第75話 姉妹の過去と彼の印象
シェリーが目覚めそうだとロッテから知らされ、俺は少し緊張しつつテントに入った。
「……ディック、おはよう」
「おはよう。体調はどうだ? 目覚めたばかりで聞くのもなんだけど」
「大丈夫……元気。心配をかけてごめんなさい」
今のシェリーは『蛇』の分霊の力を宿しているというが、特に操られていたりするようには見えない。
血を代償にすれば、『蛇』の力を借りられるのか――それはつまり、蛇が生贄を欲しているということか。もしくは蛇とは精霊のような存在で、契約者には力を貸すが、本体はまた違う意思を持っているということだろうか。
シェリーに知らせるべきか、彼女を分霊から解放する方法が見つかるまでは、動揺させるべきではないのか。
迷うが、俺は姉妹二人に知ってもらうことを選んだ。もしシェリーが分霊に操られてしまうような事態になったとき、変化の原因を知っているのといないのとでは大きく変わってくる。
「シェリー、落ち着いて聞いてくれ。思い出すには酷だと思うが、クライブの攻撃で傷を負ったことは覚えてるか?」
「……そこから意識が途絶えてる。でも、もうクライブは居ない……だから、怖くはない。ありがとう、ディック」
ロッテからクライブのことを聞かされていたのか、シェリーは静かに俺を見て言った。
「……宰相と公爵家の二人には、後で事情を問いただす。身内に敵が紛れ込むようじゃ、話にならないからな」
「何か、手違いがあったのだと思います。クライブ・ガーランドは牢に入れられていたはずです……SSランクの彼には脱獄しようと思えばできたでしょうが、そんなことをすれば確実に騒ぎになりますから」
つまり、クライブは秘密裏に恩赦を受けて釈放された。それだけの権限を持つ者で、『蛇』討伐作戦に関わっている人物は限られている。
「ディック、あまり思い詰めないで。この問題は、王都の人たち全ての問題だから。ギルド全部が協力して、先に進むディックたちの補助をする。それが一番、理想的な形だと思う」
「……そうか。シェリーは、迷宮探索から外れずにいてくれるんだな」
「冒険者は、危険な任務の中では命を賭けることもある。一度危ない目に遭っただけで折れるほど脆くない。ロッテだっていてくれるから」
「お姉さま……」
目を潤ませて声を詰まらせるロッテを、シェリーはゆっくりと身体を起こして抱きしめた。ぽんぽんと背中を撫でられ、ロッテは肩を震わせて泣く。
「……シェリー、体調にはくれぐれも気を付けてくれ。傷が治ったのは、おそらくあの祭壇の力のおかげだ」
「っ……ディックさん、それは、どういう……」
「あの祭壇は、蛇の分霊を鎮めるためのものだったんだ。シェリーが祭壇に書かれた魔法陣の上に倒れたとき、おそらくその時に……だが、今のところ問題はないようだ。『蛇』は敵でもあるが、必ずしもそれだけじゃないってことだと俺は思う」
ロッテがそっと離れると、シェリーは胸元に手を当てる。そこは、蛇の紋様が浮かんでいた場所だ。
そして、目を伏せたままで彼女は言う。まるで自分の罪を告白するかのように。
「……私はあのとき、クライブを心の底から憎んだ。あの人を魔物に変えてしまったのは、私かもしれない。私は本当は、ロッテと同じくらい男の人が嫌い。私たちを、自分の欲を満たすためのものとしか見てない。そんな人に傷つけられるのは、もう嫌だったから……」
シェリーとロッテは俺より一つ年上だ。ギルドマスターになったのは俺より2年遅いが、年若いギルドマスターであることには変わりなく、彼女たちは才能ある美人姉妹としてもてはやされた。
しかし、彼女たちの幼少期を知る者に俺は会ったことがない。赤の双子亭の先代ギルドマスターは、二人の育ての親でもあるというが――彼女はシェリーとロッテがギルドマスターになる前後に姿を消している。
どんな過去があるのか想像することすら、俺は無神経な詮索に当たると思った。だから、あえて触れずにいた。
二人がどうやって戦う力を手に入れたのか。なぜ、強くならなければならなかったのか。
その理由に容易に触れてはならないと思い続けていた――だが、ここで引くのはただの臆病者だ。
「……どうしてそこまで、男を嫌うんだ?」
「……人間を、人間として見ない人たちに飼われていたから。私たちは、売られたの。闘技場で、貴族の余興のために戦う奴隷として……」
剣奴。逃げ場のない闘技場で、観客を楽しませるために猛獣や魔物と戦うことを強いられた者たち。
王都における暗部。日々に退屈した貴族が、自分の命を賭けることなく、剣奴の生死に金を賭けることを遊戯とする。
――しかしそれは、魔王が現れ、少しでも兵士が必要という緊急事態を迎えたことで廃止された。
だが、魔王討伐隊が結成され、王都を離れる一年前までは、剣奴は確かに存在していた。
シェリーとロッテ。彼女たちは俺たちが魔王を倒す旅に出る前まで、そんな場所に身を置いていたのだ。
「……私たちのお母さまは、わけあって女手一つで私たちを育てましたが、私たちが十歳の時に流行り病で亡くなりました。引き取ってくれた親戚の家は、流行り病の影響で商売がだめになり、私たちを疎んじるようになりました。そうして、本当は……娼館に売られるはずでした」
「でも、伯母は私たちが娼館に行ったら、お金持ちに買われて暮らしが楽になるかもしれないと言って……闘技場の剣奴の世話をする下働きとして、私たちを売った。私は魔獣の世話を申し付けられて、鞭の使い方を教えられた。ロッテは……」
「私は……逃げた剣奴を打ちすえるために、フレイルを……武器を与えられたのは、私達もいつか、剣奴として戦うためでもありました」
特徴的な武器を使うと、そう思っていた。鞭もフレイルも、冒険者が主に使う武器として選ぶことはまれだ。
「……二人も、剣奴として戦うかもしれなかったのか。でも、その前に解放されたんだな」
「そう……魔王が現れたから。王国の誰かが、剣奴を前線に送ろうと言い出した」
「私たちが剣奴として闘技場で戦う日が決まって、数日前のことです。王国から依頼を受けたギルドが闘技場に入ってきて……あっという間でした。私たちを監視していた闘技場の人たちは、みんな連れていかれました。私たちも剣奴として、前線に送られると思っていました……だけど、そこで『お母さま』に拾われたんです」
ここにおける『お母さま』とは、生みの母とは別の人物だろう。
赤の双子亭の先代ギルドマスター、『赫の慈母』。
彼女は近接戦闘を得意とし、相手を苦しめずに倒すことに特化した冒険者だったと言われている。
どれだけ返り血を浴びても、戦いの場以外では誰にでも分け隔てなく優しく、まさにギルド員にとって慈母のような存在。
シェリーとロッテには、母親が二人いる――一人は、産みの母親。そしてもう一人が、先代のギルドマスターということになる。
「私は、剣奴になっても生き残りたかった。お姉さまを守るために、必死で武器の扱いを練習しました。そのおかげもあったのかもしれません、お母さまは……先代は、私たちを後継者として育ててくれたんです」
「捨てる神もあれば、拾う神もいると言って、彼女は笑ってくれた。いつもその笑顔に、私たちは救われていた……でも、ずっと甘えさせてはくれなかった。お母さまは、ある日突然いなくなってしまった。私たちにギルドを任せるという書き置きを残して」
彼女たちが優秀だったからこそ、先代は安心して後のことを任せたのだろう。『赫の慈母』が何をするためにいなくなったのかは分からないが――まだ、どこかで生きていると思いたい。
「……こんな話は、本当は聞かせたくなかった。ディックは、明るいところを歩いてきた人だから」
「そんなことはない。俺だって一つ間違えば、今でも一人で山奥にこもって、人恋しいって気持ちすら忘れて、ただ死ぬのを待ってたかもしれない。俺がここにいられるのは、巡り合わせの妙ってやつだ。一人じゃ大したことはできないから、ギルドを作りたかったんだよ」
「そんな……こと……だってあなたは、あんなに沢山の魔法を使って、剣も使えて……」
「それでも、できないことがないわけじゃない。この迷宮に来てからも発見ばかりだ。二人みたいに鞭やフレイルを使うこともできないだろう。練習すればできるかもしれないけどな」
「っ……そ、そんなに簡単に使われたら困ります。教えてほしいというなら、それは教えますけど……」
剣奴として売られた少女たち。彼女たちと比べてみれば、俺が幼少時に味わった疎外感なんて大したことじゃない。
不幸なやつほど偉いということでもない。昔は昔で、今は今だ。思うことは、たったひとつだ――。
「二人が無事で良かった。ああ、でも、男嫌いになるってことは……それは、聞かない方がいいか」
「……そ、そんなこと……ない。何も、なかったから……」
「お姉様と私は、あまり食事を取れなかったので……すごく痩せていたんです。お母さまのところに行くまでは、食事は毎日水とパン一切れで、たまに野菜くずの入ったスープと、干し肉のかけらが出るくらいでした」
――それを聞いて、俺は闘技場の責任者を引きずり出したくなった。
育ち盛りの少女にろくな食事を与えないとは。腹が減ることがどれだけ苦しいか、そういうやつには教えてやらなければならない。
しかし、痩せていたことが理由でシェリーとロッテが救われた部分もあるのなら、何とも言えない。
いつもこんな話を聞くときに思うのは、二人が理不尽な目に遭っているとき、俺が居たら助けてやれたのにという思いだ。同時に、それは傲慢な考えだと思いもする。
「……でも、大きくなったら、どうしても少しずつ女らしくなる。それがすごく怖かった」
「もう少し闘技場にいたら、私たちは……きっと、生きてあの場所から出られなかったと思います。私たちと戦うことになっていた魔物は、到底かなうような相手じゃありませんでしたから……私たちが死んでしまうだろうと思って、男の人たちは、その前に私たちを……そういうつもりだったんです」
それが実行される前に、二人は救助された。数日遅れていれば、どうなっていたのか分からない。
ずっと周囲の男たちに狙われている状態で、服従させられていた二人がどれほどの恐怖を味わったのか。それで男嫌いになるなというほうが無理がある。
「……最初はディックのことも、何を考えてるか分からなくて怖かった。豹変したりしないかって……そんなことを考えてた昔の私はどうかしてた」
「ディックさんは……そ、その、尊敬するべき人です。ギルドマスターとしても、冒険者としても。男性に対してそんなことを思っちゃいけない、信用しちゃいけないって思ってたこともありました。それは、全面的に謝ります。いっぱい失礼なことを言って、すみませんでした……」
「最初はけっこう噛みつかれて、俺の第一印象がそんなに悪いのかと凹んだな。だけどそういうことなら、昔の俺に言ってやってもいいかもな。初めは二人とも冷たいけど、それには理由があるんだってさ」
俺たちはある仕事を通して知り合い、シェリーはその時から俺のことをある程度認めてくれたが、ロッテはツンツンとした態度のままだった。
ロッテの態度が軟化したらどうなるかというのは想像がつかなかったが――落ち着いたシェリーが魅力的なのだから、明るいロッテもそうであることは間違いなかった。
「……これからディックさんと仲良くしようとしても、邪険にしたりしないでくれますか?」
「ああ、しないよ。まあ今後は俺だけじゃなく、皆とも仲良くしてくれ。うちのギルドの奴らは、気がいいやつばかりだし」
「……男の人と親しくするのは、まだディックだけでいい」
「あ、ああ……ど、どうした? 二人とも。俺の顔に何かついてるか……?」
姉妹二人に見つめられ、気がつくと、服の袖を掴まれていた。それほど広くはないテントの中とはいえ、こんなに接近しなくてはならないほどではない。
長い髪のシェリーと、肩に届くくらいの長さのロッテ。印象は違いながらも、同じ顔をした双子が、俺のことを何も言わずにじっと見つめてくる。
「……ディックだけでいい。重荷に感じるなら、見ているだけでかまわない」
「そういうことになってしまうんですよね……ディックさんは注目を集めたくないみたいですけど、そんなこと無理に決まってます。少し一緒に行動しただけで分かりました、パーティの皆さんがどれだけディックさんのことを気にしながら冒険をしているのか。知らぬは本人ばかりなり、とはこのことです」
怒られているのか――いや、違う。シェリーより、むしろロッテの方がわかりやすい。
「い、いや……俺なんてその、冴えないやつだし。そこまで言われるほどのもんじゃ……」
「……そうやって思い込もうとしてるだけじゃないですか? 私は、初めから気づいてましたよ。悔しいけど、ディックさんはわざとやっているだけで、本当は……」
ロッテではなく、俺の髪に手を伸ばしてきたのは、シェリーのほうだった。
目立たないとは、顔をあまり印象づけないようにするということでもある。髪はいつも目にかかるくらいの長さで、よく『冴えない』と言われるが、それはこの髪に起因するものが大きいだろう――分かっていてやっているのだが。
しかし魔王討伐の途中、炎を吐く魔物に髪を少し焦がされ、アイリーンに切ってもらったとき、パーティの皆の見る目が変わった時期があった。
「……目が大きくて、力が強い。いつも眠たそうなのに、戦っている時はいつもそう……目で追いたくなる」
「本気のディックさんは、やっぱり悔しいですけど……かっこいいです。どうしていつも酔っぱらいのふりなんてしてるんですか? ギルドマスターの仕事をしてるのに、女性に注目されたら困るからじゃないですか」
「仕事をしてるわけじゃない、俺は本当に、気楽に美味い酒が飲みたいだけで……」
「……お酒を飲んで酔ったことなんてないのに?」
刺さるところを的確に突かれ、俺は反論できなくなる。その通りだ、店での俺は酔うことなどない。ロッテの言うとおりでもあり、飲んでるように見せて仕事をしているのだ――認めたら粋でも何でもないというのに。
「……戦ってないときでも、本気が見たい。本気のディックは素敵だけど、少ししか見られないから」
「……姉様と私は、男性の趣味も似てるみたいです。双子ですから、不思議でもないですよね?」
二人は俺にどうしろというのか――シェリーがしたいようにさせてみるしかないか。彼女は病み上がりだし、あまり邪険にするのも気が引ける。
というより彼女がそこまで褒める俺の可能性を、自分が知りたいという気もする。自分が男として魅力的なのかは、異性に判断してもらうのが一番だろう。
「……俺は冴えない外見の方がいいと思ってるんだが、目を隠さずに出せば何か変わるのか?」
シェリーは頷き、緊張した面持ちで、俺の前髪を整え始めた――すると。
「……すごい。やっぱり……」
「あっ……ね、姉様、皆さんには見せない方がいいです。ディックさんは自覚があったら大変なことになります……!」
「ど、どういうことだ……?」
二人が慌て始める。髪型ひとつでそんなに変わるものだろうか。顔をはっきり出せばいいなら、全て後ろに流したりしてもいいのではないだろうか。夜会に出る貴族が好む髪型で、俺はあまり好きではないのだが。
――と考えて、ふと視線を感じて、俺はシェリーに髪型を整えてもらった状態で振り返った。
「……えっ、誰?」
「っ……!?」
「あっ……み、皆さん、ディックさんが、あの時みたいに……!」
「……久しぶりに見たね。ほんとに、髪型一つで変わってしまうから怖いな……ディックは」
「い、いや……根本的に髪を切ったりしないと、そう変わらないんじゃないのか?」
俺は至極当たり前のことを言っているつもりなのだが、ミラルカがぷるぷるしているということは、彼女の評価も上がっているということだろうか。
「……そ、それでいいのよ。どうしていつも、わざと野暮ったい髪型をしてるの? 今後は短めにしなさい、あなたはその方が圧倒的にいい……いえ、比較的……いえ、そ、そう。そちらの方が合っているわ」
「あ……ディーくん、可愛い……♪ いつもそうしてたらいいのに」
「師匠殿はさすがだな……ご主人様の真の姿を見ても動じないとは。私も寝顔で見たことはあったのだが、ふだんは見られないので残念に思っていたのだ。シェリー殿かロッテ殿か、どちらにせよ功績は大きいな」
ずっと知ってたけどあえて言わずにいた、というような反応ばかりで、俺はようやく信じざるを得なくなる。
どうやら、地上に戻った後にすることが一つ増えたようだ――髪を切る。アイリーンか、それとも昔切ってもらったことのある師匠に頼むか、それはまた後で考えさせてもらいたいところだ。




