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第55話 仮面の酒場と狼人族の親子

 師匠が俺の言うことを素直に聞いてくれるなど、今までなら考えられなかったことなのだが、酒場を手伝ってくれというのをそのまま受け入れ、彼女は今着替える前にお風呂に入りたいと言って入浴している。


 風呂の扉は湿気ないように防水加工を施してある。こんなことをしているのは王都でも一部の家だけで、貴族ですらこんな加工の仕方は知らない。これはカルディラ食料品店に行ったとき、『珍しいものを見つけた』と言って見せられた『ラバルの樹皮』というのを利用するのだが、この樹皮に含まれている樹液を取り出し、それにある加工を施すことで、防水効果のある物質になるのである。


 これを利用すれば、雨の日にも使えるし、湿地帯を歩くためにも適した靴などが作れそうだと思うが、ラバルの樹皮が大量に必要になるので、王都にその技術がもたらされる日はまだ遠そうだった。


 ――というのはいいとして、風呂場からは、なぜか一緒に入浴しているミヅハと師匠の声が聞こえてくる。ミヅハも夜の部のウェイトレスとして店に出る前に、風呂に入りたいと言いだしたのである。


「うちを獣の姿にする首輪を作ったって……なんで、うちに直接言うんですか?」


 風呂場の中の様子は分からないが、声だけが聞こえる。師匠は、ミヅハがガラムドア商会に捕まった件にも関わっている――それを、自らミヅハに明かしたようだった。


「ディックは私が師匠だから、私がしたことを一緒に謝るって言ってくれたけど、それは違うって私でも分かるから。私のことが憎かったら、どんなことをしてくれても構わないよ」


 師匠なら、そういうことを言い出す可能性はあると思っていた。彼女は自分がしたことを悪辣なことだと分かっていたのだから、被害を与えた人々の悪感情についても理解している。


 これまでなら、憎まれても彼女は気にしなかっただろう。しかし今の師匠は、俺と戦ったことで大きく変わったように見える。


「うちは、許します。だって、うちが狐の姿になってなければ、悪い商人から逃げてなかったら、ここに来ることもできてませんでした。兄上様も、ディック様の所に来られてから、毎日いきいきしてます。青の射手亭の仕事は、兄上様の心を苦しめるものもありましたから」

「……本当にいいの? 私はどんな償いでもするよ」

「いいんです。うちには、何となくわかるんです。さっき見たディック様は、何ていうか……うちみたいなちんちくりんがこういう言い方するのも変ですけど、子供みたいに無邪気に見えたんです。お師匠様と会えたのが、ほんとに嬉しいっていうのがわかりました」


 それはミヅハの言う通りなのかもしれないが、そんな話をされると落ち着かないことこの上なかった。


 身体を拭くためのタオルを持ってきただけなので、盗み聞きは良くない。タオルをここに置いておくぞ、と声をかけようと思ったが、やめにして脱衣所を出ようとする。


「そうや、ディック様のお師匠様やったら、うちは孫弟子やって思っててもいいですか?」

「……青狐族の村にはね、すごく大昔に行ったことがあるから、ミヅハの村のことも知ってるかもしれない。ココノビの実っていうのがあってね、それを改良して、寒い中でも大きく実が育つようにしたの。今でも育ててくれてるのかな。他にもっと美味しいものが見つかったかな?」


 それを聞いて、俺は思う。ココノビは食べやすいように品種改良されていると俺は思った。それすら師匠が関わっていたとなると、このアルベインを見回すだけで、どれだけ彼女の功績が残っているのだろう。


 何もかも全て、ということではないにしても、長く生きるということはそういうことだ。決して死ぬためだけに旅を続けてきたのではないと思うと、少なからず安堵する。


 階下に降りると、ヴェルレーヌが新人店員――というか、手伝ってくれている魔王討伐隊の面々に、仕事内容を言い渡していた。


「皆様手伝ってくださるとのことですので、本日は私を店主、チームリーダーとして信頼し、ついてきてもらうことになるが良いのだな?」

「口調は接客用のもので固定した方がいいんじゃないのかしら……急に変わったらお客さんに誤解を受けるわよ」

「あの、店主さまはディックさんではないのでしょうか?」


 ミラルカとユマ、そして全員が、それぞれの制服に着替えている。コーディは男装のウェイターで、他の三人はウェイトレスの制服というか、ヴェルレーヌと同じメイド服だ。


 こうして見ると、コーディはとても女性にもてそうだ。貴族の令嬢たちは彼女が夜会に出てくるのを未だに待ち望んでいるというが、本当に出たらそれはもう、宮廷演劇の役者のように持て囃されるだろう。実際に、女性だけの演劇団というのもあり、かなりの人気を博しているらしい。


 そして他の三人は――ユマのメイド服だけ胸のサイズが合ってないらしく、少しぶかぶかになっているが、他の二人は見事にヴェルレーヌ仕様のメイド服を着こなしていた。アイリーンはスカートが短いが、それは彼女のこだわりらしく、ヴェルレーヌは『従者のスカートは長く、肌の露出を減らすのがたしなみ』と言ってはばからない。あくまでオーナーとして、全員の店員姿を俺は合格と評価する。そうはっきり言ってしまうと、ミラルカに下等な生き物を見る目で見られてしまいそうだが。


「御主人様は、陰のオーナーというべき存在です。私は雇われの店主ですが、この酒場の運営においては総責任者という立場になります。皆さんには私の指示を聞いていただき……」

「では、店長。着替えておいて何なのだけど、この服で男性客の前に出るのは気が進まないから、厨房の手伝いを専任させてもらっていいかしら」

「大丈夫、ミラルカは顔を出すと知ってる人が来た時に困るから、仮面をつけることになってるから」

「っ……そんなことは聞いていないわよ。仮面なんてつけて接客していたら、まるで怪しいお店みたいじゃない」

「でも、確かに……僕も知り合いが来ることはそうそうないと思うけれど、部下が来たら困るな……仮面というのはいいかもしれないね」

「皆さんで同じ装いでしたら、恥ずかしがることもないですし、私はいいと思います♪」


 ユマは聖職者だが、いつもノリがいいというか、ムードメーカーとしての資質には稀有なものがあると思う。彼女が賛成すると、『ユマがそう言うなら』という空気になるのだ。


「アイリーン様、そのスカートの丈についてはしつこいと言われようと再三注意をしたいのですが……」

「え、この中はドロワーズだから大丈夫じゃない?」

「ドロワーズといえど肌着と考えるのが、淑女のたしなみというものです。常日頃の、スリットの深いドレスについても、みだりにご主人様を刺激する危険があるので、私としては危機感を感じているのです」

「あ、あれは別にそういうつもりじゃなくて、武闘家としてのたしなみっていうか……」

「たしなみという言葉はこれほど連呼するものではないと思うのだけど、私も魔法大学教授のたしなみとして、ウェイトレスのバイトをしていると大学に知れたら示しがつかないわ。だから調理担当をさせて」

「ミラルカ様は、調理の免許を持っているのですか?」

「っ……そ、そんなものを急に持ち出すなんて卑怯よ。私をどうしても接客させたいの? いいわ、全員殲滅してあげる」


 そう恥ずかしがるのも無理はないと思う。彼女に接客されたら、それは男性客なら見とれずにいられないだろう――驚くべきことだが、ヴェルレーヌのサイズでも窮屈そうで、胸が凄いことになっている。


(そこばかりに目が行くのは良くない……しかし……俺は、メイド服が好きだったんだな……)


 ヴェルレーヌが初めて着た時は、驚きの方が勝っていたが、いつも違う装いしか見ていない彼女たちが身に着けると、なぜこうも心を揺らされるのだろう。

 コーディはユマの袖が余っていることに気づき、手がちゃんと出るように折り返す。そして他の皆の服装も確認し、最後に自分のシャツの襟を正した。


「ディックをがっかりさせないように、新人だけど頑張って仕事をさせてもらうよ。それで、仮面は?」

「仮面は必須なのですね。では、今夜の銀の水瓶亭は、仮面舞踏会ということにいたしましょうか」

「踊らなくてもいいけど、仮面をつけることに理由をつけてもらえるのはありがたいわね。私たちが趣味でやっていると思われたら恥ずかしいもの」

「でも、素敵ですね。舞踏会……私、一度も見たことがないので」

「ふふーん、じゃあディックが降りてきたら、あたしがステップを教えてあげようかな。たまには出し物とかしたりするしね、このお店でも」


 アイリーンだと舞踏会というより武闘会になってしまう。彼女は故郷の祭りにおいて、祖先に舞いを納める踊り子を担当しているが、それはどうやら武術における演舞のようなものらしいのである。


「ステップということなら、私も手習いだけど、少しくらいは身につけているけれど……」

「楽しそうだけど、僕はこの格好だと、女性をエスコートすることになるのかな」

「女性のお客様には喜んでいただけると思います。今夜は店内の装いとして仮面舞踏会と銘打ちますが、実際にホールで踊っていただけるような催しも、ゆくゆくは開いても良いかもしれません。ご主人様は、賑やかすぎるのはお好みでないかもしれませんが」

「ああいや、そうと限ったことでもないぞ」


 ここで姿を現すのもどうかと思ったが、普通に出ていく。みんな俺を見るなり、ほっと安心した顔をする。


「おはよう、ディック。どうやら、彼女との話はついたみたいだね」

「ああ、今後も敵対するってことはなくて……俺のところで預かるというか、そういう感じになりそうだ。この家じゃなくて、ベアトリスの屋敷に住んでもらうかもしれないが」

「そうなの? 同居するものだと思っていたけれど……」

「ひとつ屋根の下だと、やっぱりディックも年頃だからね。お師匠様、あんまり歳が離れてないように見えるけど、いったい何歳くらいなの?」


 師匠が『遺された者』だとして、ヴェルレーヌの推測通りだと桁違いの数字になりそうだ。人間が世界に生まれた時から生きてるかもしれないと言ったところで、みんなを唖然とさせてしまうだけだろう。


 しかし逆に、みんなからすると、師匠の年齢はいくつくらいに見えるのだろうか。


「実は俺も、よく知らないんだ。師匠の容姿だけ見て、何歳くらいに見える?」

「年齢については、想像だけで口にするのは良くないけれど……見た目だけなら、私と同じくらいかしら」

「うーん、あたしも年上っていうふうには見れないっていうか、ディックと比べると、あの人が妹に見えるくらいっていうか。そんなに幼いってふうでもないけど」

「私よりずっと大人の方に見えますし、包容力というか……言葉を選ばずに言うのであれば、お母さまにも似た慈愛を感じます。とても孤独で、虚ろなところもあるのですが、本当はあたたかい方なのだと思います」


 ユマは見た目というより、魂を見ているのだろう。師匠の不安定さのようなものも、彼女はしっかりと感じ取っている。


 ミラルカとアイリーンがそう言うのならば、やはり師匠は俺と変わらない歳に見えるのだろう。出会った頃から全く変わっておらず、髪型こそ少し違うが、その長さも変わっていない。


「僕も同じくらいか、少し下に見えるかな。一瞬、少女のようだと思ったくらいだよ」

「そうか。じゃあ、十六歳か十七歳ってところか……対外的には、そういうことにしておくかな。ヴェルレーヌ、二人が風呂から出たら、着替えさせてやってくれるか」

「かしこまりました。本日は人員が充実しておりますし、ミラルカ様にも希望の配置についていただきましょう。他の方々も、希望があればご提案ください」


 そしてつつがなく分担が決まり、ミラルカとユマはカウンターの中に入ってヴェルレーヌの助手をすることになった。


 コーディとアイリーンはホール担当で、先に出てきたミヅハもその中に加わることになった。


 そして師匠はというと――ヴェルレーヌに着付けをさせられて出てくると、俺も正直を言って圧倒されてしまった。


「ディー君のお店の子たちは、こんな服を着て働いているんだね。これは、ディー君の趣味?」

「い、いや……ヴェルレーヌの影響なんだ」

「そして、ご主人様にお気に召していただけたという流れになります。今も大変喜ばれているようで……」

「私も悪くないと思う。このヘッドドレスは特に気に入ったから、いつもこの服でもいいよ」


 師匠がどんな服を好きだとか、そんなことは全く知らなかった――俺は彼女の何を見てきたのだろうと思う。


 しかしいかにメイド服が似合っていても、そればかりに見とれているわけにはいかない。まだ、浮かれていい状況ではない――それは忘れてはならないことだ。


「最初は自分で見て仕事を覚えるから、見学していていい?」

「はい、そうしていただければ……」


 ヴェルレーヌが答えかけたところで、カランコロン、とドアベルが鳴った。


 そうして、二人の客を案内してきたのは、サクヤさんだった。一人はいかにも戦士という体格の、狼人族の男性。そして、同じ種族の少女だ。年齢はミヅハと同じくらいだろうか。男性と同じ、黒と銀の混じった髪をしている。


 師匠は、彼らが何者かを察したようだった。最初にサクヤさんを、次に狼人族の二人を、静かに見つめる。


「マスター、ご紹介します。ギュスターブ・ヴォルフガングさんと、そのご息女のミミアさんです」


 ガラムドア商会によって囚われ、売られそうになっていた、獣化能力を持つ狼人族の少女。そして、彼女を助けるために王都にやってきた父親。


 少女――ミミアは、師匠の作った首輪によって獣化したままで留められていた。彼女は緊張しながら、俺達を一人ずつ見ている。


「初めて挨拶させてもらう、ギュスターブという者だ。ここに、娘の件に加担した者がいるという話だが……」

「私がそう。あなたを捕まえるための首輪を作ったのは、私」


 師匠は自らそう言うと、狼人族のふたりの前に出た。ギュスターブは長身で、師匠が子供のように小さく見えるほど体躯が大きく、娘の三倍はあるのではないかというほどだ。


 ギュスターブは師匠を見る目を細め、かすかに怒りを漲らせたが――ミミアに手を握られ、首を振った。


「……娘は無事だった。こんな言い方も忌々しいが、奴らは獣化した娘を大事な商品とみなしていたから、最悪の事態は免れた。この女があの忌々しい首輪を作ったとして、それを利用したのはガラムドア商会だ。俺が求めることは一つ、二度とこんな首輪を作らないこと。そして可能ならば、拡散した首輪を回収することだ。俺は娘を村に連れて帰らねばならん。既に売られた獣人を解放したいが、俺にも家族があるからな」

「お父さん……ごめんなさい。私が、外にあこがれて、家出なんてしたから……」

「いや、お前は謝らなくてもいい。もう、お父さんは全部許したからな。無事でいてくれたこと、それだけで十分に報われたよ」


 ミミアの肩に手を置いてギュスターブは言う。そして立ち去ろうとする彼らの背中を、ヴェルレーヌが呼び止めた。


「お客様方、よろしければもう少しだけご滞在ください。まだ開店を迎えてはおりませんが、お二人をおもてなしさせていただければと、オーナーならびに従業員一同願っております」

「……いいのか? 王都では、獣人を嫌う者も多いだろう」


 ギュスターブが心配する気持ちは分かる。しかし、俺のギルドは一貫して、獣人を差別することはない。


 俺は二人の前に出て、そして言った。それだけは、ヴェルレーヌに代弁してもらうわけにはいかない。


「この酒場では、どんな種族も関係ない。できれば、旨いものでも食べていってくれ」


 思えば、ガラムドア商会の件が、今回の発端だった。


 獣人に対する差別。希少動物として扱われた獣人たち――そんなことが二度と繰り返されないよう、これから行動しなくてはならない。


 そして師匠の弟子として、ギュスターブ父子への謝罪の意味もあるが、心ばかりのもてなしがしたい。


 戸惑っていたギュスターブは、ミミアの顔を見やる。つぶらな瞳で父を見上げたあと、まだ緊張した様子のまま、少女は俺を見る。これから何が起こるのかと、不思議そうな顔をして。

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