やかな印象を受ける瞳が見えるが、彼女は恥じらって顔を伏せてしまう。


「……よく似てる。彼女に……」


 アルベイン王と共に蛇を封じたパーティの一員。その人物がプリミエールの先祖であり、シュトーレン家の開祖ということになるが――女性だったということか。


 それは意識せずに師匠の口から出た言葉だろう。オルランド家の開祖は男性と伝わっているので、男性が二人、女性が三人のパーティだったということだ。


「プリミエール、できれば顔を上げてくれないか。せっかく顔を見せてくれる気になったんだから」

「も、申し訳ありません。自分から見せておいて……私は何をしているのでしょう……」


 戸惑いつつ、プリミエールは顔を上げる。耳まで赤くなっており、彼女が恥じらい深いということが分かると同時に、二十三歳という年齢よりかなり若く見えると分かった。


「お恥ずかしい限りです。私はヴェールで顔を隠さなければ、堂々と立ち振る舞うこともできない……」

「ううん、いいと思う。だって、プリミエールちゃんが顔を見せたら、マーキス公爵だけじゃなくて、他の人たちも言い寄ってきたと思うよ。そんなことになったら、落ち着いて仕事ができないじゃない」

「……それは……」


 言葉を濁すプリミエールを見ていると、顔を隠すまでどうだったのかは想像がついた。

師匠は隣に座っている俺に少し椅子を寄せると、耳打ちをしてくる。


「オルランド家を開いた人もね、けっこう女たらしだったの。昔もシュトーレン家を開いた女性に、同じことをしてたんだよ」


 血は争えないということか。そうなると千年の間に、何度か二つの家の血が混じったりは――史料を見る限りではしていないそうだから、相性は良くないのだろう。


「プリミエールが将来的に結婚すればマーキスも諦めるし、言い寄る奴もいなくなるだろう。それまでは……いや、もうヴェールをつけたままで通してもいいのかもな」

「……当主の務めを果たすには、血筋を残さなくてはなりません。周囲は、マーキス公ならば地位が釣り合うので、子供だけでも……と言います。でも、私は……」

「それは……いくら高貴な者の義務があるといっても、受け入れられることじゃないな。その発想なら、ヴィンスブルクトのジャンでも良かったってことになる」

「彼が公爵の地位にいるころは、直接そう言われたこともありました。両家の繁栄のためにと……王女にも求婚されている方が、何を言うのかと本当は思っていました」


 またヴィンスブルクトか、と呆れを通り越して脱力する。貴族の細君や子女に手を出していたというから、プリミエールに魔手が届かなかったのは幸いだった。


「そういうことが続いて、男性不信になっちゃったんだって。それで、ディー君に彼女の悩みを解決してあげてほしいの」

「そういう悩みに、俺が対応していいのか……?」


 今日一日の俺の行動を話したら、プリミエールの信頼も瓦解するだろう。それくらいのことはしたと今は反省している。


 しかしそんな俺を見て、プリミエールははにかみつつ言った。


「ディック殿とこうしてお話できただけで、気持ちがとても楽になりました」

「……そうか。力になれたなら嬉しい。話を聞いてただけだけどな」

「それで、ディー君にいろいろお世話になったから、お礼がしたいんだって。私も付き添うから、そんなに恥ずかしがらなくてもいいよ」

「お礼……?」


 プリミエールの顔がまた赤くなっている。赤面症も、ヴェールをつけていた理由かもしれない――と思った矢先、彼女は言った。


「……よろしければ、湯殿でお背中をお流しさせていただけないでしょうか?」

「ゆ……湯殿って……ふ、風呂のことか?」


 こく、とプリミエールは頷く。貴族のお礼は身体で支払われるのか――そんなしきたりは聞いたことがない。


「こういうことはね、貴族の人の方がこだわりがあるんだよ。恩人には、ちゃんとお礼をしなきゃだめなんだって」

「そ、そうなのか……公爵が、場末のギルドマスターと風呂に入るという事実については問題ないのか?」

「……ここにいる皆さんが秘密にしてくだされば、問題はないと思います」


 確かにそうだ。そして、師匠もユマも、肝心な時は口が堅いので、噂が流れることはないだろう。


 しかし俺の方が、今日一日いろいろあって雑念が多すぎる。背中を流してもらうだけとはいえ、やましい気持ちで見てしまったら申し訳ない。


「そ、その……何というか……気持ちは嬉しいが、礼は特にしなくても……」

「……いえ。ディックさん、大丈夫です」

「うぉっ……お、起きてたのか。大丈夫って、何がだ?」


 ユマが顔を上げる。彼女は俺に清らかな微笑みを向け、そして言った。


「私が、ディックさんのやましいお気持ちを鎮めてさしあげます」

「ユ、ユマちゃん、それは神聖魔法的な意味で、い、いやらしいことじゃないよね……?」

「そのようなことではありません。やましいお気持ちは、私の『浄化の御手』で触れることで解消されます。実は、ディックさんと旅をしているときも、おやすみの間に時々していたのです。そのおかげで、神聖魔法の修練を積むことが……」


(何か妙にすっきりしてる朝があると思ったら、そういうことだったのか……!)


 もちろんやましい意味ではなくて、俺の魂が清らかになったというか、不死の魔物と戦うことで蓄積した穢れとかいろいろを浄化されていたということだ。


「その浄化を行えば、ディック殿に許可を得られるのでしょうか……?」

「そこまでしてもらったら、ディー君も断れないよね。やましい気持ちにもならないし」

「なぜ師匠も乗り気なんだ……今は恥ずかしいんじゃないのか、一緒に風呂に入ったりするのは」

「だ、だって……ユマちゃんが鎮めてくれたら、ディー君も昔みたいに、きれいな目になると思うし……」


 今の俺の目は濁っているとでもいうのか。大変失敬な話だが、否定はできない。


 公爵に風呂で背中を流してもらうというのが何か話が飛びすぎているように思えてならないが、本人がそれで恩を返したいと言うのだから仕方が――ないのだろうか。どうも流されている気がする。


「では、ディックさん、そこに立ってみてください。今日は特別に、すぐに浄化できる方法を使います」

「手で触れば浄化できるんじゃないのか?」

「いえ……これは特別です。ディックさんだけの、『浄化の抱きしめ』ですっ」


 文字通り、後ろからぎゅっと抱きしめられる。さっきといい、ユマの近接攻撃に俺は全く反応ができていない。


(うっ……す、すごく落ち着く……なんだこの気持ちは……)


「ふぅ……」

「ディー君、どう? 気分は落ち着いた?」

「ああ、かなり落ち着いた。プリミエール、すまないが世話になるよ」

「は、はい……拙いですが、心尽くしをさせていただきます」


 雑念をユマに浄化してもらうのは、案外良い方法かもしれない。しかし浄化に時間がかかるのか、ユマは俺に抱きついたままなかなか離してくれない。


「そろそろいいんじゃないか? ……ユマ?」

「すぅ……ディックさん、いい匂い……お酒の匂いと、香水の匂いもします……」

「ディー君、香水なんてつけてるの? あ、ヴェルちゃんたちの移り香かな」


 きつい香水は使わないが、コーディがつけていた影響で、俺もつけるようになった。それはコーディの正体が女性で、男だらけの騎士団の中においても身だしなみに気を遣っていたというだけなのだが。それゆえに、貴族の女性から人気があるとも言える。


「次期大司教と言われているユフィール殿が、ここまでお慕いになるなんて……ディック殿の人徳は、とどまるところを知りませんね」

「くっ……も、もういいだろ。汗をかいてるから風呂に入るところだったんだ、あまり嗅がないでくれ」


 褒め殺しとはこのことだが、あえて株を下げることをする趣味もない。慕われているとはいうが、匂いを嗅がれるのは全く落ち着かない――ユマに犬属性があるのは、それほど意外でもないが。


 ◆◇◆


 まず俺が浴室に先に入ると、後から師匠とユマが入ってくる。そして、ユマは師匠の背中を流し始めた。ユマは昼間入っているので、師匠の背中を流したいということらしい。


 俺も今日風呂に入るのは二度目だが、色々あって汗をかいている。湯を桶に汲んで浴びると、かなりさっぱりした。


「リムセリットさん、お肌がすごく綺麗です。髪もこんなに長いのにつやつやで、羨ましいです……」

「ユマちゃんも髪を伸ばそうとしてるよね。少し伸びるごとに回復魔法で髪の傷みを直すと、さらさらのままで伸ばせるよ」

「あっ……そ、それなんですけど……私、リムセリットさんにお願いしたいことがあるんです。浄化しかできなくて、ディックさんに頼りきりなので……」


 確かに僧侶と言えば、パーティにおいて浄化だけでなく、癒しの魔法などを担当することが多い。それでもユマの鎮魂能力は唯一無二のもので、随分助けられた。死霊術師の力で何度も再生する不死の魔物を完全に滅ぼすのは、昔はなかなか骨が折れたからだ。


「神聖魔法の、浄化以外を覚えたいってこと?」

「は、はい……私、魔力をうまく抑えられなくて、際限なく浄化してしまうんです。本当はそれではいけないのに、今まで来てしまって……」

「他の神聖魔法は、魔力を過剰にすると危険なこともあるからね。うん、わかった。また今度、教会を訪ねればいいのかな?」

「はい、よろしくお願いします。先生って呼んでもいいですか?」

「ふふ、いいよ。ディー君はお弟子さんで、ユマちゃんは生徒ね」


 楽しそうな会話だが、二人がいる左方向は見られない――師匠は少し前かがみになって、手で胸を隠しているが、覆いきれていない部分が見えてしまう。


(着痩せするんだよな……師匠は。いつもゆったりした服を着てるからか)


「プリミエールちゃん、まだかな? ディー君、呼んできてあげたら?」

「い、いや……催促してるみたいだろ、それじゃ。こういうのは自分のタイミングでいいんだ。恥ずかしかったら無理しなくても……」


 言いかけたところで、カラカラと浴室の扉が開いた。

 見てもいいか迷うが、いきなり裸ということはないのでちら、と見やる。するとプリミエールは沐浴用の薄衣を身に着け、師匠から借りたのか、バレッタで髪を上げていた。


 そしてプリミエールもまた、着痩せするほうだった。公爵として正装しているときは露出が少ないから分からなかったが、出るところが出て、締まるところが締まっている。


「すごーい……プリミエールちゃんの腰、すごく細い。貴族の女の人は、コルセットをつけて努力してるからだね。私も見習わなきゃ」

「いえ……古い風習を、未だに続けているだけですから。それに私は、まだ締め付けていないほうです。もっと細くしている方もいらっしゃいますから」

「あ、あの……触ってみてもいいでしょうか?」

「あっ……く、くすぐったいです、ユフィール殿……」


 師匠の背中を一度流してから、プリミエールの腰を触りに行くユマ。師匠も興味があったのか、こともあろうにユマと揃って、ぺたぺたと腰に触る。


「あ……ディー君も触りたそうにしてる」

「んっ……い、いけません……いえ、もし本当にそうおっしゃるなら、少しだけなら……」

「俺の心を乱さないでくれ。さっきせっかくユマに鎮めてもらったんだぞ」


 女性同士が仲良くしているのも悪くはない、と思う俺は新しい世界を開こうとしているのだろうか。それもこれも、プリミエールの反応が艶やかすぎるのがいけない。


「大変です……っ、ディックさん、もう一度お鎮めしないといけないです。魂から、いっぱいもやもやしたものが出ています」

「そういうのも見えちゃうんだ……私、魔力は見えるけど、そこまでは見えないよ。ユマちゃんはやっぱりすごいね」

「もやもや……というのは、よくないものなのですか? でしたら、私にもお鎮めするお手伝いをさせてください」

「だ、大丈夫だ。このもやもやは男ならだれでも持っているし、持て余すのが普通なんだ。鎮めなくてはならないものじゃ……」


 まさかそっちの方向で鎮めには来ないだろう――と思っていたが、俺は失念していた。今のユマは、落ち着いているように見えるが、まだ酔っているのだ。


「こんなもやもやを抱えていたら、神も心配されます。浄化の手がいいですか? それとも、浄化の抱きしめですか……?」

「触るだけならいいんだがな……だ、抱きしめは無しだ。手で背中に触るとかで何とかならないか」

「わかりました……では、じっとしていてくださいね……」


 ユマは俺の後ろに回ると、背中にぺた、と手を当ててくる。


「神よ……猛る獅子の魂を鎮め、我が身にその熱を宿らせたまえ……」

「ああ、落ち着く……って、今なんて言った……?」

「あ……ユマちゃん、そういうやりかたもできるんだ。私も手伝おうか?」

「……ユフィール殿、私にも、ディック殿の……その、熱を分けていただけますか?」

「ま、待て……その『熱』ってどういう……」


 まず後ろを振り向くと、ユマがとろんとした目で俺を見ていた。


 そして熱病か何かが伝染するように、師匠とプリミエールも、俺を見る目が変わっている。


 俺の持て余していた熱とは何か、もはや言うまでもなく、それは若さゆえの衝動だ。三人の身体にそんなものを移してしまったら――大変なことになってしまう。


「ディー君……こんなに我慢してたの? それなら、言ってくれたらよかったのに」

「胸がせつないです……それに、か、身体が、じんじんして……熱い……」

「……ディック殿、私も乳母より教えを受けたのみですが、殿方に奉仕する術は心得ております。残っているお熱を冷まさなくては、お身体にさわります」


(ま、まずい……誤魔化しようがない。三人とも本気だ……本気で俺を鎮魂する気だ……!)


 三人がかりで俺を昇天させてくれるなどという甘美な誘い。彼女たちの聖なる力に身を任せれば、どれほど楽になれるだろうか。


 俺が何も言わないうちから、プリミエールは湯浴み着の紐に手をかけ、解こうとする。タオルで胸を押さえて隠していた師匠も、その手を緩めて――ユマも、震えながらも年上の二人に続こうとする。


「ディックさん……私……このときを、ずっと……きゅぅぅ」

「……きゅぅぅ?」

「あっ……ユ、ユマちゃん? 大変、のぼせちゃったみたい」

「まあ……ユフィール殿、お風呂から出て身体を冷まさなくては。ディック殿、すぐに戻ってまいりますので」


 師匠とプリミエールには非常事態に対応する冷静さがかろうじて残っており、ユマを脱衣所まで運んでいく。

 

 一人で待っていると何かものすごく期待しているようなので、俺はとりあえず湯をかぶり、浴槽に入った。そのまましばらく待つと、師匠とプリミエールが戻ってくる。


「ディー君、お酒の解毒ってどうやるの? ユマちゃんにやってあげて」

「わ、わかった。少し身体に触ることになるが、治療のためだから大目に見てくれるか」

「そのような魔法があるのですね……私も少しお酒を過ごしてしまったようなのですが……」


 このまま風呂に入って裸で奉仕を受けるか、みんなの酔いを抜いて、落ち着いた状態で背中を流してもらうか。後のことを考えれば、俺が選べる道は後者しかなかった。


 ――しかし、師匠の酔いまで治療したときは、気が気ではなかった。彼女が酔い覚ましの魔法を知らないというのは何か怪しいが、俺は胸を隠した師匠に「変なところ触っちゃだめだよ」と牽制されつつ、心を無にして治療に当たったのだった。


 ◆◇◆


 ユマは師匠の部屋で休むことになり、俺はプリミエールを彼女の客室に送っていった。


「今日はゆっくり休んでくれ。明日から、また忙しいだろうからな」


 ヴェールを着けていないほうが不自然に感じるらしく、彼女はまたヴェールをつけていた。日頃も就寝時だけしか外さないのだろう。


 彼女はドアを開けようとせず、俺の様子をうかがうように見ている。


「どうした?」

「先ほどは、ディック殿にお礼をする時間が十分に取れませんでしたので……機会を、改めさせていただくということで良いですか?」

「い、いや……そこまで礼にこだわらなくてもいいんじゃないか。ベアトリスに会いに来てくれただけでも、俺は感謝してるよ。彼女のわだかまりも解けたしな」


 初めからそう言っておけば、恥ずかしい思いをさせることもなかったかと思う。彼女の素顔と湯浴み着姿を見るなど、平民の俺には本来ありえないことだ。


「この次は、私が歓待させていただいてもよろしいでしょうか。ディック殿は清廉な方ですから、そのような奉仕はお受けにならないかと思いますが……シュトーレン家では恩人に対して、家の人間全てが報いるというしきたりがあるのです。つまり、当家の全ての女性が……」

「俺も男だから興味はあるが、今はもう十分すぎるほどだ。ユマに雑念を消してもらって、ようやく落ち着いていられるくらいだからな」

「……そうおっしゃると思っていました。そのような方だから、私は……」


 プリミエールはその先を口にしなかった。その口元に穏やかな微笑みが浮かび、俺も笑う。


「いえ、何でもありません。明日は、早朝に屋敷を出ますので、ここでご挨拶をさせていただきます。いずれまたお会いできれば、その時はディック殿にも受け取っていただけるようなお礼を用意いたします」 

「ああ、またそのうち。時間が取れたら、ベアトリスにも会いに来てやってくれ」


 彼女は一礼し、部屋に入っていく。ドアが閉まったあと、俺は三人の仲間が寝ている部屋に戻るが、寝室には行かなかった。


 居間にある接客用の長椅子に寝転がり、腕を枕にして目を閉じる。


(ここで寝ればいいか。寝室に入って、三人を起こしたら悪いしな)


 酔って寝ている三人を念のために警護するという意味もあるので、他の部屋で寝るわけにもいかない。


 ユマのおかげで心は鎮まっており、目を閉じるとすぐに眠気が襲ってくる。何かあったらすぐ起きられるように『警戒アラート』の魔法をかけた直後、俺は意識を手放した。


 ◆◇◆


 夢うつつの中で、俺は部屋に誰かがいる気配を感じた。


 『警戒』に引っかからないということは仲間なので、俺はそのまま眠り続ける。三人のうち、誰かが手洗いに行って戻ってくるということもあるだろう。


 その気配は寝室に向かう。再び休むのだろう――そう思ったのだが、こちらに近づいてくる。


 ふわり、と身体に布のようなものをかけられる。寒いということはないのだが、その気遣いはありがたく受け取っておく。


「……って……たら……」


 聞き取れないほど小さな声。気にはなるが、まぶたは重く、意識もある一定のところから浮上しない。


「……たが……のよ……」


 気配が近づく。普段ならここで起きているが、今日ばかりは、眠りたいという気持ちの方が勝り――そして。


 唇に、柔らかいものが触れた。


 少しひんやりとして、しっとりとしたもの。それは唇にわずかな時間だけ触れたあと、すぐに離れていく。


 寝室の扉が閉まり、また静かになる。庭の木々が風に吹かれ、さらさらという音がしばらく続いた後、真の静寂が訪れる。


 先ほど誰がそばに来たのか、魔力を辿れば確かめることは容易だった。しかし俺はそうせずに、そのまま再び眠りに落ちた。


 ◆◇◆


 俺が起きるまでには、プリミエールは従者と共に屋敷を離れていた。公爵である彼女には来客の対応も多く、今日も一日忙しいそうだ。


 酔いが抜ければ早起きは苦でもなく、俺は一人で厨房に入り、朝食の準備を始めた。ベアトリスはヴェルレーヌと同じ部屋で休んでいたが、起きてくると慌てて手伝ってくれる。


「申し訳ありませんご主人様、私、お客様の誰より早く起きなくてはならないのに……」

「ゆっくりしてていいんだぞ。俺がいるときは、俺も客をもてなす側だからな」

「……ご主人様」

「い、いや……ぽーっとしてる場合じゃないぞ。俺も昨日から甘やかされ続けて、ダメなやつになりそうなんだ。厳しく接してくれ」

「そ、そんな……私にはできません、ご主人様に厳しくだなんて」


 こういうときは言うことを聞かないのか、と笑ってしまう。ミラルカの態度も柔らかくなった今、逆にあの毒舌が懐かしくなったりもする。


 そう思った矢先、厨房にミラルカが顔を出した。上着を着ればすぐに出かけられそうなほど身支度を整えている。相変わらず、気を抜いたところを見せないなと感心する。


「おはよう。ディック、ベアトリス、二人とも早起きね」

「ミラルカもな。低血圧だから、朝は弱いんじゃなかったか」

「いつもはね。昨日は久しぶりに肩の力を抜いて過ごしたから、気分がすっきりしているのよ」


 魔王討伐の旅の途上は、朝は難しい顔をしていることが多かったミラルカだが、それは毎晩遅くまで一日に使った魔法の検証をしたり、旅先で発見した文献を読んでいるからだった。それを知ったあとは、朝はできるだけそっとしておくようにしたものだ。


「ミラルカ、大学に戻るのは今日からか?」

「あと数日は休みをもらっているわ。私は定期的に授業をしているわけじゃないから、思い立った時に講義を時々するだけよ」

「それは良かった。じゃあ、今日の午後から付き合ってもらえるか?」

「つっ……つ、付き合うって……い、いえ、そうね。どこかに同行して欲しいの? 見返りはあるのかしら」


 一瞬だけミラルカは激しく動揺し、それを見たベアトリスがくすっと微笑む。ミラルカは暑そうにぱたぱたと手で顔を扇ぐ――それほど厨房は暑くないが。


「ちょっと、王都の外にな。日帰りだから、準備は軽くでいい」

「ふぅん……まあ、いいけれど。他の皆は一緒に行かなくてもいいの?」

「ミラルカには、あいつらの成長を見せておきたいからな」

「……ご主人様、可能性はあると思っていましたが、もしやミラルカ様との間に……お子様が……?」

「ち、違うわ……そんな事実はないはずよ。私の身体には、そういった変化は一度も起こっていないもの」


 そう言ってなぜかお腹を撫でるミラルカ――それだと、それ以前の男女のことについて心当たりがあるようではないか。しかし指摘するとこちらが恥ずかしい。


「火竜の子供のことだよ。もうすぐ脱皮して飛躍的に大きくなるが、まだ幼体だからな」

「そ、そうよね……勿論分かっていたわ。でも言っておくけれど、私は火竜が大きくなっても、残念に思うということはないわよ。小さな頃に遊んであげた恩を、あの子たちが忘れるわけがないもの」


 ミラルカは腰に手を当て、胸を張って言う。あれだけ火竜の子供がなついていたのだから、その自信にも納得ではある。


「ミラルカ様が、火竜の子供と……そういった、可愛らしいところもおありになるのですね。人は見かけによらないとは……い、いえ、何でもありません」

「何か私について、多少の誤解があるようね……また屋敷に来たら、少し話をさせてもらおうかしら。とりあえず前から言いたかったのだけど、ディックをあまり甘やかさないようにね」

「善処いたします。それではミラルカ様、朝食の支度ができるまで、お席でお待ちください」

「え、ええ……私も何か手伝おうと思ったのだけど、素人が手を出してはいけないわね」


 ベアトリスはミラルカの背中を押していくが、俺を振り返って笑顔を見せる。俺と二人で料理がしたいので、うまくミラルカを退場させたということだろう。


 しかし次にヴェルレーヌが起きてきた時には、ベアトリスは元魔王の手伝いの申し入れを断れるわけもなく、三人で支度をすることになるのだった。


 ◆◇◆


 コーディは元々国王陛下に今回の戦果を報告する機会があると言うので、俺から伝言を頼んだ。エルセイン魔王国への対応は俺たちに一任してほしい、と打診しておく――もしまた魔王国に俺たちを派遣し、ジュリアス討つべしとなるのは避けたい。


 最も、いざとなれば王を諫めるだけの発言力はすでにあると思う。俺も陛下の顔を立てようとは思うものの、基本的には自分の意志で動いているだけだ。最終的に目立たない立場に戻るために、一時的に色々やっているだけなのだから。



 朝食を終えて解散したあと、俺はギルド地下の転移陣を使い、火竜の放牧場に飛んだ。重要な拠点の一つとなるので、貴重な転移結晶を設置するに足りると判断したわけだ。


 管理人のシュラ老には弟子が二人ついている。火竜の巣である洞窟に入ると、まず迎えてくれたのは彼らだった。


「本日はご足労をいただきありがとうございます。管理人がお待ちです」

「ああ、ありがとう。二人は仕事には慣れたか?」

「まだ修行中の身で、シュラ先生の後ろをついて回っています。子竜の調教が始まりましたら、私たちも個別で担当させていただき、学ばせていただきます」


 少年も少女も、まだ十代前半というのに受け答えが丁寧であるのは、彼ら二人がユマの営む孤児院の出身であるからだった。一人で自立して社会に出るか、あるいは養子に出たときのために、しっかりと教育を受けているのだ。


 シュラ老の知識と技術を見るにつけて、俺は彼の代で竜使いの血脈を終わらせるのが惜しいと思い、弟子を取らないかと提案した。そして魔物使いの適性があると見られる子供たち数人に希望を聞き、二人を選抜して連れてきたのである。


「おお、おお! マスター、お久しゅうございます。この前に来られたのはひと月ほど前でしたか。竜たちも、子供たちも健やかにしておりますよ」


 シュラ老が出てくると、二人の子供たちも笑顔になる。普段の暮らしがどれだけ和やかなものか、それだけでうかがい知ることができた。


「何か困ったことがあったらいつでも言ってくれ……と、今日は俺の方が、相談があって来たんだけどな。閃火竜バニングの力を借りたい」

「いつでも出られるよう準備はしております。あれほどの竜です、自分の力を自覚すれば言うことを聞かなくなるかと案じておりましたが、違いましたな。ディック殿に受けた恩義を忘れず、常に待っているように感じます」

「バニング……? ディック、何のことを言っているの?」

「騎竜戦に出場する、俺の竜だ……どうやら、こちらに気づいたみたいだな」


 奥の巣にいた、母竜よりも一回り大きく、紅蓮の鱗を持つ竜。その片方の瞳には傷がついているが、視力に支障はなく、二つの瞳が鋭く輝いている。


 ズシン、ズシンと地面を揺らし、バニングがこちらにやってくる。見上げるほどの巨体だが、俺を見るなり首を下げて頭を低くし、礼を示してきた。


「これが、あの子たちのお父さん……どうしてこんなに色が違うの?」

「竜は食べてるもので鱗の色が変わる。つまり、強い竜は色が違うってことだ……色だけで強さが決まるわけじゃないが、日頃も訓練してるから、黒竜にも負けやしない」


 バニングの後からついてきた子竜たちは、すでに自力で短い距離を飛べるようになっており、パタパタと飛び跳ねながらミラルカの前にやってくる。


「この子たちも、お父さんみたいになるの……? 少し勇ましすぎるわね」

「まだ愛らしい姿のうちに、ミラルカお嬢様にお目にかかれてよかった。この子らは、母竜の次にお嬢様になついておりますからな」

「それはいいのだけど、その人が笑うからお嬢様とは呼ばないでね」

「これは失礼いたしました、お嬢様……じょ、冗談だ。そんなに睨むな」


 ミラルカは俺を威嚇したあと、子竜に挨拶をする。首を撫でられ、子竜は気持ちよさそうに目を閉じた。


「私も訓練をしたら、乗れるようになるかしら。ディックに乗せてもらえばいいのだけど、この子たちには自分で乗ってみたいわ」

「もちろん可能です。竜騎士は子供の頃から竜と共に育ち、慣れさせますからな。ミラルカ殿でしたら、この子らも喜んで乗せるでしょう」

「乗れる大きさになったら、一人でもここに来て練習していいぞ」

「そうしたいけれど、あなたの放牧場だから一緒にお邪魔した方がよさそうね」


 何気なく言うミラルカを見ていて、俺はふと思う。何か、彼女に聞きたいことがあったような――何だったろうか。


「ミラルカ、昨日の夜なんだが……」

「そ、それより……雑談はこれくらいにして、バニングに乗っているところを見せてちょうだい。黒竜より凄いんでしょう?」

「ああ、まあな。向こうもプライドがあるから、いい勝負にはなると思うが」

「では、鞍を装着しますのでしばらくお待ちください。ロロ、スーラ、手伝っておくれ」

「「はい!」」


 少年はロロ、少女はスーラと言うようだ。二人はシュラ老と手分けをしてバニングに鞍をつける。鞍とあぶみを着けないで乗ると鱗がゴツゴツして痛いので、馬に乗るときと同じく必須となる。


 そして鞍がついたところで、俺はバニングに前足をついてもらい、そこから一気に背中に飛び乗った。


「さて、慣らしてみるか……ミラルカはどうする?」

「私は地上で見ているわ。どこか、よく見えるところはある?」

「ではご案内しましょう。これはマスターからの頂きものですが、渡来品の望遠鏡スコープというものです。どうぞご利用ください」


 ミラルカはスコープを持って、シュラ老と弟子たちと一緒に洞窟を出ていった。その後ろを子竜たちがついていく。


 母竜がこちらの様子を見てくるる、と喉を鳴らす。夫を心配しているようなので、一声掛けておかなければ。


「大丈夫、少し乗せてもらうだけだ。近いうちに半日旦那を借りるが、無事に戻るから心配いらない」


 バニングも喉を鳴らし、何度か二匹の竜がやりとりをする。知能が高いので、人間の夫婦が会話しているのと何ら変わりないだろう。


「さて……行くぞ。おまえの力を、ミラルカに披露してやろう」


 バニングは確かに頷いた――そして力強く足を踏ん張り、地面を蹴ると、羽ばたいて空中に浮きあがる。俺は魔法で耳を保護し、高度の急激な上昇に備える。


 垂直に浮上して、洞窟の天に開いた穴から空に出る。この瞬間は、何度味わっても他に類を見ないほど爽快だ。


 まず地上から見ているミラルカたちに、通常の飛行を見せる。放牧地の上空を、ゆっくりと旋回しながら飛ぶ――ここまでは、ミラルカも体験したことがある。


 俺が練習していたのは、魔法を使ってバニングの飛行を補助し、速度や機動性を飛躍的に上げるという手法だった。


「まずはあれからだ。『疾風機動ウィンドシフト』……!」


 俺の魔力で、バニングを強化する――転回の時に生じる減速、外側に膨らもうとする力を、魔法によって制御することで可能となる動き。


 それでも生じる失速を、完全にカバーする方法がある。俺と竜を完全に一体として認識しなければ発動させられない、現時点で究極の加速方法。


(地上からだと、どんな見え方をするんだろうな……後で聞かせてもらうか……!)


 俺はバニングの背に張り付くように身を低くする。紅蓮の鱗が俺の魔力に反応して色を変える――白に近い色へと。



 後で実際にミラルカに聞いてみたところによると、空に一筋の光が走ったように見えただけで、望遠鏡で追えなかったと文句を言われた。


 そして穴埋めに、ミラルカを乗せて遊覧飛行することになった。前と同じようにミラルカを前に乗せ、後ろから腰に片手を回して支える。


「速いのはわかったけれど、見せかたも工夫しないと凄さが伝わらないわよ」

「それはいいアドバイスだな。肝に銘じておくよ。ところで……」

「私を前に乗せるのはいいけれど、それ以上腕を上に上げたら、後でお仕置きするわよ」


 胸が大きすぎるだけで俺は悪くない、と言ったらただではすまないので、俺は厳重に注意しつつバニングを駆った。


「ところで、昨日の夜なんだが……」

「そういえば、昨日の夜は遅くまで起きていたみたいね。いったい何をしていたのか、今のうちに聞かせなさい。黙秘権はないわよ」

「き、昨日はだな……」


 飛んでいるうちに、ゆうべ寝ている俺に毛布代わりの外套を掛けてくれたのがミラルカかどうか聞こうと思ったのだが、ミラルカが絶妙に別のことを話しかけてくるので、聞かずじまいに終わってしまった。


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