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第84話 ギルドマスターと冒険者強度

 ベルサリスの地底都市での戦いを終えた翌日、俺がどこで朝を迎えたかというと――ベアトリスの預かる屋敷の、主人の部屋だった。


 俺がいつ来ても使えるように準備してあったとのことで、そのベッドの寝心地は良く、随分と深い眠りについてしまったようだ。


 そして目を開けると、窓から差し込む朝の光を浴びながら、半透明の羽根を羽ばたかせて妖精が俺を見ていた。


「……人の子よ、ようやく目覚めたか。いや、ディックという名で呼ぶべきか」


 一度は感情を見せた妖精だが、元の無機質な印象に戻っている。だが、あの時俺に礼を言ってくれただろうことは、記憶の齟齬でも何でもないはずだ。


 つまり俺は、やはり皆の力を借りた一時的な強化によって、意識を失うほど疲労していたということらしい。


 蛇を倒したあと、ディアーヌがその永きに渡る生涯を終えたところを看取った。そのあと、俺は師匠を抱きしめて――さらに何をしたか、思い出すだけで顔が熱くなる。


「あー……俺が寝てる間、何かあったか? みんながここに運んでくれたのか」

「ディックは戦いの後に、娘たちと抱擁して、最後にコーディという娘の順番が来たところで力尽きた。コーディはディックを受け止め、アイリーンと協力して運び、転移陣によって地上に帰還した。そこで、銀色の髪の男がディックを見て驚き、そこからは彼が背負った。そして、療養が必要と見てここに運んだ」


 淡々としているが、どうやら転移陣で地上に上がったところで、レオニードさんが待っていてくれたらしい。


 そして、今さらに思い出した――ユマに背中を押されて、まずミラルカが俺の前に出てきて。皆の前で、一人ずつと抱擁ハグをした。


(ま、まあ、パーティの仲間だし、勝利の喜びをハグで表現するのは間違いでは……ないと思いたいが……)


 あのミラルカが、自分からハグを求めてきたというのも身体をかきむしりたいほど照れくさいのだが、さんざん拒否した後にハグしたあとの、何とも言えない安堵感が今もありありと思い出される。


 ――彼女の身体は、小さく震えていた。強がっていても、やはり『蛇』に全滅させられかけたことを思えば、無理もないことだ。


 戦うことが怖くないやつなどいない。戦わなければならないときに勇気を絞ることができる人間を、『勇者』と呼ぶのだろう。


 俺だって一度は、こんな化け物となぜ戦おうと思ったんだと後悔が脳裏をよぎった。レギオンドラゴンのコアを持ち歩いていたのも、ただの偶然だ。


 しかし迷宮を攻略する過程で避けて通れなかった敵が、俺たちを結果的に救うことになるものを与えてくれたというのは、幸運な巡りあわせだとは思う。


「……あれ。そういえば、迷宮から出てきても良かったのか?」


 今さらに気が付いて尋ねると、妖精はベッドの上で上半身を起こした俺の前に降り立ち、そして言った。


「私はミラルカの胸の中にいたので、ともに抱きしめられ、労われた」

「そ、そうだったのか……悪い、押しつぶされなかったか」


 ミラルカの豊かな質量を持つ部分に、妖精がおさまっていたとは――そしてもろともに抱きしめていたとは。気づかない俺の鈍感さも相当だ。


「私は物質の身体をなくし、霊体に変わることができるので、苦しくはなかった。しかしそうすることで、ミラルカの心情に触れた」

「っ……ま、待て。それは、ミラルカの心が見えたってことか?」


 妖精はそういうことに無頓着そうなので、俺に抱きしめられている間、ミラルカがどう思っていたかを口に出しかねない。そう思って慌てて聞いたが、妖精は無表情のままで言った。


「ミラルカは、ディックが無事で安堵していた。私は自分の中にあった感情が、安堵であったことをそれで知ることができた。人の子らをもし死に導いてしまったのなら、私がしたことは誤りであったのだから」


 ――そこで、妖精は確かに表情を陰らせた。


 話し方が淡々としているだけで、やはり妖精には感情がある。そう思うと、俺は妖精がここにいる理由がわかる気がした。


 そして俺の想像通りであるのなら、もう妖精にここにいていいのかと尋ねたりはしない。


「久しぶりだろ、人が多く住んでる街は。満足行くまで見て行くといい。俺の家を住処にしても構わないし、この屋敷にいても構わないぞ」

「私は、リムセリットの暮らす酒場が良い。もしくは、この屋敷と酒場の霊脈をつなぎ、いつでも移動できるようにしてしまえばよい。人の子たちが療養にここを使うならば、転移できたほうが便利だと考える」


 妖精は、人間の手ではとても容易にできそうにないことをさも簡単なことのように口にする。


(遺跡迷宮の霊脈ほど、強力な力を引き出せるものじゃないだろうが……新たに霊脈を敷設できて、しかも転移できるっていうのか。この妖精、もしかしなくても凄まじく優秀なんじゃないのか……?)


「……訂正をする。ディックのギルドハウスであることは、リムセリットの暮らす酒場であることより重要な事柄」

「いや、それが引っかかって黙ってたわけじゃなくてな。霊脈っていうのは遺跡迷宮にしか無いもんだと思ってたが、そうでもないのか」

「魔力のある場所には、どこにでもあると言える。この王都にもいくつか、魔力のるつぼとなっている場所がある。この屋敷も、その一つ。すでに魔力が集積している場所を結ぶことは、それほど難しいことではない」

「そうなのか。俺たち人間には、簡単にできないことだと思うんだがな」


 感心して言うと、しばらく妖精は無言で俺の顔を見つめる。


 こうして見ていると、やはり浮遊島の民の姿を模して造られたからなのか、師匠――どちらかというと、ディアーヌによく似ている。


「……リムセリットって、俺も昨日知ったばかりなんだが。師匠の名前、覚えててくれたんだな」


 なぜだか、感謝したい気持ちになった。みんなもしっかりと覚えているのだろうが、俺にとっては師匠の名前を知る人が増えるというのは、彼女が孤独でなくなるということに直結していた。


 弟子としては、それはいいことなんじゃないかと思う。我がことのように嬉しいといえば、お仕着せがましくなってしまうが。


「覚えることは、難しくはない。忘れることの方が、難しい」

「……え?」

「それでも人は忘れることがある。私はその能力を羨ましいと思う」


 妖精にも、忘れたいことがあるのだろうか――と考えて、すぐに思い当たった。


 十一階層にあった、守備隊の砦。そこで、妖精は守備隊が魔物に全滅させられるさまを目にしたはずだ。


「時間が経って、色々なものを見れば辛いことは思い出さなくなるかもな。やっぱり、迷宮からここに来て良かったんじゃないか。個人的にはそう思うよ」

「……ディックが言うのならば、そうかもしれない。では、他の者を呼んでくる。起きたら呼ぶようにと言われていた」

「ああ、悪い。一つ聞かせてくれ……『蛇』がいなくなった今、分霊を宿してるシェリーはどうなるんだ?」


 シェリーの無事は、戦いが終わった後に確かめている。普段と違う様子もなかったし、問題ないと思うのだが、念のために聞いておきたかった。


「分霊は、『蛇』の力を霊脈に転写し、保存したもの。蛇の本体が倒されると、浮遊島における権限は分霊を宿した者に移る。それは、『蛇』に乗っ取られるということではない。安心していい」

「そうか……って、シェリーもとんでもない力を手に入れたってことか……後で、慎重に説明しておかないとな」


 『蛇』の権限を使用できるということは、おそらくあの迷宮に魔物を呼び出したりもできるということだ。どこまでのことができるかは、シェリーに確かめてもらわないと分からないが――今後の迷宮探索は、場合によっては大きく変化するかもしれない。


「あの娘の力は、ディックの力でもあると私はとらえている。浮遊島は、ディックのものとなったと言っていい。浮上させることはないとしても、中に眠っている機能の全ては、ディックの自由にしていい。『蛇』を倒した者には、その権利がある」

「……本当に? いや、俺の手には余ると思うんだが」

「そんな顔はしていない。ディックはその目に映るものすべてを御す力を持っている。私は、そうとらえる」


 妖精の評価では、俺は今どんな位置にいるのだろうか――それは低い評価よりはよほど良いのだろうが、落ち着かない気分になる。


 評価といえば、あの戦いにおいて俺は全力を出したわけだが、冒険者強度の測定は終わっただろうか。測定器は身に着けていたはずだが、この部屋にはないようだ。


 しかし魔王の護符は、胸にかかったままだった。レギオンドラゴンのコアは、ベッドサイドのチェストに置かれている。


「……ディックが起きたら、他の者に伝えるように言われていた」

「ああ、ありがとう。済まないな」

「礼には及ばない。それだけのことをしてもらった」


 妖精はどうやら、ここに連れてこられたことを恩義に感じているようだ。迷宮に戻りたいと思っているわけでないなら、ここに滞在してもらって構わないだろう。


 普通ならベアトリスが取り次ぎの役を担いそうなものだが、妖精は思ったより面倒見がいいというか、頼みごとを聞いてくれるタイプらしい。


(他の者って、皆この屋敷にいるのか。心配かけたことを謝らないとな)


 俺は病人というわけでもないのに、ベッドの上から出るタイミングを逃したまま、まず最初の来客を受けることになった――入ってきたのは、青狐族の兄妹。ゼクトとミヅハだった。


 ◆◇◆


 二人揃って俺のギルドに入ってから、兄に買ってもらったというミヅハの私服は、王都ではあまり見ない形のものだった。聞いたところによると、青狐族の集落の女性が着るものと似た民族衣装を、色々と組み合わせて再現したものだという。ゼクトは今日も革鎧に外套を羽織っており、いつでも冒険に出られそうな風体だ。


「ディック様、すごかったんやってみんな言ってました。うちも見たかったです……好奇心だけでそんなこと言ったらあかんって、分かってますけど」

「俺は大したことはしてない。パーティの皆がいたから生き残れただけだ」

「マスターがそこまで言うとは……どれほどの強敵だったのか。妹と同じことを思ってしまうな、見てみたかったと」


 ゼクトには、俺が留守のうちのギルドの統括を頼んでいた。SSランクで実力は申し分ないし、仲間が傷つかないことを最優先にする堅実な方針も、指揮を預けるには向いている。年上の相手に思うことではないのかもしれないが。


 しかしゼクトは部屋に入ってフードを外してから、ずっと恐縮しているような、そんな雰囲気だった。


「……マスターの力は知っているつもりだったが、想像を超えていた。他のギルドのマスターが、全幅の信頼を置くだけのことはある。魔王討伐隊の実質上のリーダーだったということも、今回のことを通してわかった」

「まあ、コーディがリーダーだったのは間違いないけどな。俺は参謀みたいなもんだ。今回も、そこまで違ったとは思ってない」

「ふやぁ……何言うてはるんやろこの人。他の皆さんが、どれだけディック様のことを心配してはったか……ミラルカさんなんて、びっくりするくらい取り乱してましたよ。それに、マナリナ王女殿下と、その妹さまと、さらに貴族の親衛隊の方までいらっしゃって……」


 マナリナ、ティミス、キルシュも来ているのか――何か大事になってしまっているな。マナリナが俺たちを案じてくれていて、妹のティミスと一緒に様子を見に来てくれたということか。


「とにかく、ディック様は間違いなく、二度もこの国を救った英雄なんやから、自覚を持ってください。もう、王様になってもええんやないかなってくらいですよ?」

「はは……そいつは言い過ぎだ。力で王になれるなら、俺たちの誰でもできるわけだが、誰一人王様になりたいとは思ってないしな」

「……冒険者の、武人の鑑だ。俺も、かくありたいものだな」


 何かゼクトの俺に対する評価が、心酔の領域に達してしまっているが――どういうふうに俺が活躍したと捉えているのだろう。


「二人は迷宮で何があったか、詳しいことは聞いたのか?」

「ディック様が倒れて、皆さんすごく動転してましたけど、昨日うちが慌ててこのお屋敷に来たら、一晩中話してくれました。ディック様がどれだけ凄かったのか、特にアイリーンさんがずーっとしゃべりっぱなしで……」

「俺は今日の朝ここに来て、妹から話を聞かせてもらった。何か、都合が悪かっただろうか」

「そんなことはないが……俺は目立ちたくないんだがな」


 他の皆には、改めてあまり俺のことを口外しないようにと言っておきたいが、ギルド員には秘密にすることもないだろうか。リゲルたちが聞いたら腰を抜かすか、感涙しながらマッキンリーと一緒に詰め寄ってきそうだ。


「うちはディック様に一生ついていきます。こんな凄い人のギルドでお仕事させてもらえるやなんて……わかってましたけど、さらに分かって、もう感激で……」

「い、一生か……それについては、ゼクトはどう考えてる?」


 さすがに言い過ぎでは、というニュアンスで聞くが、ゼクトは至極真面目な顔をして俺を見た後、目を閉じてしみじみと言った。


「……妹の言うとおりだ。俺には、自分の強さに対する驕りがあった。だが、今回のことを通して思った。俺は銀の水瓶亭において、組織の一端を担わせてもらうだけで、十分に冒険者としての本懐を果たすことができる。マスター、今後も俺を使ってくれ」


 有能だからと、ゼクトとミヅハを在籍させた。もちろんそれは、熟慮してのことだ。


 しかし今、改めて二人が俺のギルドに定着すると心を固めてくれた。いつか青狐族の村に帰る時が来ると思っていたが、そうなるとしても遠い先のことになりそうだ。


 いつの間にか、ミヅハが近づいてきて俺の手を取り、握ってくる。少しひんやりとしているが、ミヅハの頬は赤く、その瞳は熱を帯びていた。強い憧れを、兄の前だというのに隠しもしない。


「うちも何でも言ってください、少しでもディック様のお役に立ちたいんです」

「……そうか。十分すぎるほど助かってるが、今以上に忙しくなるかもしれないぞ。覚悟はできてるか?」

「はい、頑張ります!」


 元気に返事をするミヅハ。そして彼女はもじもじとしながら、ふさふさとした尻尾を前に出し、俺の前に差し出してきた。


「妹は、まだ甘えたい盛りでな。できれば、尻尾の毛を梳いてやってくれ」

「な、なんかそれ、うちが子供みたいやんか……違いますよ、ディック様。うちは立派なレディとして、お願いしたいんです。ですから……し、しっぽを……」


 虎人族のリコもそうだったが、獣人は尻尾を触らせるのがどうも何というか、親愛の表現に相当するらしい。


「頑張るから尻尾を梳いてくれとは、なかなかしっかりしてるな」

「そ、そういうつもりやないんですけど……ディック様が元気に起きてて、うち、安心してしまって……」


 尻尾に手櫛を通してやると、ミヅハはとても嬉しそうにする。


 それを見ているゼクトが優しい顔をしているが、妹が俺に好意をあからさまに寄せていることに対し、兄として懸念はないのだろうか。


 ゼクトという男は、どうも達観しているというか、悟りを開いているようなところがある。俺もそれくらい、動じない心を手に入れられたら、女性陣の攻勢を今後も凌ぎ切ることができるのだろうか。


「青狐族は、夏と冬で尾の毛が一部だけ生え変わる。それを使えば、防寒性の高い服を作ることができる。ミヅハはぜひ、マスターに献上したいと言っているが……どうだろうか?」


 俺の心配するようなことと、まったく別のことを考えていた。俺はまだ、ゼクトという男を理解しきれていないようだ。


 そしてミヅハが「いりませんか?」と小声で言う。尻尾の毛が抜けて、それを毛皮に――その発想はなかったが、彼女がどうしてもというのならば、貰うこと自体はやぶさかではない。どちらかというと、冷え性だというミラルカの方が喜びそうだが。


 ◆◇◆


 青狐族の兄妹には、見舞いに来てくれた礼として、彼らの好物であるココノビシェイクを今度おごってやることにした。彼らは満足した顔で退出していき、次に入ってきたのはヴェルレーヌと師匠だった。


 ヴェルレーヌは額に怪我をしていたはずだが、傷も残らず完全に治っている。師匠が回復魔法で治療したのだろう。


「ディー君、良かった……何日も起きなかったらどうしようって心配してたんだよ」

「うむ、顔色が良くて僥倖だ。やはりご主人様はこうでなくてはな」

「お、おい……そんな近くで見なくても……」

「何を言う、熱を計らなくては。迷宮から出たばかりのときは、微熱があったのだからな。熱は身体の具合を示すサインなのだぞ」


 そうは言われても、正直を言って整った顔立ちをした魔王にぐっと覗き込んでこられると、多少の動揺は否めない。


 悟られないようにしたつもりだが、ヴェルレーヌは俺から離れるとくすっと笑った。どうやら熱はなかったようだ。まあ、自分の体調は自分でも分かっているが、すでにベッドにいる必要は全くない。


「そろそろ着替えでもするか……」


 悪いが二人とも出て行ってくれないか、と言おうとする前に、師匠が笑顔でベッドに膝を乗せ、身を乗り出してきた。


「ディー君、着替えさせてあげようか。昔してあげたことあったでしょ。ディー君が風邪をひいたときに……」

「子供のころならまだしも、今はちょっとな……お、おい。ヴェルレーヌ、なんだその変な移動の仕方は」


 ヴェルレーヌは俺から目を離さないまま、横歩きをして師匠の逆側に回ってくる。どうやら挟撃を行うつもりらしい――と冷静に見ている場合ではない。


「師匠殿は素晴らしい……多少でもご主人様に隙があるとき、女ならばすかさず突けと教えてくれているのだ。この度胸、行動力、さすがはご主人様の師と言わざるをえない」

「えっ……あ、あのね、男の子とか女の子とかは関係なくて、私はディー君の師匠さんだから、着替えさせてあげるくらいは普通っていうだけで……」

「歳を考えてくれ、歳を。いい大人が、必要もないのに着替えさせてもらうわけにいかないだろ」


 当たり前のことを言ったつもりが、師匠がみるみる寂しそうになり、しゅんとする。ヴェルレーヌが後ろにいるのに、そちらに気を配っている余裕がない。


「ディー君が抱っこしてくれたとき、嬉しかったのに……大きくなってもディー君はディー君なんだなって思って、安心したのに。大人になるって、こんなにさみしいことなんだね」

「お、俺を悪者みたいに言われても……世間の常識というか、色々俺にも事情というものが……うわっ!」


 後ろにいたやつが容赦なく襲い掛かってくる――というのは言い過ぎだが、後ろから手が回ってきて、シャツのボタンを一つ外された。思わず手を掴んで止めるしかなくなる。


「っ……ご主人様、そのような大胆な……手を握るなど、ときめいてしまうではないか」

「こ、これくらいでときめいてるようなやつが、大の男の服を着替えさせようとするな!」

「ふふっ……ヴェルちゃん、すごく嬉しそう。ディー君に手を握ってもらったの、初めてだったんだね」


(この二人のコンビは……やけに仲がいいと思ってはいたが、想像以上に危険だ……!)


 女性の年齢の好みなど考えたこともなかったが、年上には年上の、年下には年下の良さがあるというのが、年相応の若者である俺のスタンスである。


 俺の背中の上部、僧帽筋に押し付けられている膨らみについて、そろそろ意識を遠ざけるのが限界になりつつある。背中の感覚を遮断することは魔法によって可能なのだが、それをしてしまうことが惜しいと思う感性が俺にもある。


「むぅ……もっと積極的にしなくてはと思うのだが、やはり難しいものだな。私とて、箱入り娘というわけではないのだぞ?」

「ヴェルちゃんは魔王国のお姫様だったんだよね。それなら、箱入りって言ってもいいんじゃないかな」


 つまり俺は、魔王国の元姫君であるところの女王にメイドをさせ、自分の仕事を手伝わせているということになるのか。


「俺に対して、魔王国から刺客が放たれてないか心配になってきたんだが……」

「案ずるな、私はご主人様のところに来たとは言っていない。思うところあって出奔すると側近に言って出てきたのでな。並大抵のことでは戻らぬとも言ってきたが……ふふっ」


 そろそろ離れてくれると助かるのだが、ヴェルレーヌは俺の肩に手を置いたままでいる。耳元で笑われるとくすぐったいのでやめてほしい。


「ん……ま、待て師匠。その手はなんだ? あ、ちょっ……!」

「ちょっとだけだから大丈夫だよ。ディー君が寝てるうちに、一回身体を拭いたんだよ? 私じゃなくて、他の子たちだけど」

「うむ、私もうらやましい限りだったぞ。鎧を脱がせたあと、ご主人様にそのまま寝間着を着せるのはしのびないとのことで、4人がかりで……」


 その四人がおそらく魔王討伐隊のメンバーであることは、想像に難くなかった。寝ているうちによってたかって、酷い裏切りだ。


「コーデリアちゃんが、『ディックの裸は見たことあるから』って言ってたよ。同じ宿屋のときは、目の前で着替えてたんだってね。コーデリアちゃんが着替えようとしないから、『何恥ずかしがってるんだよ』なんて言って……」

「し、知らなかったんだからしょうがないだろ。分かってて脱がせようとしたわけじゃないからな。それに、あの時は13歳だぞ? そんな気持ちは全く……」

「師匠殿は、ご主人様は少年のころにはすでに思春期を迎えていたと言っていたぞ」


(気づいていたのか師匠……というか、そろそろ逃げ出したい気分になってきた)


「ディー君、百面相してる。そこまで言うなら今日は許してあげるね」

「っ……そ、そうか。いやに物分かりがいいな、師匠」

「……これから、幾らでも親睦を深める機会はあるのでな。師匠殿はこれから贖罪が残っていると言うが、そのあとに牢に入れられるということもあるまい」


 奴隷の首輪で動物のままで固定され、売られてしまった獣人――彼らはすでに、俺のギルドの手で一人を残して解放されている。


「迷宮のことと、私が白の山羊亭でしたことは、別のこととして考えないといけないから。どんなことをしても、償わなきゃ……」

「……そうだな。ただ、どうやって償うかは俺にも考えさせてくれ。解放しただけじゃ済まないっていうのは分かってるつもりだ」


 被害に遭った獣人たちに許してもらうのは難しいことだが、初めから諦めていいことでもない。


 償いを終えて初めて、師匠は俺のギルドに身を置ける。そのことを決して忘れてはならない。


「しかし師匠殿は危なっかしいのでな、行動するときは同行者をつけた方が良いな。サクヤが適任であるかと思うが、ご主人様自身でも良いのだが」

「それはそうだな。師匠、外出する時は最低二名で出るようにしてくれ」

「うん。ディー君のギルドに入れてもらえるように、信頼を積まないとね」


 何をいまさら、と思う。殺してくれなんてことさえ言わなければ、俺はこの人以上に、誰かを信頼することなど――と言えば、それは嘘になるか。


 師匠と離れたあと、何人も信頼できる仲間ができた。そのことの価値を、今こうして実感している最中だ。


「む……そういえば。師匠殿、あれのことを話すのを忘れていたな」

「あ……ディー君が起きてくれたから、嬉しくて忘れちゃってた」

「二人とも、何のことだ?」


 ヴェルレーヌはベッドから降りると、スカートのポケットから何かを取り出す。


 それは、俺が身に着けていた冒険者強度の測定器だった――夜空のような深い藍色に染まった充魔晶の中に、色とりどりの星が瞬いている。


「これは……一体、どれくらいの数値なんだ? この星は何を意味してるんだ」


 ヴェルレーヌからペンダント型の測定器を受け取り、師匠は指で指し示しながら説明してくれた。


「このひとつひとつの星はね、ディー君があの時に借りたみんなの力を示してるの。全体の色は、物凄い出力の魔力を入力すると、戦闘評価10万以上を指す虹色を通り越して、黒に近い色になっちゃうんだけど……私もこんな色、見たことない」

「この状態でも数値に換算できるのか? まあ、ヴェルレーヌ以上はあるっていうことなら、12万は超えてるってことになるのか」


 何かヴェルレーヌも師匠も言いにくそうだ。全員の力を借りたとはいえ、戦闘評価は高くなればなるほど上昇しにくくなるので、そこまで高いわけではないと思うのだが。


 師匠は両手を出して、右手を広げ、左手で三本指を立てた。5本、3本……つまり、5掛ける3で、15万ということか。


「15万か……すごい数値だな。高レベルの皆の力を借りれば、それくらいにはなるか」

「ううん……私も信じられないけど、充魔晶に組み込んだ魔法回路の出した数字を、そのまま言うとね……」


 15万ではない。5掛ける3ではない――いや、さすがにそれは馬鹿げている。


 冗談だと言ってほしくてヴェルレーヌを見るが、彼女は腕を組んで立ったまま、そして真剣そのものの顔で言った。


「――『53万6664』。それが、レギオンドラゴンのコアを使い、魔王討伐隊の4名、蛇の分霊を宿したシェリー、師匠殿、そして私の魔力を集約したご主人様の冒険者強度だ」


 冒険者強度3万でSランク。5万でSSランク。


 10万を超え、SSSランクとして認められる者は、歴史の中でも数えるほどの人数しかいない。


 そんな力を持つ子供たちが五人そろって、『奇跡の子どもたち』と呼ばれ。


 仲間たちと魔王の力を集めた俺は――浮遊島を支えていた神のごとき存在を、あのとき確かに超えていた。


 その事実が示す数値が、53万6664。あまりにも、人間の領域を離れすぎている。


 師匠は何も言わずに俺を見ている。弟子である俺が、人間には過ぎた力を手にして、何を思うのか……どんな答えを出すのかを待っている。


 この力があれば、不可能はない。世界に恐れるものなどなく、全てを手にできる。


 ――そうなのかもしれないが。


 俺が俺である限り、どれだけの力を手に入れても、欲しいものはさほど変わることはない。


「……パーティを組むより、この方法の方が強くなるのか。いや、皆がいてこそだな。俺一人の数値を測れば、もっと現実的な数値が出るだろう。自分では13万くらいだと思うんだがな」


 覇気のないことを言う、と言われてもおかしくないとは思った。しかしヴェルレーヌも、師匠も、ふっと肩の力を抜いて、嬉しそうに笑った。


「ご主人様は、本当にご主人様だな。世界を掌握できる力を手にしても、何も揺らがない」

「ディー君は遠慮するだろうけど、私たちは知ってるよ。ディー君がどれだけ強いのか……でも、秘密にしててあげる。それが、銀の水瓶亭のルールなんだよね」

「ああ、その通りだ。間違っても、俺のギルドが王国最強なんて評判が立つのは困る」


 師匠もヴェルレーヌも俺の意向を汲んでくれている。十二番通りの知る人ぞ知るギルドは、今後も変わらない姿であり続ける。




 ――と、その時は思っていたのだが。


 俺はその後、レオニードさんとカスミさんが面会に訪れたところで、正式にグランド・ギルドマスターになってくれと打診されることになるのだった。



※大変遅くなって申し訳ありません、年内最後の更新となります!

 来年も連載を続けていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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…私の冒険者強度は53万です…って、どこのフ◯ーザ様なんだww
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