第81話 回廊の守護者と聖女の涙
透き通る羽を動かすことなく、空中に浮かんでいた妖精は、じっと俺たちを見ていたが――やがて、羽を動かすと、俺の目の前に飛んできた。
近くで見ると、エルフを模して造られたというだけあって、白エルフの姿をしている時のヴェルレーヌと同じように耳が長く、先が尖っている。
しかしその容姿自体は、俺の気のせいでないならば、どこか師匠に似ていた。師匠を、そのまま幼くしたようにも見える。
「血を捧げた者に、私は警告を行う。同時に、望むのならば、人の子を深層に導く。この迷宮に散在する幾つかの場所に、私の力があれば転移することができる」
(本当に……できるのか。このまま進んでいけば、早くても100層まで18日はかかる。必要がないならば、中層を攻略するのは後回しにするべきだ)
蛇を封じた後も、いくら地の深くであるといっても、王都の直下にあるこの迷宮に未知の魔物を残しておくことは、のちにリスクを残すことになる。
蛇を倒せば、蛇が呼び出したという魔物は全て消えるのかもしれないが、そうならないという可能性もあり――他の迷宮と同じように、蛇に関係なく魔物が湧く可能性も否定はできない。
「迷宮に散在する場所と言ったけど……それは、どういう原理で設定されている場所なのか、教えてもらえるかな」
コーディが疑問を口にする。妖精は俺の肩に座ると、羽を休めながら答えた。
「王国の人間が作った転移陣は、50層までしか繋がっていない。迷宮の魔獣に蹂躙され、そのほとんどは消え去った。しかし、この迷宮には『霊脈』が存在する。その霊脈の力が集約する点に、祭壇が作られている。魔物は祭壇には手を出さない。それは、祭壇が蛇の力を帯びているから」
「『蛇』の支配を受けているからというわけではないのか? この迷宮の魔物は、蛇に造り出されているのだろう」
「全てがそうではない。迷宮の魔物のうち、蛇によって召喚された者は一部に限られる」
その一部に該当すると思われる一体は、蛇の尾という特徴を持ち、地上で自然発生することのない魔物――ドラゴンキマイラ。
なぜ、ドラゴンキマイラが一層に居たのか。それは、蛇が王国軍を完全に排除するために動こうとしたからとも考えられる。
もし一階の転移陣が破壊されていたら、俺たちはこの迷宮に侵入する手立てを失っていた。そうすれば王都が沈むまで、何も知らないままで終わっていたかもしれない。
(ロウェが俺たちの力を借りようとしたのも、分からないでもない……か。あいつもまた、過去の王国が残した債務を支払わされているようなものなんだ)
だが、それとミラルカのことについては関係がない。同情はするが、評価を覆すこともないだろう。
「七階層で、俺たちは祭壇を一つ見つけている。そこからどこまで潜れる?」
「それは、私が霊脈に触れてみなければわからない」
「その霊脈が『蛇』の力の源なら、蛇が私たちの転移を阻むことができる……ということはないのかしら。敵の力を利用するのは、リスクが大きいように思うのだけど……」
俺に続いて、ミラルカが妖精に問いかける。妖精はほとんど間を置くことなく、今度はミラルカのところに飛んで行って答えた。
「霊脈は蛇を創った者によって創られた。蛇は、それを利用することしかできない。力を引き出すことはできても、支配下に置いてはいない。分霊の力がその人の子に宿ったのは、蛇の意志ではない」
それを聞いて、シェリーは幾らか安堵したようだった。『蛇』との戦いに臨むとき、分霊を宿した彼女が敵に操られるようなことはない。
「……少しでも力になりたい。もう、悔しい思いはしたくないから」
「シェリーちゃんなら大丈夫。決して焦らないで、ディー君の言うことをよく聞いて、役目を果たせばいいの。そうすれば、きっと上手く行くから」
「その通りです。ディックさんがいれば、私たちは間違えることはありませんから」
「何か宗教がかってきてないか……? 俺はただの器用貧乏だぞ。万物に通じるみたいに言わないでくれ、そういう存在には程遠い」
期待がかかりすぎるのは良くない、応えるのは当然のことだとしても肩の荷の重さは変わりがない。
しかしコーディが何やら澄まし顔で歩いてくると、何を思ったか、俺の肩に手を置いて言った。こうして見ると分かるが、彼女は騎士の格好をしているときは、具足の底の高さで身長を稼いでいたのである――それでも女性の中では長身なのだが。
「僕は君の駒だって言ってくれたじゃないか。そうなれるように努力しているんだから、自信を持って使ってほしいな」
「そ、それを今持ち出すか……何か勘違いされそうな気がするんだがな……うぉっ!」
俺としたことが素っ頓狂な声を出してしまった。『コーディは俺の駒』発言をどう勘違いしたのか、皆が俺たちを顔を赤くして見つめている。
「駒……というと、馬のことを差して言うこともあるわね」
「あっ……そ、そういうこと? ディック的には、コーディは……」
「人馬一体とは、強い騎士のことを称えるときに良く使う言葉だ。私もご主人様の駒になりたいものだな……指名されるには、足腰を鍛えておくべきだろうか」
「物凄い勘違いをしてるが、そういう意図は全くないぞ。なあ、コーディ」
すぐに同意が得られるかと思いきや、コーディは答えずに笑う。この時々見せるミステリアスさが、コーディの貴族女性に対する人気の一因であるらしい。
「人馬一体なんて、店長もいいことを言ってくれるね。その領域に到達すれば、僕たちのパーティはようやく完成したと言えるんじゃないかな」
「……それだとほかの皆も俺の……ま、まあいい」
「あら、勝てるのなら駒扱いでも構わないわよ。ディックの態度次第だけれど」
「もうね、私はディックに教えこまれてるから。あのスライムに捕まったときに分かったんだけど、ディックがいないと私って全然だめだなって」
ミラルカの態度が柔らかくなると、俺のパーティはこうなってしまうのかと思い知る。そして新顔のシェリーもまた、俺に対する全幅の信頼を隠しもしない。
「……シェリー、同じギルドマスターとして、時に俺を締め付けてくれるか」
「っ……それは……鞭は得意だけど、ディックを締め付けるなんて……」
「ディー君、妖精さんが待ちくたびれてるから、そろそろ……ね?」
「血を捧げた者の好きにすれば良い。人の子の姿は久しく見ていないので、興味深い」
妖精は無表情で淡々と言う。興味深いという感情があるというのが、少し意外に思えた。
答えてくれる気はしなかったが、ずっと引っかかっていたことを、俺は妖精に問いかける。
「一つ聞いてもいいか。ええと……何だ、君を召喚するための魔法文字は、王国の兵士の日誌に書かれていた。昔、王国兵と関わったことがあったのか?」
「……あの人の子らは、私の忠告を聞かず、ゴブリンの群れによって砦を包囲された。いずれもう一度誰かが訪れたとき、資格あるものならば、私を呼び出してくれると思った。それまでは眠っていた。永い眠りだった」
妖精は人間に対してどんな感情を持っているのかを測りかねていたが、今の言葉でようやく分かった。
自分の関わった人間たちが死んでいくのを悲しみ、寂しいと思う心があった。そうでなければ、守備隊に対して忠告することも、俺たちを導いてくれることも無かっただろう。
妖精は話し終えると、少し離れたところにいる師匠を見た。その瞳に宿る感情がいかなるものかまでは、読み取ることはできなかった。
◆◇◆
七階層――俺たちが戦ったような巨大なサンドワームはもういないが、六階層から下ってきた冒険者たちが、Aランク相当の個体と戦っている。簡単に倒すとまではいかないが、僧侶と魔法使いが後衛で安全を確保できているので、多少のダメージを負っても無事に倒しきれるだろう。
「ディック、すごくアドバイスしたそうだけど、行かなくていいの?」
「見たところ、実力は足りてる。危なくなったら逃げるっていう判断もできるだろうし、大丈夫だろう。『黄の牡牛亭』の副ギルドマスターも来てるしな」
「副? あ、そっか。あのギルドは副マスターの方が強いんだっけ」
黄の牡牛亭の副マスターは双剣士で、踊り子のような姿をした妙齢の女性だ。ギルドマスターである旦那さんが依頼に失敗して負傷し、ギルドハウスを離れることができなくなってから、代わりにマスターの仕事を代行している。
カスミさんより少し年上で、すでに子供もいるため、今回の件では地上に残ってもらうことも考えたが、こうして参戦してくれていた。
かなり距離が離れているが、彼女は俺の姿を見つけて手を挙げた。浅い階層で部下たちを鍛え、サンドワームを倒して得られる収穫を持ち帰れば、冒険の成果としてはなかなかのものだ。
『蛇』を倒したあともこの迷宮に魔物が残り、迷宮都市アルヴィナスなどと呼ばれるようになれば、これまで以上に多くの人間が王都に集まるだろう。
しかし俺はこの迷宮自体に、それほど興味があるわけじゃない。探索し尽くすのは面白いかもしれないが、それは俺の一番やりたいことではない。
探索はほかの冒険者に任せ、どうしても倒せない敵が出てきたら、俺たちが討伐する。これまで戦った以上の魔物が、転移で飛ばす階層に居るのならばだが。
祭壇までやってきた俺は、妖精を肩に乗せたまま、パーティの皆に向き直った。
「これから妖精の力を借りて、『霊脈』を利用して可能な限り深層に降りる。これまで出てきた敵よりさらに厄介な相手が出てくると思っていい。まずいと思ったら一時退却も考える。相手が何をしてくるか分からないからな」
「ええ、分かったわ。敵が出てきたら最初から容赦しなくていいのね?」
「魔法を反射するようなやつがいたら、そいつは俺とコーディ、アイリーンで相手をする。魔法で潰せると判断したら指示を出すから詠唱してくれ。それまでは、後衛のみんなは絶対に間合いに入られないこと、遠距離攻撃を警戒すること。頼んだぞ」
全員がこくりと頷く。準備が整ったと見て妖精はふわりと飛び上がると、祭壇の床に書かれた魔法陣に近づき――そして光の粒となって、魔法陣と一体化した。
「自らの身体を物質体から霊体に変換し、霊脈に潜り込むとは……」
ヴェルレーヌは感嘆している。俺も、妖精自体が持つ力もまた、侮れないものであると感じた。
「どんな土地にでも、精霊の力がめぐる道があり、それがなければ大地は死んでしまう。この迷宮もまた、霊脈の力によって生きているのよ」
ミラルカが言った直後、魔法陣が淡く輝き、光の粒が集まって再び妖精が姿を現す。
「霊脈は、ほとんどが元のままでつながっている。しかし最も深い根源までは届かない。蛇の眷属が祭壇を壊して、自分の元までは辿れないようにした」
「……それで十分だ。一気に深くまで潜れるのなら」
「……では、転移を始める。魔法陣の中に入るがいい、人の子らよ」
妖精の言葉に従い、俺たちは全員で魔法陣の中に立つ。すると、妖精の身体が再び輝き始め、それに呼応するように足元から光が溢れた。
◆◇◆
詠唱も、何もない――光で視界が埋め尽くされたあと、次の瞬間には、祭壇の外の風景が一変していた。
「……これは……一体、どういうことだ?」
地下であるのに、どこからか光が差し込み、森や湖が存在する大迷宮。
そんな場所だと分かっていても、目の前の光景の意味を理解するまでには、ひどく時間がかかった。
そこはまぎれもなく『都市』だった。かつて人々が住んでいただろう、石造りの建物が立ち並ぶ街並みを、俺たちはその中心にある塔の中階から見下ろしていた。
中階といっても、王都にある建物の何よりも高い位置にある。俺たちがいる階層は円形で、円の外周に沿うように階段が作られ、上と下に移動することができる。
(この塔を上っていくと、上の階層に上がれるわけか……よく建物がそのままの形で残ってたものだ。どんな材質で作られてるんだ、この都市は……それに、凄まじく広い)
徐々に広くなっていると思ってはいたが、ここはもはや王都全域に匹敵すると思えるほどの広さだった。
浮遊島の構造を、俺は見誤っていた。人間が暮らしていたのは、一階層の上などではない。深層に人の暮らす都市があり、その上に迷宮があったのだ。なぜそんな構造を取ったのかは分からないが、そう考える他はない。
古代の民の技術は、俺の想像を遥かに超えていた。仲間たちも、広がる光景を見て言葉を失っている。
この迷宮が既定の概念を覆すものだと分かっていても、この階層の姿を想像することは誰にもできていなかった。
「……こんなに広い都市なのに、人の気配がしない。あるのは、魔物の気配だけ……一体、千年前に何が起きたというの?」
妖精は答えない。俺たちに教えられることとそうでないことがあるのか、それとも知らないのか――今は確かめようがない。
しかし、妖精は道だけは示してくれているようだった。その視線の先に、都市の上を走る長い回廊がある。
「まるで、空中にできた回廊だ……もう驚いても仕方がないけれど、途轍もない技術力だね」
「ふぇぇ……広すぎてめまいがしそう。これ全部を探さないといけないわけじゃないよね?」
「あの回廊の先にある、城のようなところ……そこから……」
ユマは言いかけて言葉を飲み込んだ。俺も、その巨大な城のようなものを見て、形容しがたい感覚を覚える。
「ご主人様、私の召喚術で飛行できる魔物を呼ぶか? 空中を抜けていくこともできるが……」
「いえ、結界が張られています。見たところ、こちらの干渉を断つもののようです」
「攻撃しようとすると、私たちを別の場所に転移させちゃうみたい。あの回廊を抜けて行かないと、結界をくぐることはできない……そういうことなのかな」
ユマは生来持ち合わせた勘で、師匠は持っている知識によって判断する。俺の目で見ても、二人の見立てと同じ意見だった。
俺たちの身体能力なら、城を経路通りに攻略する必要はない。しかし、結界に手を出して転移させられてしまうと面倒なことになる。
「開けてある道を進めば、敵の思うツボではある。だが、全員で進むにはあの回廊を行くしかない」
「全員が散り散りになるよりはいいということだね」
「わざと結界の通り道が開けてあるってことは、私たちをそこで止められると思ってるんだよね。その自信を粉々にしてあげようよ」
アイリーンが手甲を付け直す――彼女が本気で戦うときに使う、鬼族の鉄爪。
コーディもまた、予め剣精を呼び、光剣をその手に握る。俺は全員に対して攻撃、防御、敏捷を強化する魔法をかける。
「っ……久しぶりね、ディックがここまで強化をかけるなんて」
「身体がすごく軽いです……っ、ああ、久しぶりです、この感覚……」
強化の魔法を極めると、対象者の持つ魔力を利用して、個人の能力を強化することができるようになる。普通なら、自分の魔力の一部を消費して強化効果を時間限定で発生させるだけだが、俺はそれでは使い物にならないと思い、魔法を自分で改造した。
魔力量が多いほど強くなるこの方法を使えば、普段近接戦闘を行わないユマとミラルカですら能力が跳ね上がる。シェリーは元の魔力量はSランク相応だが、分霊を宿して魔力量が増えており、さらに力を引き出すことができた。
「……ディックに魔法をかけてもらえて嬉しい。あなたの魔力は、すごく温かい」
「うむ……癖になるというか、何というか。戦いを前にしているというのに、恐怖を感じるどころか幸福しか感じない。どうしてくれるのだ、ご主人様」
「それは感受性が強すぎるんじゃないか……? くれぐれも気を抜くなよ」
ヴェルレーヌの肩を何とはなしにぽんと叩く。すると彼女は触れられた部分に手を当て、頬を染めた。
「ヴェルレーヌさん、そんなふうにしていると、何かあなたの身に起きそうだから気を付けたほうがいいわよ」
「む……そうか? では気を付けるとしよう。ご主人様の盾となる覚悟はできているが、生き残らなければ報われることもないのでな」
「それは生き残ったときに……いや、生きるも死ぬもない。全員で生きて帰る」
言い切ると、俺たちは進み始める。妖精はものも言わず、ふわりと飛ぶと、なぜかミラルカの胸元に滑り込んだ。
「っ……ど、どこに入ってくるのよ。あなた、飛んでついてくればいいじゃない」
「魔力が多く、後衛の者で、入りやすいところを選んだ」
「そ、それは……私だと、入りにくいというか、入るところがないというところでしょうか……」
「もう、ユマまで……いいわ、おとなしくしていなさい。むやみに飛び出したら殲滅に巻き込んでしまうわよ」
妖精がうらやましいなどと考えていられるのも、今のうちだけだ。
俺たちは階段を降り、回廊のある階に辿りつく。
都市の上を伸びる長い回廊。そこに、上から見下ろしたときは屋根に阻まれて見えなかったが、人のような姿がいくつか見える。
俺とコーディ、そしてアイリーンは、回廊に踏み出していく。その瞬間に、豆粒ほどに小さかった人影が、雷光のような速さで俺たちに襲い掛かる。それを知覚すると同時に、俺は自らの抑制を解除した。
――『負荷解除・拘束開放』――
俺、コーディ、アイリーンにそれぞれ一人ずつ。敵も前衛と後衛に分かれており、前衛の三人は剣、槍、斧を持っていた。
蛇を象った面を被った、金色に光る鎧を身に着けた剣士。振るわれる剣が、目の錯覚ではなく幾つにも分かれて見える――相手の装備している剣が、斬撃の手数を増やしているのだ。
――『斬撃回数強化』――
魔力で強化した剣を振り抜く。一、二、三、一度の踏み込みでそれだけ剣を振るうが、俺たちはその間に二十四度斬撃を撃ち合った。
(速い……そして、強い。だが、一人一体なら倒せる……!)
斧使いは体格が並外れており、相手をしているコーディが小さく見えるほどだった。叩き下ろされた斧が回廊の床を削り、飛び散った石をコーディは全て光弾で撃ち落としながら、光剣を振るって斧使いの懐に一撃を入れる。だが信じがたいことに、光剣の一撃でも鎧の表面を削るだけに留まった。
アイリーンは槍使いの残像も残らない速さの突きを、同等の速さの体捌きですべて見事に交わし、懐に掌底を叩き込み、鉄爪による連撃を入れ、最後に蹴りで吹き飛ばす――すでにその身体は鬼神化による、赤く変化した魔力に包み込まれている。
ミラルカはすでに陣魔法を詠唱し始めており、魔方陣の範囲に前衛の三騎士が入っている。
相手の鎧を破壊すれば、その時点で俺たちの勝ちとなる。しかし敵の後衛にいる弓使い、魔法使いが、後衛を直接に狙ってくる――だが。
師匠が中衛となり、ミラルカたちに誘導するように撃ち出された敵の矢をすべて叩き落とす。
――師匠が持つ剣、『妖精剣』。彼女自身と俺の魔法で強化されたその刃は、敵の矢の鏃を斬れるほどに鋭くなっていた。相手の装備の素材は、俺たちの攻撃でも容易に破壊できないというのにだ。
(妖精……そうか。あの剣もまた、浮遊島で作られた素材でできている……そして、この敵の装備も……)
前衛の三人の中で、最も早く好機をつかんだのはアイリーンだった。敵の槍を紙一重で見切り、こともあろうに槍を掴んで引き、さらに一歩を踏み出し、それを必殺の力を生む『震雷』とする。
「――修羅双掌破っ!」
鎧の強度がいかに高くとも、衝撃を貫通させ、内部から破壊する。スライムに対しても使われた大技は、ここでも通用した――まったく怯まずに攻撃を続けていた槍使いが動きを止め、たたらを踏む。
俺の相手もまた、勝負をかけるべく一度距離が開いたあと、身を低くして捨て身の突きを繰り出してきた。鎧の強度を信頼しているからこそできることだ。
(全身のバネを余すところなく突きに集約している……まさに剣を振るうために作られたような存在。だが……!)
敵が目に頼って戦う限り、俺はその一歩先を行くことができる。
その突きが、俺を捉えたと思ったのだろう。だが、手ごたえがあるはずもない。
――『修羅残影剣・転移千裂』――
「――おぉぉぉぉっ!」
突きを繰り出した剣士の裏に回り、俺は手を緩めずに斬撃の嵐を浴びせる。それでも破壊できないこの鎧は、どれだけの強度を持っているのか。
だが、待った甲斐はあった。この未知の素材すら、ミラルカは陣を敵に触れさせることで解析してみせてくれた――そして。
(完成……『限定殲滅型六十六式・粒子切断陣』)
ミラルカが陣術を発動させる思考が伝わってくる。鎧が崩れ去るあいだも俺の攻撃は続き、そうなれば、敵はもはやひとたまりもなかった。
蛇の仮面の剣士は守りを破られて吹き飛び、回廊の両端に立ち並ぶ列柱の一つに叩きつけられた。アイリーンも好機を見逃さず、槍兵を倒している――コーディは最後の斧の一撃を見切り、よけ切ると、反撃で斧使いの仮面を断ち割った。
――そこに現れたのは、若い男の顔だった。褪せた銀色の髪をして、白に近い肌色をしている。
(……千年の間、生きていたのか。いや、違う……)
傷を負ったというのに、敵は血を流さなかった。これは、人間を模しただけのもの――人形だ。
かつてこの都市に暮らした民。師匠と同じルーツを持つだろう人々。ぞくりと浮かんだ不吉な考えを、俺は振り払う。師匠は俺と戦ったとき、浅い傷を負っている。彼女がゴーレムだから不老不死だったなんて、そんな馬鹿なことはない。
(ご主人様、後ろに飛べ! 敵の召喚魔法の範囲に入っている!)
俺、コーディ、アイリーン。それぞれの足元に敵の召喚した何者か――こともあろうに、巨大な口を持つあのサンドワームが出現しようとする。
食われることを回避するには、全員を転移させるほかはない。短距離の転移ならば、俺以外も同時に転移させられる――そして。
まだ動ける斧兵に反撃する前に、俺はコーディに指示を出す。コーディはすかさずそれに答え、剣精を地の果てをも穿つ矢に変えた。
――光剣・超長距離光弾――
後衛も同じ装備をしているなら、一撃で鎧を貫通するのは難しい。しかし一瞬でも相手の行動を妨害することに意味がある。
「深淵の闇より這い出て、我が敵を喰らえ……『満たされぬ者』」
出現したサンドワームの相手を請け負ったのはヴェルレーヌだった。こちらに襲い掛かってくるサンドワーム三体を同時に巻き込み、黒い霧のような『満たされぬ者』が食らいつくしていく。
――その隙を突き、走りこんできたのは、こともあろうに斧を捨てた斧兵だった。敵の選択は、たとえ全滅しても一人でも俺たちの戦力を削ぐことに変わっていたのだ。
「くっ……!」
横を抜けられまいとコーディが剣を繰り出すが、深手とはならなかった。師匠の一撃でも削り切れず、敵が最も脅威と判断しただろうミラルカに襲い掛かる――しかし。
「――『幻影蛇鞭』!」
そこにはシェリーがいる。鞭の連撃を受けた斧兵が足を止めた直後、俺は一点に無数の斬撃を集中して繰り出す――鎧を失った斧兵の身体は人の姿とは思えない強度だったが、何重撃かで俺が想像していた通りに、石でできた身体の一部が砕けた。
敵の後衛はコーディの光弾で常に妨害を受け続け、隙を見て抜け出すことすらできなくなる。そうなってしまえば、すでに勝敗は決していた。
◆◇◆
敵の後衛三体は、俺たちが近づくと、光弾を受けながらも格闘戦を挑んできた。しかし、前衛の三体と違って接近戦に特化していない彼らを倒すことは難しくはなかった。
しかし、倒れても倒れても、何度でも立ち上がってくる。完膚なきまでに破壊するしかない――そう考えたとき、動いたのはユマだった。
「……この方々は、かりそめの体に、かりそめの魂を入れられて動いているだけ。もう、魂を定着させる魔力は失われています。神よ、迷える魂をわが前に……」
ユマの言う通りに、敵の身体から抵抗することもなく、魂とおぼしき光が現れた。六つの光を見て、ユマは妖精のほうをうかがう。
「……人の子よ、それは魂に似せただけのものにすぎない。人の魂とは異なり、意思を持たず、ただ命令を刷り込まれているだけ」
「それでも……魂に似ているだけのものだとしても。私は……」
役目を果たした後に、行く先があると思いたいのか。妖精の言う通り、作られただけのものだとしても、彼女はそれを消し去ることに迷いを覚え、涙を流した。
あまりにも、優しすぎる。そして俺は、その優しさに甘えていると知りながら、ユマが作られた魂を神の元に送るところを見届けた。
「……約束の地に、たどり着けるのでしょうか。例え作られた魂でも、迷わずに……」
「きっと辿りつけるわ。六人で一緒にいたのだから、向こうでも一緒だといいわね」
「ミラルカさん……」
俺たちの行く手を阻む敵だったが、彼らは仲間同士で連携していた。
『蛇』が自分を守護させるために作り出しただろう存在が、人間の戦術を使った。俺にはそれが脅威であると同時に、一つの事実を示唆していると思えた。
蛇は、人間の感情を理解している。
霊脈は死んでおらず、この島はまだ生きていた。それなのに、この都市に暮らしていたはずの民は、『蛇』を残してこの島を出た――それは、何故なのか。
もし『蛇』がこの迷宮ごと、自分を創り出した者たちに放棄されたのだとしたら。
(……蛇が千年前、天変地異を起こして人間を滅ぼそうとした理由は……)
「……ご主人様、いよいよだな。この中に『蛇』か、それに連なるものがいる」
「ようやくここまで来れたね。妖精の導きがなければ、まだ15階層辺りにも辿りついていなかったかな」
そして今も、ここが最深層であるという確証はない。あの祭壇から霊脈を通じて飛んできたということすら、妖精の言葉を信じればというだけのことだ。
「……ディー君、この子はうそをつかないよ。だから、大丈夫」
「そうか……そうだな。今さら疑ってもしようがないか」
妖精は何も答えず、再びミラルカの胸に戻っていく。彼女ももう慣れたのか、少し落ち着かなさそうではあったが、不満は言わなかった。
都市の上に広がる空は、俺たちがこの階層に降りてきたときとは色を変えている。夕焼け――時刻の変化による空の色の変化まで、この地底都市では再現されているのだ。
俺たちは回廊を抜け、見上げるほどに大きな地底城の門を押し開き、その中へと入っていった。




