第40話 氷狐の正体と新たな仲間
今日も昼間は、店にはまばらにしか客が来なかった。依頼人やギルドの関係者を迎え入れるために店を開けているのだから、ランチなどを提供するのは利益のためではなく、付近の住民へのサービスのようなものなので、問題はないのだが。
俺は昼休みのうちに外に出て、世話になっている食料品を扱う店に行ってきた。俺は王都の食料品問屋、小売店の全てに出入りしたことがあり、扱う商品などもだいたい把握している。
王都の十番通りにある、『カルディラ食料品店』という看板が出ている小さな店。ここの店主は、市場に出回らないようなマニアックな食料品を仕入れてきて売っている。仕入れのために店を空けることが多いので、週に一日開いていればいいほうだが、訪問するたびに地方で買い付けてきた品物が入っており、来るたびに俺の興味を惹きつける。
「水瓶の、『青狐族』に興味あるのかい?」
「ああ。何か、青狐族にゆかりのある食べ物があったら仕入れたいんだが」
店主のカルディラは年齢不詳だが、二十代後半とみられる女性である。夫と一緒に店をやっているというが、彼女よりも旅に出ている頻度が高く、まだ一度も見たことがない。
彼女は南方の砂漠地帯の国の出身だそうで、肌が小麦色に焼けている。そして店の中ではやたらと露出の高い格好をしている。首や腕に飾りを多くつけているが、それは占いをたしなむ彼女が、的中率を上げるためにつけているアクセサリーらしい。本当に上がるのかどうかは知らないが、ただの飾りではないというのは見ればわかる。
彼女は俺のことを、『銀の水瓶亭』の人間として『水瓶の』という呼び方をする。それは彼女の主義のようなもので、他の店の人間も名前ではなく、店名で呼ばれている。
「その『ココノビの実』は、青狐族の居住地の近くで見つかるものだよ。だけど、その実を見つけたはいいけど青狐族自体には会えなかったね。山奥で吹雪に見舞われちまってさ」
「へえ……珍しい形だな」
九つの房に分かれた、少し曲がった青色の果実。近づくだけで甘い香気を放っているのが分かる。
「こいつは糖度が高そうだな。青狐族が品種改良したのか?」
「そうかもしれないね。青狐族はそれの皮を剥いて、中の白い実を干して保存食にしたり、新鮮なうちにすりつぶして、家畜の乳と混ぜて飲んだりするそうだよ。厳しい冬を越すための、完全栄養食なのさ」
「なるほどな。これを一つもらってもいいか?」
「1房で銀貨10枚。5房合わせて買ってくれるなら、一つ当たり2枚引いて40枚にしとくよ」
「仕入れの労力を考えると、引いてもらうのは悪いくらいだ。元値で払うよ」
俺は50枚の銀貨を数え、支払い用の小さな麻袋に入れて渡す。カルディラは微笑み、そこから5枚抜いて戻してきた。
「自生してた果物を、タダで取ってきたもんだからね。1つ銀貨5枚でも元は取れてるくらいだよ」
「いや、これは相当いいものだと思うぞ。鮮度も取れたての状態だし」
「もう採ってから三日経ってるよ。この果物は腐りにくくて、十日常温で放っておいても痛まないのさ。一日ごとに徐々に甘くなっていって、腐る直前で食べるのがいいとも言われてるね」
「なるほどな……熟れきったところで食べる、ってことか」
果物には自らを熟成させるための仕組みがあり、それが果物を甘くしたり、果物の果汁から酒を造るときに利用されたりする。
王都における果実酒といえば葡萄酒が主に流通しているが、それ以外の果実でも、糖度が高ければ酒は造れる。この『ココノビの実』でも酒が造れそうだが――と考えて、俺は前々から考えていた計画を、そろそろ実行に移すことを考えていた。
『銀の水瓶亭』で提携する酒蔵を探すか、あるいは酒造りができる職人を雇い、新しく酒蔵を作ってみたい。それができれば、独自の酒を作って、店の目玉として提供することができるようになる。
しかし、銀の水瓶亭でしか飲めない美味なる酒を提供したら、うちの店が隠れ家的な店として存続することは難しいのではないか。知る人ぞ知る感じで出していけばいいが、それで酒蔵を維持することができるのか。趣味で運営するならいいのでは、しかしギルドと酒場の運営は趣味ではないし、と色々考える。
「何か色々考えてるみたいだけど、若いうちはなんでもやってみるもんさね」
「ああ、そうだな……ありがとう、助かったよ。また近いうちに顔を出させてもらっていいか」
「三日後にはまた旅に出るから、それまでに来なよ。まだ、見て欲しいものがいくつかあるからね」
俺はココノビの実を持ってきた荷物袋に放り込むと、担いで店を出た。
青狐族が獣化した存在――氷狐を、アイリーンたちがもうすぐ連れて帰ってくる。
俺はその氷狐を、うちの店でもてなさなければならないと考えていた。ガラムドア商会のしたことで、人間に対して不信を抱いているかもしれない。俺たちはガラムドアと同じではなく、獣人との関係を悪くしたくはない――率直に言えば友好を築きたいと思っている。
うまくいくかはわからない。しかし、毎回事前に相手のことを知り尽くして、店に迎えられるわけではない。
成功するか分からなくても、できる限りを尽くす。それが、アイリーンたちに全てを任せ、店で待つ俺のするべき仕事だろう。
◆◇◆
夕方の開店まであと一時間ほどという頃に、アイリーンたちは氷狐を連れて帰還した――ゼクト・クルシファーも一緒に。
「兄さん、ただいま帰りました! アイリーンさんがやってくれましたよ!」
「ただいまー、ディック。なんとか連れて帰って来たよ。首輪はもう外してあるから」
「ああ、よくやってくれた……この子が氷狐……なのか?」
ゼクトに抱えられている、水色の髪を持つ、狐耳と尻尾を生やした少女。彼女はゼクトのものらしき外套にくるまれ、運ばれていても目覚めず、寝息を立てていた。しかし長いまつげがふるふると震えているので、どうやら意識が戻りそうではあるらしい。
飲んだくれていた俺と一度会っただけのゼクトは、俺がギルドマスターらしいと悟ると、かすかに目を見開く。だがそれは一瞬だけで、すぐにいつもの無表情に戻った。
「ギルドマスター……だったのか。ただの常連客かと思っていたが、どうやら俺の目は節穴だったようだな」
「ああいや、こちらこそ済まないな、最初に名乗らなくて」
「いや。俺こそ、脅すような真似をして済まなかった。このギルドの力がなければ、今ごろ俺は取り返しのつかんことをしていただろう。あの時の非礼は、全面的に詫びさせてもらう」
狐耳の少女を抱えたまま、ゼクトは深く礼をする。その様子から、ゼクトと少女の関係が近しいものであるというのは十分に感じ取れた。
「そのことはもう気にしないでくれ。ゼクト、あんたのおかげで、俺たちはガラムドア商会の行っていることについて知ることができた。彼らを野放しにしておくつもりはない」
「……獣人を捕らえ、獣の姿にして、商売の道具にしている。その証拠を掴んだというのか?」
ゼクトの質問には、ヴェルレーヌが俺の代わりに応じた。メイド服姿で、今日は眼鏡をかけている――ミラルカとマナリナが勉強中にかけていると話したから、興味を持ったのだろうか。
「当ギルドの調査の結果、ガラムドア商会で扱っている希少動物の正体は、獣人であると把握しました。役人に報告すれば、すぐにでもガラムドア商会の立ち入り調査が行われるでしょう」
「そうか。やはり、ガラムドアの連中が知らずに獣化した者を動物として扱っていたのではなく、自ら獣人を捕らえていたのか……俺のギルドとは関係が深く、あまり疑いをかけたくはなかったのだがな。証拠が見つかったのなら、そうも言っていられまい」
「それはどういうことだ? ゼクトのギルドと、ガラムドア商会にどんな関係があるんだ」
ゼクトは視線を伏せ、考えている素振りを見せる。自分の所属しているギルドの情報を明かすことが難しいというのは分かるが、聞き逃せる話ではなかった。
――このまま沈黙が続くかと思われたとき。透き通るような声が、重い静寂を破った。
「……兄上、もう隠し事はいけません。うちがこうして生きてられるのは、この方たちのおかげですから」
それは青狐族特有の言葉遣いなのか、少女の口調は特徴的だった。彼女は外套を羽織ったままで、ゼクトの腕から降りる。
俺からすると見下ろすくらいの身長しかない少女――その足元は裸足だが、彼女は意に介しておらず、つぶらな目で俺を見上げていた。フードを取ると、ぴこん、と二つの狐耳が現れる。
「兄上……って。ゼクトは人間に見えるけど、獣人の君のお兄さんってことは……」
「初めてお目にかかります、うちの名前はミヅハと申します。兄上はうちの、母親違いの兄なんです」
彼女は礼儀正しく頭を下げ、俺だけでなくほかの皆にも頭を下げる。ゼクトは無表情のままだ――いや、妹が頭を下げているのを、兄として見守っているのか。それにしても兄妹という時点で驚きだし、こうして見ていてもそこまで似ているという感じはしない。
「……俺の父親は、青狐族だ。母親は人間でな。そうすると、人間の姿で生まれるか、獣人の姿で生まれるか、あるいは半々ということになる。俺は前者だが、髪の色は父親のものを継いでいる」
「青っぽい黒髪だと思ってたけど、それってそういうことだったんだ……」
蒼黒の髪は確かに特徴的だが、それだけで獣人の血を継いでいると判別できる特徴ではない。
ヴェルレーヌでも気づかなかったようなので、ゼクトの見た目だけで獣人の血を引いていると見抜くことは不可能だと思っていいだろう。
「ですが、その方……ミヅハ様は、兄君とは全く違う外見的な特徴を備えているようにお見受けしますが」
「うちは両親とも、青狐族なんです。青狐族はごくまれに、先祖がえりを起こすことがあって……うちは、それで獣になる力を持ってるんです。アイリーンさん、その節は、大変なご迷惑をおかけしました」
「あたしは大丈夫だから、ほんとに気にしなくていいよ。それよりミヅハちゃんは怪我とかない? あたし、久しぶりに強い相手と戦えると思って、結構思いっきりやっちゃってたから……」
「いいえ、アイリーンさんが手加減してくれてるのは、獣の姿になってるときも、何となくわかってました。首輪を切ってもらったとき、すぅって気持ちが楽になって、元のうちに戻れたんです。うち、アイリーンさんたちが来てくれるまでは、もう戻れへんのかなってやけになってしまって、どんどん自分の体が言うことをきかなくなっていって……」
よほど怖い思いをしたのだろう、ミヅハが目を潤ませる。アイリーンは床に膝をついて彼女を抱きしめると、頭を撫で、背中をぽんぽんと撫でてあやした。
「俺たちの生まれた村は、雪深い山奥にある。妹はこの姿と能力を持って生まれたために、村から出ることを長い間許されなかった。それでも、どうしても一度外に出たいという願いを、族長は聞き入れてくれたのだが……人里に降りるにしても、いきなり王都というよりは、手順を踏むべきだった。もっと人のいない田舎町で暮らしていれば……」
「いや、ゼクトさん、あんたも妹さんも何も悪いことはしちゃいない。俺は、二人に王都に来たことを後悔してほしくないと思ってる。これからどうするか決めるまで、少しだけ待ってもらえるか?」
こんな目に遭ってそれでも王都に留まるというのは、難しい選択だろう。しかし外に出たいと思って出てきたミヅハが、このまま失望して村に戻るというのは、あまりにもやるせない話だ。
「兄上様は、一宿一飯の恩義がある『青の射手亭』のことを悪く思いたくないんやと思います。でも、そうも言っていられません……うちのことを捕まえて、ガラムドア商会に渡そうとしたのは、青の射手亭の……」
「……つまり、獣化した姿を、青の射手亭の関係者に見られたことがあると?」
「は、はい……うち、月が満ちているときは、勝手に獣の姿になってしまうことがあるんです……それで……」
ミヅハの言葉を聞き、ゼクトは目を閉じる。
彼は知らなかった――青の射手亭のことを信用しているからこそ、身を置いていたのだろう。だからこそ、妹の話を聞いて、自分の所属するギルドの裏切りを知り、今初めて殺気を漲らせている。
「どうやら、最後のお仕置きが必要みたいだね。ライバルギルドが一つ減っちゃうことになるかも」
「……このギルドの手をこれ以上煩わせることはない。俺は青の射手亭のギルドマスターから、真実を聞き出す」
「けじめをつけるってことか。俺は、公的な裁きを受けさせることを勧めるが」
「止めるつもりか?」
「いや。奴らの悪事を暴く前に何が起きたとしても、他のギルドの問題に干渉はできない」
ギルド同士で争いが起きることは、絶対にないわけではない。時に個人同士の争いが、抗争に発展することもある。
俺のギルドと青の射手亭が争っていると知れたら、その時は両方のギルドの活動に制限がかけられることになる。ギルド同士の争いは、王都の秩序を乱すことだとみなされてしまうからだ。
――しかし、だからといって、何もしないと言っているわけではない。
「だが、こうやって事情を知った以上は、あんたと妹さんには無事でいてもらいたい。そっちからうちの店に顔を出したんだ、それくらいの義理は通してもらおう」
「……義理、だと? 俺は一方的に、お前たちに無礼を働いただけだ。詫び、償うことはできても、このギルドに果たすことのできる義理など……」
「私どもも、初めはガラムドア商会の思惑を知らず、ただの依頼として氷狐を捕らえようとしていました。その依頼が事実上の破棄となった今、ここにお連れした氷狐の今後の動向について、連れ出した私どもが責任を持つべきなのです。それが、当ギルドの主張する義務であり、ギルドマスターの主義でございます」
ゼクトは信じがたい、という顔でヴェルレーヌを見ている。それはそうだろう、俺もお人好しなことを言っているという自覚はある。
「率直に言おう。俺はあんたのような人材を求めている。そして、獣人が差別を受けることのない環境を作りたいとも思っている。表向きの権力を行使しなくても、それができると信じている。ミヅハにとって、この王都はきっと良い思い出ができる場所になる。その手助けをさせてもらえないか」
「……っ、兄さん、あんたって人は……」
「いつも飲んだくれてるだけかと思ったら……そんな大きなことを考えて……」
「やはり、ティミス様の姉君が頼りにされるお方……僭越ながら、感服いたしました」
リゲルたち三人にあまり持ち上げるなよ、と言いたくなるが、冗談めかせて誤魔化すわけにもいかない。
俺はゼクトに右手を差し出す。ゼクトはしばらく何も言わずにいたが――ミヅハは兄の手を引っ張ると、俺の手を握らせた。
「うちはミヅハ・クルシファーと申します。兄ともども、もしお許しいただけるのなら、こちらに身を寄せることをお許しください」
「……ミヅハ、それは甘え過ぎだ。このギルドが俺たちにしてくれたことを考えれば、これ以上は……」
「できればでいいんだが、王都にいるうちは『銀の水瓶亭』で働いてくれないか。あっちのギルドよりは、あんたの実力に見合う待遇を約束する。その子と安心して暮らせる部屋も用意しよう。慈善事業をしてるわけじゃないから、遠慮はいらない」
交渉が成立するか、その場にいる皆が固唾を飲んで見守っている。
ゼクトは思ったよりも時間をかけず、俺の手を握った。使い込まれた手甲を装備した手は、その戦闘経験の豊富さを物語っている。
「ことが落ち着いたら、このギルドで働かせてもらいたい。よろしく頼む、ギルドマスター」
ゼクトは笑わないが、その言葉はどこまでも実直だった。妹のミヅハは兄を見上げて、嬉しそうに微笑む。
一つ間違えば、ゼクトは妹を救う方法を知らず、傷つけてしまうかもしれなかった。そんな状況を生んだ者たちには、然るべき措置を講じなければならない。
青の射手亭、そしてガラムドア商会。二つの組織との予期せぬ衝突は、最後の局面を迎えようとしていた。




