第51話 再会の時と果たされぬ約束
白の山羊亭の屋上に目がけて飛ぶ間に、迎撃に出てきた冒険者たちが、次々と俺たちに向けて攻撃魔法や投射武器を放とうとする。
「『あの方』の言った通りだ! 空中にいてはかわせまいっ、総攻撃しろ!」
「火炎球ッ!」
「氷結槍ッ!」
飛んでくる火球と氷の槍。属性こそ統一されていないが、Sランクに相当する威力の攻撃魔法は、何の対策もなく受ければ多少は被害を受ける。
しかし俺の腕に抱えられているミラルカは、一瞥しただけで敵の攻撃を全て解析し――俺たちに近づく前に、一定の距離で『分解』して消滅させる。
――『限定殲滅型九十一式・絶対領域陣』――
限定殲滅型は八十番台までしかなかったはずだが、九十番台が追加されている。他にも防御に使える陣はあるのだが、今回のものは魔法も投射武器も関係なく遮断している。
(さすがだな。そんなの使われたら、一国の軍隊でも怖くないんじゃないか)
戦闘中に話すほど悠長にもしていられないので、魔道具のピアスを介して意志を伝える。
(既知の技能であれば全て防げるわ。その場に応じて目で見て解析する労力を省くために、魔法陣にあらゆる攻撃のパターンを組み込んでおくことにしたの。今までの防御陣と比べると展開に0.3秒ほど遅れが出るけれど、実用に足りることは検証できたわね)
思考だけでやりとりをすると、ミラルカの頭の回転がいかに早いかが良くわかる。そうでなければ、数百種類の魔法陣をすべて暗記し、状況に応じて展開することなど不可能だ。
「な、なんだあれはっ……魔法が届かずに消えてる……!?」
「馬鹿なっ……今の俺たちはSランクの奴らにも負けないはずなのに! 何かの間違いだっ!」
SSSランクの冒険者が攻めてくることをまったく想定していない物言いに、俺が王都での存在感を消してきた成果を実感する。
――しかしあわてふためく彼らを前にして、俺は異常に気が付く。
俺たちが空から急襲してくることを読んで、『彼女』がギルド員に迎撃させるだけで終わるだろうか。
(ディック、敵の様子が……いけないっ!)
ミラルカが何を言わんとしているかはすぐに分かった。このまま俺たちを着地させることなく、敵の魔法使いが第二波の迎撃を試みる――しかし、一度目とは全く収束している魔力の量が違う。
(未知の技能……精霊魔法以外にも隠して……いえ、違う……!)
(――あれは借り物の力だ。『代行発動』……!)
もう、直接姿を見るまでもない。相手は、俺を挑発しているのだ。
代行発動は、初めは魔法が使えなかった俺の資質を引き出すため、師匠が指導の際に使った魔法だ。
ありあまる魔力を放出する方法を知らず、暴走させては他人に迷惑をかけてきた俺は、その魔法で生き方そのものを変えてもらったようなものだった。初めに俺が覚えた魔法は、師匠の魔法の知識をそっくり身体に流し込まれて覚えたのだ――彼女の魔法を代行して発動し、身体で覚えることで。
しかし、ギルド員の器では代行発動に耐えられない。SSSランクの魔法を、たとえ強化されていても、Sランクの実力しかない者が使えば、魔力枯渇どころか、魔力位相反転による『自己崩壊』を起こす――足りない魔力を補うために、発動しようとする魔法が周囲の人の魔力を吸うのだ。生命の維持にも必要な魔力は消耗するだけで命の危険があるのに、ゼロになってしまっては無事では済まない。
よくよく見れば、俺たちを迎撃に出てきたギルド員全員に、首輪がつけられている。それでは、自分が死ぬかもしれない行為であっても、命令に抗うことはできない。
(許さないってことなんだな。俺が、あんたの元に帰らなかったことを)
(……ディック……?)
どちらにせよ、魔法を発動させるわけにはいかない。敵の魔法使いは3名、彼らの行動を操作しようとする魔力の接続を断ち切ってやるしか方法がない。
剣を抜かずに、魔力の刃を放つ――それでもまだ遅い。俺はミラルカに意志を伝え、彼女は躊躇なく魔法陣を展開し、三名のギルド員を範囲に入れて発動させる。
(――間に合いなさいっ!)
――『限定殲滅型六十六式・粒子断裂陣』――
ミラルカは空中から魔法陣を展開し、首輪だけを狙って破壊する。わずかに遅れれば魔法の発動を許すところを、見事に間に合わせてくれた。
直後、俺はミラルカと共に屋上に着地し、彼女をその場に降ろすと、駆け抜けるようにして魔力で強化した剣を振るう。今回は『斬撃強化』ではない、『静寂の印』を剣に付加した。こうすれば、攻撃した相手の魔力が外部に干渉できないように一時的に封印することができる。打撃で直接魔法文字を刻み込むよりは効果は短いが、数時間持てば問題ない。
「ぐっ……」
「う……」
首輪を壊され、操っている者との魔力のつながりを絶たれて、敵のギルド員たちが倒れこむ。
「ミラルカ、助かったよ。今の魔法を発動させるわけにはいかなかったからな」
「ええ……いきなり知らない魔法を使ってきたから、どうしていいものかと思ったけれど。『静寂の剣』だったかしら、こういうときに役に立つわね」
彼女はそう言ったあと、続けて何か言いたそうにする。俺は問いかけられる前に、自分で答えた。
「これから戦おうとしてるのは、俺に魔法を教えた人だ」
「ディックに、魔法を……どうしてそんな人物が、ギルドを混乱に陥れるようなことをするの?」
「あの人はおそらく、見ていたんだと思う。俺が今、ギルドマスターとして何をしているのかを」
「……それが気に食わなくて、ギルドを乗っ取って悪事を働いているんだとしたら。それは、ただの八つ当たりだわ」
ミラルカのような感想を抱くのが普通で、何も間違ってはいない。
しかし常識的な考えは、彼女には通じない。彼女自体が、千年に一度の才能を持つと言われた俺たちと同じように、常識を外れた存在だからだ。
「乗っ取ったなんて、人聞きが悪い言い方はしないでほしいな。私は、このギルドに『帰ってきてあげた』だけなんだから」
「っ……!?」
その声は、『後ろから』聞こえてきた。
建物の中から屋上に上がるには、俺たちの前方にある階段を使わなければならない。
――ならばどうやって俺たちの後ろに回るのか。
転移魔法陣すら使わず、独力で転移を成し遂げたからに他ならない。彼女ならば、それができた――俺と出会ったときも、こうやって忽然と姿を現して、悪戯に微笑んでいた。
昔とその姿はほとんど変わっていない。不老不死だと自称していた彼女は、それを五年の時を経て体現していた。
吸い込まれそうなほど青い空の下で、銀色の長い髪が光を受けて波打つ。全身が光を帯びているようだ――しかしそれは、ユマの神聖な光気とは違う。
彼女のまとう輝きは冷たく、無機質で、他人の理解を阻む幕のようなものだ。だから俺は彼女の名前を知らず、『師匠』としか呼んだことがない。
「『可憐なる災厄』を伴って来たのは、私がいると想像してたから? 一人ではかなわないと思ったのかな。そんなに大きくなったのに、まだ心はちっちゃい頃のままなんだね」
その人を食ったような、けれど邪気のかけらもない笑顔を見ていると、背反する感情が同時に湧きおこる。
――ひどく、懐かしい。そして、同じだけ胸が苦しくなる。
子供の頃の俺から見れば、彼女は追いつけないと感じるほど大人だった。しかしその背丈を追い越した今となっては、いつまでもかなわないのだとは思わない。
だが、その気になれば一瞬で距離を詰められる場所にいても、近づけない。彼女が、とても遠くに見える。
「あいにくだが、いつまでも子供と言っていられるような立場じゃないんだ」
「強がらなくていいよ。私を見た時、懐かしいと思ったでしょう。私がどんな悪辣なことをしても、私ならしょうがないって思ったよね? それはディー君が、私を受け入れようとしてるからだよ」
「っ……黙って聞いていれば、好き勝手なことを言ってくれるわね。あなたがディックの先生であっても、あなたのしたことは看過できることじゃないわ。王都をかき乱してどうするつもり?」
ミラルカに問われても、師匠の笑顔には曇りひとつない。無防備に、一歩ずつ俺たちに近づいてくる。
「それ以上近づかないで。一定の距離を超えたら、攻撃するわよ」
「空間魔法の使い手なら、転移魔法陣もそのうち使えるようになるはず。使い方、教えてあげようか? ディー君も今なら使えると思うから、昔みたいに教えてあげる。そうじゃないと、私に負ける要素がないからね」
自信たっぷりで、その自信を裏打ちするだけの途方もない力があって――。
彼女は俺だけには、いつも優しかった。
そんな彼女が、呪いのように俺に言い続けた。「いつか私が望んだ時に、私をちゃんと殺すんだよ」と。
「……あんたの心が、どうして壊れたのか。昔は知ろうともしなかったし、弱かった俺には、その資格もなかった。でも、今は違う」
「本当にそう? まだ私の名前を聞くこともできないのに、何かが変わったって言える?」
全てを見透かしたようなその瞳が、そうやって俺をからかうときだけ悪意をのぞかせる口元が、たまらなく嫌いだった。
羽織ったケープの下にはまるで天女のような装いをしながら、その瞳には引きずり込まれそうなほどの真の闇がある。そしてあろうことか、彼女は自らの首にも首輪をつけていた――それは従属の首輪に対応した、支配するための魔道具だ。
それを首輪の形状にする意味を問えば、「支配するということは、自分も縛られているようなものだから」とでも言うのだろう。
「ふふっ……そっか。あなたたちに魔力の繋がりがないところを見ると、やっぱりディー君は、私のことが忘れられなかったんだね。私がもらってあげるって言ったこと、ちゃんと覚えてたんだ」
ミラルカの眼前で、彼女は俺の古傷を容赦なくえぐろうとする。
自分が強いと、誰にも負けないと思っていたころ。その勘違いを正したのも、彼女だった。
――俺を力づくで組み敷き、人間が一番美しくて、最も醜い部分を教えると言って。
あのとき何を言って解放されたのかは覚えていない。師匠との間にあるのは、思い出したくもない記憶ばかりだ。
ミラルカが心配そうに俺を見ている。そんな顔をさせていることさえ、男として情けない限りだ――だが、俺も言われているままではない。
「……今言われるまで忘れてたよ。俺も自分なりに、今を生きてるんでね」
「私は忘れてないよ。私が忘れてないんだから、ディー君も絶対に忘れない。そういうふうに教えたはずだよ」
「ディック、もう話す必要はないわ。この人があなたとどんな関係であっても関係ない」
ミラルカの魔力が、いつでも魔法陣を展開できるように収束していく。殲滅か、破壊か。それを前にしても、師匠は動じることはない。
「ディックは、あなたの所有物じゃない。今でも自分が支配しているつもり? おあいにくさま、この人は誰かの言うことを聞くほど弱くはないわ」
「ディー君と私の間には、誰も入れないよ。だってディー君は、私が教えてあげた魔法をまだ使ってる」
「それがどうしたっていうの? 教え子が先生を超えられないなんて、決まってはいないわ」
「ミラルカ、大丈夫だ。俺は全く動揺してない」
「……ディック」
俺は抜き身の剣を構える。それを見た師匠は、同じように腰に帯びた剣を抜いた。重量のある剣を使わなくても十分な破壊力を得られる彼女は、昔から細身の剣を用いる。
『妖精剣』と呼ばれる、希少素材でできた剣。魔法による強化との相性が良く、魔法使いが用いる剣としては、俺が知る限り最強の威力を持つ武器。
同等のものを探し求めた時期もあったが、そのうち必要がないと悟った。
なぜなら、妖精剣を用いてできることは、俺には普通の剣でも再現することができるからだ。ただ、威力だけは追随できるかどうか、やってみなければ分からない。
剣も、魔法も、彼女から学んだ。だからこそ俺は、ここで彼女を超えなければならない。
そうしなければ、彼女の時間が流れない。俺が変わったことを認めず、支配できていると思ったままでは、何も変わらない。
子供だった俺はもういない。俺は俺の道を選んで、師匠の元を離れた。だから、もう戻るつもりはない。
「この剣で死なないくらいに傷を負わせて、治すことを繰り返して……それで君は回復魔法を、命をかけた戦いでの立ち回りを、そして剣の技そのものを学んだ。おいで、ディー君。昔と同じようにしてあげるから」
「ああ。練習じゃない、本気で殺すつもりでやろう。そうじゃなきゃ、あんたはいつまでも分からない」
「……分からないのはディー君のほうだよ。どうして私の言うことが聞けないの?」
「っ……」
ミラルカですら一歩後ずさる。こんな凄絶な殺気を向けられれば、SSランクの冒険者ですら、威圧されて一瞬思考を止めてしまうだろう。
教えを受け始めたころなら、俺もそうだった。
しかし魔王討伐の旅に出るころには、俺はもう――。
声もなく戦いは始まる。師匠が眼前に転移し、妖精剣がかすかに輝き、魔力を通して放つ初手の斬撃は、『斬撃強化』――同じ技で打ち合い、相殺し、衝撃を魔力で緩和したあと、彼女は二撃目に『斬撃回数強化』を重ね、無数の魔力の刃が発生し、俺はそれを読み切って同じ回数で返す。互いの魔力がせめぎ合い、弾け、巻き込まれることを防いで俺は後ろに飛び、そして師匠は転移で俺の裏に回る。
――バイバイ、ディー君。
ミラルカが声を上げている。だが俺は思う、そんなに心配しないでくれと。
後ろから迫り来る殺気。突き出された刃が、俺の防御強化の魔法を容易に突き破り、心臓を貫かれる感覚が生じる一瞬前に、
俺はさらに師匠の裏に回る。打ち合う間に仕込んでいた『転移』を発動させて。
背中に剣を突き付けられ、師匠の動きが止まる。声を上げなかったのは、流石と言ってもいい。
「気が早すぎるんじゃないか? 俺は自力で転移できないとは一言も言ってないぞ」
「ディック……!」
ミラルカが驚嘆の声を上げる。こんなに嬉しそうな彼女の声は、なかなか聞けるものじゃない。
しかしこのまま剣を突き出せば終わるというほど甘くもない。師匠は再度転移し、俺から距離を取る。追い打ちをかけても同じことの繰り返しになると思ったのだろう。
「……良かった。これで死んじゃったら、君を育てるのに失敗したってことだからね」
「期待に応えられるといいんだがな。手加減なんてしないでくれ、師匠」
俺は5年前の俺と同じではない。それを彼女に知らせることがどんな結末を生むとしても、この戦いは、勝って終わらせなければならない――絶対に。




