第86話 晩餐会と華やかな出席者たち
日没と共に始まった晩餐会。俺はプリミエールの進言によって、始めの挨拶をすることになった。
「みんな大変だったと思うが、ひとまず遺跡迷宮の問題は片付いた。明日から平常に戻るわけだが、今日は大いに力を抜いて疲れを取ってくれ。では、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
大人数が集まれる食堂に、俺のギルド員を含めて、50名以上が入っている。それが全員で声を合わせるものだから、なかなか壮観だ。
「ディック殿、改めてお疲れ様でした。今さらとお思いでしょうが、審問の場でのことを、改めて謝罪させていただきます」
プリミエールは真っ先に席を立ち、俺のところに挨拶にやってきた。グラスを控えめに合わせると、俺と、そして師匠に向けて深々と頭を下げる。
「いや、もう終わった話だ。理由はどうあれ、蛇には対処する必要があった。それに、今回のことを通して得られた収穫も多い」
「ご容赦いただき、感謝します。何か公爵家として協力できることがありましたら、いつでもお申し付けください」
ヴェールは半分透けているので、近づくとプリミエールの容姿がわかる。
マーキス公は他の女性と結婚した後もプリミエールに執心しているというが、それが分かるほどの美貌の持ち主だった。
「プリミエール公、お久しぶりです。こちらのお席で、私たちとお話しませんか?」
「これは、マナリナ王女殿下……それに、ティミス様も。お声掛けいただき光栄に存じます」
マナリナとティミスがやってきて、プリミエールを誘いに来た。
前からの知り合いなら、折角の機会に話したいこともあるだろう――と思ったのだが。
「ディー君、何か大事なことを忘れてない?」
「ん……し、師匠。大事なことって……」
言いかけて、マナリナが緊張した面持ちでこちらを見ていることに気が付いた。そして、彼女の装いを改めて見る――王女として気品に満ちた、けれど豪奢すぎない、この晩餐会を彩る風雅なドレスを身にまとっている。
(公の場なだけに、相応の言葉を使わないとな……照れている場合じゃない)
「マナリナ殿下、ティミス様。今日のドレスはとても良く似合っていらっしゃいますね」
「っ……そ、そんな、お褒めの言葉を待っていたわけでは……妹も近いものを着ていますし」
「マナリナお姉さまの方がよくお似合いです。私は騎士ですので、こういった服はふわふわとして落ち着きません」
「とても良くお似合いです。アルベイン騎士団の華とは、まさにこのことですね」
プリミエールは柔らかい口調でティミスを褒める。ティミスはしきりに恥ずかしそうにしているが、血が半分しか繋がらないとはいえ、姉妹でよく似ているので、マナリナにも引けを取らない気品がある。
「ディック様も、今日の服はいつもと印象が全然違います。まるで貴公子のようで」
「い、いや、それは言いすぎだ。俺は貴公子なんてガラじゃない」
「マナリナお姉さまの言う通りです。着替えていらっしゃってから、全く印象が変わって……」
晩餐会となると、緩い服装で出るわけにもいかない。ヴェルレーヌの用意してくれた服に袖を通したわけだが、どうも周囲の受けが想像以上に良いようだ。
「審問所でお見掛けしたときは、あえて埋没するような装いをされていたのですね……私は自分が恥ずかしいです。貴族であるからといって、華美な装いをすることを疑問にも思わず……」
もはや何をしても褒められるという状況に、素直に喜ぶよりも落ち着かなさの方が上回る。プリミエールの俺に対する評価が激変しすぎていて、申し訳ないほどだ。
「それでは、また後ほどお話いただければ……」
「ま、まあ……俺で良ければ。大して面白い話とかはできないが」
「少しでも、迷宮での武勇伝をお聞かせいただければ幸いです。それと、よろしければデューク様の近況なども……」
「デューク? ティミス、今デュークと言ったの?」
「ちょっ……マ、マナリナ殿下。世の中には似た名前の方がいると言いますから、あまりお気になさらず」
「いえ、魔法大学の受付のポロンさんが、その方に時々食事を届けてもらっていると言っていたものですから……」
ギリギリ俺の正体がばれずに済んだが、ばれたからといって、ティミスの好意が俺本人に向くというだけで何も問題は――いや、大ありだ。
「デューク様は魔法大学に出入りされているのですね。あれほどの研究者の方ですから、きっと多くの功績を残されて……それでも表舞台に姿を現されないなんて、とても奥ゆかしい方です」
「そ、それは凄い人もいたものですね。王女様方、それよりも、飲み物のお代わりはいかがですか。種々取り揃えておりますが」
「では……私は、麒麟乳酒の千年桃割りをお願いいたします」
「私は……ディック殿のおすすめでお願いできますか? お酒には詳しくないもので」
「かしこまりました。では、少々お待ちください」
来客をもてなす側として恭しく礼をすると、俺は一旦厨房に入った。ベアトリスが料理の追加に備えて、新たなメニューを作っている。
「すまないな、こんなに働かせて。疲れてはいないか」
「実体化に魔力を使っていますが、今はまだ十分です。ご主人様、お気遣いありがとうございます」
「そうだ、プリミエールを招待してくれたのはベアトリスだったな。近いうちに話したいと思ってたから、ちょうど呼んでくれて良かった。感謝してるよ」
「ご主人様が、公爵の方々とお話ししたいとおっしゃっていましたので。私の名前ではなく、ディック・シルバー様のお名前で、招待状を出させていただきました。それで、プリミエール様に訪問していただけたのだと思います」
「……プリミエールは一度はここに来たいと思ってたはずだ。俺のことだけで来たわけじゃない、そう思っていいんじゃないか?」
「あ……ディック様……」
遠慮してばかりのベアトリスを見ていると、自然とそうしたくなった。彼女の頭を撫でてやると、血の気の薄い白い顔に赤みがさす。
「……あっ、いけない。火から目を離してはいけないと、ディック様に教えていただきましたのに」
「ベアトリスも料理が落ち着いたら、こっちに出てくるといい。さて、俺はちょっと飲み物を作らせてもらう」
「ディック様がシェイカーを振るお姿を見せていただけるのですね。皆様の前でお見せしたら、きっと大盛況になると思います」
「それはどうだろうな。何人分作るか……乾杯の時は、エールと果実酒、ジュースの三択だったからな。それじゃ、少し味気ない」
棚の扉を開けると、ずらりと酒をブレンドするための材料が並んでいる。俺はやけに久しぶりのように感じつつ、分量を量り始めた。
◆◇◆
そして俺の作った酒が行き渡って半刻もすると、ほどよく皆が酔い始めて、ダイニングルームに置かれたいくつかのテーブルに分かれ、賑やかな談笑の時間となる。
俺もギルド員から挨拶を受けたり、賓客に酒を注がれたりしていたが、少し外の空気を吸いたくなって庭先に出てきた。外にもテーブルが出してあり、庭を見ながら飲むことができる。
俺も酒場をやっているくらいだから、賑やかな場が苦手というわけでもない。むしろ、飲んで楽しそうにしている客を見るのは好きだし、俺自身も酔うのが好きだ。
(何でも力を入れてやっておくもんだな。酒場経営をしっかりやってなければ、こんな催しは開けなかっただろう)
ギルド員と、近隣住民の憩いの場として、酒場を備えているギルドが全てではない。
銀の水瓶亭に酒場が併設されていたから、収益を改善するために色々と対策を講じているうちに、今の形になっていた。
酒場の店主に依頼者の話を聞かせ、横で聞いている形になったのは、ヴェルレーヌが来てからだ。それまでは店主を決めず、ギルドの諜報員が日替わりでカウンターに入り、実質上の受付嬢をしていた。
もうヴェルレーヌが来てから、三か月ほどになる。彼女は魔王討伐から五年待って、それから王都にやってきた。
それが店主として俺の店に入り込み、同居までしている。その実態を弟のジュリアスが知れば、あの様子では相当にショックを受けるのは間違いないだろう。
しかしヴェルレーヌは大人で、自立した女性だ。その人生に家族といえど、弟が干渉するというのは、あまり感心できない。
俺にも姉がいるが、俺がいないうちに結婚していたりなどしても、相手が相当に危険な人物でもなければ反対などしない。
(いや、俺とヴェルレーヌは結婚してるわけじゃないが……一緒に住んでるというのは、家族からすればそういうことだと思うよな……)
「ディックさん、何かお悩みですか?」
「ん……ユマか。なんだ、俺が一人ぼっちだと思って来てくれたのか?」
「ふふっ……それもそうですけど、ディックさんに一杯お注ぎしたいと思いまして」
「おお、悪いな……おっとっと」
ユマが差し出した瓶から、俺のグラスにエールを注ぐ。泡が立ちやすいので、グラスからあふれてこぼれそうになるが、ぎりぎり収まった。
「す、すみません。慣れてないのに、背伸びしてこんなこと……」
「いや、注いでもらえるだけで嬉しいもんだから、あまり堅苦しく考えなくていいぞ」
「……はい。ありがとうございます」
ユマは肩にかかる髪をかきあげ、はにかみながら言う。ちょっと髪が伸びて、少し前に再会した時よりも大人びて見えた。
「それで……ディックさん、先ほど、お風呂の中にいらっしゃいましたよね?」
「っ……気づいてたのか?」
「あ……やっぱりそうなんですね。お風呂では姿が見えなかったのですが、湯船に浸かったときに、ディックさんの波動を感じて……」
「ユマの感覚は誤魔化せないな……すまなかった。ほんの出来心で、新しい魔法を試してみたところだったんだ」
「姿を消される魔法ということですか? だめですよ、いけないことに使っては。ディックさんの穢れなき魂は、そのようなことで色をつけてはいけないのです。神はいつでも、私たちの行いをご覧になっていますよ?」
「本当に悪かったと思ってる。二度としないから、見逃してもらえないか」
有り難い次期大司教候補のお説教を受け、俺は素直に懺悔をする。ユマはくすっと楽しそうに笑うと、賑やかなダイニングルームを見た。
「ディックさんに悪気があるはずがありませんから、内緒にしておきます。でも、これだけは確かめさせてもらってもいいですか?」
「あ、ああ。当たり障りのない答えになるかもしれないが」
ユマは酒精の入っていないハーブティを一口飲むと、胸に手を当てて言った。
「……ど、どちらの方が、一番ディックさんの魂を揺らされたのでしょうか」
「そ、それは……いや、実を言うとだな、まともに見てないんだ。覗くつもりがあったわけじゃないからな」
「まともに……ということは、少しだけ見られたということではないのですか?」
「少しというか、一人だけだ。それは、誓ってもいい」
「というと……アイリーンさん、でしょうか? 隠していませんでしたし、大胆に泳いでいらっしゃいましたし」
女司祭の尋問によって、じわじわと追い詰められていく。見た、とはっきり言ったらアイリーンに知らされてしまうのか――スライムの件で裸同然の姿を見ているが、それとこれとは話が別だ。
嫁にもらってくれるとしたら俺しかいないとか、そんな告白めいたことを言ってた気もするので、裸を見せてもらうくらい、どうということはないような気もする。と開き直ったら、アイリーンの好意が氷結してしまいそうだ。
(ユマはそこまではっきり言ってなかったような気はするな。ということは、中立と思っていていいのか)
「やはり、意識されているんですね。神は人間の造形を、すべて公平なものとして作られたのです。ほ、豊満であれば良いというのは、間違った考えなのです」
「ま、まあ……俺もそう思うけどな」
「本当ですか? アルベインの神に誓うことができますか?」
「俺は信仰者じゃないが、誓える。それは、断言するよ」
「……良かった。すみません、そんなことを気にして。ディックさんに、気を遣っていただくようなことを……」
「確かに、少し前まではユマは年下だし、妹分みたいなものだと勝手に思ってたけどな。でも、今日は……」
印象が変わって感じる。そう言う前に、ユマは微笑みつつ、じっと俺の顔を見た。
「ど、どうした? 俺の顔に何かついてるか」
「いえ。ディックさんの顔は、見ていて飽きないなと思っていました」
「鎮魂したいと思って見てたんじゃないのか? 俺の寿命が来たらにしてもらえるとありがたいんだが」
「……そう言っていただけるのも、とても嬉しいですが。それまで待たなくても、魂に触れることはできるんですよ? ディックさんさえ、お許しをくれるのなら」
ダイニングルームからの明かりを浴びて、ユマの肩に届くよりも少し伸びた髪に、光の波が生まれる。
元々、見る人を明るくするような温かい笑顔の持ち主だが、今はそれとも違う、初めて見るような顔をしていた。
とても切実で、目を逸らすことができない。他の皆のことを一歩引いて見ているようで、それが本意ではなかったのだと気づかされる。
「……魂に触れるだけなら、そこまで臆病にならなくてもいいのかもな。新しい世界が開けるかもしれない」
「はい、きっと開けます。二人で新しい世界の扉を開き、魂の昇華を疑似体験するのです。そうすれば二つの魂は溶け合い、現世においても約束の地に置いても、消えることのない強い結びつきが……」
「ち、近いっ、そんなに詰め寄ってこられるとだなっ……」
「身体の距離など些細なことです、魂を近づけるためには……あっ……」
話しているうちに夢中になったユマは、椅子に座っている俺の膝の上に身を乗り出してきていた。スカートの裾から伸びる白い脚に、思わず目を留めてしまう。
(いつも直接日光を浴びないだけに、真っ白い……きれいな脚をしてるな)
「そ、そんな……ディックさん、いけません、身体の欲が先ではなく、魂の交流を行い、距離を徐々に近づけなくては……っ」
「……魂?」
「あっ……ね、姉様、ディックさんとユマさんのお邪魔をしては……っ」
シェリーとロッテが俺たちを探しに来て、もろにロッテが勘違いをして立ち去ろうとする。いや、勘違いも何も、夜の庭でこんなに密着していたら、俺とユマがただならぬ仲のようにしか見えないだろうが。
「ま、待て……二人とも、早とちりするな。今はちょっと、話に熱が入ってただけだ……そうだよな、ユマ」
「は、はい……すみません、私、夢中になると周りが見えなくなってしまうんです」
その説明で大丈夫かと思ったが、シェリーもロッテも納得してくれていた。
「魂の距離を近づけるには、ゆっくり時間をかける必要があります。それなのに私、焦ってしまって……」
「だ、だからそれは……っ」
「……その話、興味がある。魂の距離……それは、ディックとの?」
「姉様がご興味を持たれるなら、私も……こ、後学のために、お話を伺いたいです」
シェリーもロッテも、赤い華やかなドレスを身に着けていて、双子でそれぞれ違う魅力が出ている。シェリーは長い髪を一つに編んでいて、そこまで肌を見せていないのに、見とれずに居られないほどの艶やかさだった。
「……ディック、その格好だとすごく凛々しい。さっきの挨拶も、素敵だった」
「姉様はディックさんのことになると、何でも称賛しすぎです。もう少し押し引きをしないと、男性は調子に乗るものですよ。そうですよね?」
「俺に聞くのもどうかと思うが、まあそうだな……俺はもうかなり勘違いをしかけてるぞ」
「……勘違いじゃない。今日はみんな、ディックに感謝して集まってる。男性も女性も、全員がそう」
ロッテが空になった俺のグラスに、再びエールを注いでくれる。二人とグラスを合わせて、俺は半分ほど冷たいエールを喉に流し込んだ。
「シェリー、身体は何ともないか?」
「大丈夫。もう、心配ない……迷宮の情報が入ってくるから、それは少し気になるけど」
「姉様……お願いですから、一人で迷宮に行っちゃだめですよ?」
「一声かけてから行く。大丈夫、迷宮の中では、私に危険が及ぶことはない」
「まあそうだと思うが、俺に一声かけてくれると助かる。あの迷宮には、まだ強い魔物が残ってる可能性が高いからな」
「わかった。ディックの指示に従う。普段はどうしていればいい?」
「いつも通りのギルドとして動いてくれればいい。赤の双子亭は、再編する予定はないからな」
それが平常に戻るということなのだが、二人は少し残念そうにしていた。
「どうした? 元気がないみたいだが、気がかりなことでもあるのか」
「……ディックと、みんなと一緒に冒険できて良かった。そう思っただけ」
「もう、ギルドの枠を超えて組むことは滅多にないでしょうし……貴重な経験でした。ディックさん、連れていってくれてありがとうございます」
「短い間だったが、俺こそ礼を言うよ。それに、同じ王都にいるんだから、会おうと思えばいつでも会えるだろ。冒険にも出られるさ」
「いいの……? 私たちが、冒険に誘っても」
シェリーは遠慮がちに尋ねてくる。本来ギルドマスターがひょいひょいと冒険に出ることはないのだが、こればかりは特別だ。
「ああ、いつでも誘ってくれ。予定を合わせる必要はあるけどな」
「っ……分かった。ありがとう、ディック」
「……そうやって、姉様を手玉に取っちゃうんですから。かなわないですね」
「そ、そんなことない。ディックは、私の我がままを聞いてくれただけ」
我がままということでもない。冒険者として、パーティに誘われるというのは光栄なことだ。仲間に必要とされない冒険者ほど寂しいものもない。
二人は嬉しそうにしつつ、中に戻っていく。それを見送っていたユマも席を立った。
「ディックさん、ヴェルレーヌさんですが……先ほどまでホールで皆さんのおもてなしをされていましたが、今は席を外しているみたいです」
それは、俺に様子を見てこいということか。話しておきたいとは思っていたので、ユマの厚意に甘えることにする。
しかしいつまでもフラフラしていると、ダイニングルームにいる皆が気に掛けるかもしれないので、早めに戻ってこなくては。
◆◇◆
ヴェルレーヌの魔力は強く、その気配を辿ることは難しくない。
そしてたどり着いたのは、二階にある俺の寝ていた部屋だった。ドアが少し開いているので、中の様子を見ようとして――そこで、理解を超えた光景が目に入った。
(あの後姿は、ヴェルレーヌ……何を抱きしめて……あ、あれは、俺の枕……?)
燭台の明かりに照らされて、ヴェルレーヌは俺の枕を抱いている。どうやら、顔を埋めているようだ――人の枕の匂いを嗅ぐとは、何ということを。
「……せめてこれくらいなら、持って帰ってもいいだろうか」
「い、いや。駄目だろ、それは」
「きゃぁっ!?」
あまりに突飛なことを言うので、思わず突っ込んでしまった。ヴェルレーヌは高い声で悲鳴を上げて、俺の枕を抱きしめたままで振り返る。
「こ、これは……っ、そ、そうだ、メイドのたしなみとして、ベッドメイキングをしていたのだ。決して、枕を盗もうとしていたわけではないぞ」
「晩餐会をしてる最中に、ベッドメイキングするのか?」
「うっ……い、いいではないか。私だって、突然思いつきで行動することはある」
それでも枕を離さないので、そんなに気に入ったのかと聞きたくなる。
しかし、独り言で言っていた『せめて』という言葉は聞き逃せなかった。
「……もしかして、弟のことで申し訳ないと思ってたりするか?」
「……そんなことは……」
ヴェルレーヌはない、とは言わなかった。俺の想像した通りということだ。
「思うところがあるなら、何でも聞くぞ。枕のことは黙っててやるから」
「い、言うな。情けをかけられると、ますます恥ずかしくなる」
白いエルフの姿をしたヴェルレーヌは、肌の紅潮が分かりやすい。耳まで赤くなりつつも、彼女はふぅ、と息を吐いてから話し始めた。
「……弟が未熟なのは、私も悪いのだ。ジュリアスが幼いうちは私が魔王を務め、大人になったら退位すると決まっていた。彼が即位したあと、私は補佐をしてやらなかった……まだ、王の務めを見様見真似でしか知らなかったというのに」
「王家の唯一の男子だから、甘やかされて育った……とか、そういう感じか」
「ジュリアスが連れている騎士たちを見ただろう。弟は、自分を持ち上げてくれる人物しか周囲に置かない。家臣よりも若いということに引け目を感じているのだ……それゆえに停戦している国に宣戦布告に等しいことをするなどと、無謀なことをした。ご主人様を呆れさせても仕方のない行為だ」
ヴェルレーヌは自分のことで謝罪をするように、声を震わせている。
俺は特に怒っているつもりも、ジュリアスに対して悪感情があるわけでもないのだが――それは、しっかり言っておいた方が良さそうだ。
「それだけ事情が分かってるなら、もう問題は解決したのと同じだ。『弟のことで悩んでいるので、協力を頼みたい』と俺に依頼すればいい」
「……依頼……ご主人様に……?」
「そうだ。俺はギルド員の仕事を請け負わないとは言ってないぞ。そして引き受けたからには、必ず遂行する……そういうのは、茶番だと思うか?」
ヴェルレーヌはしばらく俺を見つめていた。真意を探るような瞳――しかし彼女は、枕を抱き寄せていたことに気がつくと、ぱっと身体から離した。
「……こんなことをしていてまじめに悩んだふりをしても、と思っているのだろう」
「思ってはいないが、俺もその枕は気に入ってるんだ。持っていかれちゃ困るな」
「だ、誰が持っていくというのだ。思い出の品としても、もっと別の物が欲しいものだ」
「そうだ、俺もこの護符が気に入ったからな。これこそが、ヴェルレーヌの欲しいものだろ?」
良いことを思いついたというように、胸にかけたペンダントの鎖を引き、護符を見せて言う。そんな俺の演技に、ヴェルレーヌは怒りはしなかった。
彼女はベッドに枕を戻すと、言葉通りにベッドメイキングをする。俺が後ろにいるというのに、ベッドに身を乗り出す姿勢はまるで山猫のようで――と見ていてはいけない。
「……こんなことを言うと、酷い姉だと思われるだろうが、あえて言う。私は……」
「いや、それは俺が勝つまで言わない方がいいな」
「むぅ……確かにそうかもしれんが……分かった。ならば、改めて依頼をしよう。『ミルク』か、『ここでしか飲めないお酒』が飲みたい」
ヴェルレーヌは年の離れた弟に厳しくできなかったのだろう。それは今でも、そう変わってはいないように思える。
しかし彼女は、それではいけないと決意した。ならば俺にも迷いはない。
「『特製のブレンド』でいいのか?」
「無論だ。『私だけのオリジナル』で」
それは、思いつきで決めた合言葉だった。俺のギルドにおける仕事は、このお決まりのやりとりから始まる。
「俺に借りが増えることになるが、それはいいのか?」
「ふふっ……私はこれでも、元魔王なのだぞ? ご主人様を篭絡する手段など、いくらでもある。期待しておくがいい」
どんな形であれ、報酬を払ってもらえるのなら、俺も働くことはやぶさかでない。
◆◇◆
ヴェルレーヌが先に出ていったあと、俺も続いて部屋を出る。すると、師匠が廊下で待っていた。
「心配しなくても、今来たところだから。ヴェルちゃん、元気になって良かった」
「意外なもんだな……あいつが、弟思いのいい姉さんだったとは。俺はどうも、姉貴って存在には弱いらしい」
「実家のお姉ちゃんたちも、ディー君に優しかったもんね。手紙とか出してる?」
「送られてきたやつには返してるよ。しかし、兄貴たちには家族がいるが、姉貴はまだ結婚してないんだよな」
「自分のしたいことを、まだやり尽くしてないからじゃないかな? ディー君もそうだと思うんだけど……」
「どうだろうな。したいことというか、今は後顧の憂いを無くしたい」
『蛇』を倒して、それで全てが終わったというわけではない。
地底城で、『蛇』が俺たちに見せた幻影。浮遊島は、何者かに襲われ、地に堕ちた――そして住人は師匠とディアーヌを残し、すべてが消えた。
しかし彼らが、地上からいなくなったというわけではない。消失したという確証がなければ『今も存在する』と思うべきだろう。
「俺はいつか、飛竜が必要になることもあるんじゃないかと思ってた。杞憂に終わっても構わないと思ってたが、そうでもないみたいだ」
「ディー君……浮遊島みたいなものが、ほかにもあると思ってるの?」
「無いとは言い切れない。もし空から敵が来たとき、何の備えもないよりは、準備しておきたい。前に火竜が王都近くの森に来た時から、考えてたことだ。俺たちの国は、空からの侵入者にあまりに無防備すぎる」
転移魔法で空を駆け回りながら戦うなんてことは、消耗の激しさ、制御の難しさからも、可能であっても最善の選択ではない。
仲間たちにも調教された優秀な竜に乗ってもらい、空中戦にも対応できるパーティを組む。もし『蛇』が空を飛んでいたら、俺たちは手も足も出なかった――戦った場所が地底城でなければ、恐ろしい想像ではあるが、蛇は空を飛ぶことができたはずだ。
「それで、エルセインの騎竜技術を取り入れようとしてるんだ」
「ああ。まあ、俺の……というか、俺が知り合いのドラゴンマスターに鍛えてもらった火竜の力を試したいっていうのもあるんだけどな」
「あ、ミラルカちゃんが言ってた、火竜の赤ちゃんのこと?」
一応ミラルカとの秘密なのだが、話が漏洩しているな……まあいいか。ミラルカが師匠に、少しは気を許して話したということだろうし。
「あいつらはまだ子竜だから、人を乗せるほど大きくない。父親の竜なんだけど、いろいろあってさ。強くなってもらう必要があったんだ」
「そのいろいろは、私にも教えてくれるの?」
そう言われてしまうと、後で種明かしをするというわけにはいかない。詳しく話すと長くなるので、かいつまんで説明した方が良さそうだ。
「少し前に、今日も来てるティミスから依頼があって……」
◆◇◆
ティミスの依頼で、俺は火竜の親子を自分が所有する森に移し、放牧を始めた。
火竜の父親がどうしていたかというと、火山帯の巣を他の魔獣に襲われ、多勢に無勢で体中に傷を負い、命からがら逃げてきた。
母親の火竜は、遥か遠くの空に夫の姿が見えるや否や、子供をドラゴンマスターのシュラ老に預け、飛んで行ったらしい。
ひどい傷を負い、人間を警戒していた父竜は、シュラ老の治療を受けて回復し、回復のために多量の餌を必要とするようになった。
そこで俺は、火竜の餌となるものをウェルテム商会を通じて運ばせた。硬い鱗を作るための鉱物、そして肉などの動物性の餌、木の実――色々と食べさせているうちに、父竜にある変化が生じた。
シュラ老は、竜は生息域や食べ物によって、大きく変化する生き物だと話してくれた。相当の量の餌を食べなければ変化は起こらないのだが、火竜だからと山盛りの火炎クルミを食べさせたり、外敵の速度に対抗できるようにと『疾風蝙蝠』の肉などをせっせと食べさせたり、鱗をさらに硬くするため『金装甲虫』といったものを与えた結果――もはや火竜とは呼べない変異種へと変化した。
餌を与えられ、妻や子供の世話もされていると理解した父竜は、俺を見ると頭を低くし、背中に乗るように促すようになった。母竜も乗りこなせる俺だが、父竜の飛翔性能は通常の火竜と比較にならないところまで跳ね上がっていて、慣れるまでは苦労した。
『仮面の救い手』である仲間たちを見守るために王都の外に出るたび、俺は放牧地に立ち寄り、竜の騎乗を練習した。そして手ごたえをつかんだところで、俺はずっと『父竜』と呼ぶのも何なので、愛称をつけた。火竜なので『灼熱』という、率直な名前だ。
「元々、ウェルテム商会のジョイスに竜を使って運搬業がしたいって言われてて、もう少し多く竜が欲しいと思ってたんだ。だけど、竜はなかなか言うことを聞かせにくい。シュラ老は火竜の一家を見ていて手一杯だから、エルセインの竜使いが初めだけでも協力してくれたら有り難いと思ったんだ。そこまで上手くいくかはわからないけどな」
「……ディー君、エルセインの黒竜を見ただけでそれだけのことを考えてたの? みんな、全然想像もしてないと思うよ。私も話がどんどん大きくなって、どこまで行っちゃうんだろうって思ったくらいだから」
「そんなに大それた話じゃないさ。エルセインの黒竜もいい竜だったが、それより強くて速い俺の竜を見せたいと思った。相手が勝負を挑んできたのは渡りに船だったんだ」
もちろん見せるだけではなく、勝たなければならない。しかし黒竜を見た時点で、俺は竜騎士だけではなく、竜の戦闘評価もおおよそだが把握することができた。
「ディー君は乗りにくいワイバーンもしっかり乗れてたから、騎竜の技術もそこまで引けをとらないんじゃないかな?」
「あいつは暴れん坊だったからな……」
「懐かしいね。でもあの頃のことを思い出すと、ディー君には謝らないといけないことばっかりで……ごめんね、こんなお師匠さまで」
「いや、師匠の気持ちも知らずに逃げてた俺も馬鹿だった。あの時向き合ってれば、師匠を追い込まずに済んだかもしれない」
不老不死が、どれだけ孤独で辛いことか。それを理解できていたなら、魔王討伐を口実にして逃げる以外にも道はあったはずだ。
「……私たち、やっぱり似た者同士なのかな?」
「そりゃ……師匠と弟子だからな」
「ずっと一緒にいると、似てくるっていうよね。それって、何の話だったかな」
「さ、さあな……」
一緒にいると性格が似てくる――そんなことを、俺の両親も言っていた。つまりは、夫婦は似てくることがあるってことだ。
「……そうだ。ディー君、私、さっきお酒作ってもらってないよ?」
「あ……ご、ごめん。師匠がどういう好みか、良く知らなかったからな」
「私はね、お酒は一通り飲んだことがあるけど、果物のお酒が好きかな。あと、強いお酒が好き」
「師匠はきつい酒でもケロッとして飲みそうなイメージがあるな、確かに」
「今日はディー君に会いに来てる人が沢山いるから、二人で飲むならまた今度がいいかな」
(……ああ、そうか。ミラルカやユマが俺に感じていたことと同じことを、俺も師匠や、周りの大人に感じていたんだ)
子ども扱いではなく、一緒に飲めるような相手として、師匠に認められた。酒が飲めなければ大人ではないとは言わないが、大人になったことを象徴するような飲み物ではある。
「じゃあ、下に行って師匠の酒を作るよ」
「うん、ありがとう。あ、そういえばリゲル君たちが酔っ払って、ディー君のこと大声で呼んでたよ。今捕まったら、大変なことになっちゃうかも」
「あいつは弱いのにガバガバ飲むからな……『たち』って、マッキンリーあたりか」
「それとね、レオニードさんも。ゼクト君も誘われてたけど、ミヅハちゃんが『兄上様はお酒が弱いから』ってガードしてたの」
「強そうに見えるが、人は見た目によらないな」
酒を飲んである程度羽目を外すのはいいことではある。リゲルたちでは、飲まなければレオニードさんを前にして恐縮してしまうところだろうが、その壁を無くしてくれるのも、また酒の魔力というものだ――目上の人に失礼がなければいいのだが。
◆◇◆
青狐族が好むココノビの実以外にも、世界各地で様々な果実が酒に浸けられて愛飲されている。
中には果実自体を醸して作った酒もある。葡萄酒はその最たるものだろうが、南国には熟れた果実を放っておくだけで、勝手に酒になるというものがある――それがシロココの酒というものである。
採取したばかりのシロココの酒を瓶に密封したものが、大陸南端から砂漠の運河を船で通ってアルベイン南部から運ばれてきて、王都にまで届く。仕入れられる数は少ないが、月に2、3本は入荷できるので、タイミングが合えば客に出すことができる。
この酒は一度開封すると、早めに飲み切らなければすぐに酸っぱくなる。その酸味がいいという通もいるが、俺としては甘味があって飲みやすい開封したてを、他の果実酒と合わせるのが良いと思う――ココノビとの相性も抜群だが、同じ大陸南部産の、パンゴラの実を使ったリキュールと合わせることにする。
黄色のパンゴラリキュールをまずグラスに注ぎ、混ざらないように乳白色のシロココ酒をスプーンを伝ってゆっくりと注ぐ。そしてミントの葉を乗せ、シロココの実を粉にしたものを振れば完成だ。
厨房にまで作るところを見に来ていた師匠と、一緒に見学していたベアトリスの分を作って渡す。二人とも、シロココの甘い香りが気に入ったようだ。
「お酒なのに、デザートみたい。ディー君、こんなレシピをどこで覚えたの?」
「日々研究あるのみだな。ほかの店で出してる酒を参考にすることもあるけど、これは俺が飲みたくて作ったんだ」
「ご主人様に作っていただいたお酒……んっ……美味しい。白いところは甘くて、底の果実の風味が後から立ち上がってくるみたいです」
そういう味わいになるように狙っているので、想定通りのコメントに思わず顔が綻ぶ。師匠もグラスに口をつけて、目をぱちぱちと瞬いた。
「美味しい……どれだけでも入っちゃうくらい。あ、でも、思ったより後からくるみたい」
酒精はきつい部類に入る酒を使っているので、甘くて飲みやすいからとカパカパ飲んでしまうとあっという間に潰れてしまうだろう。ベアトリスはすでに目が赤らみ、ひっく、としゃっくりをしている。
「ひくっ……も、申し訳ありません。ご主人様の前で、はしたないです」
「悪い、ベアトリスには少しきつかったか」
「いえ……とってもいい気持ちれす。ひっく。れも、目はくるくる回るれす……」
「ベアちゃん、大丈夫? ちょっと休んてきた方がいいかもね。ディー君、ちょっとベアちゃんを寝かせてくるね」
見る間に真っ赤になって、ベアトリスは運ばれていってしまった。まあ、回復魔法で酒を中和できるので、師匠が介抱してくれるだろう。
「ディックさぁ~ん! 俺はっ、俺はぁっ、あんたはやると思ってた! もう、一生ついていきます!」
「男マッキンリー、十八杯目! 我がギルドマスターに乾杯!」
「がっははは、ディック、おめえのギルドの奴らはイキがいいな! こんなザルども、うちのギルドにはいねえから羨ましいぜ!」
リゲルもマッキンリーも完全に出来上がっている――悪酔いになりかけたら治療してやればいいとして、今はまだ無礼講だ。
「ディック……席を外してばかりではつまらぬぞ。せっかくお主と飲めると思って来たのに」
「カスミさん、服の襟を開きすぎよ。もう少し引き締めないと、うちのディックが気の迷いを起こすじゃない」
「お、おい。『うちの』ってなんだ。ミラルカも酔ってるだろ」
「何のこと? 私が酔うなんてありえないわ。君の瞳に乾杯なんて、恥ずかしいことを言わないでほしいわね……ひっく」
「捏造をするな、捏造を……お、おい、足元がフラフラしてるぞ」
ミラルカはふらっとバランスを崩すが、近くにいたアイリーンに支えられる。
「あ~、ディックだ。ディック、どこ行ってたの? さては~、浮気してたでしょ~!」
「お前ら……俺のことを頭の中でどういう設定にしてるんだ。こっちが恥ずかしいぞ」
「恥ずかしいって何さ~! ディックのむっつりすけべ、カスミさんのおっぱいばかり見て、おっぱいなんて、おっぱいなんてぇ……私にもあるんらから~!」
「や、やめろ、こんなとこでっ……あ、後にしろ! 今はだめだ、とにかく!」
「後でならいいんだね……ディック、アイリーンが酔っているからといって、自分の部屋に連れ込んで……」
「変な展開に持っていくな! コーディ、お前は俺の味方だろ!」
パーティの良心に助けを求めてみる――しかしコーディは憂いを帯びた顔で、シャツの襟元に手を当てて言った。
「僕もさっきから、少し身体が熱いんだ……ディック、どうすればいい?」
「ど、どうすればと言われてもだな……」
「……少し締め付けがきついのかもしれない。外せば楽になるかも……」
「待て、早まるな! そんなことで守り通したものを台無しにしていいのか!」
サラシが暑いというのは、切実な問題だろう――酔うと外そうとするとは。ミラルカとユマは今のところ落ち着いているが、いつ危ういことになるか分かったものではない。
「マスター、そろそろ遅い時間ですけど、うちらどうしたらええんやろ? 兄上様は、帰って寝るって言ってます」
「ああ、そうか……もうこんな時間か。みんな聞いてくれ、泊まりたい人はベアトリスに許可を取ること! 家に帰るなら、遠くに住んでる人はうちの諜報部に送らせる! 今日は集まってくれて感謝する、またこれからもよろしく頼む!」
皆酔っているのでパリッとした返事は返ってこなかったが、とりあえず解散の告知はできたようで、俺の指示に従ってダイニングルームから人が出ていく。
家族が待っているからと家に帰る人がほとんどで、泊まりを希望する人はあまりいなかった。酔っ払っていたレオニードさんも、同居している娘さんを怒らせないようにと帰っていき、後には俺と魔王討伐隊の四人、師匠、プリミエールとその侍女が残る。
ヴェルレーヌはてきぱきと片づけを始めていた。もう心配はいらないとばかりに、俺と目が合うと笑ってみせる。
リーザ、サクヤさん、そしてゼクトとミヅハの兄妹も片付けを手伝ってくれていたが、あとは任せてもらうように言って家に帰した。テーブルで寝ていたカスミさんは、空き室で休んでもらうことにする。師匠に酔い覚ましの魔法をかけてもらえば、明日には爽やかに目を覚ますだろう。
「ディー君、みんなふらふらだけど、全員の酔い覚ましをするの?」
「私は問題ないわ。足取りはしっかりしているし、魔法で酔いを抜かなくても大丈夫よ」
「私も大丈夫です、お酒は口にしていませんので」
「え~、ユマちゃんもさっき間違えて飲んじゃってなかった? お姉さんは見たんらからね~」
「アイリーン、それは見なかったことにしてあげるべきだよ。それが友情というものさ」
ユマは僧侶である以前に年齢の問題で酒は禁止されているが、間違えて口をつけたなら仕方がない。少しくらいなら体にも害はないだろう。
四人は前にも泊まったことがあるので、連れ立って客室に向かう。俺もそれを見送ったあと、片付けを始めた――リゲルとマッキンリーの飲んだグラスの数を見て肩をすくめるが、まあ彼らの陽気さに免じて大目に見てやろう。
「プリミエール公、本日はいかがでしたか。少し、騒がしかったでしょうか」
ヴェルレーヌがプリミエールに挨拶をする。プリミエールはベアトリスのこともあって、久しぶりに屋敷に泊まることにしたそうだ。
「ギルドの方々は、大きなお仕事を終えるたびに、このように賑やかな催しをされているのですね。想像して、羨ましく思いました」
「複数のギルドの関係者が集まることは珍しいですが、俺もこういうのは、たまになら悪くないと思いますよ」
「くすっ……ディック殿はこの催しの主賓なのに、主催者として皆さんをもてなされていましたね。なかなかできることではありません」
「まあ、席は外してばかりでしたが……皆でわいわいやってるのを見るのも、俺は嫌いじゃないんでね」
つい言葉を崩しても、プリミエールは咎めることはなかった。ヴェール越しに見える彼女の口元には、微笑が浮かんでいる。
「あなたのような人が持つ人望こそが、本物なのだろうと思います。私も、マーキス公も、ロウェ殿も持っていないもの……それを、ディック殿は持っている」
「それは……買いかぶりだよ。自分がしたいようにして、みんながそんな俺を肯定してくれるっていうのは、やっぱり運によるところが大きいから」
「……あなたの運は、あなたが自分で掴んだものです。私はあなたが否定しても、何度でも称賛します。そうしたいと思う気持ちを、教えられてしまいましたから」
それでは俺が何か悪いことをしたようだと、茶化す気にはなれなかった。
プリミエールはしばらく何も言わず、俺をじっと見て――そして、侍女を伴って退出していく。
「……ご主人様、彼女が何を言わんとしていたのか、気づいていないのか?」
「ん……な、何だ? 俺を労ってくれたのは分かるし、感謝もしてるが」
「いや、ならばいい。気づかない方が、きっと王都は平和なのだろうからな」
「思わせぶりだな……ヴェルレーヌ、それはそうと、給仕をしててあまり飲んでないんじゃないのか。遅い時間だが、良ければ付き合うぞ」
「さすが、ご主人様は話が分かるな。それでこそ、私が認めた主というものだ。ベアトリスも呼び、主人と眷属のささやかな酒宴を開くとしよう」
ベアトリスは酒に弱いのでヴェルレーヌと二人で飲むつもりだったが、彼女がそう言うのならよしとしよう。
――そして俺は、ヴェルレーヌと夜半まで飲むことになるのだが。
この屋敷で夜を明かすまでにもうひと悶着あろうとは、その時はまだ思ってはいなかった。




