第60話 混沌の一層と七人の連携
王都の西北西の方角に、転移陣の設置されている神殿がある。これまで王室に深く関わる人間にしか知らされてこなかったが、今回は探索者全員がその場所を知ることになる。
千年の間に何度も修繕されたのだろう、鬱蒼とした森の中にある石造りの神殿とその周辺は、現在においてもその威容を保ち、周囲の環境が保たれていた。
先遣隊である俺たち七人が神殿の中に入ると、百人が一度に転移できる大きさの転移魔法陣が敷かれていた。一階立てだが屋根が非常に高く、天井は雨を避けつつ太陽の光が入るような構造になっていて、柔らかい光が差し込んでいる。
「俺とヴェルレーヌ、師匠は朝食のときに食事効果を得てきたが、四人はどうする? 向こうに行ってからにするか」
「そうね、今のうちにミルクだけもらおうかしら。ディック、ここは火竜の放牧地にも近いわね」
「ああ、確かにな。でもまあ、集まった冒険者が向こうまで足を伸ばすことはないだろう」
ヴェルレーヌは『エルフの隠し箱』と呼ばれる魔道具を持っており、見た目は箱型のバッグのように見えるのだが、魔法で見た目より中が広くなっており、収納・保存能力が拡張されている。エルセイン魔王国では長旅の際などに重宝されるとのことだ。
その中から冷やしたミルクの入った水筒を取り出すと、まだ食事効果を得ていないみんなに飲ませる。『ディフの実』という実をペーストにして入れてあるのだが、俺の付与魔術による戦闘力の増強にプラスして、守備力が上がる。加えてミルクだけでは足りない栄養分が補充されるというおまけつきだ。
「んっ、んっ……ぷはぁ。ってするのがミルクの正しい飲み方だよね」
「お父様がお風呂上りによくやっていたわね……私とお母様は、やめるようにと言ったのだけど」
「私のお父様もよくやっていました。ミルクはできるだけ飲んではいけないんですが、骨を強くしますからいいんですよね」
アイリーンとミラルカ、ユマが二口、三口くらいずつミルクを飲む。目に見えて強くなるわけではないが、食事効果には馬鹿にできないものがある。
敵の属性が分かっていれば、それを防ぐものも摂取するのだが、手当たり次第というわけにはいかない。食事効果でなくても魔法などで防ぐことはできるので、潜入前の準備はこれくらいで十分だ。
「戦闘に備えてという意味では、適量だけにとどめた方が良さそうだね」
「うむ。他にも食料は用意してあるが、後にした方が良いだろうな。この箱を壊されてはいけないので、やはり私は前衛には出られない」
「ヴェルちゃんたちは私が援護するから、前衛はコーディとアイリーンちゃんに任せるからね」
コーディを「コーディちゃん」と呼ばないのは、師匠も彼女が男装している理由を理解して、心情を汲んでいるからだ。初めはどっちで呼べばいいかと俺に聞いてきたが、呼び捨てを推奨しておいた。ちゃん付けで呼ばれたら、コーディが困った顔をするのは目に見えていたからだ。
師匠は魔法陣の上に浮かんでいる転移結晶に向けて手をかざし、起動の準備をする。
「……それじゃ、転移するよ。転移した後にすぐ魔物が襲ってくる可能性があるから、気を付けてね」
「向こうには、魔法陣の見張り人がいるっていう話だけどな。まあ、念には念をか」
一階から下層までは繋がっているのだから、ブレスを吹く魔物が上に上がってきているという可能性もなくはない。俺は全員に、ブレスの威力を一定時間激減させる『防護壁』の魔法をかけた。
「あたたかい……ディックさんの防御魔法は、包み込まれるみたいに優しいですよね」
「い、いや……確かに魔力で包み込んでるけど、優しくはないぞ」
「……全身が包まれていると何か落ち着かないわね。ディック、役得だと思っていたりしないでしょうね」
「そんなことはない。俺はいつだって真剣だぞ。邪念なんてかけらもない」
体を魔力で包み込むと、触れているのと同じ感覚が得られる――ということはそれほどないので、俺は堂々と答えた。師匠はふっ、と口元に手を当てて笑う。精神防御をしてないので、ここで心を覗くのはやめてほしい。
「ああそうだ、いちおう精神防御もしておくか。個人でも抵抗力はあるけど、一番怖いのが混乱させられることだからな」
「うっうっ、ごめんねディック、昔は手間とらせちゃって。私が脳みそ筋肉でできてるばっかりに」
「アイリーンが混乱したときは、確かに大変だったわね……強くて速くて、コーディがいなかったら抑えきれなかったわ」
「混乱してると鬼神化ができなくなるから、その点で助けられたね。やっぱり、このメンバーで集まると色々と思い出してしまうな」
「私がその思い出の終着点となるわけか。あの時は死を覚悟したものだが、やはり今となっては、泥水をすすろうと生きてこそだと思っている。泥水どころか、至上の甘露を味わう日々だがな」
ヴェルレーヌが流し目を送ってくるので、俺は手で防御した。至上の甘露というのは、たまにヴェルレーヌと二人で店の片づけをしたあと、ブレンドを出したりすると出てくる言葉で、どうやら口説き文句らしい。「ご主人様と飲む酒は私にとって至上の甘露だ」というように使う。
「『魔窟』というが、私にとってはただの洞窟だ。魔物が支配しているというなら、誰が真に支配する資格を持っているのか示してやろうではないか」
ヴェルレーヌが言うと、元魔王だけに説得力がある。俺たちは頷き合うと、師匠が転移結晶を起動し、魔法陣から光の柱がいくつも立ち上がり、魔法陣の外の景色が変化していった。
◆◇◆
転移した先は、アーチ形の石柱に支えられた、半球状の屋根の下だった。魔法陣の大きさは変わらず、光が収まると、周囲はかなり薄暗くなる。
魔法の火をともす燭台が、魔法陣の外にいくつか立てられている。しかし目が慣れてくると、洞窟の岩壁全体が微弱ながら光を放っているのがわかり、燭台を離れると真の闇というわけではない。
「ちょっと待って。あなた、魔法陣の見張り番ね。そこで何をしているの?」
魔法陣のすぐ外側、燭台の近くで、一人の男性が頭を抱えてうずくまっている。がたがたと震えていて、ミラルカの問いかけになかなか応じなかった。
「しっかりして。私たちが何とかするから、事情を話しなさい」
「ヴェルレーヌ、『安らぎの雫』を出してくれ」
ヴェルレーヌに運んできてもらった気付けの効果がある飲み物を、俺の手で男性に飲ませる。すると虚ろになっていた彼の瞳に光が戻り、俺たちを見ると、救いの神を見るような顔に変わった。
「な、仲間が……この一階の、魔法陣だけは死守しなければと、巡回に出ていたのですが。世にも恐ろしい雄叫びが、下の階に続く穴から聞こえてきて……な、仲間が、逃げ遅れて……」
「それは、少し前の話か? 何か強力な魔物が出たんだな?」
男は震えながら頷く。悪い予想は当たってしまった――千年もの間、この魔法陣が維持されていただけでも奇跡だ。
おそらく深層の魔物が、上の階層に上がってきたのだ。男の仲間は、それに出くわし、襲われた。
「急ごう、一刻を争う事態だ。逃げてくれているといいが……!」
俺は全員に『敏捷強化』をかけ、アイリーンがミラルカを抱え、俺はユマを抱えて進み始める。魔法使いと僧侶は交戦域に入るまで身体能力の高い者が運ぶ、それは討伐隊の当時も同じだった。ヴェルレーヌと師匠も後に続くが、彼女たちは自力の移動もSSSランクにふさわしい速度を持っている。
進む間、俺たちは無言だった。一階層は岩肌がむき出しになった洞窟だ。ところどころに朽ち果てた武具や、魔物たちの骨があり、他にも強くはないが、魔物が生息している気配がする。しかし、彼らも怯え切っていて何もしてこない。深層の魔物に捕食されることを恐れているのか。
そして俺たちは、遥か前方に、赤いゆらめきを纏う巨大な塊を目にした。
その赤色は、炎。そしてその中に浮かび上がる、黒く巨大な影は、見上げるほどの巨躯を持つ、竜の翼を持つ獅子だった。
ドラゴンキマイラ。事前に見せられた地図では五十層にいた魔物。しかし、描かれていた絵とはまるで違う姿になっている。全身が黒褐色に変わっており、肩から鋭い角が突き出し、全身の筋肉がはちきれそうなほどに肥大化している――明らかに、変異個体だ。
千年の放置がこんな怪物を生み出した。俺は全員と魔力で思考を連結し、作戦を伝える。言葉もなく全員が連携を開始する――SSSランクの冒険者たちが、フルパーティで連携すれば倒せないものなどない。
ドラゴンキマイラが俺たちに気づき、選択した行動は威嚇行動ではなく、即座に発動する即死攻撃。全身を包んだ炎が膨れ上がり、灼熱の火柱となって俺たちに放たれる。
元から防壁を張っているとはいえ、それだけで受けてみる気はしない。俺は師匠と意志を疎通し、灼熱が撒き散らされることのないよう、協力して広範囲に防壁を展開して抑え込む。
――防壁の四重檻――
SSSランクの俺たち二人でなら、押し返すことは容易だった。ドラゴンキマイラは防壁に阻まれて跳ね返った炎を浴びるが、構わずに咆哮し、俺たちに突進してこようとする。
それを牽制する役目をコーディが担う。防壁を展開するうちに召喚していた剣精ラグナを、剣の形に具現化する前に、無数の光弾に変えて敵の巨体に撃ち込む。
――光剣・光弾幕ー
敵の進行を阻むか、攻撃を封じるために『幕』と名付けられているが、やはり攻撃こそ最大の防御で、ドラゴンキマイラは突進する前に一瞬だけ怯む――額、目、胸、両肩、弱点にあたる部分を射抜かれ、黒い血しぶきを上げ、それでもその目は白熱し、暴れ狂いながら進もうとする。
SSSランクの攻撃を受けてすでに3秒以上生存している。心臓を射抜いたはずなのに死なないのは、再生速度が尋常でないからだった。コーディが射抜いた直後に傷が塞がっているのだ。
「我が声に応じよ、土精霊!」
「ありがとう、ヴェルレーヌさん! はぁぁっ……『修羅斬月蹴』!」
しかし一瞬でも足止めすれば十分だった。ヴェルレーヌが大地の精霊魔術を使って巨大な土の柱を立て、アイリーンがそれを駆け上がり、足場にして飛ぶ。そして洞窟の天井から垂れ下がった岩塊に蹴りを放って切断し、ドラゴンキマイラの上に落下させる。
その巨躯の上に同等の大きさの岩塊が落下するが、それを受けてもなお、ドラゴンキマイラは地面に体躯をめり込ませながら、炎の魔力を爆発させ、岩塊を破壊し飛び上がろうとする――だが。
「完成したわ。これで終わりよ……!」
――『限定殲滅型九十二式・縮退消滅陣』――
ミラルカの魔法陣が、ドラゴンキマイラの周囲に『球形に』展開する。そして彼女の魔力を通されると、ドラゴンキマイラの動きが止まり、魔法陣がゆっくりと縮小していく。
そしてミラルカが両手を合わせると、ドラゴンキマイラは一気に圧縮され、永遠に姿を消した。展開まで時間はかかるようだが、凄まじい威力を持つ魔法だ。
「迷える魂よ……我がもとに集まりたまえ。神の赦しは隔てなく、約束の地へと導きます」
ドラゴンキマイラの身体は消滅したが、その後から無数の光の球が生まれ、迷うように浮遊する。その全てがユマの周りに集まっていき、浄化されて消滅していく。しかしその中にあった、ひときわ大きな光の球が、別の形に姿を変えた。
師匠はユマの足元に落ちたそれを拾い上げる。それは、赤色をした丸い宝石だった。
「これは……魂の宝玉だね。長く生きたドラゴンキマイラの魂が、変化したんだよ」
「これが、充魔晶……ってことでいいんだよな」
「うん、そういう使い方もできるよ。こんなに大きい玉、初めて見た……本当に、生きてて初めてかも」
他の魂は、迷宮の魔物か、それとも犠牲になった人々の物か。
あの魔物を前にしては、生存は絶望的だ――と思ったが。しかし、奇跡は起こった。
「ご主人様、重傷だが生きている者がいる! 回復の魔法を頼む!」
発見された直後に殺されることもありうるというのに、無事でいてくれた。物陰に二人の男女が倒れていて、男性が女性をかばうようにして、背中に大やけどを負っている。
二人とも気絶しているが、男性は危険な状態だ。俺は師匠と共に、部位欠損すら修復する最上位の回復魔法『再生の光』を使って、凄惨な火傷を治療し始めた。
◆◇◆
治療を終えたあと、俺たちは一度転移魔法陣のところまで戻った。恐怖に怯えきっていた男は、仲間二人が助かったことを知ると、地面に頭をこすりつけて俺たちに感謝の言葉を繰り返した。
魔法陣の見張り番はAランクの実力を持っていて、交代制で三人ずつ任務についていたという。二階層の入り口からドラゴンキマイラが現れたときは、国が亡びることを覚悟したと彼らは言った。
あまりにも、手薄すぎる。この迷宮の危険性を考えれば、もっと戦力を投入すべきだというのに――国王陛下には、不敬になるが文句の一つも言いたくなってくる。
「やはり、もう限界だったんだな。この魔法陣が壊されてたら、ここに入るには相当苦労するところだった」
「申し訳ありません……しかし、あの怪物が現れるまでは、私たちもなんとか任務を継続できていたのです。他の魔物はゴブリンなどで、油断しなければ負けることはありませんから」
「それでも人数が少なすぎるよね。秘密にしなきゃいけないっていうのは分かるけど、これからは無理しないでね。あ、今回であたしたちが迷宮を攻略しちゃうのか」
アイリーンがあっけらかんと言う。三人の見張り番たちは信じられないという顔で見ている――そこでコーディが自分たちは魔王討伐隊だと告げると、彼らは大いに感激し、目を輝かせた。
元魔王のヴェルレーヌは「私は討伐される側だったのだが」と聞こえないくらいの声で言いつつ、エルフの隠し箱から地面に敷く布を取り出し、そして憔悴しきっている三人をその上に座らせ、食料と飲み物を出した。肉と野菜を挟んだサンドを見ると、三人の腹の虫が鳴る。食事など、取っている余裕はなかっただろう。
「時間にすれば短いが、激しい戦いだったからな。後続の人々を呼ぶあいだに、身体を休めておこう。消耗などかけらもしていないと言いたいところだが、先は長いのでな」
全員がヴェルレーヌから飲み物を受け取り、喉を潤す。食事係というのは冗談で言ったのだが、心憎すぎるほどに彼女は役割を果たしていた。殺伐としがちな迷宮で、そのメイドとしての振る舞いが癒しとなる――そして見張り番の三人にも、まだ弱弱しくはあったが、笑顔が生まれていた。
やはり俺たちが最初に来なければ、いたずらに死者を出すことになっただろう。迷宮の情報は千年前と同じではないのだから、何が待っていてもおかしくない。
ドラゴンキマイラが一層に上がってくるまでに、他の魔物を減らしてくれていればいいのだが。そんなことを考えつつ、俺もサンドを口に運び、皆と話しながら一時の休息を取った。




