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第36話 優美なる探索者と商会の真実

 ギルドマスターであるディックからの指令を受けたサクヤは、十番通りにあるガラムドア商会の本部に向かった。


 彼女の職業は『探索者エクスプローラー』である。隠密潜入に特化した職業ではないが、秘匿された情報を調査する能力にかけては、諜報専門の職業でも及ばないケースがある。銀の水瓶亭においては諜報を専門としてはいないが、情報部に所属し、ギルドに入ってくる情報を整理し、時には自ら実地で調査することもある。


 月兎人の寿命は人間より長いが、彼女はそこまで容姿と年齢が乖離していない。年齢は未詳としているが、それはある程度年を重ねたところで、数えることをやめたからだった。


 彼女は4年前にある一件を通してディックに出会い、ゆえあって彼のギルドに身を置くことにした。それまではランクというものに興味のなかったサクヤだが、冒険者ギルドに登録して、初めて冒険者強度について知った。身を守るために身につけた護身術だけでも戦闘評価は一万に近く、月兎人の特殊能力、探索者としての職能などを総合すると、総計の強度は32384となり、Sランクの冒険者と査定される。


 この数値を持つ者は、王都の人口の1万分の1に満たず、SSランクとなるとさらに減少し、SSSランクは神にも等しい。サクヤはそう認識しているが、魔王討伐隊の面々、そしてヴェルレーヌは、その力を濫用することがないため、人々には実感として伝わらない。


(かといって、すべてあの方にお任せするというわけにもいかないのですが)


 足音を消し、気配を隠蔽し、灰色の外套を羽織ってその露出の高い姿を隠しながら、サクヤは深夜まで営業している酒場の喧騒を意にも介さず、その前を通り過ぎて目的地に向かう。誰にも見とがめられることなどない。


 やがて賑わしい場所を離れ、商店などが並ぶ街区に入る。その街区の四分の一ほど占有しているのが、ガラムドア商会だった。


 ぐるりと高い塀に囲まれた中に中庭があり、二階建ての豪勢な屋敷が建っている。サクヤは手元の資料を見て、最近希少動物を取り扱って急成長している、という項目に目を留めた。


(マスターの読みは当たっていそうですね。この屋敷からは、かすかですが、獣人の匂いがする……)


 サクヤは誰も見ていないことを確かめたあと、ぐっと地面を踏みしめ、飛び上がった。ゆうに彼女の身長の倍はある塀を、背面宙返りで飛び越える。


 塀の内側に降り立ったあと、サクヤは庭先に犬が放たれていることに気づく。

 兎ならば犬は天敵だが、月兎人にとっては特に恐れるようなものではない。サクヤは走ってくる犬たちに向けて手をかざすと、小さく呪文をつぶやいた。


「『幻影イリュージョン』」


 幻術の初歩であるその魔法が効果を発揮する――犬たちに抵抗の術はなく、猛然と走ってきていた犬たちが足を止め、その場に寝転がって腹を見せる。


 心地よさそうにしている犬たちを見て、サクヤはふっと笑う。


「あなたの主人たちがここからいなくなるようならば、然るべき自然に帰してあげましょう。群れならば、生きていけるでしょうから」


 サクヤは別の獣の匂いは好まない。そのため、必要以上に近づかず、幻影に囚われた犬たちを置いて屋敷に向かう。


 種族が違っても許容できるのは、『血の契り』を結んだ場合のみである。そうしたとき、獣人は契りを結んだ相手の匂いを忌避することがなくなる。


 しかし獣人と人間が交わることは、どちらの種族でも簡単に許されることではない。

 同じ起源を持つ種であり、違う神の祝福を受けただけの違いだというのに、ダークエルフとエルフは対立し、狼人ウルフリム犬人ドッグリムは決して相容れない。人間と獣人ほど姿が違えば、もはやそこには対立ではなく、蔑視が生まれる。


 こういったことを自分が考えるだろうと予測して、ディックは気遣ってくれたのだろうとサクヤは思う。

 だが、サクヤはそういったことから目を逸らしてはいない。

 『悪い人間』が、獣人を利用して一方的に利益を得ているのならば、それを看過することはできない。


 サクヤは『悪い人間』が嫌いである。同時に『善い人間』を見つけることを、ささやかな喜びともする。


(そうして私も、人を区別している。世界が平等で、平均的であったならば、もっと違う景色も見えるでしょうに)


 考えながらサクヤはすでに、屋敷の裏手に回ると、建物の近くにある木に目をつけ、音もなくその幹を駆け上がり、屋根の上まで難なく上がる。


 外観から屋根裏があることは分かっていた。屋根裏部屋の小窓に近づいて、サクヤは異常に気が付く。


 すでに、何者かがここから侵入したあとがある。外から鎖をかけられ、封じられていただろう窓が、何者かによって鎖を引きちぎられ、無理やりに開けられた跡があった。


 これほどの力技ができるのは、獣人――人間でもありえなくはないが、ディックのように強化魔法でも使わなければ、鋼鉄の鎖を素手で引きちぎることは難しい。


(……侵入者がまだ、この中にいる可能性がありますね。しかし、人間ではない……そうすると……)


 サクヤはリスクを感じはしたが、戦闘になることもある程度覚悟する。敵の攻撃に対処するために、物理攻撃を無効化する魔法『朧霞オボロガスミ』を唱える。探索者としての技術ではない、月兎人特有の魔法である。


 窓を開けて中に降り立つ。サクヤの赤い瞳は、真の闇に近い状況でも関係なくものを見ることができ、鋭い聴覚で、微細な音の反響から空間を正確に把握することができる。


 盗賊になるために生まれてきた種族だ、と揶揄されることもある。しかしディックは、暗い迷宮や遺跡に潜ったりするときに頼りになると評してくれた。


 ――そして今、彼女の能力は、気配を殺している獣人が、すぐそばにいることを見抜くために役に立っている。


「……気づかれてる、か。でもまあいいだろう、いきなり攻撃してこないってことは、どうやら俺たちの目的は同じようだからな」


 闇に潜んでいたのは、獣人――狼人族の男だった。若くはなく、しかし老人というほどでもない。

 そのいでたちは盗賊のようにも見えるが、サクヤはそれが本職ではないと判断した。盗賊ならば基本的には短剣などを使って戦うが、狼人族の男は武術をたしなんでおり、立ち姿に無意識に表れている。


「先客がいるとは思いませんでした。物盗りに入ったというわけでもなさそうですね」

「いや、もう探し物は済んだ。『ここにいた』というのが分かっただけでも十分だ……あんたはもう帰りな。俺はこれから、この屋敷の連中を皆殺しにする。巻き込まれたくはないだろう」


 男の探し物とは何なのか――サクヤは部屋の中に視線を巡らせ、それを推測する材料を得る。


 屋根裏部屋にはいくつか、誰かが使用していたとおぼしき毛布が打ち捨てられていた。


 ほかの痕跡を総合すると、ここで何が行われていたのかは自ずと想像がつく。数人の獣人が、ここで監禁されていたのだ。


「少しだけ、話をする時間をいただけますか。私も目的があってここに来ているので、あなたの言うことにそのまま従うわけにはいきません」

「あんたは頭が切れるようだから、想像はついただろう。この商会で扱ってる商品は『獣人そのもの』だ。俺が探している……娘も、ここにいた。もう売られたか、足がつくことを恐れて場所を移されたか。どちらにしても、ガラムドアの連中には然るべき報いを与えなければならん」

「ガラムドア商会は、『希少動物』を扱っているはず。奴隷を扱っているわけではない……表向きはそうなっていますが」

「表向きはな。だが、奴らは冒険者や、盗賊団の連中が、奴隷として売るために捕らえた獣人を買い取っている。それは事実だ」


 サクヤはディックの推論、そしてここで見た真実から、ある結論を導き出す。

 しかしそれを証明するためには、一つどうしても手に入れなければならない証拠がある。


「もし、この屋敷にいる人々を殺してしまうと、あなたの探し人の安全が保障できません」

「……冷静になれとでも言うつもりか? 言葉は選べよ。既に事は起こっていて、俺には報復する理由がある。娘は人間の町に興味を持ったばかりに、この商会の奴らに騙されて攫われたんだ」

「誰もそんなことは言っていません。彼らのしたことには報いを受けさせます。殺してしまって楽になどさせてはならない、そう言っているのです。生き地獄というものが、この世界には存在するのですよ」


 狼人族の男が目を見開く。穏やかな語り口と容姿から非戦主義なのかと想像していた女性の口から、想像もしていない言葉が出てきたからだ。


 彼女の言葉には、自分などよりも、遥かに深い人間への敵意が込められている。男はそう感じずにはいられなかった。


「……あんたの話を聞き入れれば、俺の娘が無事に帰ってくる可能性は上がるか?」

「ええ。少なくともここで凶行を行い、彼らの警戒を強めてしまうよりは、少し泳がせたほうがいいでしょう。ガラムドア商会の罪は公にされ、裁かれるべきです。そのために、証拠を得なくては」

「証拠……奴らが、獣人を売り物にしているというのなら、この屋敷に痕跡はいくらでも残ってるだろう」

「いいえ、彼らが取引しているのはあくまでも『希少な動物』です。あなたの娘さんは、獣化能力を持っているのではないですか?」


 獣化能力を持っている一部の獣人族は、それを秘匿する傾向にある。


 獣化能力を持つ者は先祖返りを起こしており、『純血種』と同格の血統とされる。同族からは敬意の対象となるが、その血を取り入れることを望んで、同系統の獣人の村同士で奪い合いの対象になることもあるのである。


「……純血の獣人に、人間どもが価値を見出すとでもいうのか?」

「いいえ、違います。獣人が獣化することで、彼らにとっては『希少な動物』と同じになる。すると、商品としての価値が跳ね上がる……」

「獣化したあと、娘はいつでも元の姿に戻れる。そんな状態で、動物扱いなんぞできるわけがない。そのまま売られたとしても、獣人だとすぐに気づかれて……」


 男は言いかけて、何かに気づいたように言葉を止める。


「すぐに気づかれるはずなのに、気づかれていない。だからこそ、動物商などという偽りの看板がまかり通っている。それを可能にした方法は、必ずここに隠されているはずです」


 サクヤは断言する。男はしばらく何も答えず、落ちていた毛布の一つを拾い上げた。


 それが、彼の娘が使っていたものなのだろう。男はその毛布を手放すと、何かを祈るように額に拳を当てた。


「……あんた、名前は? 俺はギュスターブ。狼人族ウルフリムのギュスターブ・ヴォルフガングだ」

「私は……サクヤと名乗っています」

「そうか。奇縁と言うやつか、目的が同じ部分もあるとは分かった。ここは、あんたに従わせてもらう」

「はい。気づかれぬよう調査をする必要がありますが、隠密技術は持っていますか?」

「あんたには劣るだろうが、人間に気づかれることはない。頼りないおっさんに見えるかもしれんがな」


 ギュスターブと名乗った男は、Aランク相当の実力を持っている。彼に協力させても問題ないと判断したサクヤは、屋敷内部の調査を始める前に、最後に一つだけ聞いておくことにした。


「外にいた犬は、どう対処しましたか?」

「睨んだだけで逃げていったよ。飼いならされた犬が、狼にかなうわけがあるまい」


 先ほどまで怒りに駆られ、殺気を放っていたはずの男が、ニヤリと笑って言う。本来は心優しい父親なのだろう、とサクヤは思う。


(願わくば、彼の娘が無事であることを)


 サクヤは胸に手を当て、外套の上から首飾りに触れる。


 すべての獣人が迫害されることなく、穏やかな暮らしを送ること。それは、彼女にとっての切なる願いだった。


 そして、はからずも獣人を救う仕事を与えてくれたディックに感謝を捧げる。やはり彼の見通しに間違いなどない、そう改めて感じながら、サクヤは屋根裏を出て、屋敷の二階廊下に降りた。



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