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第78話 宰相の本心と少女の肖像

 銀の水瓶亭の地下に帰還すると、着替えを終えたベアトリスだけが待っていて、スカートをつまんで頭を下げた。魔王国の貴族にふさわしい優雅な仕草だ。


「おかえりなさいませ、ディック様」

「ああ……あれ? いつもの服と違うな。うちの制服じゃないか」


 指摘を受けたベアトリスは、青白すぎていつも心配になる顔をほんのりと赤く染めた。霊体の魔族であるレイスが、顔を赤くするというのも不思議な話だが、高位の霊体系魔族は魔力によって体を物質化できるので、魔力の供給さえ定期的にできていれば、ほぼ普通の人間と同じだ。


「ヴェルレーヌ様に召喚される際に、服を屋敷に残してきてしまったのです。私がいた部屋に、その……服が、そのまま残ってしまっていると思うのですが……」

「他のメイドがそれを発見したら、ベアトリスが溶けたんじゃないかと疑われかねないな」

「私が魔族であることは伝えてありますから、大丈夫だと思いますが、驚かせてしまうことは間違いありませんね。ですが、ディック様のお力に少しでもなれたのですから、そちらの方が優先です」


 青と金色の透き通るような瞳を細め、ベアトリスははにかむ。近頃屋敷を訪問していなかったというのに、彼女の俺に対する好感は揺るぎないようだ。


(食い散らかす……とかレオニードさんが言うから、変なことを考えてしまうな。これはいかんぞ)


「ディック様、厨房に入ることをお許しいただけますか?」

「ああ、夕食作りを手伝ってくれるのか。今って何時くらいだ?」

「夜の十時半です。お店はもう閉まっていますが、厨房係の方々が作り置きをしていってくださいましたので、お夕食の準備はすぐに終わると思います」


 時間を聞いたのは、師匠の審問の件で俺たちに隠していたことについて、ロウェと公爵家の当主二人に会って話す必要があるからだ。


 プリミエールにはベアトリスをあの屋敷に置き去りにした件についても話がしたいので、後日屋敷に呼ぶことにする。マーキスは事情を聞く程度になりそうなので、他の誰かに行かせても大丈夫だろう。潜入任務が得意な仲間は多くいるが、ここはアイリーンに頼むことにする。


「ベアトリス、明日の夜にシュトーレン公爵を屋敷に招く。ベアトリスを置いて屋敷を放棄した件について、何の咎めもないのは気になるからな」

「プリミエール公爵をお呼びになられるのですか? ディック様のご指示とあれば、準備をしておきます」

「直接顔を合わせることになるかもしれないが、大丈夫か」


 ベアトリスは問題ない、という意味合いで首を振った。シュトーレン家を憎んでいるというわけではなさそうだが、複雑な感情があるのだろう。


「今の私は、シュトーレン家の召喚契約から解放されています。プリミエール様は、私のことを最後まで案じていらっしゃいましたから……他の方々は、死霊を呼び寄せる厄介者だとおっしゃっていましたが」

「そうだったのか……」


 それを聞く限りでは、ベアトリスの件でプリミエールを追及するのは少し違う。


「ですが……もう、プリミエール様とは一生お会いすることはできないと思っていましたから。もしもう一度お会いできるのでしたら、私は元気にしているとお伝えしたいです」

「そうか。実は、プリミエールにも事情があるのかもしれないが、少し文句を言いたいことがあったんだが。悪人と決めつけずに話を聞くことにするよ」

「ありがとうございます……ですが、ディック様、お気をつけください」

「気をつけるって、何がだ?」


 聞き返すと、ベアトリスはじっと俺の顔を見つめる。そこで俺は、同じような反応をつい先程もパーティの仲間が見せていたことを思い出した。


「ディック様の御髪おぐしがいつもと違っていて……そ、その、とてもよくお似合いなので……」

「プリミエールは社交界で、山ほど色男を見てるんじゃないか。俺を見ても何とも思わないと思うぞ」

「……そうでしょうか。私は、ずっと見ていたいくらいなのですが」


 そう言ってじっと見てくるベアトリス。目は口ほどにものを言うと言うが、何か艶っぽい瞳をしている。


 レイスクィーンである彼女は、魔力を欲しがっているときはひと目見ただけでわかる。先程の『解放召喚』で力を使ったためか、反動で消耗しているようだ。


「俺は食事を取ったら少し出かけるが……他の皆に事情を説明して、俺が帰ってきたあとで、部屋に少し来るといい。魔力の供与には、三十分くらいで足りるか?」

「っ……よろしいのですか? 皆様がいらっしゃるのに、私だけ特別に寝室に呼んでいただくなんて……私はただのメイドですのに」

「何を言ってるんだ、屋敷を預かる女主人だろ……ん?」


 何か、そんな話をどこかで……と考えたところで、ベアトリスが何やら慌て始めた。


「ディック様、それでは、後ほど改めてお伺いさせていただきますっ……そ、それでは……っ」


 ぱたぱたと走って出ていくベアトリス。魔法陣のある隠し部屋の外には酒蔵があるので、瓶をひっかけて割らないように注意してもらいたいところだ。


 何を慌てていたのか気になるが、俺も悠長にしている場合ではない。

 今夜のうちに宰相の屋敷に潜入し、真意を聞き出す。蛇を封じるために、犠牲が必要になると理解していて、黙っていたのかどうか。それは必ず問い質しておかなければならない。


 ◆◇◆


 ロウェはこのところ、執務に明け暮れてほとんど自邸に戻っていないということは、情報網を介して把握することができた。ロウェの周囲を監視していたわけではないが、王城の中で働く人間から情報を得られるように、俺のギルドの諜報部員が入り込んでいる。


 王城が近づくと、俺は『隠密ハイディング』の魔法を使う。立派な正門を守っている兵は、俺が目の前を通ってもあくびを噛み殺し、交代の時間を待ち遠しそうにするのみだった。


 王城には王室の人々の居住空間である居館、審問所の他に、宰相と文官たちが政務を行っている館がある。俺は跳躍して、館の二階にある宰相の部屋に外から入らせてもらうことにした。


 『静寂ミュート』の魔法で消音しているため、宰相の部屋に繋がっているバルコニーに着地しても、辺りに音は響かない。


 魔法で音を消せるということは、ロウェが俺を見て声を上げようが、警備をしている兵士が駆けつけることはなく、一対一で話ができるということでもあった。


 さらには、俺は素性を隠すべく、懐から仮面を出して身につけた。

 緊張感がないと思われるかもしれないが、これにもそれなりの理由がある。ギルドマスターとしてロウェと敵対するのは得策ではない――ならば、表面上であろうとも、俺はディックとしてロウェに接触するべきではないからだ。


 仮面の救い手の正体が魔王討伐隊であることは伏せているが、王都にその名は広く伝わっている。ロウェもふざけた姿だと軽く見てあしらうことはしないだろう。

 

 俺は窓の留め金を魔力の刃で音もなく切断し、中に入っていく。ロウェの部屋は執務室と、客を迎えるための応接室に分かれているため、まず応接室の方に入った。


 ここには明かりはついておらず、執務室の扉は閉じているが、隙間から明かりが漏れている。


 部屋にいることは確実だ。俺は扉に手を掛け、音を消して開ける――すると、ロウェはこちらを見ておらず、俺が入ってきたことには気が付かなかった。


 ロウェは執務室の椅子に腰掛けたまま、小さな額縁に入れた肖像画のようなものを見ている。彼の後ろに回って、その絵を見たとき、思考が数秒ほど停止した。


 そこに描かれているのは、金色の髪を持つ美しい少女――間違いない。俺と出会った頃か、それより少し前の幼いミラルカの姿だった。


「……ミラルカ。君はなぜ、あんな男と……」


(あんな男……誰のことだ?)


 幼い頃のミラルカの肖像画をなぜロウェが持っているのか。画家にでも描かせたのか、それとも自分で――気になりはするが、それは後で確かめればいいことだ。


 俺は窓際に立つと、わざと音を立ててロウェに気づかせた。振り向いたロウェは、俺の姿を見て驚愕に目を見開くが、声を上げて取り乱したりはしなかった。


「……噂に聞く『仮面の救い手』が、私のもとを訪れるとは。心臓が止まるかと思いました」

「無礼を承知で、どうしても尋ねたいことがあってな。『蛇』討伐の件については、俺たちも関心を持っている。だが、様子を見ているうちに腑に落ちないことが出てきた」


 仮面の効果で俺の声は変わり、素の声よりも低く響いている。そのおかげで、ロウェは俺がディックだと気がつくことはなかった。審問所の時とは装備を変えていることも大きいだろう。


「これは、穏やかではありませんね……あなた方にも、可能であれば助力を頼みたいほどの事態なのですが。それとも、すでに素性を隠して、迷宮探索に参加してくれていたのですか?」

「そう思ってくれていい。まず、ひとつ……ギャレットという男を送り込んだのは誰だ?」


 柔和な笑みを浮かべていたロウェの表情が変わる。それが彼の本来の姿に近いのだろう、冷たくも鋭い眼光を俺に向けてくる。


 一国の宰相ともあろう男が、見かけどおりに気弱な優男のわけがないということだ。


「……それは、答えなければならないことですか? たとえ民衆に絶大な人気のある『救い手』の方々とはいえ、私にも友人に対する義理というものがあるのでね」

「その友人というのは、公爵家の当主のどちらかか? ギャレットの正体はもう分かっている……クライブ・ガーランド。赤の双子亭を襲撃した罪などで囚われていたはずの男だ」

「そこまで把握しているということであれば、遅かれ早かれ答えに辿りつくでしょう。ならば私が答えても同じだ。私も志半ばで死にたくはないのでね」


 ロウェは状況を理解している――俺に対する対応を間違えれば、ここで敵対することになるということに。


「オルランド家のマーキス公ですよ。彼は、どうしてもシュトーレン家に負けるわけにはいかないんです」

「そういうことか……面子の問題か?」

「内密に願いたいですが、マーキス公は、プリミエール公に懸想されていたことがあるんです。ですが、プリミエール公は公爵を継ぐことで、マーキス公に対する答えとした……そう言われています。公爵家の当主同士が結婚することはできませんからね。宰相である私が、こんな風聞を口にするのもどうかとは思いますが、それは事実でしょう」


 マーキスはプリミエールに一目置かせるため、迷宮探索における功績を急いで、SSランクの冒険者であるクライブを利用しようとしたということだ。


「マーキス公にも思惑はあったんだろうが、だからといってしていいことと悪いことがある」

「正義を執行する『仮面の救い手』の方々にとっては、許されざる行為だということですか。ならばどうします、オルランド家までが権勢を失えば、この国の支配構造は地盤から揺らいでしまう。国難の今、それは得策ではない」

「迷宮で最前線を進んでいるのは、貴族が派遣した人員じゃない。初めから、全て魔王討伐隊に任せるつもりだったんだろう? それで貴族のやることを看過しろというのは筋が違うだろう」


 ロウェは笑みを浮かべているが、それはただ笑顔を作っているだけだ。演技を続けられるほど器用でもないということだろう。


「『蛇』は確かに存在し、封印を解かれようとしているのかもしれない。だとしたら、個人の思惑を捨てて協力すべきだろう。腹に何かを隠したままでは、協力して国を救うことは難しい」

「……私はこの国の実権を握っているわけでもなんでもない。国王陛下に献策する立場にはありますが、それの是非を決めるのは陛下であって……」

「そんな誤魔化しは聞いてない。率直に言おう。過去に『蛇』を封じたとき、初代王のパーティにいた人物が犠牲となっている。今回も同じ犠牲が必要になると分かっていたはずだ」

「っ……そ、それは……」


 『仮面の救い手』がそこまでの事情を知っていると思わなかったのか、ロウェは途端に狼狽し始める。


 白麗公と呼ばれる名宰相の堂々たる姿は、もはやそこにはなかった。それは、師匠を犠牲にしようとしたと知られたことが、彼にとって想定外の出来事であったことを示していた。


 師匠は事実上の死罪を申し付けられても、『蛇』を封じるまで何も言わずに、自分の中に抱え込んだままで命を落としていたかもしれなかったというのに。


「先日、審問を受けた女性。王都にギルドを創設した彼女の命を代償にして、『蛇』を封じさせようとした。それが王国の方針だとでもいうのか?」


 できるだけ感情を荒らげないように、俺は問い質した。それでも怒りが溢れ出しそうになる。


 しかし師匠が犯した罪を、償わなくてはいけないことは分かっている。


 先祖返りを起こす能力を持った獣人たちは首輪をつけられ、売られていった。その原因となる首輪を作ったのは、師匠なのだから。


「……彼女は獣人との関係が悪化する要因を作りました。それは大罪です……過去の功績を鑑みても、それは差し引きで打ち消せるものではない」


 ロウェは額に浮かんだ汗を手巾で拭いながら言う。俺が何も言わないことで勢いづいたのか、それとも臆病さがそうさせたのか、彼は勢いづいたようにまくし立て始めた。


「いいじゃないですか、それでこの国が救われるのなら。最小限の犠牲が最大の幸福を生むならば、ひとりの死など些細なことです」

「自分が犠牲になって王国を救えるとしたら、同じことが言えるのか?」

「そ、それは……そんな例え話に何があるというんです。初代王が蛇を封印したときの記録によれば、たしかに一人の女性が犠牲となっている。しかし私が死んでも何の意味もないし、私は何の罪も犯していない。国の刑罰で死刑となるよりは、最後に多くの民のために命を捧げた方がよほど有意義だと……」

「……魔王討伐隊の力を、なぜ信じようとしない?」

「え……?」


 ロウェは何を言っているのか分からない、という顔で俺を見た。会話の噛み合わなさに、俺はこの男と、どこまで行っても相性が悪いのだろうと思う。


「魔王討伐隊は、魔王を倒して帰ってきた。彼らが『蛇』を犠牲なしに封じることができれば、あの女性は死ぬ必要がないはずだ」

「……魔王よりも強大な存在だと言われている『蛇』を、倒すことができると? それを信じろというのは、あまりにも……」

「最初から誰かの犠牲を前提にするよりはいいだろう。彼女を死なせずに蛇を封印できれば、審問で下された判断は、ただの欺瞞ではなかったということになる。勘違いするな、彼女を裁くなと言っているわけじゃない。魔王討伐隊に、彼女を死刑台に送るような真似をさせて、後から発覚したときのことも考えた方がいいと言ってるんだ」


 交渉ごとにおいては、ただ強圧的に押すより、相手が保身をする余地も残してやるべきだ。


 俺はロウェを害するためにここに来たわけではない。忠告に来ただけだ――そう伝えてやると、ロウェは幾ばくか気を許したように見えた。


「……私は、あの男に……ディック・シルバーに殺されるということは、ないんでしょうか」

「魔王討伐隊を恐ろしい化物かなにかだと思ってるのか。なら、なおさらその力を信じてやるべきだな」

「恐ろしいに決まっている。Sランクの強さでも、戦う力を持たない者からすれば恐怖の対象でしかない。ましてSSSランクなど、本当は王都に置きたくもないくらいです。国境の警備にでも当たってもらいたいくらいだ」

「彼らは国にとっての不都合を起こさなかった。ただ、静かに暮らしていただけだ」

「……それは表面上のことだけかもしれません。私だけに裏表があるとは、思ってほしくないものですね」


 結論からいうと、俺はこのロウェと理解し合うことは難しいのだと思う。


 だが、釘を刺すことはできた。『仮面の救い手』は、ロウェの行動を常に察知し、謀略を巡らせれば関知する。それは、魔王討伐隊にも伝わりうる――それを教えてやれば、今後の迷宮探索において足の引っ張り合いが行われることはない。


「……魔王討伐隊を信じろとおっしゃるなら、そうします。私も死にたくはない」


 結果として脅しをかける形にはなってしまったが、目的は達した。


 あとは、魔王討伐隊――つまり、俺達が『蛇』を倒せばいい。師匠の罪は、彼女が死ぬこと以外で贖う。


 そして、もう一つ気になる点がある。緊張感のない話ではあるのだが、そのままにしておくと落ち着かない。


「……話は変わるが。宰相、少女の肖像画を見ていたようだが……」

「っ……」

「国の危機に、女性にうつつを抜かしてもらっていては困るな」

「くっ……わ、私は、少女好みなどではありませんよ。この肖像画は……そ、そうだ、落ちていたものを、拾って届けてくれた人がいただけです」


 師匠のことではあれほど残酷になれた人物が、ミラルカのこととなるとこれほど簡単に動揺する。


 それで、鈍い俺でもピンときた。どういう事情か知らないが、ロウェはマーキスの恋路についてばらしておいて、自分もミラルカに懸想しているのだ。


 他人の恋路など馬も食わないというし、俺も首を突っ込むことは面倒で、普段なら絶対にしないところだが。


 それがミラルカのこととなれば、話は別だ。彼女には、ロウェとは絶対に付き合って欲しくはない――理屈を超えて、そんな束縛じみた考えが浮かんでしまう。


「それなら、俺が持ち主を探して返しておこう」

「……み、見つからないと思いますが……」


 ロウェはそんなことを言いつつ、肖像画にこだわると少女好きと思われるとでも思ったのか、渋々といった様子で、手のひらに乗る大きさの額縁を俺に渡してきた。


「……『仮面の救い手』は、拾得物を人に届ける仕事もしているんですか。それは、民に支持されるわけだ」


 何か疲れた様子で、ロウェが苦笑して言う。肖像画を見ているところ、はたまたミラルカの名を口にしていたところまで、俺に見られていたのではないかと心配しているのだろう。


 あんなふうに、ミラルカの肖像画を他人に眺めていられるというのは、なぜだか全く良い気分がしない。ロウェには悪いが、全くの個人感情で没収に踏み切らせてもらった。


 ◆◇◆


 ロウェとの話を終えてギルドハウスに戻ると、オルランド家に向かっていたアイリーンも任務を終えて帰ってきていた。『小さき魂スモールスピリット』をアイリーンにつけていたので事情は伝わっているが、改めてギルドハウス二階の居間で話を聞く。


 マーキスは結論から言うと、ロウェの言いなりになっていただけだという。クライブの件を指示したのは、全てロウェだというが――それが事実ならば、マーキスに実行させて自分は関与していないように装った彼は、やはり全く信用ならない。諜報部員を交代で監視につけておく必要がある。


「ディック、お願い聞いてあげたんだから……わかってる?」

「ん? 何のことだ?」

「またまた~、とぼけちゃって。明日は冒険だけど、ちょっとだけお酒に付き合ってくれたりしない?」

「ちょっとならいいけどな。少し用があるから、その後ならいいぞ」


 ベアトリスに魔力を補充してやらなければいけないので、断腸の思いで皆に事情を説明したのだが、やはりそれでも想像すると恥ずかしいらしく、アイリーンの顔が紅潮する。


「い、言っておくけど……ベアちゃんといやらしいこととかしないよね? それとも、しちゃうの……?」

「見た目はいやらしく見えるかもしれないが、魔力は肌を接触させたほうがよく伝わるんだ」

「……それってどういう感じ?」

「か、感じと言われてもだな……アイリーンは元気だし、魔力を補給する必要はないだろ」

「えー、ベアトリスちゃんだけずるくない?」

「ま、まあ……どうしてもと言うなら、アイリーンも補給してやってもいいけど。魔法薬でも飲んだ方がいいと思うぞ」

「う、うん……考えとく。じゃああたし、お風呂入ってくるから、また後でね♪」


 アイリーンには急な頼みに応じてもらったので、要望には答えたい。それは正直な気持ちなので、まあ良しとする。


 魔力の補給と言っても、背中に手を当てて送り込んだりもできるわけで、服を脱ぐ必要はない――が、さっきの言い方だと勘違いされている気がしなくもない。


 ◆◇◆


 部屋に帰ってきたあと、俺は懐に入れて持ち帰ってきた肖像画をどうすべきか、と考える。


 ロウェの手元に置いておきたくないからと没収してしまったが、ふと疑問に思う。俺はなぜそんなことを思ったのだろう。人のものを強行して奪うなど、俺らしからぬ短絡的な行動だ。


 ミラルカとか、『あんな男』とか、ロウェが思わせぶりなことを言ったことも引っかかっていた。


「……しかし……」


 改めて見て思うが、幼い頃のミラルカは、おすましした顔で書かれているが憎たらしいほどに美少女だった。


 素直に評すれば、彼女の美貌はこの頃にはもうその片鱗を見せていて、今はさらに花開いたといえるだろう。


「……可愛いけどな、確かに」

「ディック、何を見てるの?」


 ――忘却のディック、自宅にて心臓麻痺で死去、享年十八歳。そんなことを想像するレベルで、心臓が凍りついた。


 確かに俺は、ドアを半開きにしたまま肖像画に見入っていた――だからといって、すぐ後ろまで接近を許すというのは、俺としたことが油断しすぎなのではないか、それともさすがミラルカと言うべきか。


「っ……これ……」

「い、いや、これはその……」

「ディック、取り返してきてくれたの……?」

「……えっ?」


 ミラルカが俺を見る目がみるみるうちに変わっていく――予想もしない展開でついていけない。


 彼女はそっと俺の手から肖像画を取ると、その絵の右下を指さして言う。そこには、小さくサインのような印が描かれていた。


「……今回の件には関係がないと思って、言わなかったのだけど。宰相のロウェは、短い間だけど私の家庭教師をしていたことがあったの。そのときに、家の居間に飾ってあったこれが、いつの間にか無くなってしまって……」

「それって……もしかして、ロウェが無断で持ち出したっていうことか?」

「結果としては、そうだったということになるのかしらね……でも、良かった。この絵は、お母様が描いてくれたものなの。ほら、ここにサインが入っているでしょう。お母様も、見つかったと教えてあげたら喜ぶと思うわ。ありがとう、ディック」

「っ……あ、ああ。じゃあ、ミラルカに返すよ。そうだよな、これに描かれてるのってミラルカだよな。なんで宰相の部屋にこんなものがあるのかって思ったんだが、そういう事情なら取ってきてよかったよ」


 まさかミラルカの母親が描いた絵を、ロウェが盗んでいたとは……もう間違いないと思うが、恋は人を盲目にするということか。盗むのは良くないというか、普通に犯罪だが。


「……家に戻るのはもう少し先だから、持って帰るまではここに置かせてもらってもいい?」

「ま、まあ、ミラルカがそう言うなら……って、伏せて置いたら意味が無いんじゃないか?」


 ミラルカが戸棚に肖像画を伏せて置こうとするので言うと、彼女はかぁぁ、と耳まで赤くなって、なぜか怒ったような顔で言った。


「他の誰かに見られたら、あなたが私の絵を飾っているみたいじゃない。それでもいいの?」

「そ、それは確かに恥ずかしいな……でも、いい絵だと思うけどな。ミラルカの母さんだから、こういう笑顔が引き出せたんだって感じがする」

「……あなたの方がよっぽど恥ずかしいことを言っているのだけど。取り返してきてくれたから、今日は大目に見てあげるわ」


 そう言ってはにかむミラルカは、やはり同じ人物を描いたものだからか、絵の中の少女と重なるものがあった。


「じゃあ……私は、アイリーンと一緒にお風呂に入らないといけないから、もう行くわね。私の絵に変なことをしたら、半日くらい冷たい目をするわよ」

「そんなことはしないから、ゆっくり入ってきてくれ」


 ミラルカも丸くなったものだと思いながら、部屋から送り出す。昔は怒らせたら数日はお鎮まりにならなかったので、半日なら短い。


 母親の描いた絵と聞いて、俺も久しぶりに親の顔が見たくなった――なおのこと、今回の『蛇』の件で、何としても生き残らなければならなくなった。


 魔王討伐隊を信じろと言った以上は、有言実行する。『蛇』の封じられた階層まで最速で降り、封印する――そのためには、使える手段は全て使う。


 ドラゴンキマイラは一階まで上がってきていたが、五階層を通った形跡がなかった。あの階層を抜けるには転移装置を起動しなくてはならないので、あの階層を魔獣が通り抜けることはできない――すると、ドラゴンキマイラは何らかの方法で、6層以下から4階層より上に移動したということになる。


 師匠の話によれば、かつて遺跡迷宮は空中に浮かんでいて、それが落下してきたものだという。つまりは過去の文明の異物ということだ。


 俺達は自力で転移魔法陣を設置しているが、階層ごとを行き来する方法が、初めから他に用意されているとしたら――それを発見できれば、一階ずつ降りていく必要はない。


 俺は自分の仮説を証明するべく、翌日の探索を待ちきれない思いでいた。だがその前に、今夜を切り抜けなければならない。


 まず、魔力の補給のためにベアトリスが部屋に訪れる。彼女は壁を通り抜けできるので、いつの間にか部屋に入ってきていて、そこで実体化して姿を見せてくれた。


「失礼いたします、ディック様。ここがディック様のお部屋なのですね……居心地がとても良いです」


 そう言いながら当然のように、ベアトリスがネグリジェを脱ぎ始める。魔力の供与に使う時間は半刻ほど――くれぐれもアイリーンと話した通り、邪念を抱かずに粛々と供与したいものだ。

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