第69話 砂中の魔物と魔王再臨
銀の水瓶亭を出ていったん白の山羊亭まで移動し、そこで他の探索者たちと事前の打ち合わせを済ませると、俺たちは迷宮の地下六階に転移した。
一緒に六階層に飛んできたのは、赤の双子亭の二人、ゼクトのパーティ、そして他のギルドの筆頭クラスのパーティ、そしてオルランド家、シュトーレン家の擁する護衛の中でも精鋭を選りすぐった者たちだ。
俺達が先行するということで話は通してあるので、他のメンバーには後方を任せ、俺達は六階を抜けて七階を目指した。六階は迷路状でもない、素直な構造の石造りの迷宮で、特に迷うこともなく抜けられた。それでも、普通に歩いて抜ければ一時間は要する広さである。
「ここまでだだっ広いと、転移の魔法陣を一階層ごとに設置したくなるな」
「転移結晶を増やすことができればいいんだけど、あれの原理はまだ解析できてないしね……あっ、そうだ。ディー君、冒険者強度の測定器だけど、昨日の晩のうちに作っておいたよ」
師匠がギルドを出るときに鞄を貸してくれと言っていたのだが、彼女は七階に降りる入り口の前でそれを開けて、中に入っていた魔道具を取り出した。
「これは……私たちが使ったことのある測定器とは、全然違う形をしているわね」
師匠は加工の難しい充魔晶を、球形に加工していた。その球体に、金、銀、銅の三色の装飾と金属の鎖がつけてあり、見た目はペンダントのようになっている。
「これをつけていると、いくつかの要素から冒険者強度を測定できるの。身体の強さと、魔力の絶対量と、備えている技能を、この3つの金属に組み込んだ魔力回路で解析して、充魔晶に出力して結果を反映する仕組みね。解析には少し時間がかかるから、測定したい人から順番につけてみて」
「なるほどな、その装飾の模様が回路ってわけか。師匠の金属細工技術は、ものすごい精度だな……」
拡大鏡を使わないと見えない細かさの回路。非常に精細な魔力の制御を行わなければ、回路など成り立たなくなってしまうだろう。魔力回路はより細かく、小さく、凝集させた方が高い性能を持たせられるというが、師匠の技術は間違いなく王国、いや大陸でも随一だ。
「ディーくんの師匠としての面目躍如だね。じゃあ、誰から測定してみたい?」
「そうね……もう、測定することに意味はないと思っていたけど。ヴェルレーヌより強い相手が出てくるかもしれないのなら、改めて自分の能力を知っておくことは必要かしらね」
「じゃあ、まずヴェルちゃんからつけてもらおっか。魔王のヴェルちゃんがどれくらいの強さなのか、みんなも気になってると思うし」
「うむ、わかった。これをつけておけば良いのだな」
ヴェルレーヌはペンダントを受け取ると、襟元を緩めかけて、俺がいることに気づいてふっと微笑む。
「こういったときだけは、素直に感心を示してくれるのだな。と言っていると、露出癖を疑われてしまうか」
「必要があってすることなら、別にそうは思わないぞ」
「うわっ、すごいこと言ってる。今のって、必要があることなら、裸を見てもいいってことだよね。必要なことってなに?」
「そ、そんなこと……私に聞かれても答えは導き出せないわ」
ヴェルレーヌは俺に背を向けて、ペンダントの鎖を首の後ろで結び、襟を元に戻して振り返った。
服の中にペンダントの飾りがおさまっているということは――女性には男性とは違う収納場所がいくつもあるなんて表現もどうかと思うが、そのうちひとつに収納されてしまったようだ。
「むぅ……少し冷たいが、肌で温められてきたな。これで計測できるのだろうか」
「うん、装備したままで魔法を使ったり、戦ったりすると、測定が終わるのは早くなるよ。終わったら魔晶の色が変わるから、私に渡してね。解析するから」
俺に順番が回ってくるまでもう少しかかりそうだが、この分だと、全員の肌であたためられたあとの測定器を、俺も肌身離さず身につけることになるのだろうか――決して興奮してなどいない、これは好奇心による高揚感であり、やましい感情などはどこにもない。
「僕はディックの後にしてもらおうかな」
コーディだけが俺の考えに気付いてか、そんなことを言う。俺の肌のぬくもりをそんなに知りたいのか。と、詮無きことを聞いている場合ではない。
「コーディ、7階はどうなってる? また、結構環境が違うみたいだが」
「下の階から吹いてくるみたいだけど、風に砂が混じっているね。光で探ってみたけれど、どうやら7階は砂地になっているみたいだ」
「砂……また、厄介な環境ね。足を取られたりするほど、細かい砂でなければいいのだけど」
「案ずるな、砂塵の精霊というものがいる。その力を借りれば、砂に足が沈むことは避けられるはずだ。土の精霊、風の精霊、火の精霊。それぞれの力がある比率で拮抗することで、砂塵の精霊が生まれる……精霊よ、我が声に応え、力を貸し与えたまえ。『砂上歩行』」
魔力で靴を覆って滑りにくくすることはできるが、砂に沈むことまでは防げない。ヴェルレーヌの精霊魔法は、精霊が存在しさえすれば、その力を借りて環境に対応することができる。
俺達は口に砂が入らないように布で覆うと、7階層に降りていく。石造りの床が途切れ、砂地に変わり始めるが、ヴェルレーヌの魔法が効果を奏し、砂の上に浮遊しているかのように、足を取られずに進んでいくことができた。
そして広がるのは、どこからか差し込む光の中で、見渡す限りに広がった砂漠。水、森、石の迷宮、そして砂漠――俺達のパーティだから対応できているが、普通のパーティではあっさりと、この砂の階層でも足止めを食らってしまうだろう。
「アイリーン、後衛のみんなを頼む。コーディと俺で先行して、安全を確保してから進みたい」
「うん、わかった……あ、あれ? 何か、揺れてない?」
「っ……みんな、向こうを見て。何か、すごく巨大なものが、地中に……っ」
ミラルカが言いかけたところで、遠くの砂地を突き破るようにして、地中から巨大な生物が飛び出す。
あれは――サンドワーム。砂の中を泳ぐようにして移動し、地上の生物を食らって生きる魔物。
それが千年を経て、恐るべき体長に成長している。サンドワームは狙いをつけていたのか、火竜に匹敵する大きさの砂トカゲの胴体に横から食らいつくと、一瞬で飲み込み、再び砂中に潜る。
「お、おっきすぎない……?」
「大きいわね……それに、すごく硬そう。千年も経つと、サンドワームの皮膚も石のように硬くなるのね」
「コーディ、無視して進めそうか?」
「次の階の入り口をサンドワームの身体の一部がふさいでしまってるね。地上に出ているのはほんの一部で、この階層の砂中の広範囲に渡って、サンドワームが潜んでいると言っていい」
どうやら、無視して進もうにも、サンドワームに気づかれることは避けられないようだ――そういうことなら。
「ディック、見えている部分だけでも殲滅することはできるけれど……」
「いや、広範囲に陣を広げると消耗が激しいからな。ミラルカは主砲だ、今は力を温存してくれ」
「ええ、分かったわ。ユマも今回は私と一緒に見学したほうがよさそうね」
「ディー君、コーディとふたりで大丈夫? 私も手伝おうか?」
「師匠殿、ここは私に任せてもらいたい。冒険者強度の測定を早く終えるためにも、一度全力で戦闘しておきたいのでな。ご主人様、共に戦ってもよいだろうか?」
「ああ、大丈夫だとは思うが、本調子を取り戻すまでは慎重にな」
ヴェルレーヌは微笑むと、正面に向けて手をかざす――その手の上に、魔王の武器である魔導器が呼び出された。暗紫色の大きな宝石をあしらった、『精霊王の王笏』というロッドだ。
魔王が使いこなす魔法は、精霊魔法だけではない。魔導器を用いることで発動できる、彼女専用の『遺失魔法』が、彼女の実力をSSSランクたらしめる要因だ。
遺失魔法を俺は一つしか見たことがないが、各精霊魔法の威力を別次元に強化したものだといえる。それがあるかぎり、ヴェルレーヌは精霊魔法の使い手には決して敗れることがない――同等の力を持つ魔導器を持つ相手でも出てこない限りは。
「旧き王笏よ、其の王たる力を今一度我に与えん……『霊王再臨』……!」
ヴェルレーヌの身体が王笏から生まれた光に包み込まれ、いつも着ていた従者の衣装が消え去り、懐かしい魔王の姿へと戻っていく。
身体の一部しか覆っていないようなその服は、直接隠すべき部分を隠すために張り付いているようで、服と言っていいのかもわからない。しかしその防御力が見た目に反して尋常でないことは、一度手合わせをした俺達が一番良くわかっていた。
ダークエルフの女王にして、エルセイン魔王国の支配者。彼女が、久しぶりにその本来の姿に戻ったのだ。
「久しいな、勇者たちよ……とでも、言っておくべきか。一度負けた以上は、この姿に戻ることはないと思っていたが、共闘ということなら問題はあるまい」
「ああ。味方になってくれると、また頼もしいな」
「っ……そ、そうか。そんなに素直に頼ってくれるのならば、もっと早く……」
「ディック、ヴェルレーヌ、敵はもうこちらを認めたみたいだよ……油断せずに行こう!」
『了解っ!』
俺とヴェルレーヌは合わせて返事をすると、まずはサンドワームの注意を引きつけるために、俺が先行して飛び出していく。空中を駆け、砂に潜りながら地響きと共に迫りくるサンドワームに、最初の一撃を叩き込む。
「――うぉぉぉぉっ!」
魔力で強化された剣から放たれた斬撃が、牙だらけの口しかないサンドワームの頭部に叩き込まれる。咆哮と共にワームは怯むが、それでも勢いを止めることなく、空中にいる俺に向けて再び顎を開いて襲いかかる。
わざと喰われて体内から撃破する、それも不可能ではない。しかしサンドワームの牙が俺に届く前に、コーディの放った光剣が無数にサンドワームの頭部に突き立ち、攻撃をそらす。俺のすぐ横を、サンドワームの胴体が突き抜けていく――ワーム(ミミズ)の類と呼ばれるが、その皮膚はミラルカの言っていたとおりに龍の鱗のごとく硬くなり、コーディの攻撃が貫通して出血してはいても、致命傷には至っていなかった。
そして、ある程度予想してはいたことだが。サンドワームの幼体――といっても親が大きすぎて、子供でもオークを丸呑みするほどの大きさがある――が、親の表皮に寄生しており、コーディの光剣で穿たれた穴から飛び出して襲ってくる。
苦手な魔物があるかと聞かれたが、こんなバカげた生態を持つ魔物は、誰だって苦手だろう――何よりサンドワーム自体が、獲物を捕食することしか考えていないような露骨な形状で、とても愛着が持てるような姿はしていないのだから。
「ここまで成長するとは、サンドワームよ、お前は間違いなくこの階層の王なのだろう。しかし、道は開けてもらう。私のご主人様が、そう望んでいるのだからな……!」
「――ヴェルレーヌッ!」
俺とコーディが迫りくるサンドワームの幼体を剣で切り払うあいだに、本体の頭が砂中に突っ込み、次に出たときには進行方向を切り返して、魔導器を持つヴェルレーヌに襲いかかる。
それでも彼女は怯むことなく、魔導器を身体の前にかざし、そして詠唱を始めた。かつて俺たちに見せたものとはまた違う『遺失魔法』で、サンドワームを仕留められると確信しているかのように。
「永き眠りをひとたび終わらせ、再びの産声を上げよ。深淵の闇より這い出て、我が敵を喰らえ……『満たされぬ者』」
迷宮の闇よりも深い漆黒が、ヴェルレーヌの魔導器から生まれる。それはサンドワームの突撃を阻むだけの大きさを持つ、結界にも見えた――しかし。
ゴォンッ、と耳をつんざくような衝撃と共にサンドワームを受け止めたあと、黒い結界にめりこんだその巨体が、少しずつ結界に飲まれていく。
「どこまで喰らえるか……あまり趣味の良い魔法ではないが。これ以外に作法を知らぬ」
サンドワームはいつしか動きを止めている。闇に吸い込まれている――これが精霊の力だというなら、精霊とは、俺の知るような存在では決してない。
サンドワームの長大な身体のどこに中枢があるのか分からないが、ヴェルレーヌの闇は地上に出ているワームを半分ほど飲み込んだところで消失した。
その表皮に含まれていたものだろう魔石が、砂地に星の数ほどきらめいている。生きているものだけを飲み込む魔法だということか。一度見ただけでは、全ての原理を理解することはできなかった。
「こんな魔法が……私達と戦ったときには、使わずに終わったというの……?」
ミラルカの声が届いたのか、ヴェルレーヌは彼女の方を振り返ると、浮遊していた身体を砂の上に降ろして答えた。
「ミラルカ殿の魔法が理論によるものならば、私はどこまでいっても、精霊の力を借りる。時と場所によっては、召喚できない精霊もいるということだ……それに、呼び出す者が強ければ強いほど、魔力の消耗も……」
「――ヴェルレーヌ!」
全て言い終える前に、ヴェルレーヌがよろめく。彼女を狙って襲いかかる数匹のサンドワームの幼体を、俺とコーディが撃退し、彼女の身体を両側から支えた。
「大丈夫かい? 久しぶりに大技を使ったから、反動がきたのかな」
「久しぶりに、ご主人様に良いところを見せようとしすぎたか……しかし……」
ヴェルレーヌの衣装が変わったので、胸にはさまっているペンダント型の測定器が俺にも見えている。彼女がそれをそっと引き出すと、はめ込まれた魔晶の色が変化していた。
虹のような色だが、これで正確な数値を判断できるのだろうか。師匠もやってきて、魔晶を見ると目を見開く。
「すごい……こんなにきれいな色になるなんて。よっぽど沢山力を使ったんだね。虹色はSSSランクの色だけど、10万は大きく超えてるよ。計算するから、ちょっと見せてね」
師匠はヴェルレーヌから測定器を受け取る。サンドワームにどれくらいの知能があるのかわからないが、彼らはもう俺達に狙いを定めてくることはなかった。
露出の高い格好でくったりとしているヴェルレーヌを、また俺が背負って運ぶのだろうか――と思って、彼女を見やると、汗で紫色の髪が首筋に張り付いている。そして俺の方を見やると、世話になるというように微笑んでみせた。
酒場の店主、そしてメイドとしての有能ぶりばかりを最近は目にしていたが、魔王だったころと比べてもまったく戦う力は衰えていなかった。正直を言って、感嘆するほかはない。
「……わざとご主人様に背負ってもらうために、力を使ったわけではないのだぞ?」
「ああ、分かってるよ。しばらく休んで回復したら、自分で歩くんだぞ」
コーディはしょうがないというように笑って、俺にヴェルレーヌを任せる。アイリーンがちょっとむくれていたが、彼女が消耗したときも背負ってやるつもりなので、ここは見逃してもらいたいところだ。




