第64話 氷の魔力剣とエプロンの鬼神
スライムは熱、冷気、雷などにも耐性を持つことが多いが、スライムの体色を見ると、だいたい何に弱いかは見極められる。
アイリーンを捕らえた巨大スライムの体色は、半透明の緑色だ。グリーンスライムは成長すると毒を持ったり、このスライムのように体内で酸を生成し、攻撃方法を増やしていく。
千年生きているのか、途中から発生したのか分からないが、このだだっ広い玄室を半分埋めるまでに成長していれば、他にも攻撃方法を持っている可能性はある。本体の内部には酸らしき液体、そして紫色の毒、他にも青色の液体が入っている。スライムの核が奥の方に見えるが、今のままで剣を突き立てても、絡めとられて勢いを減殺されるだろう。
「むももっ……んもっ、ぐもぉぉぉっ」
粘着質のスライムの中で、アイリーンが一生懸命もがいている。その拍子にねばつくスライムに破れた服を絡めとられ、みるみるうちにあられもない姿になっていく。呼吸もできてないだろうし、もはや一刻の猶予もない状態だ。
「アイリーンッ! 魔力で身体を覆ってくれ! スライムの中でもそれならできるはずだっ!」
「っ……ん、んんっ! んむぅぅ!」
スライムが口に入ることを嫌って、アイリーンは口を閉じたままで声を出す。それでも上等だ、俺の声が聞こえているのなら。
「さて……うぉっ、男にでも容赦なしか……さすが、一匹でも増えられる両性生物だな……」
「んむぅっ、んむむっ!」
なにを冗談を言ってるのか、とアイリーンが暴れている。このスライムときたら、触腕を何本も伸ばして、俺まで体内に取り込もうとしているのだから――剣でスライムの体組織を切り裂くことも考えられるが、すぐに再生されて繋がるのがオチだ。
それならば、体組織を凍結させて砕いてやればいい。緑色のスライムの弱点は氷、変異でも起こしていない限り、それは古くからの定説なのだ。
――ディック様、うちの力があったら、『永久氷塊』をもっと長持ちさせられると思うんやけど。こうやって……。
「ミヅハ……お前の氷の力、使わせてもらうぞ」
俺がなぜ、特定の精霊と契約しないのか。それは、一部の魔法を除いて、一度見た魔法を再現することができるからだ。魔力の消費は精霊を介するより大きくなるが、威力は劣らず、むしろ元の使い手より強くなることもある。
ミヅハと契約している水の精霊は、冷気を生む力に特化している。それゆえに『氷狐』と呼ばれる――俺は彼女が店に入ってから、一度その魔法を披露してもらっていた。
難易度はミラルカの陣魔法と比べればかなり易しい。しかしこの大きさのスライムを一撃で凍結させるためには、限界解放した俺の魔力を過剰なほど叩き込んで、いかなるものも凍り付かせるくらいに強化しなくてはならない。
アイリーンの身体は鬼神の力を目覚めさせる時にも似た、赤い魔力で覆われている。そうすれば凍結を防ぐことができるというのは、氷の洞窟での戦いを通して確認できていた。
スライムがもう待ちきれないというように、一気に触腕を伸ばしてくる。だがその時には既に、俺はミヅハの魔法を再現し、構えた剣に凍気をまとわせていた。
――魔力剣・氷雪刃――
ミヅハが使ったときは精霊を介しているため、そして生活の範囲で使う魔法だったために魔力の消費が少なかった。しかし俺は限界まで魔力を使い、戦闘に使える程度まで無理やりに威力を引き上げた。
効率よく広範囲を凍らせるために、過去に見たことのある風の魔法の原理も組み合わせれば、俺の剣に凍てつく嵐を纏わせられる。俺は触腕を後ろに飛んで回避したあと、反撃と共に冷気をスライムに向けて放った。まず凍らせるのは、アイリーンを捕らえた触腕だ。
「んむっ、んんっ……せいやぁぁっ!」
スライムの体組織が凍り付いたところで、彼女は内側から力を込め、砕いて脱出する。俺に襲い掛かってきていた触腕は残らず凍り付き、本体にも冷気が伝わって、ビキビキと音を立てて固まっていく。
「ディック、あとはあたしに任せてっ! 固まっちゃえば、あたしの拳は無敵なんだからぁっ!」
捕まったことがよほど悔しかったのか、アイリーンは解放された途端に、スライムの正面に向かって走っていく。そして『震雷』で踏み込んで力を溜めたあと、凍結したスライムに向かって、両手で掌底を叩き込んだ。
「はぁぁっ……修羅双掌波っ!」
ただの打撃では貫通しづらい衝撃が、掌底では内部にまで効率よく貫通する。固まったスライムの身体にアイリーンの手のひらから叩き込まれた二重の衝撃の波が伝わったあと、雪のように細かい粒子となって破砕された。
「ふぁぁっ……な、なにこれ、雪みたい………ディック、どれだけカチカチに固めちゃったの?」
「俺も初めて使ったから、どれくらいの効果があるか分からなかったんだけどな。アイリーン、無事で良かったよ」
「……ふぇぇっ」
「えっ……」
なにげなく声をかけただけのつもりが、アイリーンの目がいきなり潤む。
そして彼女は、ほとんど服が残っていない状態だというのに、俺の胸に飛び込んできた。
「ふぇぇ~んっ! ディック、ディック……もうだめかと思った……スライムだって油断しちゃだめって分かってたのに、簡単に捕まっちゃって……うぅっ、うわぁ~ん!」
「お、お前なぁ……」
最初は面食らって、大人なんだから泣くなよ、と言いそうになった。
しかしアイリーンが本気で泣いているのだと分かって、俺は服の残っていない背中にそっと手を回し、しゃくり上げるように泣く彼女が少しでも落ち着くように撫でてやる。
SSSランクの、王国最強の武闘家。魔王討伐隊で、いつもコーディと先陣を切っていた少女。
俺なんかよりよっぽど怖いもの知らずで、勇気と元気が服を着て歩いているようなやつだと思っていた。時々見せるあどけなさを残した部分を見れば、怖いものなしなんてことはありえなかったのに。
「ふぅっ……うっ、ぐすっ……」
「……あんな大きさのスライムがいたら、無理に手を出さなくてもいいんだ。俺がなんとかしてやるからさ」
「ひっく……うん……ディックにお願いする……あたし、全然修行不足だから……弱いから……」
「弱いわけあるか。相性が悪かっただけだよ。俺だって、バカでかい虫みたいなやつが敵だったら、多少は戦いたくないと思うだろうしさ」
「……そうなの……? ディック、虫が嫌いなの?」
アイリーンが涙を拭きつつ、顔を上げる。真っ赤な目を見ているとこちらの胸が痛くなるが、泣き止んでくれたのは良いことだ。
「数ある魔物の中でも、虫系が得意なやつはそういないだろ」
「……えへへ。あたしはスライム以外だったら、だいたい大丈夫。大きい虫が出て来たら、ディックの代わりにやっつけてあげる」
「そいつは頼りになるな。まあ、俺もこれ以上ヘタレと言われるわけにはいかないし、戦わず嫌いはしないけどな」
「ディック、気にしてたんだ……ごめんね、やっぱり聞こえちゃってた?」
「まあ、少しだけな。でもまあ、ちょっとは頼りがいってやつを見せられたか?」
「うん、ディックが来てくれたからもう大丈夫って思った。あたし、やっぱりディックがいないとだめみたい」
「そ、そうか……いや、俺からスライムの撃破法を教えるから、自立心を養っていこうか」
「ディックがそういうなら。どうやったらいいのかな?」
炎、氷などの力を発生させる手甲――高度な魔道具になるが、そういうものを作れば、アイリーンも魔力を使うことはできるので、手も足も出ないということはなくなるだろう。
しかし正直を言うと、俺がいないと駄目とまで言われると、守ってやらねばという思いが強くなる。
そして、ほとんどアイリーンが服を着ていない状態で、こうも密着していると――背中に回った手を少し動かしたらどうなってしまうのだろう、と想像してみたくもなる。
「……あ、アイリーン。その話は置いといて……溶けたスライムがくっついてるけど、どうする?」
「あっ……え、えっと。ディック、水を出したりはできない?」
「温度を上げたり下げたりはできるが、水芸はできないな。もう少しで六階に着くし、いったん脱出して風呂に入った方がよさそうだ。とりあえず、俺は目を閉じてるから、少し離れてくれるか」
「……やだって言ったら?」
「やだじゃない、そんなわがままを言うと何をされても文句は言えないぞ?」
「っ……は、はいっ、文句言いません」
「そうじゃなくてだな……はぁ。お前というやつは……」
なかなか言う通りにしてくれないアイリーンを見ていると、なぜだか優しい気持ちになる。
俺はどうも、手のかかるやつは放っておけない性格らしい。しかしこうやってくっついたままではスライムを撃破して向こう側の通路が開いた今、他の所にいるみんながそろそろ来てしまう。
「あっ……ディー君、アイリーンちゃん、見つけた!」
「きゃっ……み、みんな、ちょっと待ってね、これは……っ」
アイリーンは身体を隠そうとして、俺にさらに密着する。胸板に柔らかいものが押し付けられ、咄嗟に言い訳を思いつかないまま、ミラルカとヴェルレーヌがやってくる。
「っ……な、何をしているの? 敵にやられて、服を破られてしまったの?」
「ふむ、スライムと戦っていたようだな。しかも、相当に巨大な個体と……む? これは……」
ヴェルレーヌがスライムが埋め尽くしていた方向に歩いていき、何かを見つけて拾い上げる。
「えっ……スライムの赤ちゃん?」
アイリーンがそう思うのも無理はない、ヴェルレーヌがこちらに持ってきたのは、手のひらの上に乗るサイズのスライムだった。
正確にはスライムの子供というか、倒したときに残した『スライムコア』というやつだ。これが残っている限り、スライムはふたたび時間をかけて成長し直すことができる。
「これはスライムコアというものだな。こうなってしまえば、簡単に言うことを聞かせられる。スライムよ、おまえの主はこれよりこの私、ヴェルレーヌ・エルセインだ」
ぷよん、とスライムが震える。魔物を調教する職業は、王都ではあまり流行っていないが、地方によっては主流の職業だったりもする。元魔王のヴェルレーヌにとっては、スライムの調教は造作でもないことだった。
「スライムなんて調教してどうするの? 成長すると飼っておく場所が大変だと思うのだけど」
「スライムは育て方によっては便利なのだぞ。大きくなってしまうと言うことを聞かないが、コアの頃に手なづけると、食べたものを体内で合成したりすることもできるのだ」
「そ、それは……錬金術というものじゃないの? スライムを利用するなんて、それは新しいわね……」
研究者として興味が惹かれたようで、ミラルカがスライムを見る目が変わる。師匠は元からスライムを苦手にしておらず、ヴェルレーヌの手の上のスライムをつんつんとつついていた。
「1000年生きて、その後に転生したスライムだから、これはちょっと普通と違うと思うよ。かなり強かったから、アイリーンちゃんも捕まっちゃったんでしょ?」
「はぅっ……め、めんぼくない……あたし、ディックがいなかったらもう溶かされちゃってたかも……」
「大変だったわね。私たちは破壊すれば倒せる相手だったから、そう苦戦せずに済んだけれど」
ミラルカたち三人だけでなく、コーディとユマも無事だということはピアスを通じて分かっていた。彼女たち二人も遅れて姿を現す――やはり別の場所に飛ばされただけで、全ての部屋が繋がっていたのだ。
「ディック、こっちに六階へ降りる道があるよ。それに、魔法陣も発見できた。魔物たちが湧いていると、転移結晶に魔力が集められないから、少し掃除をする必要があったけどね」
「そんなわけで、コーディさんと一緒に浄化をさせていただきました。ああ……心地よい疲れです。多くの迷える魂が、神の力で浄化され、約束の地に昇天していく……なんてすばらしい光景なのでしょう」
「どうやら、ここにいたスライムが、6階層までで最も手ごわい敵だったようだな。アイリーン殿、私のエプロンを貸すので、とりあえず体を隠すがいい」
「う、うん……でもエプロンって、これ、後ろの守りがちょっと手薄っていうか、まるみえじゃない?」
「ぜいたくは言っていられないわ。後ろは私の外套でカバーしてあげるから」
「よ、よし……流れるような連携で頼むぞ。俺は目を閉じてるからな」
俺が目を閉じている間にアイリーンが離れたところで、ヴェルレーヌがアイリーンにエプロンを着せ、そしてミラルカが外套をかける。しかしエプロンの覆う範囲は完ぺきではなく、目を開けると、俺の目に映る肌色はまだまだ多く残っていた。
「はぁ、ちょっと落ち着いた……二人ともごめんね、あたし、ちょっとスライムでねっとりしてるけど」
「スライムに捕まるというのは、粘液を浴びるのと同じだからな……私でもなかなか、こたえるものがある」
「ディー君、今日の探索はここまでにして、いったん一階に戻ろうか」
「それが良さそうだな。一階の状況を確認したら、銀の水瓶亭の地下に転移して、探索の続きは明日にしよう」
「じゃあ、魔法陣の所まで案内するよ」
コーディに先導されて、俺たちは歩き出す。皆が倒した不死者の中でもグールの類は魔石などを落とすので、Aランクまでの冒険者なら宝の山に見えるような状態になっていた。
迷宮は一攫千金を求める冒険者にとって、夢の詰まった場所だと言われる。この遺跡迷宮も例外ではない――千人の探索者が入っても、この洞窟ならうまくすれば全員が収穫を得られる。
そういった意味では、最深部に到達したあと、この迷宮には利用価値が残るかもしれない。『ベルサリスの蛇』を倒したあとも迷宮が残るなら、仕事の減少した冒険者ギルド全体を再建するための活路になるかもしれない――俺はそんなことを考えてもいた。
六階に降りたところに、コーディの言う通りに魔法陣が残されていた。幸いにも魔物の攻撃の対象にならずに済んだとはいえ、転移結晶の下に敷かれた魔法陣の損傷がひどく、師匠がただちに修復に取りかかる。彼女が作業をしている間に、俺はユマの力を借りて魔法陣の周りに結界を張った。掃討してあるとはいえ、俺たちが戻ってくるまでに別の階から魔物が侵入しては元も子もない。
師匠による修復が終わると、転移結晶が淡い輝きを放ち始める。行き先に一階、森の中の神殿、銀の水瓶亭、白の山羊亭が含まれていることを確認し、この階層に戻ってこられることも分かったので、さっそく起動することにした。
周囲の風景が変化していく。そして一階層の魔法陣に転移すると、俺たちは残った魔物の掃討を終えて待っていた人々に、拍手と歓声によって出迎えられた。
「ディック様、おかえりなさい!」
「思ったより早かったじゃねえか。一階だけでもやたらと広いもんだから、数日かかるかと思ったんだが」
「ギルドマスター、現状の任務は終えた。俺たちは念のために、六階層の魔法陣を守備しておくべきか」
「結界を張ってきたから、魔物が湧いても持ちこたえられるはずだ。みんなも一旦休んでくれ」
「……お疲れさま、ディック。また明日」
「あっ……お、お姉さまっ、ずっと待っていたのに、それだけでいいんですか? ディックさんのギルドに訪問されるのでは……っ」
シェリーを追ってロッテも一緒に転移していく。ランクの高い者はさほど疲労していないが、Aランク以下では消耗が大きく、床に寝転がっている者も多くいた。
「骨のある迷宮だな、まったく。おまえらがいなかったら、進むこともままならねえよ」
「俺たちも想像していたより、攻略に時間を取られました。二階から地形がやっかいなことになっているので、あえて入らないほうがいいかもしれません。俺たちが魔物を倒して、回収しきれなかった魔石なんかが残ってますが。五階は危険なので、立ち入り禁止にした方がいいかもしれないですね」
「ほう……お前たちが次の魔法陣を目指しているうちに、俺も一丁、うちの連中と一緒に潜ってみるか。危険の少ない範囲でな」
こうやって進むことを繰り返せば、いずれは深部に辿りつく。一泊して英気を養ったら、次はできるだけ深くまで一気に降りられるように、万全の準備をしておきたいものだ。




