第58話 審問と忘れられた迷宮
アルベイン城は城壁と堀に囲まれ、市街とは橋で繋がっている。城壁の内側には王宮の他に、国民の犯した罪について審問が行われる『審問所』がある。
審問官は十六人いて、王族・貴族・庶民のいずれにも帰属せず、独立した権限を与えられている。国王によってその地位と審判の正当性が保証されるが、5年に1度ずつ審問官の仕事ぶりについて内部調査が行われ、能力が足りていない、判断の正しさに疑いがあるという場合、入れ替えが行われる。そういった任命・免職の権限もまた、国王が持っている。
審問官の判断は、国王の判断である。アルベインの民は逆らうことはできない。
そして、特定の居住地を持たなかった師匠についても、王都で行った行為に対する裁きには従わなければならない。
「ディー君、私のことは気にしないでいいよ。死ぬことはできないけど、他の刑なら受けられるから」
「……師匠、自分の素性を知られてもいいのか?」
師匠が不老不死であるという事実が広まってしまうと、周囲が騒がしくなったり、不老不死を求める人間から狙われるということも考えられる。
狙われたところで、俺たちの強さで窮地に追い込まれることはない。しかし、王都で平穏に暮らすことは難しくなるだろう。周囲から好奇の視線を受けることは避けられなくなる。
「うーん、確かにそれはね。私が昔王都を離れたのは、自分の姿が変わらなかったってこともあるから。幻影の魔法で年を取ったように見せることはできるけど、そこまでして王都にいる意味を感じなかった。今は、ちょっとそういうわけにもいかないけど」
「師匠は、俺がいるから王都に来たんじゃなかったのか?」
尋ねると、彼女はしばらく考える間を置く。どう答えていいかという顔で、橋の欄干に近づき、手すりに手を置いて、豊かな水を湛えた堀を眺めた。
「もうすぐ、二千年になるんだよ。王都アルヴィナスが、ここにできてから」
「……師匠は、その頃も生きてたのか。その時のことと、関係があるんだな」
「うん。私にも、昔仲間たちがいてね。ディー君たちと同じように、私以外に5人の仲間がいて、そのうちの一人が、アルベインの初代の王様になったの。他にオルランド、シュトーレンっていう仲間もいたんだけど、知ってるよね?」
「アルベインの初代王に、オルランド家と、シュトーレン家……師匠は、建国した人々の仲間……ってことか?」
師匠は何でもないことだ、というように俺を見やって微笑んだ。
「ディー君みたいに強い人はそれこそ、この国で初めてっていうくらいだけど。冒険者強度が10万を超える『人間』は、千年に1人は出てくるからね。二千年前は、そういう人が3人いたっていうことだよ」
俺たち五人は、その千年に一人が同時代に五人集まったからこそ『奇跡の子供たち』と呼ばれた。
二千年前に、SSSランクの人間が三人いた――そのうち一人が初代王で、二人は公爵家の開祖だったということになるのか。そして師匠以外に二人、人間とは違う存在がいた。
「三人が人間ってことは、残りの二人は、別の種族だったのか?」
「うん。そのうちの一人は私と同じで、不老不死だった。でもね、彼女は亡くなったの」
「不老不死なのに、死んだ……師匠は、死ぬ方法がないって言ってたのに」
「ひとつだけあるんだよ。でもそれは、一度きりしか使えない方法だから、もう一度使うには、時間が経つのを待たないといけないの」
「……そうなのか。それなら、ひとまず安心だな」
その方法を使えば、不老不死の師匠が、永久に続く生を終わらせることができる。
しかし、俺と一緒に生きると言った彼女には、それを使わせるわけにはいかない――そんな俺の心中を思ってか、師匠は微笑んで言った。
「あれだけ死にたいって言っておいて、こんなこと言うのも勝手だけど。今は、ディー君がいいっていうまでは、生きていたいと思ってる」
「俺の意志に関係なく、自分の好きなだけ生きてくれ……って言うと、無責任か」
「ううん、ディー君らしいと思う。私が死んじゃうの、ほんとにだめだと思ってくれてたの、今ならわかるから」
「……希望ってのは、自分から捨てた時に失われるものなのかもな」
「捨てなくてよかった、っていうこと? ディー君、恥ずかしいこと言うんだね」
俺はあえて答えなかった。自分でも、急に何を言っているんだという気持ちはあったからだ。
「……でもそういうことを、これからディー君に教えてもらわないとね。人と人の、思いやり?」
「そっちも師匠らしからぬことを言ってるな。でもまあ、いいんじゃないか。完璧な人格者になんて、なる必要はないんだけどな」
「私は頑張っても、そうはなれないと思う。悪いことばかりしてたから、少しでも悪い部分をなくさないとね」
反省しているかどうかも、刑罰を決める上で考慮される要素だ。師匠が悪びれずに開き直ってしまうと、審問官の印象はそれだけ悪くなってしまう。
しかし今の師匠なら、大丈夫だ。そう確信できた俺は、再び橋を歩き始める。師匠も後からついてきて、俺の横に並んだ。
◆◇◆
第一審問所に入ると、まず三人の審問官が席を立ち、俺と師匠に向けて礼をする。俺たちはそれに応じたあと、周囲の席にいる人たちの顔ぶれを確かめた。
アルベイン神教会の大司教であるグレナディンさん、そして先に到着していた騎士団長のコーディ――さらには、貴族らしい若い男性と女性が一人ずついる。身に着けている衣服に入れられた家の紋章から、男性はオルランド家、女性はシュトーレン家の人間だとわかった。
オルランド家の男性――マーキス・オルランドはブラウンの短髪で、糸目の青年だった。青を基調とした服を着ており、常に笑みを浮かべているが、油断のならない印象を抱かせる。俺の把握している情報では、彼は現在25歳で、オルランド家の次男でありながら、次期当主と目されている。
マーキスの後ろの席には、前に俺のギルドに依頼を持ち込み、今はオルランド家の家令となった女性・キルシュの姿があった。彼の秘書か、護衛の役割をしているのだろう。
シュトーレン家の女性は、顔を見られてはならない事情があるのか、ヴェールのついた帽子を被っている。公爵家の人間とはいえ、審問の席での服装としては見とがめられるところだが、既に審問官には断ってあるのだろう。
名前は事前に調べたところによると、プリミエール・シュトーレンという。彼女はシュトーレン公爵の長女であり、弱冠23歳にして公爵家の跡継ぎである。シュトーレン家は女系家族であり、代々女性が家を継いできたということだ。
そして、王家の頭脳と呼ばれる宰相ロウェ・ブランマイヤーまでもが同席している。初めてその姿を直接見たが、『白麗公』という異名で呼ばれる通り、若くして髪も眉も真っ白という、特異な容姿をした青年だった。
まず、審問官の一人、壮年の男性が、師匠の情報を記したものだろう資料を読み上げる。
「それでは、これより審問を開始します。対象者は、『白の山羊亭』を実質的に統率する立場にあった……百年前……?」
「書いてあることに、間違いはないと思います。百年前も、私には名前はありませんでした」
「……あなたについては、当時『無色の蛇使い』と呼ばれていたとの記録があります。百年前、王都に冒険者ギルドを創設し、その後、行方不明となっていますね」
百年前というと、この場にいる誰も生まれていない。百年以上生きていると言われても、師匠は少女の外見のままだ。信じられるわけもなく、同席した人物の誰もが驚く――しかしマーキス、プリミエール、宰相ロウェの三人は、事前に知っていたかのように落ち着いていた。
「彼女は今回、白の山羊亭のギルドマスターを従え、幾つかの事件を起こしました。その事実の確認と、課せられる処分を決定するために、全ての質問に、嘘のないように答えていただきます」
「はい。異存はありません」
師匠は淡々と答える。審問官はその隣にいる俺を見やると、再び手元の資料に目を移た。
「銀の水瓶亭のギルドマスター、ディック・シルバー。あなたは今回の件について冒険者ギルドの一つとして関与し、未然に大きな事件につながることを防ぎ、既に起きた事件については、解決のために尽力しました。そのことについても合わせて考慮させていただきます。よろしいですか?」
「はい。俺のことは、彼女の後見人として扱ってもらって構いません」
「分かりました。では改めまして、審問を始めます。皆さま、どうぞご着席ください」
師匠が王都に戻って来たのは、三ヶ月前。白の山羊亭のギルドマスターは、現状の傘下ギルドの冒険者たちを維持するための仕事が確保できなくなり、一部の優秀なギルドのみに仕事を任せるようになった。
その影響で紫、青、そしてつい最近、緑のギルドの運営が立ち行かなくなり、大量の失職者を出しかねない事態となった。王都を離れるという選択もあったが、長年の拠点を放棄して離れるという選択はできず、犯罪に類する仕事を請けるようになった――そして。
「白の山羊亭のギルドマスターの要請で、彼女は『首輪』を作りました。それは人間、あるいは獣人を従属させるための魔道具です。一部ではすでに使用され、実際の被害者を出しました。ガラムドア商会は『首輪』を利用し、獣化能力を持つ獣人を動物の姿で留め、希少動物として売ったのです。その被害人数は、五十三名です。そのうちすでに半数は、調査の結果、首輪を外すことで解放できると分かりました。購入者も希少動物の密売に加担したのですから、罰金を科すことになります」
壮年の審問官が罪状を読み上げたあと、他の二人の若い女性審問官が言葉を続ける。
「残り半数を解放できたとしても、被害者の受けた精神的苦痛、不当に拘束された期間を考慮すると、やはり二十年以上の拘禁が妥当かと思われます」
「さらに、魔道具を王都の中で作成、不正に所持し、使用を教唆した件については、所持する魔道具の廃棄と、8年以下の拘禁、強制労働が課せられます」
青の射手亭などが犯罪に手を染めた件については、白の山羊亭のギルドマスターの責任となり、師匠は罪を問われなかった。師匠が来る前から、白の山羊亭が黙認していた、あるいは犯罪に類する仕事を紹介していたという証拠が出ていたからである。
「こちらの事実に、間違いはありませんか?」
「はい。間違いありません」
師匠は何も反論せず、正面を見据えて、罪状を認めた。これで、審問官たちの言い渡す刑罰を受けることが確定となる――しかし。
宰相ロウェ、そして公爵家の二人が立ち上がる。初めに口を開いたのは宰相だった。
「厳正なる審問の途中だが、発言をさせていただく。この件を聞き及び、私――アルベイン王国宰相と、公爵家の御二方から、審問官殿にぜひ申し入れたいことがあるのだ」
「発言を認めます。ロウェ殿、申し入れたいこととは?」
「冒険者ギルドには、これから困難な依頼に挑んでもらわなくてはならない。そのため、彼女への処分については留め置いていただきたいのだ。不安を煽るような言い方になってしまうが、この王都は今、未曽有の危機に瀕しているのです」
宰相の発言に、審問所に緊張が走る。最も動揺しているのは審問官たちだった――そんな話を宰相から切り出されるとは、思ってもみなかったのだろう。
俺も今のところ、話のなりゆきを見ているしかない。俺のところに入ってくる情報では、『それ』が実際の脅威となるかは確定できていなかったからだーーこの王都の成り立ちについての、既に市民の全てが忘れてしまった伝説。宰相の話がそれと結びつくのではないかという予感はしていた。
「未曽有の危機……それを、冒険者ギルドによって解決できるのですか?」
「正確には、魔王討伐を成功させた勇者たち……そして、ランクの高い冒険者たちの力を借りる必要があります。冒険者の中には、平均的な騎士と比べても個人戦力が図抜けている者が多くいる。彼らの力を借りねば、王都はいずれ灰となってもおかしくはない」
「それは……魔物が襲撃してくるということですか? それとも、隣国が攻めてくるとでも?」
「端的に言うならば、前者だ。王都の地下にあり、封じられた地下迷宮。その二千年に渡る封印が、もたなくなるときが近づいている」
――人々の記憶から失われた伝説は、作り話などではなかった。
王都アルヴィナスは、邪悪な存在を封じた大穴の上に作られた。つまり、アルベインの初代王は、その存在と戦い、勝利したからこそ王になったのだ。
そして、師匠はその時のことを知っている。彼女は俺の方を見やると、何かを言いたげにする。しかし、今は何も言葉にはしなかった。
「ディック・シルバー。かつて魔王を討伐した勇者の五人目であるあなたと、そして冒険者ギルドを創設した彼女に、無理を承知で頼ませていただきたい」
宰相ロウェが頭を下げる。マーキスとプリミエールの二人もそれに倣うと、順に発言した。
「我らオルランド家も、王都を守るために戦う所存です。ですが、ロウェ殿もおっしゃる通り、この王都において最強の戦力とは、魔王討伐隊の面々であり、Sランクを超える冒険者の方々だ。私たち貴族にできることは、あなた方に戦ってもらう環境を整えること、報酬を用意することが主になります」
「この王都を捨てることも、国王陛下は考えていらっしゃいました。しかし、封じられた存在が地上に出てしまえば、アルベインの国土全てが亡びるかもしれない。それならば、わたくしたちは、最後まで徹底抗戦をしたいと考えています」
なぜ、彼らが出席したのか。その意味がようやくわかった――彼と彼女は、今後の王国を支える次世代の貴族たちだからだ。
彼らにも、本来なら審問に介入することはできない。しかし今回ばかりは、師匠の力も王都を救うために必要になる――そのために、処分を留め置く。
「……それが事実であるとしたら。今後、王都はどうなっていくのです?」
壮年の審問官に問われ、宰相ロウェは、俺と師匠を真摯な目で見据えながら言った。
「すべての戦う力を持つ者たちが、王都の地下にある迷宮に入り、最深部を目指す。むろん、強制することはできないが、全てのギルドの冒険者に協力を仰ぎたい。魔法大学、騎士団、貴族、属する場所に関係なく迷宮に挑まなければ、おそらく到達することはできないだろう。地下迷宮は百層あり、それをできるだけ短い時間で踏破しなくてはならないのだから」
百層の地下迷宮。それに、アルベイン王国の戦う力を持つ者すべてが挑む。
もし、このままなら邪悪な存在が地上に解き放たれるというならば、迷宮の攻略に失敗すれば国が亡びる。
重い緊張が審問所に満ちる。若い審問官ふたりは、全く宰相の話を受け入れられずに、しきりに顔を見合わせていた。
「できるだけ短い時間というと、残された時間はどれくらいですか?」
「……ディック殿。私の話を、信じてくれるのか?」
「王都の地下に迷宮があって、もし魔物でも湧いてくるんだとしたら、どのみち潜らなければならない。真偽は別として、冒険者の仕事には魔物退治も、迷宮探索も含まれている。正式な依頼とあれば、俺はギルドマスターとして受諾することを考える。それは当然のことだ」
宰相は黙って俺の話を聞いていた。
まるで俺が王都のギルド全てを代表するような話になっているが、どのみち白の山羊亭の統制が崩れた今、ギルドは再編成をしなくてはならない。
だが、王都の地下迷宮を攻略することが急務ならば、再編成はその仕事を終わらせたあとだ。
「私は国王陛下から、この件についての権限を委譲されている。騎士団については、コーディ殿に全権がある。貴族たちの代表はこのお二方であり、そして教会の長はグレナディン殿だ。この場における決定が、今後の国の運命を左右することになる」
「……コーディ。俺は今でも、『俺たち』のリーダーはおまえだと思ってる。俺は戦ってもいいと思うが、どうする?」
尋ねると、コーディは席を立ち、そして凛とした声で言った。
「僕は王国を守る楯となるために、騎士団長となった。その務めを果たすだけです」
「……ありがとうございます。私は宰相を務めているが、元は文官であり、戦う力は持ちません。しかし、あなた方の迷宮攻略を支援するために尽力させてもらいたい」
「そうしてくれるとありがたい。師匠の扱いをどうするかは、この件が終わった後に、功績を加味してもらえると助かる。それと、売られた獣人たちについては、俺のギルドで責任を持って解放する」
「……ディー君」
すでに俺の情報網で、ガラムドア商会と取引をした者たちは特定している。あとは、ギルド員を派遣して解放していくだけだ。
一人一人に償いをしなくてはならないが、それは王都を守り切った後の話だ。師匠にも戦ってもらわなくてはならない、宰相の話を聞く限りでは、迷宮攻略はそれほど過酷なものになる。
「……このような審問は初めてです。罪状を確認したあと、刑の執行を猶予することになるとは」
壮年の審問官は額の汗をハンカチで拭く。王都が存亡の危機にあるという事態が飲み込めてくると、その顔は蒼白になり、冷静を保つことはできていなかった。
コーディは俺を見て、頷きかけてくる。グレナディンさんもそれは同じで、力強く頷いてくれた。教会に所属する僧侶、そして僧兵は、迷宮攻略に多大な貢献をしてくれるだろう。
そして、俺たちも。はからずして、魔王討伐隊を再結成し、迷宮に潜る時が来た――ずっと暮らしてきた王都の直下にある、忘れさられた深部へと。




